新小平駅(しんこだいらえき)は、東京都小平市小川町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線の駅である。当駅は小平市内に唯一存在するJR線の駅である。武蔵野線の本線のほか、旅客駅より西国分寺駅側で中央本線国立駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が分岐している。この支線は主に貨物列車が走行するが、一部「むさしの号」や「ホリデー快速富士山号」などの旅客列車も経由する。2つのトンネル(小平トンネル、東村山トンネル)の間に挟まれた掘割の中、相対式ホーム2面2線を有する。駅舎は小平トンネルの上の地上にある(半地下構造)。駅本屋の施工は鹿島建設による。JR東日本ステーションサービスが業務を受託する業務委託駅(西国分寺駅の被管理駅)。なお、みどりの窓口は2012年6月30日をもって営業終了した。自動改札機、指定券券売機設置駅。2015年9月30日より、この両トンネル内で携帯電話が使えるように整備された。2015年度の1日平均乗車人員は11,429人である。武蔵野線内26駅中25位である(最下位は2011年度末に開業した吉川美南駅)。近年の推移は下記の通り。この年は8月から記録的な長雨が続いており、近接する所沢アメダスの積算降水量は8月が394mm(観測史上8月として6位)、9月が447mm(観測史上4位、9月として2位)であり、10月も台風21号の接近に伴い活発化した前線により事故前日で既に200mmを超えていた。このため、9月半ばにはホーム北(新秋津側)の壁面から地下水が噴出し始め、10月11日朝から接近した台風21号による大雨(所沢の24時間積算雨量95mm)により23時45分頃 ホーム北側と線路を含むU字形構造全体が120mにわたって最大1.3m隆起し、擁壁継目には最大70cmの開口部が生じ、土砂混じりの地下水が大量(復旧時の計測で8t/分)に流入、駅全体が冠水しただけでなく周辺で陥没が発生し、近隣住民が避難するに至った。その後、多数の水中ポンプにより排水を試みるが流入量に全く追いつかず、地下水位を下げるため被災部周辺に深井戸8本を掘り、8t/分を下水道放流したがこれでも不十分だった。このため深井戸を19本(15t/分)に増強し、放流先も2km離れた空堀川へ変更された。11月半ばに地下水位が下がると工事は本格化し、12月11日に全面復旧された。当初6ヶ月を要すると見積もられたが、武蔵野線が鉄道貨物輸送の大動脈である点から24時間体制の急ピッチで進められ、約1ヶ月で完工した。この事故によるJR東日本の被害額は、35億円に達した。新小平駅は南北を長いトンネル(東村山トンネルと小平トンネル、ともに延長4km程度)に挟まれたU型RC構造の半地下式の駅で、関東ローム層下の武蔵野礫層上半分に食い込んでいる。武蔵野礫層には西から東へ伏流水が流れていて、その地下水位は降水の影響で大きく上下する事が判っている。事故当日の地下水位は地表下3m以上まで上昇し、これは75年程度の再現確率と見られている。この南北方向の路線がダムのように作用して伏流水を堰き止め、上昇した地下水位の浮力によって土被りが無く浮き上がりに最も弱かった駅北側が大音響とともに一瞬で破壊に至った。深夜のため列車や乗客に被害は出ず、大惨事には至らなかった。9月半ばから下りホーム(伏流水上流側)北側の擁壁継ぎ目から水が噴出し、場所によっては線路まで届くほど激しくホームを歩くだけでもかなり危険を伴う状況が続いていたが何ら対策はされず、結果事故は発生している。異常な予兆を無視し続けた点は、駅の構造設計の不備と併せて当時の報道でも度々指摘されており、人災の側面が非常に強い事故とされている。復旧にあたっては、地下水位が地表面付近に達しても耐えられるような強度計算を行っている。浮力に対抗する、武蔵野礫層を貫通するアンカーを打設し、擁壁には水抜き用開口部と排水設備を設け、歪みセンサを設置した。また、地下水位を下げた後も1m近い隆起が残ったため、駅北側のU型RC構造の底部を切除してスラブ軌道からバラスト軌道に変更して修復された。このため、擁壁を支える肋骨のような鉄骨構造が追加されている。ホームを含め駅構造物の大半は設置し直されたが、一部設備は現在も傾いている様子を見ることが出来る。なお、新小平駅南側には小平トンネルより長い国立支線のトンネルがあり、伏流水上流側の国分寺市西恋ヶ窪の住宅街では床上浸水など洪水騒動が頻繁に発生して地域住民を困らせていたが、新小平駅の水没事故にともないJRもようやく重い腰を上げて伏流水への対策に取り組むようになり、こちらの洪水騒動も収まった。復旧までの二ヶ月間、武蔵野線は東京・新習志野~新秋津と西国分寺~府中本町の折返し運転となり、新秋津~新小平~西国分寺はバス代行となった。しかし経由する府中街道沿いは久米川や恋ヶ窪など慢性的な渋滞が続く細い迂回路しかなく、ひと駅に1時間前後を要する状態だった。このため、徒歩で秋津駅に向かい、西武池袋線で所沢駅、西武新宿線で東村山駅、西武国分寺線で国分寺駅、JR中央線で西国分寺駅へ至る迂回経路を利用する乗客も多かったが、。また、振替乗車や代行バスを走らせているとして定期券・回数券の延長措置は行わなかった。新秋津駅の新小平側には西武池袋線(秋津駅 - 所沢駅間)との連絡線があり、国分寺駅でも西武国分寺線とJR中央線の連絡線跡があったが、いずれも西武鉄道による振替輸送は行われなかった。また、迂回経路となった新秋津駅と西武線秋津駅間に不通期間限定で臨時通路を設置する案が計画されたが、恒久設置となることをおそれた地元商店会からの反対により頓挫した。一方、貨物輸送は山手貨物線や八高線等へ迂回されたが余力は限られ、経由する中央線、常磐線、総武線にも制約があった。このため、当時武蔵野線を走っていた113本の貨物列車のうち28本が連日運休し、その他はトラック輸送で代替した。また、玉突き的に広範囲の路線が影響を受け所要時間も大きく延びるなど十分に代替できず、産業界からは早期復旧が強く要請された。
出典:wikipedia
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