南沙諸島(なんさしょとう)またはスプラトリー諸島 (Spratly Islands) は、南シナ海南部に位置する。岩礁・砂州を含む無数の海岸地形からなり、これらの多くは環礁の一部を形成している。本来、構成される海岸地形のうち最大のものでも陸上面積が約0.5 kmしかない。しかし広大な排他的経済水域 (EEZ) や大陸棚の漁業資源や石油・天然ガス資源を当て込み、また安全保障上の要地として利用する目的で、中華人民共和国、中華民国(台湾)、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが海岸地形全部または一部の主権(領有)を主張している。現在は、ブルネイを除く5か国(中華民国を含む)が入り乱れて複数の岩礁・砂州を実効支配しており、その多くには各国の軍隊・警備隊などが常駐している。中国は南沙諸島、中沙諸島、西沙諸島、東沙諸島を総称して南海諸島と呼び、その全域の主権(領有)を主張している。中国が主張する境界線は、その線の数から「九段線」、その線の形から「U字線」あるいは「牛舌線」と呼ばれている。また幾つかの岩礁・砂州は埋め立て・浚渫により人工島が形成されている。特に中華人民共和国による埋め立て・浚渫は大規模なものであり、貴重なサンゴ礁およびそこに生息する海洋生物など自然環境の不可逆的な大破壊が懸念されている。中国政府は、二千年前の『異物志』(後漢の楊孚の著)に基づいて「漲海崎頭」(南海諸島もしくは南シナ海沿岸地形)を中国人が発見したと主張している。しかし、その約200年後の『南州異物志』(呉 (三国)の萬震の著)には、「外徼大舶」(外国の大船)が「漲海崎頭」を発見したと記載されており、中国の南海研究院院長・呉士存が自著『南沙爭端的起源與發展』(2010年)で引用した「外徼大舶」が、英訳本では「boats used by foreigners」と訳されている。明・清の官修地誌では、領土の最南端は海南島とされており、南沙諸島は清の領土線の外であった。官修地誌以外の民間著作でも、清の中晩期の『南洋蠡測』(顔斯綜の著)中に「萬里石塘」の記載があり、「此の塘を以て華夷中外の界を分かつ」と記述されている。境界線の位置は海南島の南の西沙諸島付近であった。また清の乾隆年間の『吧遊紀略』(陳洪照の著)では、海南島付近と推定される「七州洋」を「中外之界」としている。清仏戦争後、フランス領インドシナとしてベトナムを植民地支配していたフランスが、1930年からいくつかの島々を実効支配し、1933年4月にフランス軍が現在の太平島を占拠し、日本人を退去させる。ベトナム南部の総督M. J. Krautheimerが、同年12月21日に4702-CP号政府決定により、当時のバリア省の一部とする。1935年4月フランスが30人のベトナム人を太平島に移住させる。1945年の日本の敗戦以降、空白となった南シナ海の島々をフランス軍はいち早く占領したが、ベトナム内戦の影響ですぐに撤収する。1907年に日本漁船が現在の太平島付近で操業を開始し、1929年4月に日本人が太平島での硫黄採掘事業を開始した。世界恐慌の影響を受け間もなく採掘は中止となり、日本の業者は離島する。1933年4月にフランス軍が太平島を占拠し、日本人を退去させる。1935年に平田末治と海軍省、台湾総督府が協力して開洋興業株式会社を設立。1936年12月に開洋興業が太平島で硫黄採掘調査を実施。1938年にフランス軍やベトナム漁民を追い出し占領した日本が領有を宣言し、「新南群島」と命名する。1939年(昭和14年)3月30日付の台湾総督府令第31号により、新南群島が大日本帝国の領土として、台湾高雄市に編入される。1945年の第二次世界大戦終結まで日本が支配を続ける。1939年の台湾総督府告示第122号による新南群島中における主なる島嶼は、北二子島、南二子島、西青島、三角島、中小島、亀甲島、南洋島、長島(後に中華民国が太平島と命名)、北小島、南小島、飛鳥島、西鳥島、丸島である。資源開発としてリン鉱石採取の従事者が在住していたが、戦火の拡大により撤退し、終戦を迎える。戦後の日本国政府の見解は「第二次大戦後の日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり、カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について、最終的な法的効果を持ち得るものではない。」との立場をとっている。1952年(昭和27年)発効のサンフランシスコ平和条約の第二条では、新南群島(スプラトリー諸島)・西沙群島(パラセル諸島)の権利、権原及び請求権の一方的な放棄をすることを決めたのであって、放棄後どの国に帰属するかは取り決めていない。その後に発効した日華平和条約においても、その第二条では新南群島および西沙諸島に関する権利、権原および請求権の一方的放棄を決めたのであって、放棄後どの国に帰属するかは取り決めてはいない。また同条約第三条の規定は、台湾及び澎湖諸島に適用されるものであり、新南群島および西沙諸島は含まれない。(サンフランシスコ平和条約、日華平和条約の全条文を参照されたい。)1945年に主権回復を宣言する。中華民国政府は「太平号」など4隻の軍艦を派遣して、1946年末までに主だった島々の占領を終え、測量も行って「南海諸島位置図」を作成する。その後の中華民国(台湾)は、南シナ海は「中華民国の領土」との位置づけは変えずに、軍用空港を有する太平島(南沙諸島の北部に位置する南沙諸島最大の島でティザード堆の一部を形成。高雄市の一部として実効支配)と東沙諸島(実効支配)の現状維持に徹して、中国のように新たな島の占領などは行っていない。1949年に一部の領有を宣言する。1994年に排他的経済水域に関する規定が定められた国連海洋法条約が発効すると、中沙諸島のスカボロー礁周辺海域の管轄権を主張した。2009年には「領海基線法」を制定し、南沙諸島の一部の島・礁(太平島を含む)および中沙諸島のスカボロー礁を正式にフィリピンの領土とした。フィリピンは、南沙諸島において滑走路を有するパグアサ島 (中業島)はじめとする島や砂州を10か所近く実効支配している。数においては、ベトナム、中国に次ぐ3番目である。1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が領有権を放棄した後、1956年10月22日に南ベトナム政府が143/NV号大統領決定により、バリア省の一部と併せフックトゥイ省(Phước Tuy省、1956年 - 1975年。現在のバリア=ブンタウ省)とする。1953年中国は、中華民国の「十一段線」のうち、当時は関係が良好であった北ベトナム付近の2線を削除し、新たに「九段線」とする。1958年には「領海宣言」を出し、南シナ海の島々を含めた海域の領有を宣言する。1973年9月に南ベトナムが、再度フックトゥイ省への編入を宣言したことに対し、翌1974年1月に抗議声明を出して領有権主張を本格化させていく。1974年1月に西沙諸島の領有権をめぐり中国と南ベトナムが交戦し、西沙諸島の戦いが勃発する。この戦争に勝利した中国は西沙諸島を領有する。1988年、中国は西沙諸島に2,600メートル級の本格的な滑走路を有する空港を完成させ、南シナ海支配の戦略拠点とし、同年には中国軍がベトナム支配下にあった南沙諸島(スプラトリー諸島)にも侵攻する。1988年3月14日、南沙諸島における領有権をめぐり中国・ベトナム両海軍がジョンソン南礁(中国名:赤瓜礁)で衝突。このスプラトリー諸島海戦(中国名:赤瓜礁海戦)で勝利をおさめた中国が、赤瓜礁(ジョンソン南礁)、永暑礁(ファイアリー・クロス礁)、華陽礁(クアテロン礁)、東門礁(ヒューズ礁)、南薫礁(ガベン礁)、渚碧礁(スビ礁)と名付けられた岩礁または珊瑚礁を手に入れる。ブルネイは、1993年からマレーシアが実効支配している南通礁(英語名:Louisa Reef、マレー語名:Terumbu Semarang Barat Kecil)および周辺3万 kmの海域に対する主権を1988年に主張しているが、現時点では派兵による占拠行為は行なっていない。1994年にフィリピンが実効支配していたミスチーフ礁(中国名:美済礁)を中国が占拠して建造物を構築したことを、1995年2月にフィリピン政府が公表する。2004年9月にフィリピンと中国が海底資源の共同探査で2国間合意が成立する。2005年3月には、フィリピンと中国の2か国に続きベトナムも加わり、海底資源の共同探査が行われている。2007年11月、中国人民解放軍が西沙諸島の海域で軍事演習を行ったことや同月中旬に中国が中沙諸島だけでなく南沙、西沙の両諸島を含む領域に海南省に属する行政区画である「三沙市」を設置した(中国国務院が三沙市の成立を正式発表したのは2012年7月)ことをきっかけに、12月にベトナムのハノイにある中国大使館前で抗議デモを行われた。2008年1月に中華民国(台湾)が、実効支配している太平島に軍用空港を建設して完成させる。滑走路は全長1,150メートル、幅30メートル。その後に中華民国総統が視察に訪れたことに対してフィリピン政府が抗議をする。2010年3月にアメリカからスタインバーグ国務副長官とベイダー国家安保会議アジア上級部長が中国を訪れた際に、中国政府は、南シナ海を『自国の主権および領土保全と関連した「核心的利害」地域と見なしている』との立場を公式に通知したことが報じられる。2011年2月末から5回以上にわたり、中国探査船がフィリピンが主張する領海内において探査活動を繰り返し、5月には無断でブイや杭などを設置したことから、フィリピンのアキノ大統領はこれを領海侵犯とし、6月に国連に提訴する。1月頃から、中国海軍や中国海警局の艦船が、海域で頻繁に示威活動を繰り返すようになり、実効支配している環礁を埋め立てて、新たな軍事拠点を構築しようとする動きが顕著化し、アメリカやマレーシア、フィリピンなど関係国が強く非難した。5月には国際空域(公海の上空)を飛行していたアメリカ軍のP-8ポセイドン哨戒機に対して、中国海軍が強い口調で計8回も退去を命じる交信を行うなど軍事的緊張が高まった。7月2日、アメリカのシンクタンクのCSIS(戦略国際問題研究所)が、中国が浅瀬を埋め立てて施設の建設を続けているファイアリー・クロス礁の様子を6月28日に撮影した衛星写真を公開し、駐機場や誘導路が整備されている様子が確認できると指摘して3,000メートル級の滑走路が「ほぼ完成している」との分析を明らかにし、さらに2つのヘリポートと10基の衛星アンテナ、レーダー塔とみられる施設などが確認できるとした。8月6日には、CSISは中国が埋め立てを進めているスビ礁の最近の衛星写真を分析し、人工島に幅200 - 300メートル、2,000メートル以上の直線の陸地ができていることが確認でき、ファイアリー・クロス礁と同じ3,000メートル級の滑走路が建設されている可能性を示唆した。さらに9月15日に衛星写真の分析から、中国が南沙諸島で造成した人工島での3本目となる滑走路をミスチーフ礁(美済礁)で建設している可能性があることを明らかにした。10月10日、中国外交部が、赤瓜礁(ジョンソン南礁)と華陽礁(クアテロン礁)で5月から建設していた灯台(高さ約50メートルで照射距離は22海里)が完成したと発表。9月25日の米中首脳会談後に、アメリカ海軍の艦船を中国が埋め立て造成した人工島から12海里内(国際法では、領土からの距離で領海とされる海域)に派遣する決断をしていたオバマ政権は、10月27日にアメリカ海軍横須賀基地所属のイージス駆逐艦「ラッセン」をスビ礁から12海里内の海域に進入航行させ、航行の自由を行動で示す作戦(「航行の自由」作戦、Freedom Of Navigation Operation)を実施した。10月29日、オランダのハーグにある常設仲裁裁判所は、フィリピンが2013年1月に南シナ海での領有権に関する中国の主張は国際法に違反するとして、国連海洋法条約に基づいて申し立てていた15項目のうち7項目について管轄権があるとし、中国との紛争の仲裁手続き(審理)を進めることを決定した。仲裁裁判所に管轄権はないとして仲裁手続きを拒否していた中国は、仲裁手続きを受け入れない姿勢を示した。アメリカ国防総省は、8月20日に「アジア太平洋での海洋安全保障戦略」と題した報告書を公表し、中国が2013年12月に南沙諸島での埋め立てを開始して2015年6月までに2,900エーカー(約12 km)を埋め立て、その面積が周辺諸国による埋め立てを含めた全体の約95パーセントに当たることを明らかにした。また、埋め立てから滑走路や港湾施設の建設によるインフラ整備に重点が移行していることも指摘した。2015年10月時点で中国が埋め立てているとされているのは、実効支配しているスビ礁、ファイアリー・クロス礁、クアテロン礁、ミスチーフ礁、ヒューズ礁、ジョンソン南礁、ガベン礁の7つの岩礁と干潮時に砂州が現れるエルダッド礁(安達礁)である。各国は中国が岩礁を埋め立てた人工島を軍事拠点化し、地球上でやり取りされる原油や液化天然ガス (LNG) の半分近くが通る南シナ海の支配を強化することを懸念している。1月2日、中国外交部が、ファイアリー・クロス礁で建設していた飛行場の完成と滑走路を使用して試験飛行をしたことを明らかにした。これに先立ちベトナムは、試験飛行に抗議する声明を発表している。アメリカのCSIS(戦略国際問題研究所)は1月の報告書において、中国の空母打撃群保有の可能性と併せて、「2030年までに南シナ海が事実上中国の湖となる」と警鐘を鳴らしている。4月15日、中国国防部が、軍制服組トップの范長龍・中央軍事委員会副主席が南沙諸島を視察したことを明らかにした。4月17日、中国の新華社通信が、ファイアリー・クロス礁に中国海軍の哨戒機1機が着陸したと報道。中国が軍による南沙諸島での飛行場利用を明らかにしたのは初めてである。5月2日には、中国海軍が駐留兵士らを慰労するため、南海艦隊に就役している揚陸艦「崑崙山」を派遣し、ファイアリー・クロス礁に演劇団を上陸させた。同行記者によると、ファイアリー・クロス礁では飛行場や港、灯台、住居施設が既に完成しており、病院や海洋観測センターが建設されている。7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、中国が南シナ海のほぼ全域で領有権を主張する独自に設定した境界線「九段線」には国際法上「歴史的権利を主張する法的根拠はない」と認定する裁定をした。また、中国が南沙諸島などで人工島の造成などをしている岩礁はすべて「島」ではなく、「岩」または満潮時に水没する「低潮高地」であると認定する裁定も下した。BBCはこの仲裁裁判所の判断について「水上での(引用注:漁業者による)一時的な使用は居住には当たらない - これは満潮時に目視できる岩に認められる12海里(引用注:領海)ではなく、むしろ200海里(引用注:排他的経済水域)の権利を主張する重要な条件の1つである」と伝えている。国連海洋法条約において「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。」と定められている。本条約の島は「領海、接続水域」に加えて「排他的経済水域及び大陸棚」を有する。2016年7月12日の常設仲裁裁判所において、スプラトリー諸島(南沙諸島)には排他的経済水域、大陸棚を有する国連海洋法条約上の「島」は一つも存在せず、「イツアバ島 (Itu Aba)、ティツ島(Thitu)、ウェストヨーク島 (West York Island)、スプラトリー島 (Spratly Island)、ノースイースト小島 (North-East Cay)、サウスウエスト小島 (South-West Cay) も法的に排他的経済水域、大陸棚を有さない岩である」との裁定が下された。国連海洋法条約において「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。」と定められている。本条約の人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、領海は有するが排他的経済水域および大陸棚を有さない。常設仲裁裁判所は、2016年7月12日、中沙諸島のスカボロー礁のほか、クアテロン礁、ファイアリー・クロス礁、ジョンソン南礁を含むジョンソン礁、ケナン礁、ガベン礁(北礁)が排他的経済水域、大陸棚を有さない、すなわち国連海洋法上の「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩」であるとの裁定を下した。低潮高地(英語:low-tide elevation)と呼ばれる干潮時にのみ海面上に現れる岩礁(干出岩)・砂州。国連海洋法条約上、その全部が本土または自国の島から領海の幅を超える距離にあるときは、それ自体の領海も認められないし、当然それ自体の排他的経済水域 (EEZ)、大陸棚も有さない。ただし自国のEEZ内であればその国が建造物を建設することができるが、南沙諸島において中国が実行支配する海洋地形で、EEZを有するものは存在しない。中国は多くの低潮高地およびその周辺の珊瑚礁を埋め立て人工島を建設している。常設仲裁裁判所は、2016年7月12日、ヒューズ礁、ガベン礁(南礁)、スビ礁、ミスチーフ礁、セカンド・トーマス礁が国連海洋法上の「低潮高地」であるとの裁定を下した。またミスチーフ礁およびセカンド・トーマス礁はフィリピンのパラワン島を起点とする排他的経済水域および大陸棚に含まれることに加え、ガベン礁(南礁)の低潮位線がガベン礁(北礁)およびナムイエット島の領海基線とすることが可能である、ヒューズ礁の低潮位線がケナン礁およびシンカウ島の領海基線とすることが可能である、スビ礁の低潮位線がティツ堆のサンディー砂堆の領海基線とすることが可能であるとの裁定も下した。南沙諸島は、主に南シナ海を北から南に並んでいる6つの大群礁からなる。
出典:wikipedia
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