東村山市(ひがしむらやまし)は、東京都の多摩地域北部にある市である。高田馬場駅まで西武新宿線で最短21分(特急)という地の利から、ベッドタウンとして開発が進められた。平成22年国勢調査によれば、東京都特別区部への通勤率は29.3%である。市域は象の頭部を正面から見たような形をしている。武蔵野台地のほぼ中央、狭山丘陵の東縁に位置する。市内を流れる川(空堀川・野火止用水など)は荒川に注ぎ、多摩川に注ぐものはない。空堀川は台風が来たときなどの大雨が降る度に溢れそうになるほどの水量となっていたが、流路の変更(直線化)、川幅を広げる等の大規模な河川改修工事が完了し、その一部は親水公園となっている。かつて川から水が溢れて、川に隣接する大岱小学校の校庭が水に浸かったことがあった。当市の出身者でコメディアン、俳優の志村けんの『東村山音頭』によって全国的に市名が知られることとなった。その中にも出てくる多摩湖(村山貯水池)はほとんどが西隣の東大和市にあるものの、新宿副都心開発により閉鎖された淀橋浄水場の代替地となった東村山浄水場があり、都民が恩恵にあずかっている。市の西部に狭山丘陵の東の縁があるが市域の大半は武蔵野台地の平坦な土地である。江戸時代の初めに幕府の老中、松平伊豆守信綱が掘らせたことから伊豆殿堀とも呼ばれる野火止用水や狭山丘陵から流れ出している空堀川から水利を得て、畑作が盛んなところだった。市域には旧石器時代からの遺跡が分布し、縄文時代には笹塚遺跡をはじめ縄文中期の集落遺跡が数多く分布し、縄文後晩期では下宅部遺跡の存在が知られる。弥生時代の遺跡は皆無で、古墳時代には後期集落は見られるものの、古墳の存在は無い。律令制下では武蔵国多摩郡に属し、奈良・平安時代の遺跡では完形の瓦塔(東京国立博物館所蔵)が出土した東村山市No.2遺跡のほか、平安時代の池状遺構も見られる。古代には官道である東山道武蔵路の道筋が南北に比定されている。平安後期には狭山丘陵に武蔵七党の村山党が進出し、一族は鎌倉幕府の御家人となった。鎌倉時代には鎌倉街道の上道が通り久米川宿を中心とする宿場として栄え、日蓮は佐渡島に流刑される際に当宿に宿泊している。鎌倉末期には武蔵野台地を舞台に新田義貞率いる倒幕軍と幕軍の間で一連の合戦が起こり、市域では久米川の戦いが起きている。また、幕府滅亡後に成立した建武の新政に対して北条残党が蜂起した中先代の乱における合戦も起こっている。戦国期には相模国の戦国大名である後北条氏の領国に含まれ、後北条領国では川越街道が整備されたため、相対的に鎌倉街道の重要性は薄れる。江戸時代は幕府直轄領となり、武蔵野台地の開拓が進む。また、尾張徳川家の設置した鷹場にも含まれる。明治維新後には野口村・廻田村・久米川村・南秋津村の各村は韮山県、次いで品川県の所属となり、1872年(明治5年)に神奈川県多摩郡の所属となった。1878年(明治11年)には郡区町村編制法により多摩郡北部が北多摩郡となり、1880年(明治13年)には埼玉県入間郡に属していた大岱村も北多摩郡に編入となった。1889年4月1日の町村制施行の際に、北多摩郡野口村・廻田村・大岱村・久米川村・南秋津村が合併して東村山村(ひがしむらやまむら)となった。村名は、この一帯を村山郷といい、村域がその東部にあったことによるものである。1894年以来2社8線9駅の鉄道が市内に通じ、古道以来の交通の要衝だったところに近代には周辺村からの人の流れと物資の集積地としての機能が発生し、鉄道開通による宅地化が進むなかで、現在の栄町一帯は西武新宿線開通後、東京都内の沿線では田無に次ぐ商業地域となっていく。1942年4月1日に東村山町(ひがしむらやままち)となった。この段階では、東京府内の隣接自治体で最も早い町制だった。1964年4月1日に東村山市となった。市制と同時に現在の各町が設置され、前後して富士見町に私立中学高校が複数開校し、1967年には新青梅街道、1973年には武蔵野線が開通し、ベッドタウンとして開発が進められ、都営住宅や団地、官公庁住宅の整備が行われ、現在の市の姿となる。駅および住宅地に隣接した商店街のほか、大規模商業店舗が一部の駅周辺にある。商工会が早期に地名の入らないドメイン名の取得およびサイト開設を行っている。久米川駅西友の駅直結への反対や新小平駅水没事故時迂回対策の秋津駅と新秋津駅の連絡通路建設反対による工事中止など地元商店の保護に積極的である。ESBI2005年に夜間人口(居住者)は144,402人である。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は115,046人で昼は夜の0.797倍の人口で、夜間に比べて昼の人口は3万人弱ほど減る。昼間人口/夜間人口比が0.8以下の市は東京都区市部に5つしかなく、東村山市がオフィスや工場・学校が少なく住宅の多い都市であることが推察される。通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者43,759人、市外から市内へ入る通勤者は18,471人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く、学生でも市内から市外に出る通学生は7,124人、市外から市内へ入る通学生は3,056人と学生でも昼は市外へ流出する人数のほうが多い。なお、国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。2016年4月1日現在衆議院小選挙区選挙では東京20区(東村山、東大和、清瀬、東久留米、武蔵村山)に属する。近年選出の議員は以下のとおり。北多摩1区(東村山、東大和、武蔵村山)に属す。定数は3人。管轄地域は市域に等しい。同署は第8方面本部の隷下にある。消防は市町村の責任業務であるが、多摩地域のほとんどの市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、当市もそれに倣っている。東村山警察署(当市と清瀬市を管轄)市立市立私立都立私立国道は通っていない。主要地方道が東西南北に複数通り、道路交通の要衝となっている。鉄道は西武鉄道の複数の路線が通っている。中心駅の東村山駅は乗換え駅となっている。 開設当初は西武バスと銀河鉄道の2社による運行だったが、消費税8%化の値上げの際にPASMOを導入することになる。 その際に銀河鉄道バスが撤退し、西武バスのみの1社運行になり、現在に至る。
いずれも東村山駅東口発で新秋津方面(多摩北部医療センター止まりの折り返しと交互運転)、久米川町循環、諏訪町循環の3方向への運行がされている。
出典:wikipedia
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