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インフィニティ・Q45

インフィニティ・Q45("INFINITI Q45")は、日産自動車の高級車部門である「インフィニティ」でかつて販売されていた大型高級セダンである。インフィニティのフラッグシップとして開発され、4世代に渡って2008年(平成20年)まで生産され、北米、日本、韓国、中東などで販売された。日本では、初代モデルのみが「日産・インフィニティQ45」との名称で販売されたのみで、2代目・3代目は日産・シーマ(3代目・4代目)の名前で販売されている。車種はQ45のみであった。インフィニティブランドの誕生のきっかけは、1985年(昭和60年)のプラザ合意による円高であり、それによって海外では低価格で高品質が武器である日本車は、その武器を封じられ苦戦していた。そこで、トヨタと日産は、コンセプトこそ、従来の日本車の売りを踏襲するものの、さらに付加価値を高めた高級車の開発、生産を計画。その結果生まれたのが、レクサス・LS(日本名:トヨタ・セルシオ)とこのインフィニティQであった。ただ、LSが構想と開発に8年の歳月を要したのとは対照的に、Qは、LS開発が始まった3年後にその情報を得た日産が急遽開発に着手したことが決定打となり、それがそのまま両車の完成度、または販売成績に表れたといわれている。1989年(平成元年)、日産は北米の高級車市場の一角を狙いインフィニティディヴィジョンを立ち上げた。その際のフラグシップカーとして投入されたのがQ45である。日本国内での登場は1989年(平成元年)11月。本来は「インフィニティ」がブランド名、「Q45」がモデル名であるが、日本では「日産・インフィニティQ45」として販売された。日産のCIではなくインフィニティエンブレムがつくものの、リヤガーニッシュ下部中央にNISSANの文字が目立たなく配された。(後期型は文字が若干目立つように変更された。)エクステリアデザインは社内によるもので当時デザイン部に所属していた山中俊治が担当した。キャッチフレーズは「ジャパン・オリジナル」。Q45は「ジャパン・オリジナル」のキャッチフレーズの元、従来の一般的な高級車のようにメッキ仕上げの大型フロントグリルを備えることなく、グリルレスの薄いマスクに七宝焼きのエンブレムのみを取り付けた。また、高級車では当然の装備とされる木目パネルを一切使用せず、和の象徴ともいえる漆塗り(金粉蒔絵)のインストルメント・パネル(KOKONインスト)をオプションで設定するという、世界の高級車の常識に挑戦するかのような斬新なコンセプトで発表された。ソフト面で日本文化を体現する一方で、その走りは北米市場の日産に対する期待を反映し、若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、こちらも異色であった。足回りは、前後ともマルチリンク式サスペンションで、901運動 の集成とも言える油圧式アクティブサスペンションを持つ仕様が日米ともラインナップされていた。エンジン出力は日本製自動車としてはじめて300馬力に達し、同時期に発表された日産・フェアレディZ(Z32型)・日産・スカイラインGT-R(BNR32型)とともに300馬力トリオとなる予定であった。しかしながら運輸省(当時)からの行政指導により、280馬力に自主規制された。18金製のゴールドキー(価格52万円)がディーラーオプションで設定され、現物が銀座の日産本社ギャラリーで展示されていた。北米仕様においては日本仕様に比べてよりパーソナルカー的な性格が強く、ベースグレードの「Q45」のほかに、リアスポイラーやBBSのホイールなどが装備され、日本仕様にはないスーパーHICASの設定があったツーリングモデルの「Q45t」、そして、アクティブサスペンションなどが装備された「Q45a」が設定された。また馬力が規制された日本国内向と異なり、フェアレディZとともに日本車としては初の300馬力コンビとなった。一時はレクサスLS=トヨタ・セルシオとの個性の違いから、一部での評価は高かったものの、実際にこのクラスのクルマを購入する層の多くには受け入れられることはなかった。それはLS/セルシオが既存の高級車像を追い求め、それを高度に洗練していったのに対し、Q45はそういった旧来の高級車像とはかけ離れた、独自の価値観を追い求めていたことにある。Q45の特徴でもあったグリルレスデザインは、大多数のユーザーやその予備軍には不評で、アフターマーケットで販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーが多く、エアロパーツのメーカーも自社のエアロに合わせて後付けのフロントグリルを開発していた。その後、1993年(平成5年)6月に行われたマイナーチェンジでは、七宝焼きエンブレムや漆インパネが廃止され、ローバー・800に似たフロントグリルと木目パネルが取り付けられることになり、デビュー時に提唱したQ45独自の高級車観が最後まで貫かれることはなかった。発表の翌年、このクルマ(G50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan、日本国内専用の意といわれている)が誕生している。こちらでは最初から大きなフロントグリルが装着されている。結局、Q45はセルシオに対し、このクラスでの国内市場では完全敗北を喫することとなった。新型車販売こそ不振だったものの、その車格と低い市場価格ゆえに中古車市場ではプレジデントと並び人気VIPカーの一つとして持ち上げられるようになり1990年代後半以降巷で多く見かけられた。この後、日産はインフィニティブランドの日本再展開を検討したこともあったものの実現に至っていなかったが、2014年デビューの13代目スカイラインにおいて国内仕様でもインフィニティエンブレムを採用している。ただし、Q45が「日産ブランド車」の車種階層に組み込まれていたのに対し、13代目スカイラインでは、インフィニティブランドとして日産ブランドと一線を引いたスタンスをとっている。1997年(平成9年)に海外向けインフィニティQ45のみがモデルチェンジされ、FY33型シーマの姉妹車となった。初代同様ツーリングモデルのQ45tが存在し、ヒーター付きシートやリアスポイラーなどが装備された。この年、台湾で発売。車名こそ初代同様「Q45」であったが、搭載するエンジンは4.1LのVH41DEを搭載していたため、しばしば「Q41」と呼ばれた。1998年(平成10年)には小変更が施され、HIDヘッドライトやアナログ時計が装備され、Q45tでは17インチアルミホイールや電子制御サスペンションが標準装備された。また、1999年(平成11年)モデル以降はトランク部のフィニッシャーが廃止されて、シーマとの差別化が図られた。2001年(平成13年)にモデルチェンジしたシーマの姉妹車。4.5LのVK45DEを搭載し、再び車名とエンジン排気量が一致した。3代目Gに購買対象層を奪われる等販売不振により販売を終了したが、カー・アンド・ドライバー誌やコンシューマー誌などでは評価が高く、広告不足とインフィニティのブランド力の不足が販売不振の原因と言われている。

出典:wikipedia

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