自治体警察(じちたいけいさつ)は1947年(昭和22年)の旧警察法(昭和22年法律第196号)により約1600の市町村に設置された警察組織のことである。GHQ民政局のチャールズ・L・ケーディスが主導して、戦前の中央集権型の警察機構を全面的に見直し、市民の手による民主的な警察を目指して設置された。アメリカ合衆国のシティポリスや保安官に倣った形態であった。自治体警察はすべての市および、人口5000人以上の市街的町村に設置されると定められた。市町村長の所轄のもとに市町村公安委員会を置き、自治体警察を管理するとされた。経費はすべて当該自治体の負担とされた。自治体警察の法執行官は、最高責任者である警察長と警察吏員(現行法における警察官に相当)によって構成された。複数の警察署を置く場合は警察本部の設置が義務付けられた。大都市の警察本部は警察局と称することが多く、なかでも大阪市は大阪市警視庁と称していた。東京23区はかつての東京市の区域であったことから、特別区の区域全体を一つの市とみなし、東京都知事の所轄のもとに特別区公安委員会を置き、自治体警察たる警視庁 (旧警察法)を管理した。小規模の町村にとって警察経費は重い財政負担だった。1951年に一部法改正が行われ、住民投票の付託で自治体警察の存廃ができるようになると、自治体警察の返上が相次ぎ、ほんの僅かな期間に1千以上の自治体警察が廃止された。1953年(昭和28年)までに町村警察は139に激減。自治警を廃止した町村は国家地方警察の管轄となった。財政負担は町村のみならず、都市部でも問題であった。一例を挙げると、札幌市警察は当時の金額で毎年40万円程度の赤字を抱えており、予算が尽きる年末あたりになると警察長が市民に対して募金を行っていた。また、自治体ごとに小分けにされた警察は広域犯罪に対処することができず、戦後の混乱期にあって増加する犯罪に的確に対処することが難しい事例もあった。さらに自治体警察は地元に密着していることから、暴力団などとの癒着も横行していた。これらの様々な問題を受け、1954年(昭和29年)に全面改正された現行の警察法が施行された。これにより、国家地方警察と自治体警察は廃止され、警察庁と都道府県警察に再編成された。国家地方警察東京都本部と警視庁 (旧警察法)も廃止され、都内全域を管轄する単一の組織である、警視庁に再編成された。一方、五大市の市警察(横浜市警、名古屋市警、京都市警、大阪市警、神戸市警)は暫定措置として存置されたが、翌1955年には五大市警察も廃止され、府県警察に吸収された。元警察官僚で作家の佐々淳行によると、自治体警察の廃止に関して、東京と大阪の二つの警視庁をはじめとした大都市の市警察が強く反対していたという。これは、総監や本部長以外は、非高文組が中核を占めていた自治体警察側が、高文組で旧内務省警保局の後継である国家地方警察側に事実上吸収され、戦前のように高文組のエリートに警察行政の主導権を握られることを嫌ったためである。実際、新警察法施行後は、国家地方警察側が警察庁と都道府県警察の主要ポストを独占し、居場所をなくした自治体警察の幹部はその後、弁護士に転身したり、畑違いの仕事に転職して苦労する者も多かった。
出典:wikipedia
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