ヴェネト州(、ヴェネト語: 、)は、イタリア共和国北東部に位置する州。州都はヴェネツィア。イタリアの北東部に位置し、東南でアドリア海(ヴェネツィア湾)に面する。州都ヴェネツィアは、トリエステから東南東へ115km、ボローニャから北東へ131km、ミラノから東へ246km、首都ローマから北へ395kmの距離にある。隣接する州は以下の通り。AUTはオーストリア領を示す。地理学的な概観の特徴は他に類を見ないヴェネツィアのラグーナ(潟)である。重要な川に関しては南にポー川(とポー川の三角州)とアディジェ川、中心にはブレンタ川、北にはピアーヴェ川がある。また西にはガルダ湖がある。北西にはアルプス山脈、特に山々()がそびえ、アジアーゴ高原と()のあるドロミーティ山脈などがある。また、平原にはエウガネイの丘がある。人口5万人以上のコムーネは以下の通り。人口は2012年1月1日現在。その他の主要都市として、キオッジャ、コネリアーノ、ヴィットリオ・ヴェネトなどがある。ヴェネト州の歴史は他の北部イタリアの州と共通している。古代にはインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話すが居住し、ヴェネトの名はこの民族に由来する。ローマ帝国の支配後、395年に東西にローマ帝国が分かれた後は、一時期ラヴェンナなどと同様、東ローマ帝国の勢力下にあった。ゴート族(東ゴート王国)やランゴバルト族(ランゴバルド王国)が流入した。この地方に位置する都市ヴェネツィアは都市国家ヴェネツィア共和国として、アドリア海の海上交通を掌握し、ラグーナによって陸からの進攻から比較的安全だったこともあり、中世を通じて独立を保ち、イスラム圏とヨーロッパの中継貿易により、海上国家として繁栄した。最盛期にはパドヴァやベルガモなどの内陸の都市を勢力下におくだけでなく、キプロス島、クレタ島なども領有して栄えた。1797年にナポレオン・ボナパルトに攻略されてヴェネツィア共和国は滅んだ。ナポレオン戦争が終わり、1815年6月9日にウィーン議定書(ウィーン会議)が締結され、ベルギーの領有権と交換にオーストリア領ロンバルド=ヴェネト王国となった。デンマーク戦争後のプロイセンとオーストリア間での領有権を巡って始まった普墺戦争へ、1866年にイタリア王国が干渉して宣戦布告したの初期にオーストリア=ハンガリー帝国から分離されて、イタリア王国に統合された。第一次世界大戦中にはイタリア戦線の最前線となり、カポレットの戦いとピアーヴェ川の戦いでピアーヴェ川一帯は最激戦地となった。ヴェネト州は、以下の7県からなる。左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は県名略記号を示す。人口は2012年1月1日現在。面積の単位はkm²。ヴェネト州では、地方言語(、方言)としてヴェネト語が広く話される。また、北東部ではドイツ語(バイエルン・オーストリア語系の南バイエルン・オーストリア語)が使用される。2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り。イタリア語()、地方言語()、他の言語()についてのデータで、左列が全国平均、右列がヴェネト州の数値である。イタリアの州の中では「地方言語のみ、あるいは主に地方言語を用いる」住民の割合が最も多い州である。州には世界遺産として以下がある。州内に本拠を置くプロサッカークラブとしては以下がある。所属リーグは2012-13シーズン現在。5部リーグ(アマチュア最上位リーグ)のセリエDでは、トレンティーノ=アルト・アディジェ州、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のクラブとともにジローネCに属する。ヴェネト州の地方リーグ(6部リーグ)として、エッチェッレンツァ・ヴェネトがある。
出典:wikipedia
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