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ドリフ大爆笑

『ドリフ大爆笑』(ドリフだいばくしょう、2000年まではタイトル末尾に年号が入る)は、日本のコントバラエティ番組である。イザワオフィスが制作し、フジテレビ系列にて放送。1977年2月8日から1997年12月25日まで『火曜ワイドスペシャル』で原則として月1回ペースでレギュラー放送されたが、1998年4月16日に新作コントを制作されたのを最後に1998年5月以降現在は、総集編として年1回〜2回ペースで不定期放送が継続されている。視聴率が40%以上となったこともあるザ・ドリフターズを代表するバラエティ番組の一つである。現在は休止状態であるが、衛星放送ファミリー劇場で再放送されている他(当該節参照)、地上波フジテレビ系列でも時折スペシャル番組として放送されている。番組には各回ごとにテーマが設定されており、そのテーマに沿ったコントと各回4〜5組程度のゲストの歌を交互に放送していく構成であった(後期はゲストの歌が削減され、コントだけで全く無い回もあった)。オープニング(後述)の後、いかりやが全体の進行役として単独で登場してその月のテーマを紹介し、コントを数本流した後にゲストの歌を入れ、その後CMに入り、明けていかりやのコメントを流し、コント→歌というのが一般的な構成。後半のコントでは「もしもシリーズ」がメイン。そして最後にエンディングが流れて終了となる。毎年年末は「年末特別総集編」として、その年のコントの中から傑作を選んで放送する趣向になっていた。また1980年代に入って以降、学校の夏休み時期には「夏休みプレゼント傑作集」と題した総集編を組んでいた他、それ以外の月に総集編を放送した年もある。総集編ではいかりやの進行がない場合もあり、特に1977年12月に放送された番組初の総集編では当時ドリフターズが所属していた渡辺プロダクションの後輩であるキャンディーズが進行を務めた。また、総集編の回では基本的にゲストの歌は入らないが、前述の初の総集編の際にはキャンディーズの曲が幾つか放送されている。1980年12月23日に放送された「ドリフ大爆笑'80 総決算」はこの番組の最高視聴率である40.4%を記録した。初期のオープニングテーマは、「夜だ8時だ ドリフの時間」という歌詞で始まる軍歌『月月火水木金金』の替え歌であった。1978年1月31日の放送分から、後に続く「ド・ド・ドリフの大爆笑」の歌詞で始まる『隣組』の替え歌となった。なお、『隣組』の替え歌が作られた時は既に原曲作詞の著作権は消滅していた。エンディングテーマ『さよならするのはつらいけど』は、『8時だョ!全員集合』のエンディングテーマ『ドリフのビバノン音頭』と同じくデューク・エイセスの楽曲でドリフもカバーした『いい湯だな』の替え歌である。ごくまれに歌詞が2フレーズ続く回もあった。77年の番組開始当初は一部を『8時だョ』と同じ振り付けで踊っていた。その後は音楽に合わせ手拍子を打ったり軽く揺れる程度になったが、03年の新収録では振り付けが復活している。ポンポンを持って、Tシャツ、またはレオタードを着飾ったスクールメイツ(1977年、1979年、1980年は男性も含まれていた)がバックで踊る中、濃紺のスーツ を着た5人もダンスを披露する。オープニングでは間奏の間にその回に流される全コントの予告が流れ(1979年には3番演奏中に流したこともある)、コント内でも多用される「中年女性の笑い声」(年末最後の放送では笑い声が無かったり、代わりにいかりやの挨拶が入っていた)が入る。また、エンディングのいかりやの「次の回も一生懸命頑張ります。ごきげんよう!」(このセリフは収録年によって若干の異なり がある)というセリフで締めくくられていた。毎年12月に放送される年末スペシャルでは、エンディングをワンフレーズ放送後にスタジオからいかりやが1年を振り返り、最後にスタジオからその場で「よいお年を」と言ったあとエンディングの最後のシーンに映像が変わって終わったため、いかりやの挨拶がない場合があった。1980年の総集編では通常の『さよならするのはつらいけど』に代わって「ドリフの早口ことば」の音楽を流した。番組初期はスタッフ紹介のクレジットの字幕は放送時に付加されたためアーカイブ映像には残されていない場合があった。放送開始以降、オープニングとエンディングのクレジット映像は1978年、1979年、1980年、1981年と改められるが、1983年に撮影されて以降、長年に渡り同じ映像が使われた。メンバーの仲が険悪になり、スタッフからたびたび新映像の撮影を打診されたが、結局撮り直す機会を持たなかった、と後にメンバーがトーク番組にて語っている。1991年からはクレジット映像を縮小して、当時フジテレビ社屋のあった河田町の夜景の映像を中心に据えた。その後も「過去に放送されたコント映像も年代の古い順から流す」演出や、1997年からは台場本社の空撮映像をオープニングに取り入れ、オープニングの曲も4フレーズから2フレーズ(テーマ設定の廃止・ゲスト枠の縮小により1番と4番のみ)に短縮するといったクレジットが使用された。そして2003年12月23日放送の『40年だよ!ドリフ大爆笑』に合わせ、20年ぶりにオープニング・エンディング共に一新された(テーマ曲は83年版のものをそのまま使用)。12月8日に収録されたこの映像は、いかりや長介にとって生涯最後の、そしてドリフ5人全員が揃った最後のテレビ出演となった。また、オープニングのみ歌詞のテロップが新たに挿入されている。1977年2月8日放送開始。開始から暫くは20:00からの放送であったが、1981年秋の番組改編で『火曜ワイドスペシャル』枠が30分前倒しされたため、大爆笑も同年10月13日放送分以降は19:30〜20:54の時間帯で放送された。初期は著名コメディアンがゲスト出演しており、小松政夫や伊東四朗のほか、東八郎、玉川良一、左とん平らがコントに参加していた。スタートから暫くは5人全員が登場する「全員コント」やその回のテーマを題材にした歌を題材にしたコント、「もしものコーナー」がメインだったが、メンバー全員がその回のテーマを題材にしたトーク等を行うコーナーや歌を題材にしたコントが終了した1983年頃には「いかりや・高木・仲本」と「加藤・志村」のそれぞれのチームに分かれての別々のコントが目立つようになった。時を同じくして、この頃から志村・加藤コンビでのコントではアドリブ重視、お色気路線の作品が増え、この路線が同局の『志村けんのバカ殿様』『志村けんのだいじょうぶだぁ』やTBS系『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に受け継がれる。1987年には名物コーナーだった「もしものコーナー」が終了。1988年の途中からは志村がいかりやとコント内等で共演する事が一切なくなり、結果としてドリフ内部の不和説が指摘されたこともあった。前述の不和の噂が出たこともあり、1993年春のスペシャルで5年ぶりに5人全員が揃ったのを口火に、翌年からは久々の全員コントが復活。以降、「視聴者からのリクエストコント」のコーナーとして、嘗ての名コント(サービス過剰な銭湯・消灯ラッパ・卒業式でいかりやが金品を奪われるなど)を放送。1995年には「笑いと歌の20年」というサブタイトルが付き、『全員集合』を彷彿とさせる公開放送を取り入れるようになり(「雷様」など)、『全員集合』時代の名物コント(会社、五軒家、寺修行、忍者、修学旅行、商店街、剣道、コンバット、刑務所、母ちゃんコントなど)が再現された。『全員集合』名物であった「少年少女合唱隊」も登場、当初は参加しなかった志村も「早口言葉」を披露した。1997年には10年ぶりに「もしもシリーズ」も復活するなど、独特のテイストで人気を保ってきた。しかし、メンバー個々の活動の違いや高齢化、番組自体のマンネリ化、視聴者の嗜好の変化もあり、1998年4月16日放送を最後に新作コントが制作されなくなった。以降は総集編という形になり放送回数も減っていく。そしてリーダーであるいかりや長介が死去、コント制作自体が休止になるという状況を迎え、現在に至っている。いかりや逝去後は不定期で総集編が放送されているが、そのスパンは数年に一度ときわめて少ない。新作コントが制作されなくなってからは総集編のみの放送となった。1977年はキャンディーズが進行。78年以降はドリフが進行。いかりやの死後、約3年に渡り地上波での「ドリフ大爆笑」としての総集編は制作されていなかったが、2007年のDVD化前後より5度の総集編特番が放送されている。『いかりやさん一周忌特番 笑って泣いて! いかりや長介大爆笑スペシャル』2005年3月15日(火曜日)19:00 - 20:54『ドリフの長さん懐かし大爆笑三回忌特別企画』(テレビ朝日)2006年3月20日(日曜日)19:00 - 20:54『懐かしのいかりや長介大爆笑スペシャル!』2010年3月18日(木曜日)19:00 - 20:54地上波での総集編とは別に、2016年現在ファミリー劇場(以下、ファミ劇)が再放送を行っており、同局の看板コンテンツの一つとなっている。放送マスターテープの激しい損傷や紛失、また肖像権等の都合上、やむを得ない理由で欠番扱いとなっている回もあり、全エピソードの放送には至っていないが、通常放送分(90分版)が176本、総集編等(120分版)が18本 放送されている。放送時間は以下の通り。ファミリー劇場での再放送は1999年より開始され、初回から1996年中期放送分まで終えたらリピートとして第1回目から行われる(2007年1月より3周目、2010年8月より4周目となり再び第1回から放送されている。2周目までは日劇公演の模様も放送されていたが、3周目以降カットされている)。1996年後期から2003年までの回は現時点で再放送は行われていない。末期の放送は120分など放送時間がバラバラであり、現在の再放送枠では放送困難であることが一因となっている。同様の理由として、年末特別総集編 などは通常の再放送枠とは別の枠で特番として放送されることがあり、2周目では90分版消化後にレギュラーの放送枠を拡大して放送、3周目では90分版消化を間近に控えた2010年6月に、日曜12:00 - 18:00の枠を利用して集中放送を行っている他、9月以降諸事情(後述)によりリピート放送を行っている。ファミリー劇場での再放送特有の事象として、番組初期から中期までの放送ではオープニングのスタッフロールやコントのタイトル、歌コーナーの曲のタイトルや歌手名などのテロップが一切入らないまま放送されており、時には名物の中年女性の笑い声もテロップさえも入らない珍しい回もみられる。なお、1983年放送の作品からは本放送当時の枠と番組ロゴ、1984年頃放送の作品からは歌コーナーの曲のタイトル・歌手名、1988年放送の作品からはオープニングの出演者ロール、コントタイトル、エンディング時のスタッフロールが入るようになり、この時点で完全な形での放送となる(完全パッケージメディア化)。ただし、総集編の回を中心にこれ以前の物でも回によってはこれらのテロップ類が入っている場合がある。これは本放送時にテロップを生で挿入していた名残であり、ファミ劇では3周目より番組開始冒頭に番組タイトルロゴのみを追加挿入している。また一部マスターテープ(原版)の乱れがあったため、本放送時とは若干異なる画像であるという件の説明が冒頭に書かれることがある。2008年1月からは2分間のCMが2回挿入されるようになった。また、番組開始数秒間と終了間際数秒間、画面右下にファミリー劇場のマークまたは「ファミリー劇場」と表示されていた。初期の頃の放送ではファミリー劇場のマーク、中期〜後期の放送では「ファミリー劇場」と表示されていたが2008年11月より土日の通常放送、月〜水の「大爆笑アワー23」(第3回目から)とも画面左上に常時「ファミリー劇場」のウォーターマークが表示されるようになった(ファミリー劇場HDは右上に表示)。2007年11月に「スカパー!大昭和祭り」キャンペーンの一環として第1回から第5回がリピート放送された。その後、2008年10月27日から「大爆笑アワー23(英称:LOL HOUR 23)」として毎週月曜日〜水曜日23:00〜24:25に改めて第1回から放送、2010年10月からは夕方枠に移行した上で「夕焼けドリフ劇場」として引き続き放送を行っている。これとは別に、同月より火曜21:00 - 23:00に「ファミ劇9 火曜ドリフ横丁」が新設され、前述の特別総集編の他、今後は大爆笑以外のドリフ関連番組がファミ劇初放送作品も含めて編成されることになっている。2012年7月からスカパー!e2のみすべての放送回において字幕放送を行っている。2009年8月25日放送の大爆笑アワー23(第115回)では、放送当時に触法行為で拘置中の酒井法子の登場する場面および歌(夢冒険)のシーンをカットなどすることなく、そのまま放送された。同年末には仲本と高木がファミリー劇場の番組収録に参加。『アニメ問わず語り』には2人それぞれ登場し、正月特番『2010ラインナップ特番』では仲本が大爆笑の収録の思い出を語った。また、2人が出演する大爆笑用のCMやクロスプログラムも制作され、期間限定で使用された。2010年9月18・19日の放送は、同月11日に死去した谷啓の追悼番組という形を取り、1979年に谷がゲスト出演した2回分を前倒しして放送した。11月3日の放送は、デビュー30周年を迎えた松田聖子のスペシャルという形を取り、6回分を放送した。2011年5月2・3・4・6・7日は当初ゴールデンウィーク集中編成を予定していたが、4月21日に死去した元キャンディーズの田中好子の追悼特別編成に変更し、キャンディーズが出演した10回分を放送した。8月8日から12日までの『夕焼けドリフ劇場』及び、14日の『日曜ドリフ劇場』では、「ドキッ!水着だらけのドリフ大会」と題して、アイドルが水着姿で登場する回を放送した。なお、翌週は特別編成により番組自体が休止された。8月20日は「これでいいのだ!バカ殿&バカボン おバカパレード」の企画として、バカ殿のコントがあった回を放送した(この企画では、レギュラー版「志村けんのバカ殿様」も放送されている)。加藤茶と志村けんのコンビによるコントが多く、彼らのコントは「茶とけん」という冠タイトルが付いていた。1995年秋よりリクエストコントの延長上として、かつての『全員集合』時代のコント主旨をそのまま取り入れた観客を入れての公開形式のコントが放送された。全員集合と同じく、いかりやの「オイッス!」で始まり、ラストは「盆回り」のBGMで終了する(その後、ゲスト歌手による歌が披露される場合もある)。観客は当時の20代~30代が中心であり、いわゆる『全員集合』をリアルタイムで見ていた世代である。よって客席は異様なまでの盛り上がりを見せた。主な公開コントとエピソード。日本のバラエティにおけるパイ投げはドリフ大爆笑にて定着したともいえる。当初は土台が本物のパンケーキやカステラで、その上にシェービングクリーム(生クリームだと衣装についたらクリーニングが不可になるため)を盛っていたが、的がはずれることが多かった為、後に手のひらに置いたとき持ちやすくコントロールしやすい為、土台が紙皿になった。コントによっては本物のカステラやイチゴをデコレーションしてケーキとして顔にぶつけるものもあった。高木が活躍する「アイドルコンサート」コントなどがある。加藤、志村、仲本、女性アイドル数名による「全員集合」でも行っていたコント。公衆電話(ボックスではなく店先の公衆電話)で加藤が長電話をしていて、長蛇の列が出来ている。なかなか電話が空かずイライラした最後尾の仲本から順に前に並んでいる人に早く終わるよう促す。すると先頭の加藤から逆に怒りが伝言される。それが次第にエスカレートし、小突いたり、菓子の蓋で頭を叩いたり、バケツに入った水をかけたり、パイをぶつけたりする。オチは逆切れした加藤が、全員目掛けてホースで水を浴びせる。番組開始当初から80年代中頃まで行われていたコント。旅先でとある会社の課長の加藤(必ずハゲ頭にチョビヒゲ、丸眼鏡のスタイル)と部下の志村が女目当てで様々なアプローチを試みるがことごとく失敗するコント。旅先で予想以上に女っ気が少ないことに不満な加藤に志村がゴマをすりつつ混浴風呂やナンパを勧めるというもの。温泉旅館や海水浴場、ビヤガーデン等のバージョンがある。90年代に数回リメイクされており、加藤(この時の役職は社長)の部下が志村ではなくいかりやのバージョンも放送された。1978年に放送されたもので、沖縄でロケを敢行したコント。いつも痛い目にあっている課長の加藤が一人で沖縄へ遊びに来た。浜辺で風呂敷を広げて寛いでいるとビキニ美女のアグネス・ラムがやってくる。加藤はウキウキしながらアグネスとボート遊びをするが、途中の写真撮影で海に転落してしまう。加藤は何とか引き上げてもらったが、引き上げたのはアグネスではなく彼女の祖母役であるすわだった。加藤演じるハゲ頭の父親は幼い子供を連れ、小学校の入学式へ向かう途中で知り合いの女性(由紀さおり)と遭遇し子供の入学を祝う。場面は教室に変わり、子供たちの自己紹介が行われているがそこにいたのは子供ではなく加藤だった。加藤の持ち芸の一つであるくしゃみギャグを存分に活かしたコント。出演者は花粉症でくしゃみの止まらない加藤の演じる患者とそれを診察する志村の演じる医師、それと看護婦役で女性ゲストやAV女優1〜2人(代表的なものとしては川上みくが出演したもの。川上みくはこれを嫌がらずにむしろ恥ずかしながらも楽しんでいたと後に語っている)。加藤は診察中に志村の顔にくしゃみを直撃させてしまったり、マスクを渡されてつけたはいいがわざわざ外してくしゃみをしたり(その際志村が「それじゃーマスクの意味がねーんじゃねーのかー?あー!?」と怒ったりする)、くしゃみの勢いで診察室の机、カーテン、ドアノブなどいろんな物をどついたり引っ張ったりして壊してしまう。お約束のネタで、くしゃみの勢いで志村のズボンや看護婦のスカートを下げてしまうギャグがある。さらには白のパンツも下げてしまい尻を丸出しにしてしまったバージョンもある。オチはくしゃみをした弾みに診察室の壁を倒して四方の壁が倒れてしまう。同様のコントは「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や、1998年12月19日放送の「加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!」、2008年4月1日に放送された「志村けんだよ 大集合!! コントとトーク大放出 タノシムケンSP!!」でも披露された。不良生徒ら(加藤、志村、高木、仲本)が卒業式のお礼参りに、担任の教師(いかりや)を校舎裏に呼び出し、所持品を奪ったり衣服を脱がせる。ところが教師の背中には竜の入れ墨が彫られてあり、生徒は恐怖におののく。オリジナルバージョンと、後年のリクエストによる再現復刻バージョンが存在する。オリジナル版でのメンバーはまだ若く、復刻版ではメンバー全員が初老に差し掛かっているものの、コントのテンションは復刻版の方が格段に高く、特にあらん限りの声を張り上げる加藤に対しては志村が「血圧高いんだからさー」と素で心配するほどである。とある学校の授業中。昼休みまで待てない生徒が隠れて弁当を食べ、先生(志村)に咎められる。生徒の中でも加藤はあの手この手を用い、早弁をしようと試みるが、ことごとくバレてしまう。あきれて自習を命じ、教壇の椅子に座る志村。しかし何か口の動きがおかしく、生徒が教壇の元へ集まり、のぞき込むと教壇の下が寿司屋のカウンターになっていて寿司職人(すわ)が志村に寿司を出していた。期末試験中に堂々とカンニングをしていた志村は教師の加藤に注意されるが、志村はその後も色々な手段でカンニングを行う。ほぼ同じ内容で、加藤と志村の立場を逆転したバージョンもある。女子高の教師である志村は「このクラスでタバコを吸っている者がいると言う噂がある」として抜き打ちで所持品検査を行う。志村は生徒が机の上に置いた物を確認したり、生徒のポケットを調べる際にセクハラまがいの行動をしたのち、途中からは生徒のカバンの中を調べるようになる(その際、松居直美のカバンの中からは何故か男性向け雑誌(「プレイボーイ」と「ペントハウス」)が出てきた)。最後に調べた生徒のカバンの中から出てきたのは何と本物のウナギであり、クラス中は大騒ぎとなる。メンバー全員によるコント。いかりやは教師役、高木はラーメンの出前持ち、仲本は神主、加藤は大工(誕生日を祝ってもらったため酔っぱらっている)として授業を受けていた。そんな中、幽霊役として志村が登場すると教室がホラーな雰囲気になる。加藤と志村のコンビでのコントの最後に加藤と志村が「○○を大事にしよー!お父さんお母さんを大切にしよー!」(日本船舶振興会のCMのパロディー)と言い、さらに志村が「提供は△△でした、フォー・ビューティフル・ヒューマン・ライフ」(カネボウのCMの最後で流れたサウンドステッカー)と言った直後に2人でしゃくれたような顔をする。しゃくれたような顔をしている時に顔面にパイが投げつけられたり(うまくかわして油断したところへ水をかけられたバージョンもあり)、共演者にもしゃくれたような顔をさせようとした際にパイが飛んできてその共演者も巻き添えを喰らったこともある。1982年〜1986年に行われた。なお△△の中には当初はそのままカネボウであったものの、同業の花王(現在はカネボウ化粧品を100%完全子会社としている)が火曜ワイドスペシャルの提供に就いていたため、すぐに当番組のスポンサー企業の名が入った(永谷園、井関農機、フランスベッドなど)もの、もしくはスポンサー以外の企業名(イチジク浣腸など)に変更された。死んだばかりのお化け(加藤)が、生前怨みを持った「いかりや」という名の男を一回脅かしたいと、下界で一番怖いと有名なお化けである志村の下を訪ね、人間を脅かすための様々なノウハウ(『うらめしや〜』の言い方やお化けの笛を使った効果音など)を教わるが、試しに通行人を脅かそうとした所全く驚かず素通り。そんな加藤に対して志村は「なんかどっか欠点があんだな…あ、わかった!血色がよすぎんだ顔色がいいの!だから驚かないのよ」と、加藤の顔に正面に穴の空いた透明な箱をかぶせ自分がいつも使っているお化けの一流化粧品(龍角散に詰め替えた粉末消火器)を吹きかけるが、その直後髪も顔も真っ白になった加藤はその場にバッタリ。「あら?どしたの?ちょっと?…また死んじゃった。あーも…」と志村が倒れている加藤の股間を指で弾いて「チーン」とお鈴の音を立て合掌する。同様のコントは「全員集合」でも行われており、このバージョンではお化けの化粧品で加藤の顔が白くなった後も倒れることはなく引き続き通行人を脅かそうとするもうまくいかず(すわは奇声をあげて舞台を走り回った)、二人で和傘をさした通行人を脅かそうとしたら七面幽霊の仲本だったというオチがついた。また松本明子が新人お化けのバージョンも存在する。この場合は脅かしたい男が井澤健(イザワオフィス社長)で、お化けの化粧品で顔を真っ白にした松本と志村が通行人の女性を脅かそうとするが、その女性が驚愕の顔のお化け(特殊メイク)であり、2人ともそれに驚いて逃げてしまう。江戸時代の真夏の長屋を舞台にしたコント。加藤、志村が長屋の住人役、女性ゲスト数名がその妻や子供の役。長屋の共同井戸の底からあらかじめ冷やしておいたスイカやそうめん、日本酒などを次々と釣り上げて出し、それを飲み食いしながら涼んでいると井戸の底から怪しい水音が。直後に井戸の底で行水していた高木がよれよれのフンドシ一丁の格好でよじ登って出てきて、今まで高木が浸かった井戸水で冷やした物を飲み食いしていたことに気づいて気分が悪くなった加藤と志村が怒って高木をどつき、その弾みで長屋全体が倒壊(屋台崩し)してしまう。「全員集合」当時は舞台公演という性質上いかりやを進行役に荒井注、加藤、志村が主にオチを担当する役割分担であったため高木の出番は少なく脇役に回らざるを得ない状態だったが、「大爆笑」はスタジオ収録の為に自由度の高いコントが展開できるようになると、高木も単独で出演してオチを担当するショートコントが作られるようになった。コントの主な流れは高木が様々なシチュエーションに巻き込まれる部類のものと高木独特の本気か冗談か判然としないとぼけた演技でシュールな状況を生み出す部類のものとがあるが、いずれも高木が瞬間的なインパクトでオチを取るパターンが多い。1992年に4回行われた高木のコント。1991年の秋頃からコントで高木が1円玉に喜ぶシーンがある事に視聴者からの質問が殺到した事と、高木家の家訓である「1円を笑う者は1円に泣く」という教えをコントを通して日本中または世界中に伝えようという高木のコンセプトで生まれたコント。コントの内容としては、高木が切羽つまった形相で「俺の1円!」や「俺の1円がない〜!」等と嘆きながら様々な場所をさまよい、1円玉をみつけると「俺の1円があった!」と高木が狂喜乱舞するというオチ。その凄まじくハイテンションな演技は共演する他のメンバーも唖然とするほどの迫力に満ちている。最終回では、高木が1円玉の蟻地獄にはまってしまう夢を見たことから、今までとは一転して「1円玉怖い!」と1円玉恐怖症になってしまい、夢から覚めた高木がトイレに入ると天井から1円玉が降ってきたり洗面所の鏡から1円玉が飛び出してきたりと様々な1円玉の襲来を受け、いかりやに「1円玉怖い!助けて!」と泣きつくが「何言ってんだ!」と叱られる上に最後には1円玉の雪崩に襲われ、「うぉ〜!1円玉怖い!」と高木は気絶してしまいこのコントはあっけない終了をむかえた。また、このコントを行う際には1円玉の雪崩や蟻地獄を演出するため、毎回大量の1円玉が使用された。しかし、大量に使ったが故に1円玉は一部紛失したため全額回収できなかった。老人の格好をしたいかりやと仲本が縁側でマッタリと雑談していると、そのゆるい雰囲気に痺れを切らした高木が「こんな所でじっとしてねえでどっか行くべえ!」と叫びだし、それに対してぼやきながらもいかりやと仲本は嫌々高木に付き合い様々な場所(温泉・ゲームセンター・プール等)へ外出し、毎回行く先々で様々な騒ぎを起こす。高木が他のコントに比べて非常にテンションが高くよくしゃべるのが特徴である。このコントは1993年頃からレギュラーコントとして放送されていたが、1988年にほぼ同じ内容の「長介・工事・ブー お年寄り!?㊙健康法」と言うタイトルの単発コントも放送されている。いかりや以外のメンバーとすわによるコント。加藤は高木と仲本が看守の留置所でやくざ風の二人の男(志村、すわ)と同じ独房となる。加藤はその男たちの威圧感に怯え続け、志村はことあるごとにさらなる圧力をかけ加藤を脅し続ける。だが、相方のすわが釈放となった途端、志村は一転オネエ状態となり突如訪れた別れを悲しんでしまう(いわゆるそっち系である)。パートナーを失った志村は、同じ独房に2人きりとなった加藤を襲い、合体する。1987年には囚人の加藤がフォークで「正」の文字を書いて留置場を出るまでの日数をカウントしていると思いきや、自分の名前である「ただし」を書いていただけだったという内容のバージョンも放送された。加藤、志村によるコント。禁煙することを決めた加藤だが、喫茶店、パチンコ屋、公園とどこへ行っても喫煙の誘惑が加藤を襲う(志村は3つの場所にて異なる喫煙者役で出演)。加藤は最後に都会を離れ自然のハイキングで気を紛らわそうと試みるが、そこにタバコを持った動物達のマペットが現れ、カエルが「タバコ一本吸ってみるか?」と加藤を誘惑する。いかりや、仲本扮する八百屋が「おいしい松茸があるよ。さぁ買った。」と町行く人々に声をかけると、大金持ちの高木と美女達が現れ、松茸を10万円で購入し、「松茸を購入した人へのサービス」としていかりやは高木にメロンをサービスする。一部始終を見ていた貧乏な男の加藤が八百屋へ現れ、いかりやに「松茸買いたい」とせがむが、加藤は松茸がどのようなものかを知らない。最初は1本1万円だった松茸を加藤が「高い」として値切り、5,000円から3,000円まで値切るが、それ以上値切ろうとした加藤に対していかりやは相手にするのを止めてしまう。すると加藤は「松茸、病気で寝たきりの女房に食わせてやりたかったなぁ…」や「明日は新聞に載るだろうなぁ。松茸が食えない夫婦、自殺ってなぁ」などと泣き落とし、いかりやが「予算はいくら?」と聞くと加藤は「300円」と答えたので、いかりやは仕方なく1本3,000円まで値切った松茸を千切り、300円分の欠片を売る。松茸の欠片を買った加藤は「おまけにメロンも頂いていきます」と言って勝手にメロンを持ち帰り、いかりやと仲本がズッコケて野菜棚がスベるというオチ。1982年には加藤が酉の市の熊手を買おうとする内容の近いコントが放送されており、志村以外のメンバーの他に山川豊等が出演した。高木を代表するコント。いかりや(黒)、仲本(赤)、高木(緑)の3人が出演する。毎回のテーマに関係なく登場していた唯一のコントで、独自のオープニングテーマ曲も作られた。3人にしては珍しいアドリブ中心のコントである。当初は雨を降らすなど「雷様」としての仕事をしていたが、回が進むにつれていつのまにか雷様である必要性のほとんど無いトーク(楽屋ネタや裏話なども含め)、高木のイカサマ手品・ギターの弾き語りなど、とりとめのない内容になっていった。高木は主役で、やりたいことを好き放題行うが、最後はバカにされてボヤき、いかりやは頼りない高木を叱りつけて、コントを切り上げようとし、仲本はそのいかりやをはやしたてる、とそれぞれに役割がある(後述のゲストがいる回では、いかりやが進行役を奪い返すのが定例であった)。当初は、相手にしてもらえない高木がふてくされて立ち去り、いかりや・仲本の座っているイス(設定上は雲)が傾き、転げ落ちた二人がボヤくオチになっていたが、のちに高木のほうが転げ落ちてオチを言うようになりこちらが定着した。いかりやはMCでいつも文句やボヤきを言い、本編でも執拗なまでにコントを終わらせることに必死だが、実はこのコントの発案者は当のいかりや自身であり、長年陰に徹した高木を表に出す時期が来た、と判断し始めたもの。事実、このコントをきっかけに雷様が高木の名物キャラクターとして認知され、高木はウクレレ教室の番組にも雷様の格好で出演するようになった。ゲストはまれに出演する程度だったが、1994年頃になると毎回ゲストが出演するようになり、公開収録コントが導入されると、このコーナーも客を入れて収録するようになる。「雷様の歌」も作られ、オープニングに流された。1995年頃には「少年少女合唱隊」が始まったため時間短縮になり、天井から物(ぬいぐるみやボールなど)が落ちてきて『さよならするのはつらいけど』が流れそのまま番組のエンディングというパターンになった。子供が雷様の格好をして最後に登場するパターンもあった。ルーツとなるコントとして、1980年に放送されたいかりやと伊東四朗による雷様(タイトルは「一風風変わりな雷様」)があり、この時いかりやは高木の色である緑色の雷様を演じ、伊東は肌色の雷様の衣装を着て、雷の意義を語ると言う内容だった。1982年にはメンバー全員による「雷軒」の店員(この時はいかりや、加藤、高木は赤色、志村と仲本は緑色だった)が繰り広げる雷の出前のハプニングというコントもあり、高木は厨房係という地味な役であった。このコーナーの初期に、高木の夫人が電話で登場した。いかりやの「奥様(雷様コントへの出演)いかがですか?」と言う問いかけに、笑いながら「嫌です。すみません。絶対、嫌です!」と笑いながら語り、高木が電話に出ると「嫌だわよ〜、絶対。死んでも嫌だから!」とこれまた笑いながら心境を語った。虫の集まりというシチュエーションの中で行われたコント。夏の害虫たちの談話(ボヤキ)や、秋の鳴く虫たちの宴会の中に、いかりやの顔を象ったマスクをかぶった仲本の演じる「長介虫」が現れ、それを見た虫たちがみんなで袋叩きにする。その後、浴衣姿のいかりやが現れると虫たちが逃げ出し、難を逃れた長介虫もいかりやに突っ込まれ退散するのだった。1回目の登場では、オチで一人になったいかりやが「俺は夏の嫌われ者じゃなくて、芸能界の嫌われ者だよ!自分で言ってたら世話ないよ…」と自虐的なセリフを言い放った。2回目の登場では体臭が強烈で放つオナラを浴びると粉まみれになることが判明したが、オナラの被害者はいなかった。3回目は加藤が演じたが、このときは蚊の集まりという設定で、志村ら他の蚊たちが血を吸った人間の物まねを披露したが、最後に加藤の扮するいかりやの血を吸ったという蚊がいかりやの顔のマスクをかぶって出てくる、というものだった。『水戸黄門』の徳川光圀に扮したいかりやと志村が様々な事件に巻き込まれ、悲惨な目に遭わされるコント。同題のドラマのパロディコント。1984年に放送。石川演じる町娘が「聞けば江戸に仕事人がいるとか…」と依頼を行い、仕事人の2人(志村は三味線屋の勇次、加藤は飾り職人の秀に扮している)が仕事を行う。1度目は無事に成功したが、2度目は加藤がかんざしを自分の手に刺してしまう(その際、加藤は初期のギャグである「痛いの痛いのとんでけ〜」を使用した)。3度目は志村が三味線糸で畳をひっくり返してしまう。4度目は加藤と志村が猛烈な雨と風に巻き込まれ、ビショビショになる。1987年に放送。加藤、志村、松本の仕事人3人組が10枚の小判を均等に3等分するはずが、3人とも自分の取り分を多く取ろうとして残り2人から突っ込まれる。この番組内で多く制作されたコントの一つで、メンバー同士が夫婦を演じた物もあるが、志村と女性ゲスト(研ナオコ、小柳ルミ子、松田聖子、松本伊代等)によるものが特に多い。研とのバージョンは口喧嘩(給料日に麻雀のツケの支払や、飲みに行って給料のほとんどを使い込んだ事等を志村が研にとがめられた事から始まり、その際のお決まりのセリフは志村が「俺の仕事は報道関係だ!」と言えば研が「報道関係、報道関係って新聞配達が報道関係か!?」。この展開のコントは後に「だいじょうぶだぁ」でも放送された)がエスカレートしていく物が多く、お互い顔にメイクをしたり時には研が○○○そっくりのおもちゃを付け、志村を驚かす場面もあった。最終的には夫婦がそろって疲れはてるというオチが多かった。研がやたらと「な・ま・た・ま・ご」を連呼するバージョン(後に「バカ殿様」等でも行われている)や、研が観葉植物やペット等の趣味を日常生活に持ち込んで志村を困惑させる内容のバージョンもある。志村と堀ちえみによるバージョンでは堀が段取りやセリフを忘れたり、志村がそれに対し「お前何かセリフ忘れてない?」と言うなど、この番組にはめずらしくアドリブの笑いが垣間見られた。全身タイツを纏ったブリーフ派の志村とさるまた派の加藤がどっちの下着がいいのかということについてお互いに水掛け論を展開し、いかりやにジャッジを求めるが「私はふんどしだ」とふんどしを見せられ2人は脱帽する。1985年には突然ふんどしをはいた高木が現れて「やっぱりふんどしが一番だな」と言って去っていき、加藤と志村が不気味がるというオチのバージョンが放送された。前者のバージョンはホットコーヒー(加藤)VSアイスコーヒー(志村)版と併せて放送されている。仲本が主演のショートコント。仲本が様々なシチュエーションの中で、真面目にストーリーを進行させようとするが、物事の些細なつまづきからどうにも先に進めぬまま悪戦苦闘がエスカレートし、最後は大きくズッコけてオチがつく。唐突に割り込んできたいかりやに叱られてオチがつく場合もある。いずれの場合も、身体能力の高い仲本ならではの大仰な動きやリアクションが特色で、無意味に煮詰まっていく展開の滑稽さをより際立たせている。正式名「名作トンネル」。汽車に乗車中、トンネル通過中に車内が真暗になり、他人のお弁当、酒、菓子などが誰かに食べられたり飲まれたりしているコント。初出は1979年に放送された「乗り物」がテーマの回で明治時代末期(タイトル:長介・清の三等列車トンネル旅行)、汽車に乗車中の東京へ向かう裕福な男をいかりや、その丁稚で東京に行く少年を前川清が演じたもの。前川がいかりやの駅弁とお茶を列車がトンネルに入る度に食べたり飲んだりしていた。最初はいかりやが前川にあげようとしたが断わられ、怪しいと思い、勝手に飲み食いした犯人を問いただしたが「知らない」と答えた。さらに次にトンネルを通過した際にはいかりやの着ていた服を盗んでそれを前川が着ているというオチだった。別バージョンのコントもあり、電車に乗車中、由紀さおり演じる女性客をヤクザ(いかりや)がナンパしているのを正義感の強い男性客(志村)が止めようとするも、トンネル通過中にボコボコに殴られてしまう。最後はトンネルの通過中にいかりやも由紀にボコボコに殴られる(その際、由紀は自慢の刺青を披露していた)。いかりやと仲本演じる紳士と女性ゲストが端々でズッコケつつも心温まる交流をするが、何気なく仲本が窓を開けると強風が吹き込んで大変なことに。いかりやと仲本は往年の喜劇俳優・マルクス兄弟を参考にしており、いかりやはグルーチョ・マルクス、仲本はハーポ・マルクスにそっくり。風が吹き込んでからのリアクションはバスター・キートンの影響がある。この他にもドリフではいかりや&仲本によるチャップリンの短編『給料日』や、加藤&志村によるマルクス兄弟の『我輩はカモである』にある「偽鏡」のシーンや、チャップリンの『モダン・タイムス』、ローレル&ハーディの『ビッグ・ビジネス』などを元ネタにした喜劇映画のパロディコントを作っている。初期の頃は前述のサイレントムービーで、船や電車に乗っているいかりやと仲本の演じる詐欺師兄弟が美人にアプローチするコントであったが、後に進化して「ばか兄弟」(最初のうちはアホ兄弟やプッツン兄弟など名前が多数あったが、最終的に「ばか兄弟」で落ち着いた)コントとなった。ストーリーは、あんちゃん(いかりや)が弟(仲本)の住んでいる一軒家(元々は秘密ニセ札工場であった)にやって来るところから始まる。家に入るには2人にしか分からない合言葉やクイズの答え、弟が歌う歌の歌詞の続き(全て毎回変わる)を言う事が必要である。一時期は家が洋風で兄弟はオーバーオールを着ていた「おめでた兄弟」と言う名称もあった。弟の色々な質問に対し、あんちゃんが年上ぶってめちゃくちゃなことを答え、弟が「あんちゃん頭いいなぁ」と本気にするのが主流。典型的なツッコミタイプのコメディアンであるいかりやがボケを担当する、大変貴重なコントである。2人ともおそろいのつなぎ(いかりやは赤色、仲本は黄色)を着ており、あんちゃんは口ひげを生やしているが会話は小学生レベルなので2人とも年齢不詳である。あんちゃんは1989年の夏頃から左肩にハート型の風船を付けるようになった。本人によると「唯一無二の親友」で、「ミスターバルーン」という名前。登場初期は「くっつき野郎」とも呼ばれていた。あんちゃんの身振り手振りが激しい為に収録中彼の手足がもぎ取れることがたびたびあり、それをネタにしたことすらある。コント終わりの際、彼の手のみがあんちゃんの肩にくっついているという哀愁漂う場面もあった。最終的には手足が透明テープで補強され、もぎ取れることはなくなった。タイトルとしては「ばか兄弟」のほかに、「バカ兄弟」、「ばカ兄弟」など数パターン存在した 。いかりやと仲本が親子に扮したトークコント。儲かっているのか儲かっていないのか分らないおでん屋の屋台をしている親子がトークを行う。上記の「ばか兄弟」終了後に放送された。なぜかいかりや、仲本の頭と屋台に無数のフラッシュが付いていて、点滅している。オネショをした子供の仲本が、酒飲みな父親のいかりやに折檻を受けて泣きながら復讐を決意。その方法として水鉄砲に味噌を入れていかりやの尻に注入し、脱糞したように見せかけた。その後、脱糞したと勘違いして泣き出したいかりやに束ねたチリ紙を差し出す。1995年に5回行われたいかりやと仲本のコント。初期のタイトルは「ふ〜んそれで…」だったが、途中からサブタイトルであった「長介・工事 親子の会話」へ変更された。「眠れないから、何か面白い話して!」とねだる仲本の演じる子供に対していかりやの演じる父親が「じゃあ肩叩け」と言い、仲本が喜びながら「1・2・3・4・5・6・7・10!」と3回くらいとばして肩を叩きいかりやの話を聞く。いかりやが嫌々ながらもとんちを効かせた様々な小話をするが、仲本は「それで?」と全く理解を示さずいかりやを困らせる。そんな仲本に対して最後はダジャレを言うと仲本は大笑いし寝床につくが、その後いかりやは仏壇のおりんを一回鳴らして「俺はあんな子に育てた覚えはない」、「それじゃ、笑いに進歩がないでしょう」などとぼやき、暗くなった部屋の中でその場に泣き崩れてしまう。タイトル変更後は後述する「少年少女合唱隊」コーナーのスタートによる影響もあり、いかりやが小話はせず、ダジャレを2〜3個続けて言うのみの設定に変更されている。1977年、「旅」がテーマの回で放送された。田舎から上京してきたハゲ頭キャラの加藤が、初めての都会のホテルに泊まるコント。このコントは都会のホテルを紹介して学ぶと言う趣旨の内容だった。1980年には客役の加藤とボーイ役の仲本によるマナー編の流れをくむコントも制作されており、マナー編と同様の注意を受けた加藤がバイクで部屋を出るオチとなっている。末期にいかりやが指揮者に扮した楽団「ドリフ大爆笑オーケストラ」によるクラシックのコンサートが行われ、回によって弦楽器の曲や管楽器の曲が演奏された。コーナーのコンセプトは「音楽に国境はない。音楽は国と国とを結ぶリボンである」。仲本がハイドンの遠い遠い末裔のヨーイドンに扮する。笑いはなかったがたまに高木が出て笑いをとる時があった。「ズーズーベン」(ベートーベンを大変に尊敬しているという設定)という東北訛りのフルート奏者(本名不詳。主に東北地方を中心に活動しているとのこと)が演奏の他、指揮者のいかりやに曲や楽器の解説をしていた。指を8本使うフルートと3本しか使わない楽器のギャラが変わらないことを不満に思っている。ズーズーベンはいかりやに東北訛りを指摘されると「んだ、これはひょうずんご(標準語)だ」と東北弁丸出しで否定した。指揮者役のいかりやは小泉純一郎の髪型そっくりの鬘をかぶっていた。番組開始当初から1983年まで行われたコントで、「歌」、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、「旅」、「恋」、「道」、「別れ」、「乗り物」がテーマの回にて行われた。テーマに関係がある歌をコントにしたもの。他に「映画のよくある名シーンを音楽を替えたら」や、「日常生活に使われている音楽と効果音を別の音楽と効果音にしたら」、というコントも行われた。前身番組である『ドリフの昭和大爆進』で行われたコント。戦後に流行したラジオの「のど自慢大会」で、いかりやが司会兼審査員。アコーディオンは横森良造。他の四人は以下の設定で登場。志村と加藤のコンビ(女性ゲストを加わえた3人による回もある)で、片方が居眠りをするともう片方が様々な方法で起こすことをやり合っていく。最初は素手で殴ったりするが、一斗缶、げんのう(木槌)、洗濯ばさみを目蓋や唇につけて一気に引っ張る、水、風船、ドラム缶(鈍器)、バズーカ砲、ダイナマイト…と、だんだん方法が過激になっていく。そして最後は両者ともボロボロになってオチがつく。受験勉強、国会、交通誘導員など、様々なシチュエーションがある。志村の場合は例によって、起きているふりをするため目蓋に目を描いていることがある。また、志村は受験勉強編などで、高木の居眠りの真似をする。1977年、「初体験」がテーマの回ですわ等当時のドリフターズの見習いにより行われたコント。すわは鞍馬天狗役、その他のドリフターズの見習いは鞍馬天狗と戦うヤクザとして登場した。内容は鞍馬天狗が抗争相手の親分の屋敷を訪れるが、「鞍馬天狗だけど、おトイレ貸してくれない?」とだけ言ってオチになるというものであった。いかりやは最初の紹介と最後の「まだまだ見習いですがよろしくお願いします」という挨拶のみを行ったが、挨拶の際、鞍馬天狗を演じたすわも再び出てきて「私はこれから頑張るからね〜!」と言った。志村と加藤が博士になって薬を直接体内に入れる方法を考えるが、どれも想像を絶するアイデア(志村が薬を飲み、直後に2人が管をくわえて口から口へ移す、ところてんを出す道具を使う)であった。最後は「自転車の空気入れに薬を入れ、空気を入れる部分を肛門に刺して注入する」と言うアイデアを行った結果2人はオカマになってしまい、その状態のままフォー・ビューティフル・ヒューマン・ライフをしてオチとなる(この回の提供の部分はイチジク浣腸だった)。1992年に6回放送された、いかりや扮するコント博士がコント演技についていろいろ視聴者に向けて伝授をする内容のコント。金だらい、白い粉などコント用品も使って面白おかしく説明する。1度だけ「全員集合」のバンドステージのデザイン(1975年後期〜1985年の最終回で使われていたもの)の一部分が登場したことがあった(舞台セット転換での伝授の際)。なお、いかりやが登場するときは、鮎川誠扮する人造人間(フランケンシュタイン)が登場していた当時のフジテレビのCMで流れた「ホマホマホー」というBGMが使われていた。1993年にはタイトルを「長介のおもしろコント研究室」に変更し、「ごきげんよう」風にサイコロを使ったコントの実験等を行った。ラストはコント博士が「またこんとーっ」とご挨拶するのがお約束。客役で志村、ホステス役で加藤、仲本が登場するコント。客を独り占めしようとするホステス達。しかし、その争いで一番のダメージを受けたのは志村扮する男性客だった。このコントは後にクリスマスのキャバレーと言う設定でリメイクされ、仲本の代わりに高田みづえが参加している。大学進学のため田舎から東京に出てきた青年(加藤)が繁華街を歩いていると、キャバレーの呼び込み(仲本)に「今日入った若い女の子いるよ。1時間3千円でどう?」と声を掛けられためらいもなく入ろうとするが、偶然前客の見送りに出てきた新人の女の子というのはブサイクな女(高木)であり、逃げるようにしてその場を後にする。それを見ていた別の呼び込み(志村)は「今の店高いだろう?おまけに何だあのブスは!それよりもウチは朝まで1万ポッキリ。どう?」と声を掛けてくる。さすがに学生でお金が無い青年は「もっと安くなりませんか」と交渉すると、5千円に下がり、そして千円まで下がった途端迷わず即決する。別のキャバレーだと思い込んで連れて行かれた先は親方(いかりや)が待つ建設会社だった。呼び込みは青年に「(日当の千円を)前金で払っとくから朝まで徹夜作業がんばってな」と言って千円札1枚を渡すと、青年は断る余地もなく他の職人たちとそのままトラックの荷台に乗せられ工事現場へと連れて行かれてしまう。加藤、志村によるコント。師匠の志村になかなか剣の実技を教えてもらえない弟子の加藤は、「スキがあらばいつでもかかってこい」と言う志村の隙を見て殴りかかろうとするが全て見切られてしまう。そこで加藤は背後から打ち込む等姑息な手段で志村から一本を取るが、志村は「武士道で○○をしてはならぬわ」等と言って一本取った事を認めようとしない。後に2度リメイクされており、1982年版では何とか一本取った加藤に志村は真剣白羽取りを伝授する事にしたが、加藤が上手くできないので外に出て冷水をかぶる精神修行を行わせる事にする。だが、冷水を引き上げようとした井戸から幽霊が出てきたので2人とも逃げ出してしまう。最後に2人は真剣を使った対決をするが、斬り合った結果(合成により)2人の首が飛んでオチとなる。1987年版では志村が途中でジャンプして加藤の攻撃を避けた際に足を痛めてしまった事を告白した。志村、仲本によるコント。指導時間の2時間が経ち帰ろうとする家庭教師役の志村を、学生役の仲本が物を投げたり蹴りを入れたりして引き止め分からない問題を聞く。時間が経ったのに引き止められる上に仲本があまりにも問題を解くことができないことに志村は苛立ちを感じ、「勉強は体で覚えるものだ」という信念のもとに教科書で頭を叩いたり、ビール瓶で殴ったりとその教え方がどんどん過激になっていき、最後は拳銃で撃たれて仲本が息絶えるというオチ。吉備団子の食あたりで死んでしまった桃太郎(仲本)の葬式を、いかりや扮するおじいさんと夫人(小林幸子)が施す。そこへ浦島太郎(加藤)、乙姫様(由紀)、金太郎(高木)、かぐや姫(岩崎良美)が弔問に駆けつける。最後に四谷怪談のお岩に扮した志村が現れたが、いかりや等に怖がられたので「桃太郎さん、あたしそんなに怖いですか?」と桃太郎が眠る祭壇に言うと桃太郎が突如生き返り、「怖いですよ〜!」と絶叫する。かぐや姫の代わりに花咲か爺さん(沢田研二)が弔問に駆けつけて「明るい葬式にしよう」と試みるバージョン(このバージョンでは吉備団子の食べ過ぎが桃太郎の死因になっている)もあり、前述のバージョン同様お岩が現れて大騒ぎになる。最後は騒音に耐えられなくなった桃太郎が「やかましーい!」と、祭壇から顔を出してオチとなる。戦前の農家が舞台で、高木(夫役)の演じる故人が入った棺桶に、親族役の加藤(長男役)と志村(妻役)が「故人の好きだった物」と称してとんでもない物を入れていき、最後はそれに耐えかねた高木が生き返って棺桶を飛び出してくる。世話人役は仲本。加藤と志村は、最初のうちは高木の遺物などまともな物を入れるのだが、これが大根やみかんなどの食べ物になり、次第に蕎麦、ところてん、納豆、鍋に入ったカレー、うなぎ、ザリガニ等とエスカレートしていき、最後は酒と称して天井から滝のように水が降り高木が生き返るというのがたいていのオチである。他には、葬儀執行者の仲本が無理やり棺おけに蓋をしてあまりの気持ち悪さに高木がアドリブで生き返り、テレビ画面に「いかりやバカヤロー!」と憤慨するパターンもある。後に『志村けんのバカ殿様』でこのコントがリメイクされた際は、上島竜兵が高木の役を演じた。このコントで大塚食品のボンカレーを使用したため、同社はスポンサーを降板している。なお、このコント初期は加藤が故人の役を演じており、高木は隅っこにいた。伊東四朗(小松政夫や加藤のバージョンもあり)が幼馴染みと称して葬儀の後にひょっこりと現れ、故人とのエピソードを語りながら食事をするが、喪主(奥さん役)のいかりやが疑いだし、小学校の恩師の話で「芸者をはらませ認知しろしないと大騒ぎだった」と語ると、いかりやに「恩師は立派な方です」と言われ逆に怒る。「そんなに疑うんなら旦那さんに聞いてみればいいじゃないですか」とまでいうので、いかりやが「あなた〜」と話しかけると、棺おけの中から旦那(仲本)が起き上がって「わしゃ、知らんぞそんな人」と返事してきて、最後に「このお通夜荒らしが!」といかりやに突っ込まれオチとなる。小松版の収録時に稽古が長かったらしく、仲本が棺おけの中で座布団を敷いて寝ていた所、いつのまにか本番になっており肝心のせりふに間に合わず、無反応でいびきが聞こえコントを台無しにしてしまった。いかりやは「もう、眠っちゃうんですよ〜!」と絶叫していた。このこともあり、総集編では小松版がたびたび取り上げられている。正式なタイトルは不明だが、この番組でしばしば行われたコント。志村と加藤がある仕事のコンビを組んでいて、志村が相棒の加藤に「〇〇(仕事道具)持ってこい」と命ずるが、加藤は見当違いなものばかり持ってきて、その都度志村に殴られてしまう。加藤と仲本がペンキ(仲本は白、加藤は黒のペンキを使用)の塗りあいをするサイレントムービー風コント。1985年にはいかりやと仲本が日曜大工をしている所に高木が雷様の衣装で現れ、「今日は日曜じゃなくて火曜だよ(ドリフ大爆笑が火曜に放送されていたため)」と言うバージョンが放送された。いかりやと加藤が強盗をするコント。加藤と仲本のバージョンもある。オチの例は以下のとおり。いかりや、加藤、仲本によるコント。受験生(仲本、加藤)とその親(いかりや)が合格発表を見るが不合格。「また来年がある」と言い、再度合格発表を見るのを4〜5回繰り返すうちに2人がどんどん老け込んでいくというパターン。また別パターンで、進学塾の塾長・講師として合格発表に赴き、合格者番号でビンゴゲームを行う回もある。「全員集合」で放送されたものとほぼ同じ。「全員集合」で放送されたものとほぼ同じで、朝起きたばかりの男(志村)が家電製品を使おうとして悲惨な目に遭う。志村と加藤がかごかきをし、仲本が客を演じる。「全員集合」で放送されたものとほぼ同じ。藤あや子が客を演じたバージョンもあり、加藤、志村、藤の3人が強風と雨に遭遇した後、雷の直撃を受けて真っ黒になってしまう。志村と仲本が橋渡し役で、加藤が客を演じるが松本伊代が客役の回(この回では仲本ではなく加藤が志村の相棒役だった)もある。「事情があって濡れたくない」にもかかわらず客役がいろいろな運送手段でもみくちゃにされていく。お決まりは、最初に客が「下」のコースを注文すると荷物のみの運送(客は運送しない)、「中」のコースを注文すると客に竹馬を渡してそれで川を渡ってもらい、荷物のみを運送するパターンであった。その後、おんぶになったり肩車になったりと運送方法が発展していく(その分、客に別料金を請求していた)。花嫁の父親(いかりや)は娘の結婚式の日

出典:wikipedia

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