ハニ・ヤヒーラ(Rani Yahya、1984年9月12日 - )は、ブラジルの男性柔術家、総合格闘家。ブラジリア出身。コンストリクター・チーム所属。ブラジリアン柔術黒帯。10歳からアタイジ・ジュニオールの元でブラジリアン柔術を始めた。2003年5月、アブダビコンバット66kg未満級に出場。1回戦に勝利するものの、2回戦でレオナルド・ヴィエイラに敗北。2005年5月、アブダビコンバット66kg未満級に出場。準決勝でマーシオ・フェイトーザに判定勝ちするものの、決勝ではまたしてもレオナルド・ヴィエイラに判定負け。2005年12月11日、D.O.G IVで初来日し、メインイベントで中原太陽に変型スリーパーホールドで一本勝ち。なお、67kg以下契約であったが、ヤヒーラは3kg体重オーバーしていた。(試合当日の来日であった)2006年2月4日、MARSで矢野卓見と対戦し、三角絞めで一本勝ち。2006年5月3日、HERO'Sミドル級(-70kg)トーナメント1回戦で上山龍紀と対戦し、オファーを受けたのが前日という緊急参戦にもかかわらず、2-0の判定で上山を下した。2006年8月5日、HERO'Sミドル級トーナメント準々決勝で安廣一哉と対戦し、変型チョークスリーパーで一本勝ち。2006年10月9日、HERO'Sミドル級トーナメント準決勝でJ.Z.カルバンと対戦し、フロントチョークで一本負け。2007年5月、アブダビコンバット66kg未満級に出場。準決勝でバレット・ヨシダに勝利し、決勝ではレオナルド・ヴィエイラにチョークスリーパーで一本勝ち、リベンジを果たし優勝を飾った。2007年6月3日、WEC初参戦となったWEC 28でマーク・ホーミニックと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。2007年9月5日、WEC 30の世界バンタム級タイトルマッチで王者チェイス・ビービーと対戦。1Rはグラウンドで優勢に立ったが、徐々にスタミナが切れ失速。5分5Rを戦い抜いたが、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で山本"KID"徳郁と対戦。スタンドでKIDをふらつかせる場面もあったが、最後はパンチラッシュでKO負け。試合前の計量で体重超過し、イエローカードが提示された(減点1およびファイトマネー30%カット)。2008年11月5日、WEC 36で前田吉朗と対戦。計量では2ポンドオーバーしたが、前田が137ポンドでの試合を了承したため再計量無しで試合に臨み、試合ではフロントチョークで一本勝ちを収めた。2009年4月5日、WEC 40でエディ・ワインランドと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年8月9日、WEC 42でジョン・ホスマンと対戦し、ノースサウスチョークで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年9月、アブダビコンバット2009・66kg未満級に出場。1回戦で八隅孝平、2回戦でジェフ・グローバーに勝利したものの、準決勝でフーベンス・シャーレスにキムラロックで一本負け、負傷のため3位決定戦を辞退した。2009年12月19日、WEC 45でジョセフ・ベナビデスと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。2010年4月24日、WEC 48で水垣偉弥と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2011年1月22日、UFC初参戦となったでマイク・トーマス・ブラウンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。当初はジョン・チャンソンと対戦予定だったが、チャンソンが怪我で欠場したため、対戦相手がブラウンに変更された。2011年6月11日、UFC 131でダスティン・ポイエーと対戦予定だったが怪我で欠場した。2011年8月6日、UFC 133でチャド・メンデスと対戦し、0-3の判定負け。2012年2月15日、UFC on Fuel TV 1でジョナサン・ブルッキンズと対戦予定だったが、怪我で欠場した。2013年3月3日、日本で開催されたUFC on Fuel TV 8で廣田瑞人と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2015年7月15日、で金原正徳と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。
出典:wikipedia
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