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ソクラテスの弁明

『ソクラテスの弁明』(ソクラテスのべんめい、、、)は、プラトンが著した初期対話篇。単に、『弁明』(、、)とも。ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後の紀元前404年、アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。三十人政権は一年程度の短期間で崩壊したが、代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。ペロポネソス戦争において致命的な働きをしたアルキビアデスや、三十人政権の主導者であったクリティアス等と付き合いがあり、彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、その糾弾・排除対象の一人とされた。こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」として宗教犯罪である「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴され、裁判が行われることになった。本篇はその場面を題材とする。この告発に対しソクラテスは全面的に反論し、いささかの妥協も見せない。その結果ソクラテスには死刑が宣告される。(告発者は計3名であり、メレトスの他には、手工者・政治家代表の()、演説家代表のリュコン()の2名がいるが、彼らは本編では話者として登場することはない。)紀元前399年、アテナイの民衆裁判所。500人の市民陪審員を前に、ソクラテスに対する告発者であるメレトスらが論告・求刑弁論を終え、それを受ける形でソクラテスが自身に対する弁護・弁明を開始するところから、話は始まる。途中、「無罪有罪決定」投票、「刑量確定」投票の2回の投票を挟み、それを受けてソクラテスが聴衆に向かって最後の演説をする場面までが描かれる。プラトンの著作の多くは対話篇(ダイアローグ)だが、この『ソクラテスの弁明』は、その性格上、途中メレトスとのわずかな質疑応答が挿入される他は、全てソクラテスの一人語り(モノローグ)となっている。文量は、例えば岩波文庫の訳書では55ページ程度と、他の多くの初期著作と同様に少なく、簡素な仕上がりとなっている。ソクラテスに死刑判決を出した民衆裁判の概要、そこにおけるソクラテス自身の言動(弁明)が描かれる。また、ソクラテスの弁明を通して、彼の特異な哲学(愛智者)人生の発端・経緯や、彼の思想、人となり、時代背景などが描写される。先の告発に対するソクラテスの対抗弁論から対話編は始まる。この対抗弁論が対話編の大部分を占める。ソクラテスはこの告発に対し真っ向から反論する。ソクラテスは彼が実践する試問(問答法)を説明する。それはデルポイの神託「ソクラテスより賢いものはいない」に対しその反駁として始まったものであったが、数々の知者と呼ばれる人との対話によりソクラテスは、自分は知者ではないが賢いとされる他の人々も最も必要である(とソクラテスが考える)真の知を持たず、したがって知者ではないことを知っている自分はその分だけ賢いという結論に達する。何かを知っており賢いと主張する人がいれば、対話によってそれを吟味し、そうでないことを見出したならそのことを明らかにし、また真の知を探求しようとする人々、特に若い人々にそのことを奨励すること、先の告発の内実はソクラテスの眼からみればそのようなことであった。ソクラテスは、真の知を追求し魂の世話を図ることを薦めることは、神から与えられた自分の使命であって、国家の命令がこのことを禁じようとも自分にはやめることができないと語る。アテナイの裁判ではまず被告人が有罪かどうかが審議され、続いて告発者と被告人の双方から量刑の提案がなされる。ソクラテスは有罪と宣告される。ここで裁判の告発者アニュトスは死刑を求刑する。ソクラテスはこれに対し自分の行っていることは魂の世話をみなに促すという最も重要なことであり、したがって自分は国家に最上の奉仕をなしているのだと主張する。それにふさわしい刑罰はソクラテスの考えでは公会堂での無料の食事である。公会堂での食事はオリュンピア競技の優勝者などに与えられる当時のアテナイで最高の公的顕彰であった。ソクラテスは追放刑を提案し死をまぬかれることも出来たのであろうがあえてそれをしなかったのである。結果としてソクラテスには死刑が宣告され裁判は終結する。ソクラテスは有罪投票をした人々には忠告を、無罪投票をした人々には自身の死生観を語りつつ本篇は終わる。原典には章の区分は無いが、慣用的には33の章に分けられている。以下、それを元に、各章の概要を記す。本篇では、デルポイの神託に端を発するソクラテスの哲学者(愛智者)人生の経緯と共に、「無知の知」についての言及が成される。自分が知っていること以上のことを知っていると思い込む「智慧と愚昧を併せ持つ」状態に陥っている者達と対比的に、よく知りもしないことを知っていると過信しない「智慧と愚昧を持たずにあるがままでいる」者としてのソクラテス自身が言及される。また、ソクラテスの用いる「問答法」が、そうした相手の智慧を吟味するためのものであることも併せて言及される。この「無知の知」のモチーフは、その後も「死・死刑」「死後の世界」に言及するくだりで、死を恐れることもまた、よく知りもしないことを知っているかのように装うことであるとして、再度持ち出される。なお、初期末の対話篇『メノン』では、この「無知の知」が、あるいは、初期対話篇で頻出する「アポリア」(行き詰まり)の自覚が、人々を、単なる「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)への安住から引っ張り出し、原因・根拠を伴った理論的「知識」(episteme エピステーメー)へと至らしめる重要な契機となることが、明快に説明されている。本篇では、正義に反することが自分にとっては死刑その他の刑罰よりも大きな禍であると、ソクラテスによって述べられている。この発想は、続編である『クリトン』においても繰り返し反復される。『クリトン』の内容に則るならば、ソクラテスにとっての正義とは、「熟慮・検討の結果、最善と思える考え」のことであり、それに則っておくことで、いかなる場合においても、死後の冥府においてすらも、「自身をちゃんと弁明できるようにしておくこと」である。本篇においても、また続編の『クリトン』においても、「いかなる場合においても、故意に不正は行わない」(知らずに不正を行っていたのであれば、改める)という倫理観が言及されている。本篇では、冒頭で、ソクラテスが聴衆(陪審員)達に対して、話し方・印象ではなく、その内容の正しさによって判断してもらいたいと願い出るところから始まる。一回目の投票の直前にも、再び同じお願いが繰り返される。末尾においては、ソクラテスは無罪投票をした人々を「正当な裁判官」と呼び、彼らに対して自身の死生観を説く。本篇では、「現実政治に関わることの危険性」が、ソクラテス自身が経験した2つのエピソードと共に言及される。また、「正義のために戦うならば、公人ではなく私人として生活すべき」という考えも表明されている。『第七書簡』にも書かれている通り、この姿勢は著者であるプラトン自身の人生態度とも重なる。本篇では、「アリストパネスらの風聞に流される旧い弾劾者」「自分達のやましさを覆い隠すために、批判者を封殺しようとする者達」として、大衆が批判的に言及されている。また、ソクラテス以前にも、そうした大衆によって善人は滅ぼされてきたし、これからもそうだろうという見解、批判者を封殺することは、より極端な反動を生み出すこと、それよりは自ら善くなるよう努めることが得策であるといった見解が、併せて述べられる。ソクラテスが青年たちの教育に熱心だったことは、プラトンの他の対話篇にも描かれており、本裁判の訴状においても、「青年を腐敗させた」として言及されている。本篇では、ソクラテスと告発者メレトスとの質疑応答の中で、青年の教育についてのいくらかの言及がある。メレトスが、国法やソクラテス以外の全てのアテナイ人が、青年たちにとっての善導者となると述べたのに対して、ソクラテスは、青年の教育は馬の調教と同じく、その道に長けた者によって行われなければならず、メレトスの言い分は青年たちの教育に対する無関心の表れだとして批判する。なお、こうした「一般大衆の意見よりも、一部の専門家の意見が尊重されるべき」という考えは、続編である『クリトン』においても、繰り返し持ち出される。本篇では、ソクラテスが「偉大なアテナイ人が蓄財などばかりに囚われ、知見を善くしようとしないのは恥辱ではないか」と訴えるくだりがある。また、末尾では、ソクラテスが聴衆に対して、ソクラテスの息子たちが成人した暁には、その息子たちに対しても、蓄財よりも徳を念頭に置くように非難・教育してもらうよう頼んでいる。本篇では、ソクラテスの指針ともなっていた「ダイモニオンの声」についても言及されている。幼少の頃より表れ、常に何かを諌め、禁止・抑止するために表れたという「ダイモニオンの声」は、ソクラテスに政治と関わることを諌めたという。また、末尾においては、この裁判に関して、「ダイモニオンの声」は表れなかったので、今回の死はきっと善いことであるとも、ソクラテスは聴衆に語っている。本篇では、デルポイの神託を信じ、神への奉仕として愛智者・智慧の吟味の活動に勤しんだり、「ダイモニオンの声」を信じたり、「善人には生前も死後も禍害が無い」と断言するなど、ソクラテスの信心深さについての記述も多く見られる。問答を駆使して智慧を吟味したり正義を探求していく理知的な面がありながら、他方でこうした信心深さも併せ持つソクラテスの性格を、例えば岩波文庫の解説では、「ソクラテスは熱烈なる理性信奉者であると同時に、宗教的神秘家でもあった」と評している。『弁明』はプラトンの著作の中では初期に書かれたと推測されている。プラトンの脚色もある程度加わっていると考えられているがほとんどの研究者はソクラテス裁判の正確な記録であると考えている。諸研究は『弁明』におけるプラトンの関心を以下のようなものと考えている。文体は格調高く芸術的にも完璧に近くて、またその弁論は特に緊密に構成され、時には劇的でもあり、哲学また文学の最高峰として古来から高く評価されている。

出典:wikipedia

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