北陸地方(ほくりくちほう)は、本州中央部に位置する中部地方のうち日本海に面する地域である。新潟県、富山県、石川県、福井県の4県、あるいは富山県、石川県、福井県の3県を指す。区別のため前者を「北陸4県」「新潟県を含む北陸地方」、後者を「北陸3県」などと表現することがある。北陸3県の繋がりについては#北陸3県の繋がりの節を参照。名称は、畿内から見て北方にある五畿七道の北陸道に由来し、中世以前では、この地域を北国(ほっこく)と称していた。地理学に関連する北陸地方の範囲は、新潟県から福井県まで東西におよそ400kmあり、細く長い。歴史的に古代の「越国」と呼ばれた地方を多く含み、若狭国から越後国までの範囲におよぶ。明治時代頃までは「ほくろく」と読まれていた。この北陸地方の道路を指して「越路」「北陸道」と呼ぶ事もある。中央省庁各省の出先機関の管轄範囲で見ると全ての管轄範囲が北陸地方として一致しているわけではない。新潟県は関東の一部あるいは関東甲信越、信越、東北とする例がある。福井県は近畿とする例がある。スポーツ大会や国政選挙では人口が比較的少ないため長野県を含めた北信越地方(北陸信越)として組み合わせることが多い。雪国として有名な地方である。シベリア寒気団が山脈にぶつかる事で冬の大雪と春からの雪解け水をもたらす日本海側気候を呈している。特に新潟県南魚沼市や上越市の周辺は、日本で五指に入る豪雪地帯となっており、スキー場が多く立地している。越後湯沢や妙高高原など、大規模なスキー場も集中する。沿岸部と内陸部では積雪量に大きな差がある。代表的な山麓として、日本三名山に数えられる、立山連峰(富山県)と白山(石川県・福井県)が挙げられる。北陸地方が被害を受けた自然災害。()内は主な被災県。北陸地方は、「日本海沿岸の地方勢力」として、他の地方からは半ば独立した歴史を歩んで来た。古代の北陸地方は越国(こしのくに)や陸道(くぬがのみち)と呼ばれており地方勢力の一つであった。「越国」とあるが中央勢力の影響圏外であり資料が少なく、統一された国家であったかは不明である。伝説の大蛇「八岐大蛇」が越国から現れたと伝えられ、出雲王権の特徴である四隅突出型墳丘墓が福井県や富山県などに見られることや、出雲崎(新潟県中部)などの地名の名残から、出雲文化の影響が強く見られる。ヤマト王権の大彦命が越国を鎮めると、次第に中央集権の枠組みに取り込まれていく。ヤマト王権が中央集権型統一国家を成立させると、中央である畿内を防衛するため周辺に関所が設置された。当時の東方を守る三関は、「東海道の鈴鹿関(鈴鹿峠)」「東山道の不破関(関ヶ原)」「北陸道の愛発関(愛発山)」を指していたので、律令時代には、若狭国(嶺南)から東の日本海沿岸が越国と見なされていた。越国は、ヤマト王権の勢力に組み込まれると詳細に3つの領域に区分された。令制国の国府所在地を見ると、越前国は武生、越中国は伏木(高岡市北部)、越後国は直江津(上越市北部)に当たる。この国府所在地の位置により、当時のヤマト王権の支配領域は、東は概ね新潟県の上越地方までで、それ以北は領土外であった。しかし、後に支配領域を伸ばすと、天険たる鼠ヶ関と越後山脈が北陸道の北限となり、越国から分離される形で出羽国が設置された。越前国から分離した能登国成立の時期に開山し室町時代末期まで巨大な宗教都市として勢力を誇った平泉寺はこの時代の独立した集団として捉えられる。親鸞が直江津に流刑されて以来、北陸地方は浄土真宗の地盤となり、仏教勢力が力を揮う事になった。その頂点が加賀の一向一揆であり、この他にも永平寺などの有名寺院が立地するようになった。戦国時代の北陸地方は、越後国は長尾氏、越中国は神保氏と椎名氏、能登国は畠山氏、加賀国は一向一揆、越前国は朝倉氏が支配していた。本能寺の変以後は、上杉景勝(春日山、上越市)、前田利家(金沢)、佐々成政(富山)、柴田勝家(福井)などの本拠地となった。江戸時代になると、幕藩体制が敷かれ富山(越中)は能登とともに加賀藩の直接的、間接的支配下にあり、政治的な影響下にあった。「加賀百万石」と呼ばれた前田氏の加賀藩を初めとして、前田氏の分家に当たる富山藩、越前松平氏の福井藩、牧野氏の長岡藩などが有名である。廃藩置県の際に富山と石川は同じ県になる案があったが、両地域で分県運動がおこり、別々の県として独立した。浄土真宗への帰依が深い北陸では堕胎・間引きを忌んだ事などから、人口増加率が高く全国に移住者を出し続けた。収穫された米を近畿へ運ぶための海上交通として多くの北前船が就航した。江戸時代の北陸道は「北国街道」と呼ばれ、善光寺参拝の道でもあった。幕末になり、開国を迎えると、新潟が開港五港の一つとなって盛え始める。長岡藩など奥羽越列藩同盟に加わる藩が現れ、戊辰戦争では薩長軍と敵対したが、敗北した。江戸幕府が崩壊し、明治政府が中央集権国家を成立させると、廃藩置県で多くの県が成立した。現在の新潟県には、新潟県(下越地方)、相川県(佐渡島)、柏崎県(中越地方と上越地方)が分立したが、1873年6月10日には新潟県に編入された。現在の北陸3県には、新川県(現富山県)や石川県や足羽県(嶺北)が分立したが、1876年8月21日には全て石川県に編入された。しかし、各地の分県運動の結果、1881年2月7日には石川県から嶺北が福井県として分離され、1883年には石川県から旧新川県が富山県として分離された。嶺南は、1876年8月21日以後は滋賀県に編入されたが、1881年2月7日には滋賀県から分離されて福井県に編入された。北海道開拓では、比較的人口が多く、さらに雪国の環境として適性のあった北陸出身者が多数移住し、実に全体の数の3割以上を占めた。明治に入ると鉄道が建設され、東京を中心にした陸上交通網が整備された為、江戸時代まで交通網の主演だった北前船は衰えた。この為、明治以後は陸上交通が中心の経済体制が築かれて行った。北陸地方は、国内でも有数の人口を持つ地方だったが、高度経済成長期に国土軸から漏れた結果、過疎化が顕在化した。しかし、田中角栄政権下で「太平洋ベルト地帯との格差の是正」が謳われ、北陸自動車道が建設され、北陸工業地域も形成された。これ以後は、それまでの「農業地域」から、「農工折衷型の地域」に変わり、日本海側最大規模の工業地域を持つようになった。北陸地方の主要都市を掲載する。2007年度の北陸4県の県内総生産の合計は21兆6509億円である。これはアラブ首長国連邦のGDPにほぼ匹敵しており、世界で35位前後の「国」に相当する経済規模を有している。豊富な雪解け水を利用したかんがい用水を整備し、海岸のラグーン(潟)を干拓した広大な土地は、日本の代表的な穀倉地帯となっていて、コシヒカリなどの稲作がさかんである。それに伴い日本酒の醸造元も多く存在する。地域を象徴する「越(こし)」を冠する銘柄が目立つ。水産資源としてブリやカニが水揚げされ、富山湾では定置網漁が盛な漁場として知られている。石油の輸入が本格化する以前は、水を利用した水力発電を開発した北陸地方が多くの電力を必要とする重工業に有利だった。水資源自体の価値と賃金の安さも相まって北陸工業地域として富山湾沿岸や上越市周辺を中心に発達した。現在でも北陸電力は全国で最も安く電力を供給している。また豊富な水資源自体も工業、特に半導体産業等に有利となっている。金沢の金箔、鯖江の眼鏡に代表されるような軽工業や冬の副業として発達した漆器、織物、そして和紙などの伝統工芸も多い。交通史については北陸道の記事を参照。主な路線を記載ここでは主な行政機関などの管轄するものを取り上げる。北陸地方の各県の経済動向や人的動向をみると、新潟県が関東地方や長野県との結びつきが大きいのに対し、富山県、石川県、福井県はこの3県での結びつきが大きく、4県の一体性は必ずしも高くはない。そのためこの3県においては、富山県、石川県、福井県の3県のみをまとめた表現として北陸とすることが多い。例として「北陸最大級」「北陸初」といった表現がこの3県を対象として使用されることが挙げられる。以下では、この北陸3県(富山県、石川県、福井県)の繋がりについて特筆する。北陸3県では、県庁所在地である富山市、金沢市、福井市が、それぞれの県での中心都市となっている。富山は重工業を中心として経済力が発達しており、金沢は観光と商業が発達、福井は軽工業が発達している。全国から企業が進出し、北陸3県内で物販・サービスなどの業務を集約する場合は金沢市に拠点を置く場合が多い。ただし業種によっては他に拠点を置くこともあり、一例として、富山市には日立製作所、東芝、みずほ銀行などが、福井市には旭化成、東レ、飛島建設などが拠点を置いている。また、北陸3県の主要企業である北陸電力、北陸銀行は富山市に本社を置いている。北陸3県を統括する行政機関(各省庁)の地方支分部局(北陸農政局、北陸総合通信局、名古屋高等検察庁金沢支部など)は金沢市に集中し、日本銀行の支店も金沢市にある(福井市と富山市には金沢支店が管轄する事務所を設置)。石川、富山が076台で、福井が077台と、関西地方の県(大阪府(072台)、和歌山県(073台)、滋賀県(074台)、奈良県(074台)、京都府(075台))よりも数字が大きい。また郵便番号の上3桁が沖縄県(900台)の次に来る。また北陸3県振興の試みとして、富山県、石川県、福井県と、各県での最有力紙である北日本新聞、北國新聞、福井新聞が共同で「ネクスト北陸キャンペーン実行委員会」を組織し、毎年3県全てでパネル討論会などを行っている。同様に北陸3県と北陸経済連合会、北陸電力が北陸イメージアップ推進会議を設立し、対外的な北陸のイメージアップの調査、実践を試みている。富山県、石川県、福井県でそれぞれテレビ、新聞、雑誌などのメディアが分かれていて、北陸3県全体を対象にする媒体はあまり多くないものの、様々な形態で番組の共同制作や企画ネットが行われている。全国紙は地理的な関係で多くは大阪本社製作のものが配送されているが、読売新聞のみ東京本社(実際の発行所は北陸支社=高岡市 福井県は大阪本社管轄)の分が使われている。また朝日新聞も1989年9月から2011年3月までは富山県に限り東京本社(実際の印刷は名古屋本社が担当)の管轄だったが、2011年4月より大阪本社管轄に変更となった。北陸3県ではテレビ東京系列のローカル局がない。加えて富山県はテレビ朝日系列、福井県はTBS系列の局がない。北陸3県でこれら系列の放送を視聴するにはケーブルテレビ、衛星放送などと契約する必要がある。一部の地域では他県の越境電波を利用でき、富山県では石川県、新潟県の放送局を、福井県では石川県、近畿地方の放送局を受信できる場合がある。北陸3県を対象とする番組および番組内の企画として以下のようなものがある。この他、フジネットワーク(FNS)加盟の3局(石川テレビ・富山テレビ・福井テレビ)が共同制作する番組も不定期に放送されている。北陸3県をエリアとする雑誌として『自然人』(橋本確文堂)が年4回発行されている。北陸3県全地域共通の銀行サービスは、長い間北陸銀行のみであったが、2005年9月26日に、富山第一銀行、北國銀行、福井銀行が、3行間でのATM・CD利用手数料無料提携及び3行とのビジネスマッチング、ビジネスセミナーなどを行う業務提携、FITネットを開始した。2007年10月には、FITネットが時間外、休日を含め完全無料化することに対抗し、2007年5月22日に福邦銀行と北陸銀行は、同10月を目処にATMの相互無料開放をすると発表した。北陸銀行は2003年5月30日、北陸3県に本社を置くまたは進出する企業の株式に投資をする金融商品、北陸3県応援ファンドを開始した。これに対し福井銀行、北國銀行、富山第一銀行は、FITネット・三県応援ファンドの募集を2005年11月15日から開始した。FITネット・三県応援ファンドは、80%がソブリン債など、20%が北陸3県に本社を置くまたは、進出などで雇用を創出している企業に投資される。北陸3県の電力は概ね北陸電力(本店:富山県富山市)が供給し、敦賀市を除く福井県嶺南地域のみ関西電力が担当する。どちらの家庭用電源周波数も60Hzである。北陸3県は発電所の建設に適した立地に恵まれ発電所が多く存在している。その内、関西電力は黒部川・庄川を中心に北陸地方では25か所の水力発電所(富山県24・福井県1)と、福井県の若狭地方にある美浜・高浜・大飯の各原子力発電所を保有している。若狭地方は、上記の関西電力の3つの原子力発電所の他、敦賀市に日本原子力発電の敦賀発電所や、日本原子力研究開発機構の有する高速増殖炉もんじゅ・新型転換炉ふげん(現在は運転終了・廃炉作業中)などがあるため、別名「原発銀座」とも言われている。また、北陸電力も石川県に志賀原子力発電所を所有している。この他、日本で唯一市営の発電事業を行う金沢市企業局が犀川水系で、電源開発が手取川・九頭竜川水系で水力発電を行っている。北陸電力の電気料金は日本で最も安く、アルミ産業をはじめとする製造業が北陸に拠点を置く理由となっている。一般家庭の電気消費量も高く、富山が全国1位となっている。さらに余剰電力を隣接する関西電力と中部電力に売却している。有効求人倍率・女性就業率が高く、通勤時間が短い傾向にある。
出典:wikipedia
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