千葉県立佐倉高等学校(ちばけんりつ さくらこうとうがっこう、英語表記:Chiba Prefectural Sakura Senior High School)は、千葉県佐倉市鍋山町に位置する県立高等学校。寛政4年(1792年)に佐倉藩の藩校「佐倉藩学問所」として創設された、千葉県内で最も伝統ある高等学校である。現在は記念館となっている旧本館(久野節設計)は県下高等学校で唯一の明治時代の洋風建築校舎で、国の登録有形文化財。地域交流棟には日本で最初の蘭和辞典『ハルマ和解』やオランダ医学書をはじめ、藩校以来の和漢洋書約1万点を所蔵した県指定有形文化財である「鹿山文庫」が展示され、地域にも開放されている。自由で、おおらかな校風であり、またオランダ、オーストラリアへの留学制度プログラムをはじめ国際交流事業にも積極的に取り組んでいる。在校生の部活動への参加率も高く、例年、約9割を占める。著名な卒業生として伊東忠太(東京帝国大学名誉教授)、長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)、藤木直人(俳優、歌手)、人気バンドBUMP OF CHICKENの増川弘明、升秀夫など。著名な元教員として小出義雄(女子マラソン監督)らがいる。佐倉高等学校関係者からは「佐高(さこう)」と呼ばれることが多い。千葉県からの指定により2005年度から進学重視型単位制高校へ移行した。また、2010年4月より県の進学指導重点校に指定された。また、文科省より、2013年度にスーパーサイエンスハイスクール(SSH)、2016年度にスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定された。2008年6月から全クラスにクーラーが設置された。現在は本館(主に3学年)、記念館、理科館、東館(主に1学年)、西館(主に2学年)、武道館、体育館、第2体育館、旧図書館棟(使用停止中)、地域交流棟に分かれている。江戸時代、佐倉藩(11万石)の藩校として寛政4年(1792年)に設立。アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスが日米修好通商条約の調印を求めて来日した際、上洛して孝明天皇から条約調印の勅許を得ようとするなど日本を開国に導いた江戸幕府老中首座の堀田正睦をはじめ歴代の佐倉藩主は人材の育成の為、学問および武芸を奨励した。特に幕末には蘭学、英学などの洋学も積極的に取り入れた。その後、廃藩置県により佐倉県立学校、印旛県立学校と変遷し、1873年には 旧佐倉藩士の援助のもと学校施設一切を引き継ぎながらも改組し千葉県で最初の旧制中学校となる私立鹿山中学校となった。1899年に千葉県に移管され旧制千葉県佐倉中学校(「千葉県立」の旧制中学校としては1878年設置の旧制千葉中学校(現在の千葉県立千葉高等学校)に次ぐ設立)となり、1948年の学制改革により新制高等学校として千葉県立佐倉高等学校となった。前身校となる藩校を設けた佐倉藩は、藩領として飛び地(分領)や支藩を、各地(現在の山形県柏倉、神奈川県海老名市、藤沢市、綾瀬市など)に持っていた。その分領に在番している藩士の子弟への書学、数学、武術などの教育の為、分領の各地に分校を設置した。また同時に佐倉城下の同校へ通学が、やや遠距離となる藩士の子弟にも便宜を図るため、郷校と呼ばれる分校も早くから設置した。藩校時代から県立移管後までの主な分校は次の通りである。積極的に国際交流事業へ取り組んでおり、1997年度からオランダ派遣プログラムを実施し、更に2000年度からはアメリカ派遣プログラムも実施していた。近年では、2012年度からオーストラリアへの20名程度の短期留学が、8月上旬に行われている。学校公認のプログラムで留学した場合は、留学中の単位を認定している。そのため、留学後は留年することなく、留学期間(1年間)を含めて3年間で卒業することができる。また1997年以来、EU主催のイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、日本の5カ国で行われる国際青少年会議に生徒を派遣している。派遣する生徒は毎年11月に全学年から約5名が選抜される。校内においても、外国人の英会話指導員 (ALT) が常勤し、英語によるコミュニケーション能力の向上に勉めている。
出典:wikipedia
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