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ロング・アイランド (護衛空母)

ロング・アイランド(USS Long Island, AVG-1/ACV-1/CVE-1)は、アメリカ海軍の航空母艦であり、「護衛空母」という艦種としては最初の1隻のひとつである。艦名はアメリカ合衆国本土では最大の島であるロングアイランド島に因む。アメリカ海軍籍としてはその名を持つ艦としては2隻目である。主として運用実験や訓練に使用され、アメリカ海軍離籍後も民間船として長期間にわたり使用されている。イギリス海軍は第二次世界大戦の開戦直後からドイツ海軍潜水艦の襲撃に悩まされ、客船を小型空母に改造する護衛空母オーダシティ(HMS Audacity)を計画していた。また同時期にフランクリン・ルーズベルト大統領は海軍作戦本部の作戦部長ハロルド・スターク海軍大将に船団護衛を目的とした商船を改造した小型空母の建造を提案し、アメリカ海軍は貨物船を護衛空母に改装して、これのテストを試みた。イギリスでの護衛空母オーダシティの実績やロング・アイランドのテスト結果から、このような小型空母でも対潜攻撃だけでなく防空にも使えることを確認し、ロング・アイランドの運用実績は後に建造される護衛空母の基礎となった。艦はペンシルベニア州チェスターのサン造船ドライドック社で海事委任契約の下、C3型の規格型貨物船モーマックメール(Mormacmail)の艦名で1939年7月7日起工し、1940年1月11日にディアン・B・ホールトによって進水、商業路線に投入された。翌1941年3月6日に海軍に買収され護衛空母に改装、1941年6月2日に初代艦長ドナルド・B・ダンカン大佐の指揮下、「ロング・アイランド(AVG-1)」として就役する。日米関係が緊張していた数ヶ月間にロング・アイランドは、護衛空母による航空機運用の可能性を実証する実験を行うため、バージニア州ノーフォークを出航した。12月8日、太平洋戦争の勃発時、ロング・アイランドはニューファンドランドで商船団を護衛していた。1942年5月10日、アメリカ西海岸へ向けて出航する前にノーフォークでパイロットを乗艦させ、6月5日にサンフランシスコに到着する。ロング・アイランドはニミッツ提督の太平洋艦隊に配属され、ウィリアム・S・パイ海軍中将の戦艦4隻に同行した。また、太平洋戦線ではミッドウェー海戦で勝利を収めた機動部隊の航空援護を行った後、第2次ソロモン海戦の最中にガダルカナルの戦いで日本軍から奪取した直後のヘンダーソン飛行場に初の基地航空部隊となる海兵隊2個飛行中隊の輸送に成功している。その後、ロング・アイランドは1942年9月20日に太平洋戦線を離れ、パイロット養成訓練を再開するため西海岸へ帰投した。1946年3月に退役後、しばらく予備役になったが、1948年3月にパナマの会社に売却された。ロングアイランドは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。1948年3月にパナマの会社『カリビアン・ランド&シッピング』が買い取りC3型貨物船に復元。船名は『NELLY(ネリー)』に改められ、アメリカ合衆国とイタリア間の不定期航路に使用された。翌1949年に移民船に改造。イタリア及びオランダからオーストラリア又はカナダへの移民客を運ぶのに使われた。移民船としての運用が一段落した後、クルーズ客船に再改造され『SEVEN SEAS(セブンシーズ)』に船名を改め、北大西洋航路で運用された。その後、『ヨーロッパ・カナダライン』に売却され、引き続き北大西洋航路で使われた。1963年からは、洋上大学としても使われることになった。その後、老朽化により、1966年9月に船舶としては退役した。退役後は、オランダのロッテルダム大学で寮として使用され1977年5月に使用を終了。ベルギーで解体された。

出典:wikipedia

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