『新・サンデートーク〜ごきげんよう草柳です』(しん・サンデートーク ごきげんようくさやなぎです)は、東北6県と新潟県の民放7局で日曜日の午前に放送されていたフジテレビ系列局の仙台放送製作のトーク番組である。東北電力の一社提供。前身は、1974年度に祝日を中心に不定期に放送された『ホリデートーク』。これがレギュラー化し、1975年7月6日に『サンデートーク』と題してスタートした。1980年5月4日放送分からはタイトルが『新・サンデートーク』になった。いずれのタイトルにもサブタイトルとして『ごきげんよう草柳です』が付く。1994年9月11日、1000回の放送をもって20年間の歴史に幕を下ろした。司会は評論家の草柳大蔵が務めた。毎回1人のゲストを招き、社会問題などについて話を聞く。基本的には仙台放送のスタジオで草柳とゲストが対談する形式だが、年に数回は放送エリア内(東北6県+新潟県)で公開録画が行われ、その模様を放送する回もあった。『サンデートーク』第1回放送日の『河北新報』に掲載された新聞広告には、「東北にかかわりの深い人物を中心に毎回多彩なゲストを迎え、その話し合いのなかで、現代が抱える諸問題の核心をついていくユニークなトーク番組」と宣伝されている。『新・サンデートーク』と改題するにあたり、内容を人物本位からテーマ本位へ変化させている。スポンサーの東北電力にとって(1971年ごろに仙台放送で『電力に生きる』という広報番組を制作しているが)本格的な番組提供はこれが初めてだった。開始当初のネット局は、仙台放送、青森放送、岩手放送、秋田放送、山形放送、福島テレビ、新潟放送の7局。すべてVHF局で、FNS系列といったネットの仕方をしていない。ちなみに、キー局である仙台放送以外は各県の先発局だった。秋田県において、秋田放送がネットしたのは1975年9月まで。1975年10月からは秋田テレビ(FNS系列局)に切り替わった。東北6県+新潟県という組み合わせは東北電力の営業区域であり、このあと他局で制作される東北電力提供のブロックネット番組もほとんどが7局ネットである。青森放送ではこの番組をネットしていた関係で、本来のネット関係にあったミヤギテレビ(MMT)制作の東北電力提供番組が青森テレビ(ATV)にネットされていた。当番組終了後、『今、きらめいて』放送期間中の1995年4月にATVと枠を交換、MMTの番組で生じていたねじれは解消された。岩手県では、1991年4月にフジテレビ系新局として、岩手めんこいテレビ(mit)が開局したが、岩手放送(IBC、現在のIBC岩手放送)に東北電力とのスポンサー契約が継続されていた関係もあってか、IBCで最終回まで放送された。また、後継番組の『今、きらめいて』も、IBCにスポンサー契約が継続されていた関係からか、最初からmitに移行せず、第1回目から最終回までIBCで放送された。放送時間は、仙台放送・福島テレビでは一貫して毎週日曜日10:00 - 10:30。このため、『笑っていいとも!増刊号』は12:00 - の時差ネットだった。ネット局ではそれぞれ異なるが、主に日曜の午前に放送されていた。また、青森放送と山形放送では、1978年以降『24時間テレビ』と重なった週も休止せず、(24時間テレビを中断するかたちで)通常通り放送された。山形県では、本来フジテレビ系列だった山形テレビ(YTS)でネットされるのが自然だったが、山形放送(YBC)にスポンサー契約が継続されていた関係から、最終回までYBCでのネットが継続された。ちなみに、この番組の放送期間中に、YTSがテレビ朝日系列フルネット局に移行し、YBCが日本テレビ系列一本化後は、両局とも、フジテレビからフジテレビ系列の番組販売を拒否されていたが、この番組は、例外として、YBCにスポンサーの契約が継続されていたこともあってか、フジテレビからYBCへのフジテレビ系列番組販売の拒否の対象から除外されていたようである。新潟県では、この番組の放送期間中に、新潟総合テレビ(NST)がフジテレビ系フルネット局に一本化されたが、新潟放送(BSN)にスポンサー契約が継続されていた関係からか、BSNで最終回まで放送された。また、後継番組の『今、きらめいて』も、BSNにスポンサー契約が継続されていた関係からか、最初からNSTに移行せず、第1回目から最終回までBSNで放送された。仙台放送制作、東北電力提供の枠は以下のように変遷し、続いている。ただし、ネット局は途中チェンジされていることがある。詳しくはそれぞれの番組の項を参照のこと。
出典:wikipedia
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