藤原 薩雄(ふじわら の ひろお、8世紀 - 天平宝字8年9月18日(764年10月17日)は、奈良時代の貴族。藤原南家、太師・藤原仲麻呂の七男。官位は従五位下・右虎賁率。天平勝宝9年(757年)道祖王が皇太子を廃されると、内舎人であった薩雄は20人の中衛を率いて新皇太子の大炊王(のち淳仁天皇)を迎えるために、仲麻呂の私邸である田村邸に派遣された。天平宝字3年(759年)従五位下に叙せられ、越前守に任ぜられる。天平宝字8年(764年)正月に右虎賁率に遷るが、同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱で父の藤原仲麻呂ら一族とともに斬殺された。同音異字の兄弟・藤原刷雄と同一人物ではないかとする説がある(詳細は「藤原刷雄」の項参照)が、日本史学者の岸俊男によると、両者は別人とするのが正しいとされている。『続日本紀』による。『尊卑分脈』による。
出典:wikipedia
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