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東京モノレール羽田空港線

東京モノレール羽田空港線(とうきょうモノレールはねだくうこうせん)は、東京都港区のモノレール浜松町駅から大田区の羽田空港第2ビル駅までを結ぶ東京モノレールのモノレール路線である。路線名には社名を冠す。旧称・東京モノレール羽田線。東京都心と東京国際空港(羽田空港)を結ぶアクセス路線として、モノレール浜松町 - 羽田空港第2ビル間を普通列車では約23分、空港直行列車である「空港快速」では約18分で結んでいる。1964年秋の東京オリンピックの開催で、日本国内外からの羽田空港利用客の都心へのアクセスの改善を目的として建設され、10月10日の東京オリンピック開会式前の9月17日に開業した。この路線は跨座式モノレールで、ほとんどの部分が高架線だが、羽田空港旅客ターミナル移転に伴う路線の移設・延長に伴い、天空橋駅付近と新整備場 - 羽田空港第2ビル間は地下線となっている。なお、地下線建設の際、構造上トンネルの断面積が大きくなるなどの理由で建設費がかさみ、運賃も値上がりした。1993年9月の羽田空港延伸前後の運賃を比較すると、一般の空港利用者は乗車距離が伸びたため、1991年末時点ではモノレール浜松町 - (旧)羽田間 (13.0km)が300円だったものが、1994年8月時点でモノレール浜松町 - 羽田空港(現・羽田空港第1ビル)間 (16.9km)が460円になった。ただし、初乗りは90円が110円に、同じ距離で例えばモノレール浜松町 - 羽田整備場(現・整備場)間11.8kmについて比較すると300円が340円となっており、同距離では20円 - 40円の値上げにとどまっている。車両は開業以来、日立製作所製造のものを使用している。かつては置き換えのペースが新造後13年程度と早かったが、京浜急行電鉄との競合状態となってから車両への投資は抑制気味である。軌道は運河の上に建設されている場所が多いため、橋脚にボートなどの船舶を繋留されてしまう場合があり、橋脚には「けい船禁止」の注意書きがある。道路橋などの上を走行する場合、橋脚あるいは跨線に「油が落ちることがあります」との注意書きがある。また、2011年2月4日に発生した変電所トラブルによる長時間の運行停止が発生した際に、運河の上に軌道があることで、この区間で列車が立ち往生した際に乗客を救出することが困難であるという問題点が浮き彫りとなった。また、同年3月11日の東日本大震災発生時には津波が到達する危険があることから(東京湾一帯にも津波警報が発表されていた)警報が解除されるまで運河上の区間の安全確認ができず、運転再開まで長時間を要した。その後、対策として川崎重工業が開発したニッケル・水素蓄電池である「ギガセル」を変電所に設置し、停電時においても蓄電された電力で最寄駅まで運行することができるようにしている。2010年10月21日現在以下2008年5月5日現在東京モノレール羽田空港線では、以下の3種類の種別の列車が運行されている。日本国内のモノレールで通過駅を持つ定期列車を運行する路線は当線のみである。ほぼすべての列車がモノレール浜松町 - 羽田空港第2ビル間を通しで運転するが、昭和島駅に車庫がある関係で、早朝と夕方に流通センター発モノレール浜松町行、深夜にモノレール浜松町発昭和島行の区間運転列車が数本設定されている。運転間隔は、平日朝ラッシュはピーク時は普通のみが3分20秒間隔。昼間(平日・土休日とも)は空港快速・区間快速・普通それぞれが12分ごととなっている。運営会社の東京モノレールは1959年に大和観光として設立された。当初は新橋駅を起点として計画されており、大和観光から改称した日本高架電鉄は1961年12月26日に羽田 - 新橋間の免許を取得しているが、用地確保の目処が立たず、やむなく浜松町駅をターミナルとしている。建設区間の短縮に伴い、浜松町 - 新橋間の免許を1966年1月31日に失効させている。また、1964年の東京オリンピックに間に合わせるため、用地買収が不要な京浜運河の上に多くの区間が建設されるが、終夜の突貫工事が行われたため多大な工費がかかり、その後の経営の足かせとなった。1964年の開業当初は途中駅が全くなかったため、空港利用客以外の乗客がいなかった。また、国電の初乗りが20円、タクシーの初乗りが100円、週刊誌が50円だった当時にあって、運賃は片道250円・往復450円と高額だった。まだ旅客機利用や海外旅行が一般的でなかったこともあり、乗車率は20%台にとどまった。一時は利用者が1日当たり2,000人程度しかおらず、夜には一部区間で車内を消灯して夜景を楽しんでもらえるよう、デートコースとしていたこともあったという。そこで、1966年には40%という思い切った運賃の引き下げを行ったほか、乗客誘致策として空港見学客のための特別割引券を発行した。また、大井競馬場や当時存在していた大井オートレース場へのアクセスのための「大井競馬場前駅」、空港関係者のために「羽田整備場駅」と新駅を次々と設けたが、乗客は充分には増えず、経営に参画していた名古屋鉄道は早々に資本を引き上げて撤退、日立製作所は車両製造費などを回収できず、会社倒産の危機にさらされたこともあった。抜本的な支援策として日立グループが新たに出資、1967年に東京モノレールに日立運輸と西部日立運輸の2社が合併して「日立運輸東京モノレール株式会社」と社名を改め、会社再建にあたった。その後、国際・国内空路の拡大と共に空港利用客は増加、首都高速道路の渋滞で路線バスやタクシーよりも速いとのイメージの定着から乗客は徐々に伸びていき、1970年代中頃には羽田空港へのアクセス路線として定着していった。経営も持ち直してきたこともあり、1981年には日立運輸100%出資で社名を「東京モノレール株式会社」とし、後にグループ内の日立物流へと経営が受け継がれた。東京国際空港が沖合へ展開していく事業が開始されると新ターミナルの建設も開始され、その際に東京モノレールは新ターミナルへのルートを考案した。旧羽田駅から直進するルートや昭和島駅付近から短絡ルートを敷設する案も検討されていたが、結局、空港敷地の南側を経由するルートに決定した。1998年、それまで空港の外れの位置までで直接空港内には乗り入れておらず、アクセス路線としてはほとんど機能していなかった京浜急行電鉄空港線が空港内に乗り入れてきた。さらに、京成電鉄や東京都交通局など5社局(当時)が相互乗り入れすることによって羽田空港と千葉県方面を結び、羽田 - 成田間の直通連絡特急(エアポート快特)の運転も開始した。そのため、浜松町でJR線と接続しているとはいえ広域で見た場合のネットワークにやや劣ることもあり、開通以降長らく続いてきた「羽田空港への唯一の軌道系公共交通機関」から一転、激しい競争にさらされた。1997年に最高の6,500万人を達成した輸送人員が、京急乗り入れ後3割減少した。羽田発着の航空機の増加への対応や、京浜急行電鉄などとの競争のためには増発が必要になったが、ネックになったのは単線ホームの浜松町駅で、改築が急務となった。東京モノレールや親会社の日立グループは大規模な投資が必要なため躊躇していたが、かねてから羽田空港アクセスに参入する意向を持っていた東日本旅客鉄道(JR東日本)と思惑が一致し、運営会社の日立物流は2001年に株式の70%を譲渡し、東京モノレールの経営権をJR東日本に移譲した。また、日立製作所はモノレールの生産・販売・サービスなどの旅客事業を発展させるため、株式の30%を取得している。2002年に東京モノレールを子会社にしたJR東日本では次々と改善策を行った。まず、浜松町駅のJRコンコースから直接乗り換えができる(逆は不可)新改札口「モノレール口」を設置し、京浜東北線の快速を浜松町駅に停車するようにした。また、Suicaを導入し、東京モノレールは「モノレールSuica」を発行・運用開始し、すべての駅でSuicaを使用可能にした。さらに「特別企画乗車券で羽田空港駅から東京山手線内各駅への格安乗車券を発売(モノレール&山手線内割引きっぷ)」「ホリデー・パス(現:休日おでかけパス)を260円値上げし、東京臨海高速鉄道りんかい線と共に乗車できるよう変更」などの策を行った。同年には2003年度から予定していたワンマン運転を前倒しで開始し、2004年8月8日からは終日にわたって快速運転を開始した。同年12月1日には東京国際空港(羽田空港)第2旅客ターミナルの供用開始に伴い、羽田空港駅 - 羽田空港第2ビル駅が延伸開業し、同時に羽田空港駅が羽田空港第1ビル駅に改称された。2007年3月18日には昭和島駅の待避線が完成して追い越し運転が可能となり、さらに空港アクセスの競争力強化が図られた。このダイヤ改正では「快速」を廃止して新たに「空港快速」と「区間快速」を運転開始し、速達性でも京急に対抗している。新しくできた2つの快速の英語表記は日本語表記の直訳ではなく、「空港快速」をHANEDA EXPRESS、「区間快速」をRAPIDとしている。東京国際空港は、2010年10月31日に国際線の定期乗り入れを再開した。これに合わせて空港南側の環状八号線沿いに建設される新国際線ターミナルビルに「羽田空港国際線ビル駅」が設置されることになり、同年4月11日より天空橋 - 新整備場間の軌道の一部が新ターミナル敷地内へ移設され、10月21日に駅が開業した。なお、同地には京急空港線にも新駅「羽田空港国際線ターミナル駅」が同日に設置された。2014年9月には開業50周年を迎え、累計輸送人員は18億人に達した。都心のターミナルである浜松町駅の整備計画が2009年6月に東京モノレールから国土交通省に報告された。開業から45年間そのままだった軌道1本(単線)構造の現在の駅施設をホーム2面・軌道2本(複線)に改良するというものである。概算事業費は約260億円で、地元協議から設計を経て工事が終了するまで約6年半と見込んでいる。これにより1時間当たりの最大運転本数を現在の18本から24本に増やす計画である。同時に後述の新橋延長に対応した構造となる。当初はJR線路の東側に移転することも検討されたが、コスト面などの理由で現在の場所にある駅の拡張にとどまった。なお、当初の移転先にはJR東日本の北口新駅舎が建設される計画がある。そして、2012年10月、株式会社世界貿易センタービルディング、東京モノレール、JR東日本の3社は東京都に対して「浜松町二丁目4地区」の都市計画の提案を行ったことを発表した。これによると、交通結節機能の強化としてJR・モノレール駅改良、JR・モノレールと地下鉄をつなぐ縦動線(ステーションコア)の整備、バスターミナル、タクシープール、都市計画駐車場と荷捌き・自動二輪駐車場の整備などが計画されているが、モノレール軌道の複線化については具体的な記述はない。2013年2月6日の建設通信新聞によれば、JR東日本の2月社長定例会見で、世界貿易センターの建て替えを含む浜松町駅西口周辺開発に合わせて、JRとモノレールを対象とする駅全体の改築を計画していることを明らかにした。「周辺の臨海部の開発によって駅利用者が増え、やや手狭になっている。利便性向上や駅の価値を高めるためにも、ぜひこの機会に両駅を新しいものに造り変えたい」と意欲を示した。同年4月の時点でボーリング調査が始まっている。2009年のモノレール駅拡張計画は世界貿易センターが存続していることが前提だったが、ビル本体が建て替えになったため、計画変更も余儀なくされている。2002年1月、親会社のJR東日本が長期計画として東京モノレールを浜松町(新駅)より新橋に延長する計画を発表、日本経済新聞に掲載された。路線の用地取得問題に関してはJR線上空を使用することで目処がついている。ただし、新橋駅の設置場所や、途中駅を設けるかについては明らかにされていない。駅用地はゆりかもめ新橋駅付近などが候補に挙がっている。また、新橋への延伸工事の着工は羽田空港国際線ビル駅の建設と浜松町駅の拡張工事が完了してからになる予定である。2010年9月には、新橋駅もしくは東京駅に延伸するため本格的な検討に入ったと、東京新聞が報じている。延伸が検討された理由は、浜松町駅に乗り入れている路線が限られており、JRと東京モノレールを利用して成田空港から羽田空港に移動すると乗り換えが2回必要であるため、競合する他の交通機関に劣ることである。東京駅に延伸した場合、成田エクスプレスと直接乗り換えが可能となり、新橋駅延伸でも同駅を成田エクスプレス停車駅に変更することで、いずれの場合も乗り換えが1回で済み、移動時間が短縮される。東京駅に延伸した場合、試算では1,000億円超かかり、新橋駅の場合では駅建設を除く費用は1/3に、工期も早ければ数年程度で完成できるとしている。2013年2月のJR東日本の社長定例会見で、浜松町駅西口周辺開発に合わせて、JRとモノレールを対象とする駅全体の改築を計画していることを明らかにしたが、モノレールの東京駅への延伸構想については、工期やコストなどの観点から、現時点での事業化は難しいとの考えを示した。しかし、引き続き検討を進めていきたいとしている。一方で、2013年11月には、JR東日本が田町駅から休止中の東海道貨物線を活用して羽田空港へ向かう鉄道路線(羽田空港アクセス線)について整備の検討に入ったと報じられた。2014年8月、JR東日本が国土交通省交通政策審議会の東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会で明らかにした計画では、田町駅付近で東海道本線・上野東京ラインに乗り入れる「東山手ルート」、大井町駅付近でりんかい線・埼京線に乗り入れる「西山手ルート」、東京テレポート駅でりんかい線に乗り入れる「臨海部ルート」の3ルートを建設するとしている。2014年1月の産経新聞インタビューによれば、JR東日本社長の冨田哲郎は「日本経済、東京という都市にとって、重要なルートになる」と述べている。また、冨田は競合することになる東京モノレールを新路線開業後も存続させる考えを示している。これに対し東京モノレールは、進行する浜松町駅周辺の再開発に合わせてJR山手線や地下鉄大江戸線などとの乗り換えをよりスムーズにする他、2014年1月の毎日新聞インタビューで東京モノレール社長の中村弘之は、「将来的にはモノレールを東京駅まで延伸する夢」があり「24時間運行の可能性も見えてくる」と生き残りに向けた課題を述べている。東京都心 - 羽田空港間の鉄道は1998年に京急が本格参入し、1日平均乗降客数はモノレールが約6万5,000人、京急が約8万2,000人と、京急が優勢となっている。ここにJR新線が実現すると三つ巴の激しい争奪戦が展開されることになる。2015年3月14日の上野東京ライン開通では、宇都宮線・高崎線・常磐線が東京モノレールの連絡駅である浜松町駅を通過して京急の連絡駅である品川駅に乗り入れることから、羽田空港への鉄道アクセスについて、さらに京急が優位に立つことが見込まれている。

出典:wikipedia

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