マジカル頭脳パワー!!(マジカルずのうパワー)は、日本テレビ系列で1990年10月27日から1999年9月16日にかけて放送されていたクイズ番組・ゲームバラエティ番組である。本項では特別番組『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』についても記述する。1994年3月26日までは、毎週土曜日20:00 - 20:54(以下の放送時間はすべてJST)、同年4月14日以降は毎週木曜日19:54 - 20:54(正式には19:55 - 20:54、木曜日初回の1994年4月7日は19:00 - 20:54)1999年4月22日以降は同日19:58 - 20:54に変更。最高視聴率は1996年5月2日に記録した31.6%(関東地区)。歴代日本テレビゴールデンタイムバラエティ番組で最も高い数字である。瞬間最高視聴率は1996年4月11日に放送された「第16回大マジカル頭脳パワー!!スペシャル」の・風見しんごが「新マジカルアート伝言バトル」で潜水艦の絵を描いた瞬間で40.9%。その後も平均20-25%を推移する怪物番組であった。○時00分ではなく他局の番組より少し早く番組を開始する、いわゆるフライングスタートを日本のゴールデンタイムで最初に行った番組といわれる。日テレ系列の土曜20時枠でのクイズ番組は1985年10月 - 12月にあった「おもしろ人間ウォンテッド!!」以来、4年10か月ぶりとなる。視聴率は、開始当初は、初回が7.0%、第2回が6.0%(歴代最低)、第3回が6.2%と第11回まで一桁が続いたが、開始から5か月後の第19回(1991年3月16日放送分)では16.8%を記録。以後、裏番組が次々と打ち切られる中、視聴率は上昇を続けたが、東京ドームの巨人戦中継などによる放送返上がたびたび起こり視聴者からの意見が声として新聞のラテ欄に掲載されたこともあるほどの反響だった。1994年4月からは、それまで木曜20時台に放送されていた『木曜スペシャル』と枠交換を行い、木曜日の放送となった(『木曜スペシャル』は『スーパースペシャル』に改称)。また、木曜20時台が1時間番組になるのは1973年9月までの「木曜スペシャル」以来20年半ぶりとなった。なお、「木曜スペシャル」は同年10月から19時半からの90分番組になっている。特に1995年 - 1996年頃は「マジカルバナナ」、「マジカルアクション伝言バトル」などの人気クイズで毎回20%以上の高視聴率を記録した。1995年5月11日放送分では視聴率が30.9%と、初の30%超えを達成した。1996年10月10日の放送を最後に、番組の顔であった所ジョージが降板、翌年の1997年以降、「マジカルバナナ」「マジカル伝言バトル」「エラーを探せ!」などの人気クイズを次々に撤廃させた。1999年になると一桁の視聴率に転落することまで出てきたこともあり、同年9月16日に終了した。解答者は、知識を問うようなものではなく、パズルや推理クイズなどで頭の柔らかさを競う。番組の構成は時期により大きく異なり、初期はほぼ全問書き問題、後期以降はクイズというよりはゲーム色の強いコーナーが中心であった。解答者の人数は当初5人であったが、その後段階的に増えていき、末期の頃には10人に増えていた。9年間の放送で全252種類のクイズ・ゲームが考案された。しかし、番組の内容が変わるたび視聴者から様々な意見が寄せられたため五味が読売新聞に番組内容を変更した趣旨等を説明した事もあるほど反響も大きかった。得点は「頭脳指数」と表され、最も多くの得点を稼いだパネラーには「トップ頭脳賞」が与えられた(マジカルミステリーツアー獲得パネラーが出た回は除く)。トップ頭脳賞の商品は、当初は万年筆など世界のステーショナリークッズで、レギュラー解答者でほとんど毎回トップを取っていた所ジョージが万年筆をコレクションとした。その後はJTBの旅行券10万円分(1993年2月 - 1995年2月)→DC(後の三菱UFJニコス)のギフトカード10万円分(1995年3月 - 4月)→日本信販(後の三菱UFJニコス)のギフトカード10万円分(1995年4月 - 1999年9月)がプレゼントされた。さらにレギュラーの時にパネラーが1000点以上の得点を挙げた場合には、世界の七不思議「マジカルミステリーツアー」(世界一周旅行)へ招待された。初期は芦ヶ原伸之が監修した影響が強く、スーパーコンピュータ「マジカル君」が出題をするという設定のもと早押しクイズもなく、例示されたパズルや、「マジカルミステリー劇場」を中心とした推理クイズなどの書き問題であった。1991年春からは早押しクイズ(ヒントクイズ)が登場。まだこの時は、1人が正解したら終了するという、他のクイズ番組でも行われていた標準的な形式のヒントクイズだった。視聴者の投稿クイズ(パズル)のコーナーもあり、採用された際の賞品は時価10万円の純銀パズル(タングラム)であった。当時の早押しクイズは頭脳指数が200から時間ごとに10減り、0までとなり、正解が出るまで解答権があるが誤答だと一回休みになった(一回休みの際は、黒地に赤い字で「一回休み」と立ち上がる)。1991年秋からは「恐怖の居残り早押しクイズ」と称したものが中心となった(ルールはマジカル頭脳パワー!!のクイズ・ゲーム#恐怖の居残り早押しクイズを参照)。この形式の代表的なクイズは「あるなしクイズ」である。1991年11月9日から1993年11月13日までの約2年間はセットの解答者席に檻が出てきたそれ以降は檻は廃止されたものの、1995年1月までこの形式のクイズは続いた(1995年3月16日の90分SPと2001年12月29日の復活SPでは、それぞれ一時復活)。視聴者の投稿クイズの賞品は、番組特製時価10万円相当の純銀製タングラム(初期~中期)、トミー(後のタカラトミー)から発売された同番組のボードゲームと「あるなしクイズ」ビデオのセット。「恐怖の居残り早押しクイズ」になると、頭脳指数は200(途中から100)から-50となり、VTRを最後まで流すだけではなく、全員が正解するまで続くようになった。ただ檻時代は全員が正解した後に、映像を最後まで流すことがあった。また、書き時代にはマイナスポイントの概念がなかったため、マイナス表示もパネラーが手書きしたものだった。しかし、この形式になって以降、デジタル表示でマイナスを出すようになった。1993年までは番組内で出題されるクイズは全てパネラー席で実施されていた。1994年1月8日の『大マジカル』に登場した「マジカルシャウト」はパネラー席の外で行うクイズであり、当初は「シャウト」のみパネラー席の外で行っていたが、同年秋頃に「マジカルアート」パネラー席の外で行うクイズが徐々に増え始め、末期はパネラー席で行うクイズはほとんど存在しなかった。1995年-1996年頃には「マジカルバナナ」・「マジカルチェンジ」・「マジカルインスピレーション」など、言葉遊び、連想ゲーム、リズム系クイズが一世を風靡し、人気を集めた。また、特に長い時間を割いた「マジカル伝言バトル」(1994年-1997年)では、伝達ミスなどの面白いハプニングが毎回のように起こった。1998年以降になるとクイズの要素は次第になくなっていき、ゲームが主体となっていった。ゲストパネリストの解答席の位置は、4枠から最後尾の席の隣までだった。1995年4月からは4枠または3枠から最後尾の席の隣まで、1998年11月からは3枠または2枠と4枠から最後尾の席の隣までだった。*SMAP(1994年1月 - 1996年4月までほぼ隔週出演。これ以前にも何度か一部のメンバーが出演していた)春や秋・年末年始にはスペシャル版『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』が放送されていた。1992年に放送された、あるなしクイズをメインとしたスペシャル。「大マジカル」以外の初のスペシャルでもある。このときは2チーム対抗戦で、スペシャル限定の巨大檻が登場した。勝利チームは夏は所チーム・秋は白組と、いずれも所ジョージが所属するチームの勝利に終わっている。この時は2000点突破でマジカルミステリーツアーにご招待というルール。全体のセットはレギュラー放送と同じだが、放送時期に合わせた小道具などが使われている。最終回で発表されたマジカル人気クイズランキングベスト20は以下の通り。全盛期のものがトップ3に入ったが、末期に行われたゲームが上位に多くランクインする一方、初期の書き問題および居残り早押しクイズは少なかった。全部で252種類のクイズ・ゲームが開発された。1回登場しただけで終わったものから数年間続いたものまであり、クイズ・ゲームの種類も多岐にわたった。マジカルミステリー劇場のスタッフはマジカル頭脳パワー!!のクイズ・ゲーム#マジカルミステリー劇場を参照得点の入る時の効果音は、山瀬まみの曲の「芸能人様のお悩み」の終わりの部分に電子音を加えたものを使用していたが、今田耕司がレギュラーになった後期と2001年復活SPでは電子音に代わるアレンジとなった。他にも、2代目のクイズの始まる前のジングルは、同じく山瀬の「ビートパンク小僧」の最後の部分を使用していた。コンピュータゲームとして制作されたものとしてが存在する。この番組を元にしたアーケードゲームがセガ(後のセガ・インタラクティブ)から、1996年11月に販売されていた。筐体は最大3人まで遊べるようになっており、画面と各プレーヤーの押しボタン、それに可動マイクという構成になっていた。クイズは番組と同様のものが用意されており、などの問題が出題され、答が分かったプレイヤーは自分の押しボタンを押して回答する。この問題形式とマイクが用意されていることから分かる通り、このゲームには音声認識が搭載されており、プレイヤーが答えを発声して回答するようになっていた(番組と違い、シャウト系問題でもボタンを押さなければならなかった)。また番組に習い、ボタンを押すまで頭脳指数がカウントダウンされるので、なるべく早めに回答する必要があった。誤答や、ボタンを押したのに認識できる音声が入力されなかった場合にライフが半分減る。音声認識率は高めではあったが100%ではなく、誤認識によるライフ減少も時々発生した。ゲームは複数のステージを順にクリアする形式になっており、各ステージでは1つの問題形式の問題が一定数出題され、全問終了時にその問題形式で獲得できた頭脳指数の合計(複数人でプレイした場合は全員の合計)が基準を下回った場合はライフが一つ減る。ライフを全て失うとゲームオーバー(コンティニュー可能)、全てのステージを終了するとクリアとなる。なお最後のステージは番組同様「早押しエラーをさがせ!」となっている。このゲームには4つのコースがあり、各コースをクリアすると次のコースをプレイできる「合い言葉」が表示された。コースには合い言葉不要の通常コースの他、「マジカルコース」「頭脳コース」「パワーコース」とあり、後ろのコースほど難易度が上がっていた。各コースの選択はゲーム最初の練習で合い言葉を発声することによりそのコースで遊べた。「パワーコース」をクリアするとエンディングが見られた。1990年 - 1999年レギュラー放送、2001年復活SPともに全て当初からのものを使用。タイトルデザインは檜垣紀六。ただし、色は放送開始からしばらくは■銀色、1998年7月30日のリニューアルからレギュラー終了、復活SPは■青色と異なっていた。レギュラー・2001年復活SPまでの全期間、ロゴ自体と背景がCGではなくスタジオ全体であることは変わらず、BGMも1990年開始当初から変わらずに使用されていた。しかし、ロゴのアニメーションは何度か変更され、4パターン存在した。系列は当番組終了時(1999年9月)のもの。韓国MBCで「推理特急」という当番組とほとんど同じ番組が放映された。
出典:wikipedia
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