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鹿児島駅

鹿児島駅(かごしまえき)は、鹿児島県鹿児島市浜町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・鹿児島市交通局の駅である。なおウィキペディアでは、駅前にある鹿児島市電の鹿児島駅前電停についてもここで記述する。鹿児島県の県庁所在地である鹿児島市において「鹿児島」を名乗り、JR九州においては鹿児島本線、日豊本線の正式な終点である。しかし、列車の運行上では鹿児島本線側に1駅隣の鹿児島中央駅が両線の事実上の終点の機能を果たしており、当駅の地位は鹿児島中央駅が西鹿児島駅を名乗っていた時代から相対的に低い。交通新聞社が出しているJR時刻表では都道府県代表駅の◎マークは鹿児島駅と鹿児島中央駅の双方にある(但し駅名の文字の大きさが鹿児島中央駅は大きく、鹿児島駅ではみどりの窓口のある駅と変わらない)が、JTB時刻表では代表駅の「二重四角」マークは鹿児島中央駅のみに記されている。鹿児島本線、日豊本線の2路線が乗り入れており、いずれも当駅を終点としている。このため、盲腸線の終着駅以外では珍しい「上り列車しか発車しない」駅であり(このような駅は他に安房鴨川駅があり、JR線に限らなければ久慈駅、佐世保駅も該当する)、構内には鹿児島本線と日豊本線のキロポストが両方存在する。営業キロ上は、駅の南側に隣接する日本貨物鉄道(JR貨物)の鹿児島貨物ターミナル駅と同一地点にある。なお当駅の所属線は鹿児島本線である。上記でも述べたように、鹿児島本線、日豊本線は運行上では鹿児島中央駅を終点としている形であり、鹿児島本線の列車は多くが鹿児島中央駅で折り返すため当駅まで乗り入れるものは少なく、逆に日豊本線は全列車が鹿児島中央駅まで乗り入れているため、当駅は日豊本線の中間駅としての意味合いが強くなっている。このほか、鹿児島中央駅を起点とする指宿枕崎線の一部列車が当駅まで乗り入れている。第一期線の終点であるが、運行上は他の路線に直通し、1系統・2系統それぞれの起点となっている。鹿児島へ至る鉄道は八代から海岸線経由と山間部経由のルートが検討され、海岸の鉄道は戦時に敵の攻撃に弱いという軍部の主張から山間部経由が先に建設された。このことから人吉・吉松を経由する肥薩線のルートで鹿児島への鉄道を建設することになり、その鹿児島側からの建設区間としてまず鹿児島 - 国分(後に改称して隼人駅となる)間が1901年(明治34年)6月10日に開業した。鹿児島市の市街地の中でも最北部に設置された。その後、1909年(明治42年)11月21日に矢岳第一トンネルを越える区間が完成して鹿児島が全国鉄道網と結ばれた。しかしその後、海岸線経由の鉄道も建設が進められ、終点の駅だった鹿児島駅からさらに先へ延ばされて、後に西鹿児島駅を経て現在の鹿児島中央駅となる武駅が1913年(大正2年)10月11日に開業した。海岸線経由の鉄道が完成すると、こちらが鹿児島本線となり従来の人吉・吉松経由の路線が肥薩線となった。第二次世界大戦後、鹿児島市の市街地整備が進展すると次第に南側へ発展していくようになり、鹿児島駅の地位は相対的に低下して西鹿児島駅が発展するようになった。運転上の拠点だった鹿児島機関区は鹿児島駅の脇に設置されていたが、鹿児島工場(後の鹿児島車両所)や鹿児島運転所などその他の運輸関係機関は西鹿児島駅のそばに建設された。西鹿児島駅へ鹿児島の中心駅としての地位を移転させる提案は地元の強い反対を受け、名前のみは当駅が鹿児島と名乗り続けているが、長距離列車の始終着駅は1971年(昭和46年)から西鹿児島駅へ移転(鹿児島本線経由列車は区間短縮、日豊本線経由列車は区間延長)し、2004年(平成16年)九州新幹線の開通に際して西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改名し、新幹線の終着駅となったのちは名実ともに鹿児島中央駅が鹿児島市の中心駅となっている。島式ホーム2面4線を持つ地上駅。橋上駅舎であり、コンコースは2階に存在する。出入口の階段の傾斜はやや急だが、昇降設備設置はない。かつては3面5線の構造だったが、現在は2・3・4番線のみが使用されている。1番線は国分方からの機回し線を備えた終端ホームだったが使われておらず、機回し線が撤去され2番線ホーム脇の1番線のあった箇所は駐車場となっている。山側の5番線は廃止された。現在でも4番線の山側に旧5番線のホーム跡が残り、元本屋との跨線橋階段部分が残骸として残っている。なお、2番線と3番線の間には中線があり、鹿児島貨物ターミナル駅の着発線としても機能している。2番乗り場ホーム竜ケ水寄りの軒下に「桜島観光最寄り駅」の看板が掲げられている。当駅周辺の連続立体交差事業が検討されていたが、財政難を理由に鹿児島県は凍結の方針を打ち出している。直営駅で、みどりの窓口が設置されている。IC乗車カード「SUGOCA」の利用が可能であるが(相互利用可能ICカードはSUGOCAの項を参照)、自動改札機は簡易SUGOCA改札機のみが設置されており、磁気乗車券、磁気定期券などは駅員が改札を行う。SUGOCAはみどりの窓口や自動券売機(無記名式のみ)で購入できる。タッチパネル式の自動券売機が2台設置(1台がICカード対応、1台が非対応)、改札内にはICカードチャージ機が設置されている。太平洋戦争末期1945年(昭和20年)6月17日の鹿児島大空襲の際に超満員の乗客を乗せ停車中の列車3本に米空軍B29爆撃機から投下された大型1トン爆弾数発が直撃命中し、公式には乗客職員死者420名以上重軽傷者650名以上とされている。旧5番線ホームに犠牲者を悼む慰霊碑が建立されている。3面3線の櫛形ホームをもつ地上駅。鹿児島駅を出てすぐ右に位置するが屋根等での連絡はない。なお、電停は屋根により覆われている。電車到着ベル・発車アナウンスがある。両のりばとも車椅子の使用は可。ただし、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。また、無人駅である。現在の電停は1991年に完成したものであり、以前は3面2線の屋根無しの駅舎だった。また、設置当初の駅名は停車場前だった。2つの系統が利用するが、系統によってホームは分かれていない。なお、原則として1系統で到着した車両は2系統として、2系統で到着した車両は1系統として発車する。鹿児島市では「鹿児島駅周辺都市拠点総合整備事業」を2003年に設立、JR九州との共同で鹿児島駅と周辺一体の再開発を進めている。主な事業内容として、などが盛り込まれたが、連続立体交差化は財政難を理由に凍結。現在、駅東側の未利用地の整備のみ着工している。その他については、2016年8月までには基本設計を取りまとめる予定である。もともと鹿児島城の城下町の中でも最北部に位置する一帯として上町(かんまち)と称されている地区に位置している。古くから鹿児島港近傍の地区として発展してきたが、鉄道が開通し鹿児島機関区も設置されると鹿児島における鉄道の拠点ともなり、陸海の交通の接続する地点となって繁栄した。運輸・倉庫業や卸売・商工業など各種の産業が栄えていた。また鹿児島県庁や鹿児島市役所も近くにあり、こうした機関への用務客も訪れた。しかし、鹿児島市における鉄道の拠点の役割は1971年(昭和46年)に西鹿児島駅(後の鹿児島中央駅)へと移転し、こうした繁栄は失われていった。鹿児島港も再開発により南部へ機能を移し、運輸・倉庫関連の産業も移転した。さらに1996年(平成8年)11月に鹿児島県庁が鴨池新町へと移転したことから、利用客も大きく減少している。鹿児島駅周辺地区は人口も減少しており、鹿児島市内でも高齢化率が高い地域となっている。しかし、かつての賑わいを取り戻すために駅近くに大規模な公園(他にも様々な施設を含む)が作られており、鹿児島の中でも今後の再開発によってどのように生まれ変わるか地元住民からも期待されている。

出典:wikipedia

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