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文化放送ライオンズナイター

『文化放送ライオンズナイター』(ぶんかほうそうライオンズナイター、"Lions Nighter")は、文化放送が平日に放送しているプロ野球ナイトゲーム中継番組である。1982年4月5日から放送開始した。放送開始から1984年までは、野球中継を軸としたバラエティ番組だった(後述参照)。2016年は放送35周年を迎えた。文化放送では、当番組が開始するまでは、関東地区のAMラジオ局で唯一平日のナイター中継の無いラジオ局(土・日曜の『文化放送ホームランナイター』のみ放送)だったが、国土計画(後のコクド)が1978年(昭和53年)に福岡野球(クラウンライターライオンズ)を買収し、本拠地を埼玉県所沢市に移転して誕生した、プロ野球球団・西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)の意向により、同球団とタイアップした1時間放送の野球バラエティ番組『ライオンズDJ( - ディージェー)』として番組開始となった。なお、1981年(昭和56年)の20時枠に放送されていたバラエティ番組『ザ・マンザイクイズ』の中でも「西武ライオンズ情報」というスポットコーナーがあり、毎日試合の途中経過や選手のコメントを1分程度に収めて紹介しており、この番組誕生の布石の様な形となっている。また、放送初年度には「レオ仲間大集合」というサブタイトルも存在した。中田秀作・坂信一郎アナウンサーが交互にキャスターを務め、一般公募で選ばれた中川充四郎を専属レポーター(リポーター)に据え、ライオンズの応援を全面に打ち出した。ライオンズ攻撃時はライオンズに偏った野球実況放送を展開し、相手チームの攻撃中はライオンズ選手のインタビューやクイズを行う独自の放送で話題になった(1年毎に番組専属のマスコットガールも2名ずつ公募、レギュラー出演していた)。当初、20時からの1時間番組となったのは、1980年(昭和55年)10月改編で始まった文化放送初の本格的夜ワイド『吉田照美のてるてるワイド』の絡みで、それまで深夜に放送されていた教養番組『大学受験ラジオ講座』『百万人の英語』が18時から19時にかけての枠に移動しており、時間帯の捻出ができなかったのが理由である。番組スタートの翌年の1983年(昭和58年)に「ライオンズナイターファンクラブ」が作られた。文化放送に入会希望の手紙を出すと会員証が郵送されてきて、西武ライオンズ球場の内野指定席への招待(試合毎に招待する会員番号が番組内で指定され、試合当日に西武球場に来場出来る事が条件)や会員限定イベントへの招待、ライオンズ選手がホームランを打った際、抽選でレオ人形プレゼントなどの特典があり、1992年(平成4年)に終了するまで約27000人が入会していた。同年、実況アナウンサーとは別に球場実況席にライオンズキャスターを置きライオンズ応援色がより強まる。この年から2年間、タレントの藤田亨がキャスターを務めた。1993年以降ファンクラブの活動はなくなったが、現在でも番組では随時ライオンズ戦チケットやライオンズ選手からのプレゼントは行っている。1985年(昭和60年)以降はバラエティ番組を改め、一般的なナイター中継と同様の放送体制となったが、「はっきりいってライオンズびいきです!!」をキャッチコピーにアメリカンスタイルと呼ばれるライオンズ一辺倒の応援実況・解説を行う過激な放送で、日本のラジオ野球中継放送に革命を起こし、広く知られるようになる(特に、戸谷真人の過激な実況は語り草となった)。ライオンズ応援というスタンスはそのまま継続し、現在に至っている。その独自の放送スタイルは、後に各地方毎の地元球団応援の中継放送を次々生み出すという影響ももたらした。
戸谷によれば、これは当時ディレクターを務めた門口伯康の発案で、「巨人一辺倒をひっくり返そうよ、数字取るよりも、メジャーリーグ中継みたいに、監督の批判もしちゃうような面白い中継を日本でも目指そうよ」という理由から始まったものだという。ライオンズ応援企画では、かつては「Vのシナリオ」(歌:ばんばひろふみ・梶原茂)という主力選手それぞれ歌詞があり、打席でホームラン打った時や投手が登板した時に曲を流したり、相手投手をKOした際に流すノックアウトテーマ、ライオンズが勝利した時に流すファンファーレもあった。1991年5月に、ライオンズナイターのエンディングテーマ「明日」とライオンズ応援ソング「新Vのシナリオ」(歌:シネマストリートキッズ)がシングル8cmCDとして発売された。「新Vのシナリオ」は森祇晶監督当時のライオンズ黄金時代の選手が背番号順に歌われている。なお、1985年以降、文化放送はライオンズ主催試合のラジオ優先放送権(春期および秋期のライオンズのキャンプ取材も含む)を取得している。ライオンズ主催試合はNRNが放送権を独占しているヤクルト主催試合と異なり、同業他社でも中継をされてはいるが、文化放送の許諾を受けなければ放送はできない。このため、文化放送以外の在京局のナイター中継番組では、主に全国中継における本番カード雨天中止時の予備カードで、ライオンズ主催試合については順位を下げられている。NHKのラジオ中継では、本番カードとしてライオンズ主催試合を文化放送と並立放送することがある。1993年(平成5年)は、キャッチコピーが番組開始初の一新。キャッチコピーは「パッといこうぜ!!ライオンズ」。この年からの新企画として三振を奪うと「strike out」等の効果音を流す(他にも効果音の種類があるが、特に斉藤一美アナ実況時は必ず、それ以外のアナウンサー実況時も効果音を流すことがある。対ファイターズ戦で岩本勉が解説を担当したときは、ファイターズ選手が活躍すると岩本が勝手に押してしまう。ただし、2009年限りで効果音の使用は廃止された。なお、現在使用されているライオンズナイター独自のエレクトーン風のナイター速報のチャイムは長谷川太アナが制作したものである)。また、得点が入った際には下に記すように球団公式応援歌のアレンジなど得点したチームにゆかりのあるメロディーが流れる。文化放送のナイター中継には「ホームランレポーター」と呼ばれるレポーターが、外野席でホームランをキャッチした観客にインタビューを行ってきた。このレポートはセントラル・リーグの各球団がトラブルの火種に成りかねないと難色を示したことから、『文化放送ホームランナイター』では1991年に終了することとなった。しかし、アレックス・カブレラ選手がライオンズに入団した2001年以降は「一発レポーター」として復活。西武ドームでのゲームで恒例企画となっていた。2006年6月14日、対中日ドラゴンズ戦(セ・パ交流戦)で、当日の一発レポーター担当の斉藤一美がレフト外野席に落ちたカブレラ選手のホームランボールをゲットすることに成功し、歴代ホームランレポーターおよび一発レポーターの悲願が達成された。スペシャルウィーク(聴取率調査期間)の企画として、現役ラジオ局アナウンサーが球場アナウンスするウグイスボーイズを担当している。それ以外にも「カブレラ地蔵」の設立や西武池袋線・池袋駅〜西武球場前駅の臨時列車での案内役などを行ってきた。ただし、この頃から「ライオンズを応援する」ことの番組開始からのスタンス自体は変化はないものの、関東地区のAMラジオ局で唯一パ・リーグの試合を定期で放送することから、同時に「パ・リーグ全体を盛り上げよう」という意味合いが強くなっている。2002年までは「花のパ・リーグ」「エキサイティングリーグ・パ」と銘打って、ライオンズの試合が予定されていない日や雨天中止時の予備で、他のパ・リーグの試合が中継された(後述)。2005年以降では、ライオンズと同じ関東をフランチャイズとする千葉ロッテマリーンズ戦について、毎試合「今夜のマリーンズ」というコーナーを設けて詳しい試合展開を放送している。またライオンズ戦ではマリーンズファンのかわのをとやをマリーンズ応援レポーターとして起用し、「パ・リーグ関東ダービー」と銘打って放送されている。しかし、実況スタイルはライオンズ寄りであり、実況アナとかわのが丁々発止のやりとりをすることもある。そしてセ・パ交流戦では「我らパ・リーグ応援団」という立場を取り、2005年の企画では交流戦の勝利数でセ・リーグに負け越したら坊主になるという公約を東尾修団長に押し付けられた大塚光二と盛り上げた。さらに同期間の放送中はライオンズ以外のパ・リーグ各チームが得点を挙げるたびに、東尾の「パ・リーグ!」という掛声とともに氷川きよしの『きよしのドドンパ』をバックに流して得点の情報を放送にカット・インしている。また、パ・リーグ応援の立場をシーズン中での中継(レインコート番組も含める)で示したのが、放送中に何度か流される交通情報であり、2005年〜2015年の放送時間中の全ての交通情報にパ・リーグ連盟歌である「白いボールのファンタジー(マーチ・バージョン)」のBGMが流されている。2007年からは、文化放送の組織改革により、アナウンサーが実況アナウンサーと技術スタッフも兼任する「アナデユースナイター」の放送体制となっている。これにより番組のキャッチコピーも14年ぶりに一新。キャッチコピーは「生西武やってます。」但し、遠征試合は従来どおり、NRN系列局(下記参照)が技術スタッフを担当する。また、試合開始直前に放送される「プロ野球直前情報」では、主に監督へのインタビューが、試合中の1回表(ビジターの場合は1回裏)終了直後には「中島裕之の今日も一発、やったるで!!」と題して同選手へのインタビューが放送されている。さらに2007年からの試みとして、監督もしくは球団にゆかりのある人物によるタイトルコールを番組冒頭に使いはじめた(2007年は伊東勤監督の双子の子供が、2008・2009年は渡辺久信監督がそれぞれ務めた)2009年は若手選手のインタビュー「ピックアップライオンズ」ほか、選手自身の肉声による選手紹介(事前収録したテープを流す。例えばアナウンサーが「一番・セカンド」とコールしたあと、「片岡易之」と片岡自身によるコールの音声を流す)およびジングルを流している。2010年は効果音を廃止した。番組30周年となる2011年はキャッチコピーを「獅子道。」に変更。イメージキャラクターとして、かつての西武の4番打者であった清原和博を起用する(解説者としても出演)。なお、「獅子道。」はポスターなどでは使用するが、放送では使用しない。その代わりにかつて使用したキャッチコピーである「はっきりいってライオンズびいきです!!」を清原がジングルで使用する(オープニング時のタイトルコールも、西武戦とそれ以外の2パターンが用意されている)。オープニングのテーマ曲も一新され、『LAMENT〜やがて喜びを〜』のインストゥルメンタル版が採用された(週末の『ホームランナイター』でも2015年まで共用。2016年からは本番組のみ使用)。また、ライオンズ戦の予定がない場合のパ・リーグ他球団の中継を再開させる一方、交流戦期間中の「我らパ・リーグ応援団」を取りやめた。7回のライオンズの攻撃前に「若き獅子たち」を復活させた。さらに、番組30周年記念企画として7月11日には解説・豊田泰光、実況・戸谷真人の名コンビで「文化放送ライオンズナイタークラシック」を放送した。さらに8月26日には中川充四郎のベンチリポートが一夜限りの復活となった。2011年は前述の選手紹介の大トリとして、その日の放送の実況アナウンサーが「今日の解説者は」とコールした後「東尾修」という風に解説者本人によるコールの音声を流している。さらには西武が勝利した場合には、中継終了後スタジオに引き取られる前に、渡辺久信監督の歌唱によるQRソングが流れていた(渡辺が監督を退任する2013年まで実施)。2012年はキャッチコピーを「パ・リーグの、ど真ん中。」に変更。2011年と同様、7回のライオンズの攻撃前に応援歌を流す。2011年まではスタジオからホームでは「若き獅子たち」、ビジターでは「地平を駈ける獅子を見た」の音源(ワンコーラス)を流していた。2012年ではホーム・ビジターに関係なく「若き獅子たち」、「地平を駈ける獅子を見た」、「吠えろライオンズ」のいずれか1曲のワンコーラスを流していたが、2013年は取りやめている。また、選手紹介については、解説者のコールに続き、試合ごとに収録された栗山巧の決意の一言が挿入されるが、栗山本人が故障などで出場選手登録から外れている場合は、これが省略されて2011年と同じ体裁となる。なお、2015年以降は解説者のコールは省略されている。また、当初の試合開始予定時刻が6時を過ぎる場合は栗山巧の決意の一言は番組のオープニングで流し、選手によるスターティングメンバーの紹介がない場合もある。2013年は中島がオークランド・アスレチックスへ移籍したため、2007年から放送されてきた「中島裕之の今日も一発、やったるで!!」に代わって栗山が登場する企画「栗山巧 今日のナンバーワン!」を、試合中の2回表終了直後に放送する。なお、中島のインタビューコーナーは「中島裕之のアメリカでも一発やったるで!I DO IT!」として月1回程度月曜日のライオンズエクスプレス内で放送されていた(中島のオリックス移籍により2014年で事実上終了)。また、聴取率調査期間限定で行っていたリスナープレゼントクイズ「マウンドにいたのは誰だ! プレゼント」を常時実施する。それに伴い、ライオンズの選手がホームランを放つと実施されていたホームランプレゼントは終了した。2014年はキャッチコピーを「パ・リーグ、きこうぜ!」に変更。2014年から「栗山巧 今日のナンバーワン!」に加えて、秋山翔吾が登場する企画「秋山翔吾の今日も真面目に行きます」を、毎月5の付く日(もしくは前後近い日)に放送する。2015年は秋山のインタビューコーナーのタイトルが「秋山翔吾の楽にいこうぜ!」に変更となり、中村剛也がホームランを打って勝った試合の次の放送で「中村剛也、僕のホームラン」を放送する。また、インタビューもライオンズの選手はもちろん、パ・リーグ他球団の選手のインタビューも放送する。2016年はFM補完放送(ワイドFM)の放送開始に従い、交通情報における「白いボールのファンタジー(マーチ・バージョン)」のBGMが廃止され、汎用の交通情報用BGMが使用されている。2016年5月26日は小川が東京・新橋GATEJで開催された日本ダービーの予想イベント出演を優先した関係で飯塚治がスタジオ担当を務めた。実況アナウンサーに加え、2009年までは以下のライオンズファンのタレントがスタンドのファンへのインタビューを行うことがあった(2008年は、「所沢 ナベにQ!」と題して、西武鉄道・所沢駅前に向かい、駅前を歩いているライオンズファン(当日、西武ドームに行けないサラリーマン・OL・学生が多い)を見つけてインタビューした後に西武ドームへ向かい、スタンドのファンへのインタビューを行っていた)。2010年は、同年入団したゴールデンルーキー・菊池雄星の専属レポーター「雄星ガールズ」として以下の2名の女性レポーターが参加。さらには関東地区(西武ドーム、QVCマリン、大宮球場など)での試合の際に、ライオンズ側の客席からレポートを入れていた(事実上、2007年以前の「一発レポーター」に代わる役割を担う)。文化放送では本番組以外にも「きょうの雄星くん」というコーナーを組んでレポーターとして出演していたが、同年菊池が左肩痛で戦線離脱し一年間を棒に振ってしまったことで企画倒れの形となった。2011年度と2012年度は有馬のみが出演を継続し、スタンドレポーターに専念していた。2013年度以降はスタンドレポーター自体が配置されていない。『ライオンズナイター』はビジターにおいてNRN系列局の協力は受けるものの、ニッポン放送が平日の幹事局であるNRNナイターではなく、文化放送の独自番組である。月曜に「マンデー・パ・リーグ」(2001-2005年)が開催されるようになってから、月曜の当番組はパシフィック・リーグの試合限定でNRN全国中継担当となり、西武の主催試合を中心に、関東地区で行われた日本ハムおよびロッテの主催試合も一部地方ラジオ局へネットしていたが、西武主催ゲームおよび日本ハム(2003年まで)・ロッテ主催の西武戦がNRN本番カードとなった場合、時折自社向けを「ライオンズナイター方式」で、ネット局向けを中立実況の「ホームランナイター方式」で別制作することがあった(後者は速報チャイムもNRNの物を使用)。一方、西武のビジターゲームのうち関東地区以外の試合については、文化放送自体は他の曜日同様に主催側のNRN系列局の技術協力による自社制作となったが、ネット局向けは主催側のNRN系列局が中継を担当した。さらに西武が関与しない関東地区以外のパ・リーグの試合では、文化放送がNRN系列局制作の中継をネット受けをしていた。2009年以降、平日におけるNRN担当日で、NRNナイターを担当するニッポン放送の本番カードにならない場合に、東北放送(TBC)で『ライオンズナイター』そのものがネットされたことを最初に、2013年までに、NRN系列局が放送する球団に対してTBC・KBC・ABC(月曜日に行われる阪神戦のみ)が当番組を同時ネットしている。あくまで、NRN系列局が当番組を同時ネットする場合は、西武の主催試合に限定される。また中継フォーマットについても相手ネット局への配慮はせず、通常どおりのライオンズひいき放送という方針としているが、担当アナウンサーによっては中継全編を中立的なトーンで実況する時がある。また、「マンデー・パ・リーグ」時代の名残もあり、月曜に関東の球場にて西武非関与のパ・リーグ球団主催試合(主にロッテ主催試合)が行われる場合、文化放送が系列局向け中継の裏送り制作、もしくは制作協力を行っている。さらに2013年は月曜開催のオールスターゲーム第3戦をNRN系列局に配信した(ニッポン放送が諸事情により中継しないため)。西武の遠征試合については、ナイターネットの曜日に関係なく、主催側のNRN系列局(オリックス・阪神主催試合はABC)の技術協力による自社制作を行っている(パ・リーグ球団主催の東京ドームの試合は除く。主催側のNRN中継は自社制作・裏送りは当該系列局の対応となるが、原則として、NRNナイター幹事局であるニッポン放送に技術協力を依頼する。ただし、月曜の場合は文化放送が技術協力を担当する場合がある)。なお、現在は原則として、NRN系列局からのアナウンサー派遣は受けていない(逆に西武の遠征試合の場合、主催側のNRN中継には文化放送からのリポーター派遣を行わない)。(月)(火・水・木・金)このほか、マンデー・パ・リーグ開催年で月曜日ナイターのない時は『プロ野球ホットライン』と『ビッグサウンズスペシャル』を放送していたが、2005年は実施せず『ライオンズエキスプレス・デラックス』などを放送していた。

出典:wikipedia

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