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十三 (大阪市)

十三(じゅうそう)は、大阪府大阪市淀川区にある地名。十三駅付近のエリアを指すこともある。地名の由来は、旧摂津国西成郡の南端を一条とし、北へ順次数えると十三条の場所に当たるという条里制に基づく説や、昔ここにあった淀川の渡しが摂津国において上流から13番目であったとする説など、諸説存在する。風俗店が駅近傍にあり、ネオン等で目立つ存在であるため、歓楽街として位置づけられることが多い。特に十三駅西南側の栄町エリアには飲食店、パチンコ店、キャバレー、ピンクサロン、ラブホテルなどが密集している。なお、飲食店の中には、ねぎ焼きの「やまもと」や「がんこ寿司」など関西で知られた店もあり、必ずしも風俗目当てに来る人ばかりではない。大阪でも数少ないミニシアターの一つ、「第七藝術劇場」も栄町エリアにある。また、ライブハウス・十三ファンダンゴはウルフルズがインディーズ時代によく活動していたことで有名である。また、十三駅周辺では稀に若者ミュージシャンが街頭ライブを行っている光景が見られる。十三(じゅうそう)の南側は、淀川に面しており、この付近の淀川河川敷で、毎年8月に花火大会が行われる。この河川敷は、自然の状態が残っている部分もあり、珍しい野鳥や水棲生物が見られる場所である。さらに河川敷からは淀川越しに梅田の超高層ビル群を眺めることができる眺望スポットでもある。駅西部と東部には商店街が広がり、オフィスビルやマンションなどが多く建設されており、歓楽街以外の面も持つ。渡しがあることで発展した町であり、当時の舟を待つ間に食べたであろう和菓子などの老舗も見られる。阪急電鉄十三駅西側、国道176号線(十三バイパスでない本線)の十三交差点付近(住所で言えば十三本町一丁目)を中心に東西に広がる繁華街。広義には、繁華街周辺に広がる十三元今里・十三東・木川西・新北野・田川辺りの住宅地も含む。武田薬品工業大阪工場も十三本町に所在。TBS系で放送された『タケダアワー』のオープニングキャッチでは大阪工場内の中央研究所第1棟・第2棟の全景映像が使われた(関西地区では当時、朝日放送にネットされていた)。十三の地名の発祥となった場所は、現在十三と呼ばれている地域よりもやや南に位置した。明治時代初期までの淀川は下流部でいくつもの支流に分かれ、支流の一つとしてこの地には中津川と呼ばれていた川が流れていた。江戸時代までに中津川南岸の成小路村(現在の淀川区新北野付近)と北岸の堀村(現在の淀川区十三本町付近)を結ぶ十三の渡しが設置され、南北の交通に利用された。成小路村の字として十三の地名があった。成小路村は1889年の町村制実施により、中津川南岸にあたる他の村と合併して西成郡中津村となった。十三の地名は中津村大字成小路字十三となっている。また堀村など中津川北岸の村については、1889年に合併して神津村となった。しかし1898年より新淀川の開削工事が実施された。中津村を横断する形で新淀川が開削され、当時の十三は新淀川の敷地となった。このため十三の地名は一度消失した。1910年、新淀川堤防北岸(当時は西成郡中津村)に箕面有馬電気軌道(現・阪急宝塚線)の十三駅が設置された。これにより、十三の名称は駅名として復活することになった。十三駅は1916年、当時の位置よりやや北よりの現在地(当時は西成郡神津村)に移転している。中津町(中津村が1911年町制施行)と神津町(神津村が1922年町制施行)は1925年に大阪市に編入され、東淀川区に属した。この際に十三駅周辺に、十三東之町・十三西之町・十三南之町の町名を設定した。現在十三元今里と呼ばれている地域については、大阪市編入に伴い旧神津町大字今里から東淀川区今里町へと変更された。その後地域で区画整理事業が完了したことを機に、東成区の今里と区別するため、1930年に元今里へと改称された。1974年に東淀川区の西部を分離し、淀川区が発足した。淀川区発足と同時に住居表示も実施され、淀川区十三本町・十三東・十三元今里の町名が設定された。一方でかつての十三南之町については、新北野の町名が設定された。新北野の名称は、1931年にこの地(かつての中津川の跡地)に移転した大阪府立北野高等学校(移転当時は旧制大阪府立北野中学校)に由来する。

出典:wikipedia

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