V-22は、アメリカ合衆国のベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル(現ボーイング・ロータークラフト・システムズ)社が共同で開発した航空機である。愛称のオスプレイ()とは、タカ目の猛禽類の一種である「ミサゴ」を意味する。回転翼軸の角度を変更することによる垂直/水平飛行を可能としたティルトローター方式を採用した垂直離着陸機であり、固定翼機とヘリコプターの特性を併せ持った機体である。従来の方式のヘリコプターに比べ、高速かつ航続距離に勝る特性がある。1980年代初頭より開発が開始され、技術的困難や冷戦の終結に伴う予算の削減などで開発・量産および配備計画は当初の予定より大幅に遅延したものの、2000年代よりアメリカ海兵隊を始めとして海軍や空軍へも配備が始まっており、2013年からはアメリカ合衆国大統領随行要員の搭乗機としても運用されている。日本への売却も決定しているほか、いくつかの友好国からの購入交渉も進んでいる。ヘリコプターは、垂直離着陸・ホバリング(空中停止)・超低空での地形追従飛行ができるが、速度が遅く、また、航続距離も短い欠点がある。対して通常の固定翼機は、高速移動や航続距離の面では優れているものの、離着陸のために2,000-3,000m以上の長い滑走路が必須な上、垂直離着陸もホバリングも超低空での地形追従飛行もできなかった。もしヘリコプターの利点である垂直離着陸・ホバリング・超低空での地形追従飛行をこなしつつ、通常の固定翼機のように高速移動かつ長い航続距離が可能ならば、それは戦略上非常に有用なことであり、このことからアメリカ軍は、第二次世界大戦直後から両者の利点を併せ持つ航空機を求めていた。V-22の2代前にあたる実験機"XV-3"は、アメリカ陸軍・空軍共同で進めていた「転換航空機計画」に米ベル社が加わって開発された。ベル社では1940年代からティルトローター方式の航空機を研究しており、この成果が3つの設計案となって提示され、この内の1案が採用されて開発が進められた。1955年8月11日にXV-3は初めてホバリングを行い、1956年7月11日にプロップ・ローターを傾けての飛行に成功した。XV-3は、エンジン部は固定でローター軸部分だけが傾くデザインになっていた。XV-3は計250回以上の合計125時間の飛行を行い、最大高度3,570m、最大水平飛行速度115ktを記録した。本機は操縦性が悪く、固定翼機モードでの機動を行うとプロップ・ローターが激しいフラッピングを起こすなど、直ちに実用化できる状況ではなかった。XV-3での研究は結局、実機の生産へと結びつかなかったが、1971年にアメリカ陸軍とNASAが共同で「垂直および短距離離着陸機研究」によってティルトローター機の研究を開始し、米ベル社ではティルトローター式の"Model 300"開発案を提示して採用され、1973年4月にはそれに若干改良を加えた"Model 301"が「ティルトローター研究機」(TRRA)という名称となって"XV-15"の製造計画が決定された。XV-15は、1977年5月3日に初めてホバリングに成功し、1979年5月5日にはエンジンとローターを前方に5度だけ傾けての飛行に成功した。1979年7月24日には完全に前方の水平方向に傾けての飛行に成功した。1981年12月にアレクサンダー・ヘイグ国務長官から、国防総省が陸軍、海軍、空軍、海兵隊という全軍が使用する航空機を開発すると発表され、1982年12月には、先進の垂直離着陸可能な航空機とする統合軍運用要求(JSOR)として提示された。これに基づいて4軍共同の「統合垂直離着陸研究」(JVX, Joint-service Vertical take-off/landing eXperimental)という名称の計画で新型機の開発が始められた。JVXはヘリコプターの特性と固定翼機の性能を持ち合わせる航空機の開発計画であり、必ずしもティルトローター機で無くとも良かったが、当時はティルトローター方式以外の選択肢は現実的では無かった。当初は陸軍を中心とした計画であったが、後に4軍の要求を統合し、海軍の主導で進めることとなった。1982年12月に初期設計のための提案要求(RFP)が提示され、アエロスパシアル、ベル、ボーイング・バートル、グラマン、ロッキード、ウエストランドが関心を示した。ティルトローターの実験機を以前にも開発していたベルと、CH-47などの大型ヘリを開発していたボーイング・バートルがパートナーシップを結び、1985年、ベルXV-15をベースとする設計案を提出、最終的に提出されたのはこの1件だけでありのまま承認されることとなった。1985年にはJVXで開発する機体の名称が"V-22 Osprey"(オスプレイ)と決定され、米海兵隊向けをMV-22、米空軍向けをCV-22とした。航空母艦(CV)との重複を避けたため、本来の用途とは名称が反対となっている。1986年5月2日には全規模開発(FSD)が認められ、6機のMV-22試作機が製造されることとなった。開発は電子機器や胴体部分をボーイング・バートルが、ナセルや駆動系を含む主翼部分と尾翼部分をベルが担当した。1・3・6号機(その後予算削減で6号機は中止された)がベル、2・4・5号機がボーイング・バートルで組み立てられることとなった。初飛行は1989年3月19日であった。当初は1988年に初飛行を行い、1991年頃に量産型の引渡しが予定されていたが、SDI計画や先進戦術戦闘機計画(ATF)(後のF-22)などに比べ優先度が低く、予算の削減が行われた影響で計画が遅れた。1989年12月には、国防長官であったディック・チェイニーが予算削減の一環として開発の中止を発表するが、その後の審査の結果、計画は続行されることとなった。その後何度か計画の中断が予定されたが結局中止となることはなかった。試作機段階では2回、重大な航空事故もあった(後述)が、技術的問題はほとんど解決されたとの結論に至っており、V-22は1994年に量産が認められた。軽量化や製造の効率化などの製造費用の削減を含む再設計が行われ、1995年量産試作機(EMD)が4機製造された。最初の7号機の初飛行は1997年2月5日に行われた。1997年4月には低率初期生産(LRIP)が承認され、まず5機の生産が決定し、2000年度までにさらに25機の生産が認められた。1999年4月には量産初号機が初飛行し、2000年までには艦上運用試験などが実施され、空軍仕様のCV-22BもEMD7号機と9号機を改修して試作試験が開始された。大きな3枚の「プロップ・ローター」(Prop-roter)と呼ばれる回転翼がエンジンと共に固定翼の両端に備わっている。このプロップ・ローターを駆動するターボシャフトエンジンは、減速ギアや補機などと共にエンジンナセル内に収められ、固定翼の両端に取り付けられている。このポッド状のエンジンナセルとプロップローターは一体となって、固定翼内端部のティルト軸ギアボックス(TGAB)での油圧機構によって前方から上方へ向きを変更でき、この全体が「ティルトローター・システム」と呼ばれる。左右のTGABは主翼内のシャフトで連接されており、左右共に角度が同調するようになっている。TGABによる角度変更は毎秒8度で動くため、90度の変更には11秒程度かかる。左右のエンジンは片発停止となってもすぐには機体が墜落しないように、左右の駆動出力軸が固定翼内のクロスシャフトで連結されており、最大定格出力4,586kWであるところを1基だけでの飛行時には短時間ながら緊急時最大出力5,093kWを得ることができる。エンジン吸気口にはEAPS(エンジン空気/粒子セパレータ)が、排気口にはIRサプレッサー(赤外線排出抑制装置)が備わっている。直径11.61mのプロップローターの3枚のブレードは、ブレード長が4.90m、弦長は付け根部で87.1cm、先端部で66.9cmであり、42度の捻り下げが付いている。この回転翼は長いために、地上に降着した状態でローターを前方に向けて回転させるとブレード先端が地面に接触してしまうので、保守時のような特定の状態を除けば地上で固定翼航空機モードの角度までティルトすることは避けられる。プロップローターはピッチ可変式のハブを持つ。プロップローターは互いに逆回転するため、カウンタートルクが打ち消しあう。地上駐機時の占有スペースを小さくするために、ローターのハブが定位置に止まり、ブレードが自動で折り畳めるようになっている。同様の機能を持つ他のヘリコプターと異なり、左右各2枚のブレードはハブより少し離れた位置で折れ曲がる。残り左右各1枚のブレードは折り畳み機構を持っていない。つまり、折り畳み可能な2枚のブレードは、折り畳み不可な1枚に沿うよう折り畳まれる。固定翼機での主翼に相当する高翼配置の固定主翼はわずかな上反角といくぶん前進翼である点を除けば単純な矩形翼であり、地上駐機時の占有スペースを小さくするために、中央取り付け部を中心に右方向へ90度回転するようになっている。ブレードを内側に折り畳み、ナセルも水平に倒した状態で右に90度回転するため、ローター半径などをそのまま加えた通常の幅25.78m、長さ17.48m、高さ6.73mから、幅5.77m、長さ19.20m、高さ5.56mにまで小さくできる。主翼後端には内外に2分割された広いフラッペロンが付いており、航空機モードでの操縦翼面として機能すると同時に、ヘリコプター・モードでは垂直下方へ大きく折れ曲がることで、固定翼の(回転翼のダウンウオッシュを遮る)面積を減じるようになっている。主翼内には片側4個に分かれた燃料タンクが収められ、クロスシャフトやTGAB用のリンク、それに配管類が走っている。尾翼はテールブームの先に1枚の水平尾翼とその左右に2枚の垂直尾翼がH型に取り付けられており、それぞれには水平安定板と垂直安定板の後端部に動翼としてエレベーターとラダーが付いている。固有の燃料タンクは、主翼内に左右各4個と降着装置のある前部に左右各1個の計10個により、6,513リットルの容量がある。これらは自己防漏対策が施されており、12.7mmの徹甲弾の貫通までは燃料漏れを起こさない。また、キャビン内に任意補助タンク(MAT)を搭載することで搭載燃料を増やすことができる。空中で燃料を捨てる必要が生じれば、右主脚部のベント口から毎分303リットルの割合で空中投棄できる。降着装置は、前脚式の3脚すべてが二輪横並びのタイヤを持ち、油圧による完全引込式になっている。左右に各75度まで操向できる前脚は、後方へ畳んで格納され、胴体左右二本の主脚は前方へ畳んでスポンソン内に格納される。油圧が失われれば窒素ボトルによって19.3MPaの圧力で脚下げを行う。各脚柱には通常時で3.7m/secまで、交換修理を受容する前提でのクラッシュランディング時には7.3m/secまでの着地衝撃から機体を守る衝撃緩衝装置が組み込まれている。V-22は、試作機段階で2回事故を起こしている。1991年6月11日に試作5号機が初飛行時に左右に揺れながら離陸後、数mの高さから大きく機体を傾けてナセルとローターが接地し、機体は転覆して地上へ落ちた。火災も起きず、パイロット2名は脱出して軽傷で済んだが、機体は失われた。墜落原因は、飛行制御システム(FCS)の3つのロールレイト・ジャイロの配線の内の2つが逆に接続されていたミスと判明し、3ヵ月後に試験飛行は再開された。1992年7月に試作4号機が気候試験でエグリン空軍基地からクアンティコ米海兵隊基地へ飛行中の着陸直前に右エンジンナセルから出火した。制御を失った機体はポトマック川に頭から落ちて、乗っていた海兵隊員3名と民間人技術者4名の計7名全員が死亡した。この墜落の影響でFSD機が全機飛行停止となった。事故原因は、潤滑油が漏れてエンジンナセル内に溜まっていた状態で着陸のためにナセルをティルトしたのでオイルがエンジンの高温部に触れて発火したものとされた。エンジンの一方が停止しても飛行が継続できるように左右を結ぶクロスリンク機構が備わっていたが、火災の熱によって複合素材製のクロスシャフトが強度を失い、破壊されたものとされた。潤滑油漏れ対策が完了するまでの11ヶ月間、飛行停止となった。この事故は、V-22自体の欠陥であった。残り3機には改良が加えられ1993年夏に試験が再開されたが、事故によって2機が失われ、計画に影響を与えることとなった。2000年4月8日に14号機が夜間侵攻での兵員輸送を想定した作戦試験時に墜落事故を起こし、乗員4名と米海兵隊員15名の計19名全員が死亡した。事故機は、他のV-22に後続飛行しながらナセルを立てて着陸進入状態にあり、前方機が減速したので衝突を回避するために急減速し急降下を同時に行った。操縦不能になる直前には、対気速度30kt以下で毎分約2,000ft(610m)で降下していた。規定の降下速度である毎分800ft(244m)の2.5倍の急激な降下であったため、自らが生み出したVRS(vortex ring state、ボルテックスリングステート、セットリングウィズパワー、渦輪状態)と呼ばれる下降気流によって揚力を失ったための墜落事故だとされた。事故の再発防止策として、危険な降下率となった場合にはコックピットに「Sink rate」と音声で注意しながら警告灯を点灯する装置が加えられた。その後も試験は続けられ、運用評価を2000年8月に完了した。2000年12月11日に、海兵隊訓練部隊VMMT-204部隊所属の18号機(MV-22B)が、夜間飛行訓練中に森林地帯に墜落し、搭乗していた海兵隊員4名全員が死亡した。事故を受け全機が飛行停止になった。事故原因は、機体の機構的な問題とソフトウェアの問題、そして、パイロットが不適切な操作をしたためという、複合的な事象が重なって起こったものとされた。まず左ナセルの油圧配管が振動によって配線と擦れあい、配管より高圧作動油が噴出した。設計通り油圧システムの安全装置が自動的に作動してシャットオフ・バルブを閉鎖したため、3重の油圧系統の1つを他より切り離して安全に飛行が継続できるようになった。主飛行制御システムは油圧系統の異常を知らせる警告灯を点灯させた。この時、操縦士は着陸に備えてナセルを回転させている途中であり、主飛行制御システム(PFCS)の警告灯の点灯を知って、手順に従ってこれを停止するリセットボタンを押したが警告灯は繰り返し点灯した。PFCSのソフトウェアはこの時点で無用な警告を繰り返すという欠陥があった。パイロットは警告灯に気をとられて操縦がおろそかになり、誤って地上に墜落させた。この事故原因が明らかにされた後、油圧システムとPFCSの改良が施された。2002年5月に飛行停止は解除された。量産決定後の2006年-2011年の間に58件の事故が起こっている。ただし、この58件という数字は空軍仕様のCV-22と海兵隊仕様のMV-22の事故件数を合わせた数字であり、クラスA(重大事故)は計4件、クラスB(中規模事故)は計12件に留まっている。なお、クラスC(小規模事故)は、「整備士が整備中に作業台から転落して負傷」といった、V-22の性能とは直接関係のない事故が多数含まれている。2009年5月27日、第204海兵中型ティルトローター訓練飛行隊所属のMV-22が、米国ノースカロライナ州で低空飛行訓練中、燃料切れで国立保護地区に緊急着陸し、その給油中にエンジンの排気熱で草地が燃えだし、機体の外壁を損傷した。同日発表された海兵隊の声明によると、火事は直ちに鎮火されたが、機体の外壁に高熱による損傷が残された。声明では損傷の度合いは明らかにされなかったが、同機は翌28日の昼には所属のニューリバー基地へと帰還した(→詳細)。2010年4月8日に空軍特殊作戦軍所属のCV-22が、アフガニスタン南部で夜間に着陸に失敗し横転した。この機体は、2009年に初期作戦能力を取得した後に2回目のローテーションとして2010年にアフガニスタンに送られた内の1機であり、CV-22としては通算12号機にあたる。搭乗していた全20名のうち乗員2名と陸軍レンジャーの兵士1名、民間人1名の計4名が死亡し、他の搭乗者も負傷した。事故が起きたのは、暗視用ゴーグルを使った夜間の砂漠への着陸の最中だったため、ダウンウォッシュ(垂直揚力による下降気流)によって巻き上げられた砂塵で視界が遮られる「ブラウンアウト」が発生し、パイロットが空間識失調を起こしたのではないかという推測がある。2012年4月11日に海兵隊のMV-22、1機がモロッコの南方沖海上で強襲揚陸艦「イオー・ジマ」での訓練中、離艦後に墜落した。全搭乗員4名中、2名死亡、2名重傷となった。3月29日にノースカロライナ州から派遣されて来た、第24海兵遠征隊(24th. MEU)揮下の第261海兵中型ティルトローター飛行隊(VMM-261)に所属していた当該機は、モロッコの演習地に海兵隊員を降ろした後の、現地時間4時頃に事故を起こした。2012年6月13日に空軍のCV-22が、フロリダ州南部で訓練中に墜落事故を起こし、乗員5人が負傷した。2015年5月18日に米ハワイ州オアフ島のべローズ空軍基地で訓練中の海兵隊所属MV22が着陸に失敗し炎上、隊員1人が死亡した。事故機には22人が乗っており、残る21人も病院に搬送された。その後病院に収容されたうちの1人も死亡した。飛行操縦システムは、自動飛行操縦システム(AFCS)を含む3重のデジタル式フライ・バイ・ワイヤによって構成されており、機械的なバックアップ・システムは持っていない。AFCSは、ピッチ安定、ロール安定、ヨー安定、機首方位維持、自動旋回調整、昇降速度補正といった機能を有している。主にピッチとロールの操作を行うサイクリック操縦桿は両足中間にあって右手で操作する。ヨー操作は足先左右のラダーペダルで行う。エンジン出力調整は出力制御レバー(TCL)で行う。通常のヘリコプターにあるコレクティブピッチレバー(を握って捻る)と異なるのは、相当するTCLが固定翼航空機のスロットルレバーと同様に前方に倒すことでエンジン出力が上昇する点である。「ヘリコプターモード」と「固定翼航空機モード」を行き来するためのプロップローターとエンジンの角度調整は、TCLのグリップ内側の回転式ノブ「ナセル制御スイッチ」で制御する。操縦翼面は、ピッチ可変式プロップ・ローターとフラッペロン、エレベータ、ラダーが存在する。フラッペロンはロール操縦時にはエルロンとして機能し、揚力が必要な場合には高揚力装置のフラップとして機能する。エレベータとラダーは通常の固定翼機と同じ機能を果たす。操縦席の計器類は各正面に15.2x15.2cmのカラー液晶による多機能表示装置(MFD)が左右に並んで2枚あり、中央パネルには正面左にMFDより小型のシステム表示用単色液晶画面が、正面右に高度計や対気速度計といった通常の個別計器が配置されている。中央パネルの下部3分の2以上は15.2x20.3cmの横長単色液晶によるEICAS/CDU表示画面1つと多数の操作キーが並んでいる。各2面のMFDには、機体姿勢や飛行諸元といった一次飛行表示や、航法情報、センサー画像情報、搭載システム情報が自由に表示できる。航法装置としては、軽量慣性航法装置(LWINS)、AN/ARN-147全方位無線標識/計器着陸装置(VOR/ILS)、マーカービーコン装置、OA-8697/ARC VHF/UHF自動方位測定装置(ADF)、VHF FMホーミングモジュール、AN/APN-194(V)電波高度計、AN/APN-153(V)戦術航法装置(TACAN)、小型航空機搭載全地球測位システム(MAGR)が備わっている。LWINSは3重の冗長性を備え、加速度、速度、位置、高度、磁方位、真方位についての情報を得る。各軍共通の装備として、下方全方位へ指向できる赤外線センサとしてAN/AAQ-27A(mid-wavelength infrared(MWIR)imaging system)を備える。このMWIRは機首下面に搭載される。米海軍型と米空軍型は地形追随および地形回避機能を持つAN/APQ-174レーダーを備える。米空軍では低高度での地形追随機能を高めたAN/APQ-186レーダーの搭載も進めている。レーダーは機首部左に搭載される。自衛装備として以下のものを備える。降着装置や燃料タンクが機体底部のスポンソンに、主翼構造全体が機体の最上部に位置しており、機内は最前部の操縦室に続いて左右に分かれた電子装置収容区画と通路があり、その後ろに貨物室/客室となるキャビンがある。乗降はキャビン右側前方の乗降口と最後部の貨物扉から行える。機内は非与圧であるが、NBC戦環境下での生残性のために操縦室は6.2kPa、キャビンは4.8kPaの陽圧を掛けることができる。胴体下面の前後に計2個のカーゴフックを備え、機内に搭載できない貨物類を吊り下げて運搬することができる。V-22は、その要求通りヘリコプターの利点である垂直離着陸と固定翼機の利点である長い航続距離や速さを持ち合わせている。V-22は主翼の両端に大型の回転翼を装着したターボシャフトエンジンを装備し、このエンジンの角度を垂直にかえることによって垂直離着陸を可能としている。エンジンは垂直より少し後方まで向けることが可能で、低速ながら後退飛行もできる。また、エンジンを前方斜めに傾けることによって短距離離陸(STOL)を行うことも可能である。ただし、V-22の回転翼は大型のため、完全に前方に向けてしまうと地面に擦ってしまう。巡航時にはエンジンを完全に水平にすることによって通常の飛行機と同じように飛ぶことが可能である。この場合、回転翼は広い面積を有し十分な推力を得られるので、水平飛行時は通常の固定翼機に比べゆっくりな回転を示している。なお、2つの回転翼の配置の特性から、垂直離着陸時に片方の回転翼が停止した際の墜落を防ぐために、左右の回転翼駆動軸間を連結シャフトでつなぐことによって、片方のエンジンが止まった場合でも、稼動している側のエンジンによって2つの回転翼を回すことが可能となっている。ティルトローター機であるV-22の最高速度は300kt(約555km/h)を超える。これは、現在米軍が採用している同規模のヘリコプターCH-53E(170kt(約315km/h)自重15t)と比べて実に130kt(約240km/h)ほど高速である。速度に特化した高速ヘリコプター(最大速度200kt(約370km/h)程度)と比べても1.5倍の速度差であり、シコルスキー社が開発している高速ヘリコプターの実験機シコルスキー X2(225kt(約418km/h)程度)よりも速い。フェリー時(貨物積載無し)の航続距離は1,940nmi(3,593km)あり、空中給油などを併用し、さらに延長できる。これはCH-53Eの倍近い距離となっている。垂直離着陸をした場合の飛行と短距離離着陸をした場合の飛行とでは航続距離が異なり、垂直離着陸をした場合では航続距離は短くなる。固定翼を併用するために、回転翼だけよりエンジンの単位出力当たり大きな揚力を得られる。また、回転翼機よりも上昇限度が高い。また、海兵隊が使用する強襲揚陸艦などで使用できるよう、ローターと主翼は折りたたむことが可能となっている。サン・アントニオ級ドック型輸送揚陸艦ではヘリコプター甲板に4機・格納庫に1機の積載とヘリコプター甲板から同時に2機の発着が可能とされている。2007年9月にイラク配備のための輸送では、ワスプ級強襲揚陸艦「ワスプ」に10機が積載された。アメリカ国防総省では458機のV-22を調達することを計画している。内訳は海兵隊用の輸送機MV-22が360機、アメリカ特殊作戦軍向けの空中突撃用機CV-22が50機、海軍向けのHV-22が48機である。特殊作戦軍の調達については空軍からも予算が支出される。2000年の開発段階での事故以降は大きな問題も発生せず、2005年に運用評価を完了した。2005年9月19日にCV-22量産1号機が空軍に引き渡された。2005年10月28日に国防調達会議は全規模量産(FRP)の開始を承認した。2007年12月からイラク西部の戦闘作戦に初めて参加し、初のヘリボーン作戦は、2008年3月18日にMV-263所属の2機のMV-22Bがイラクにおいて行った。FY2010までに216機が調達されている(内訳はMV-22が185機、CV-22が31機)2008年3月28日に結ばれた契約ではFY2008からFY2012までに167機を104億ドルで調達することが取り決められた。米陸軍は、UH-60とCH-47で十分任務を果たせるとしてV-22を採用していない。2015年1月17日、米海軍は、C-2艦上輸送機の後継にV-22にすると発表。量産された機体はすでに米国の海兵隊から順番に海軍や空軍へも配備が始まっており、以下に2015年時点の配備状況と配備予定を示す。米海軍も配備を受けているが、48機が装備される予定という以上の情報は不明である。在日米軍の再編で沖縄県宜野湾市の普天間飛行場の移設に伴う代替施設(名護市辺野古)への配備が計画されていることが、米軍作成資料から明らかになっているが、日本国政府は承知していないとしていた。しかし、2008年4月22日、外務大臣(当時)の高村正彦は、参議院外交防衛委員会で山内徳信議員の質問に対して「配備の可能性がある」との認識を日本政府として初めて示した。その後、鳩山由紀夫内閣下で普天間基地移設問題が混乱し、2014年までの普天間飛行場移設が困難となったため、2011年6月6日、米国防総省は2012年後半に、MV-22を沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場に配備すると正式に発表した。それを受けて2011年6月13日、北澤俊美防衛大臣は、沖縄県庁で仲井真弘多知事と会談し、米軍普天間飛行場へのMV-22配備を説明した。2012年7月23日にはMV-22が岩国飛行場に搬入され、9月21日、日本国内初の試験飛行が山口県沖や福岡県沖で行われた。10月1日に、6機、2日には3機が普天間飛行場に移され、4日午前に訓練飛行が行われた。これに対し仲井真弘多沖縄県知事は、「これだけ県民が反対しているものを使い出すのは、非常にむちゃな話だ」と批判した。米政府は2015年5月8日、2017年から空軍向けの特殊作戦型CV22を横田基地に10機配備する方針を決め、日本政府に伝えた。2017年後半に3機、数年以内にさらに7機を配備する予定。防衛省は2015年10月30日、国際入札により沖縄駐留海兵隊のオスプレイの定期整備拠点が、千葉県の陸上自衛隊木更津駐屯地に決まったと発表した。整備は富士重工業が行い、陸上自衛隊のオスプレイも同地で共同整備される。遭難救助機としての採用を検討していたが、UAEはアグスタウェストランド社のAW609を選択、V-22の採用は見送られた。日本の防衛省は、2013年度予算案にオスプレイ調査費を計上し、災害救援や輸送など自衛隊の活動目的に照らすとともに、離島対処に対する運用を研究することとなった。日本国内での取り扱いは三井物産エアロスペース株式会社が担当している。早ければ2015年(平成27年)に導入する可能性がある。日本の導入価格は2012年12月時点で一機当たり約100億円と見られていた。2015年5月5日、米政府が17機と関連装備を日本に売却する方針を決定、議会に通知した。売却総額は推定で計30億ドル(約3600億円)。イスラエル政府は現在導入が決定しているCH-53Kと共に特殊作戦、および遭難救助能力強化のため、V-22数機を導入することに強い関心を示している。遭難救助機としてのトライアルのため、ボーイング社から2機を供与されている。海軍が現在建造中の空母「ヴィクラント」での運用を想定して、ボーイング社とアメリカ海兵隊主催の実機を用いた説明会に参加した。現在運用中のKa-31早期警戒ヘリコプターの後継機として取得を検討している。ベルがティルトローター機の研究をスタートした時点では先例がなく、研究成果のほとんどはベルが行っていた研究とその後の開発から得られたデータである。研究のスタートから60年近くが経過しV-22の量産が始まった時点でも他社のティルトローター機は試験・研究段階にとどまっており、初の民間機であるAW609 (航空機)もベルがV-22の開発により得られた成果で完成している。民間機としての申請もないため連邦航空局はティルトローターやティルトウイングなど『推進装置の角度を変えることで垂直離着陸を行う固定翼機』の区分を明確にしていなかったが、1997年に『』というカテゴリーを設置した。なおこの基準は軍用機には適用されないため、V-22の運用には直接関係しない。試作段階においてはパイロットにとっても経験のない機種であり、その事故の多さから『タイム』誌は2007年10月8日号において、同機を「空飛ぶ恥(Flying Shame)」と紹介した。在日米軍基地に配備が予定されているアメリカ海兵隊所属のMV-22の10万時間当たりの平均事故率は、2012年4月11日の事故後に1.93となっている。事故前は1.12であり、いずれも米海兵隊所属の飛行機平均の2.45を大きく下回っている。配備期間の短さを考慮する必要はあるものの、現在、MV-22の事故率はヘリコプターより低い(在日米軍に配備されているCH-53D(米国内配備開始:1969年)の事故率は4.15である)。アメリカ空軍向けの特殊作戦型であるCV-22の事故率は2012年6月15日の時点で13.47でMV-22よりかなり高いものの、同種の任務に使われるヘリコプター、MH-53 ペイブロウの十年間平均の事故率が12.34であり、これと比べてCV-22の事故率が特段に高いとはいえない。また、CV-22は前述のとおり特殊作戦型であり、危険な任務につくことが多いためMV-22と比較して事故率が高いのは当然であるといえる。なお、当初CV-22は在日米軍基地に配備される予定はなかったが、2015年5月8日に横田基地に配備される方針が米政府から日本政府に伝えられた。その際、米政府は第一候補として沖縄嘉手納基地を想定していたが海兵隊普天間基地移転問題や同基地に配備されている系列機MV-22以外に同県にこれ以上の負担をかけられないとする日本政府との協議で横田基地に落ち着いたとされている。また、V-22自体が耐空証明が取得できないため、民間機としては飛行できないという報道もあるが、そもそも計画当初から民間用に販売する予定がないため耐空証明などを取得する必要がない。なお、オスプレイの開発経験を基にベル社がアグスタウェストランド社と合弁で開発に着手したやや小型のティルトローター機、BA609はFAAの形式証明を取得し、民間向けに販売する予定である。2011年からはアグスタウェストランド社の単独開発となり、名称もAW609と変更されている。2008年7月22日、次期大統領候補のバラク・オバマ上院議員(当時)がイラク電撃訪問の際に搭乗した。アメリカ合衆国大統領を輸送する専用ヘリコプターであるマリーンワンとして用いられているVH-3の後継機として、EH-101、S-92などとともにV-22も候補に挙げられていた。後継機にはEH-101の採用が決定したが、その後予算超過を理由としてEH-101の調達計画はキャンセルされた。ボーイングでは仕切り直しとなったマリーンワン後継機の選定にV-22を再度提案すると報道されている。また、大統領に随行するホワイトハウスのスタッフや報道陣を搭乗させる輸送機として利用されることも決定した。2013年8月10日には大統領専用機仕様のオスプレイによる随行要員輸送が実際の運用として行われた。上記のような事故の危険性などを理由として、日本国内への米軍基地や自衛隊への配備計画に反対する者もおり、配備計画の中止を求めるデモ活動が沖縄県や東京都を中心に再三にわたって行われている。以下に主な大規模デモの例を示す。V-22などのティルトローター(ティルトウィング)機は、見た目にも明快に「ヘリコプターの進化系」とも取れる形状であるため、特に近未来を描いたフィクション作品などではV-22、およびそれをモデルにした架空機体が描写される事が多い。以下はV-22そのものとして登場した作品を挙げている。
出典:wikipedia
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