ミシュラン(、)は、世界で初めてラジアルタイヤを製品化したフランスのタイヤメーカーである。2005年にブリヂストンに抜かれるまでは世界最大手のタイヤメーカーであった。同社の発行する、いわゆる「三つ星」評価付きの旅行ガイドブック『レッドガイドブック』を指す場合も多い。ヨーロッパではクレベールやストミールオルスチン、アメリカではBFグッドリッチやユニロイヤルなど数十のブランドを傘下に収め、各営業地域において最適なブランドを選定、展開する「マルチブランド戦略」を推し進めている。日本では繊維業界とも手を組み、白洋舎とホテルなどに向けた「Michelin」、カフェなどをターゲットにした「BIBENDUM」でサービスユニフォームを展開している。グループの主要な構成は、株式合資会社であるコンパニー・ジェネラル・デ・ゼタブリスマン・ミシュラン("Compagnie générale des établissements Michelin" 、CGEM)が、金融とフランス国外の製造・取引・調査を担当するスイスのコンパニー・フィナンシエール・ミシュラン("Compagnie financière Michelin" 、CFM )に100%出資し、CGEMとCFMが、フランス国内の製造・取引を担当するマニュファクチュール・フランセーズ・デ・プヌマティーク・ミシュラン("Manufacture française des pneumatiques Michelin")を、それぞれ40%と60%出資するという形をとっている。ミシュランの起源は、1863年に設立されたBarbier, Daubrée et Cieという株式合資会社である。アンドレとエドゥアールのミシュラン兄弟の名前を冠したMichelin et Cieとの名称は1889年に採用されたものである。1890年代前期、発明されたばかりの自動車用に耐える空気入りタイヤの実用化に取り組んで成功をおさめ、1949年からは世界初の市販ラジアルタイヤ「ミシュランX」を市販した歴史を持つ、世界のタイヤ業界における老舗である。日本を含め世界中幅広い国や地域で自動車、トラック・バス、建設機械・農業機械、オートバイ、飛行機、自転車などのタイヤを製造・販売し、WRCなどのモータースポーツ用タイヤとしても大きなシェアを持つ。スペースシャトルやコンコルドのタイヤにもミシュランのものが使われている。世界最高峰の自動車レース、ル・マン24時間レースに参戦しているアウディも、ミシュランを使っている。かつて、自社の製品への自負のあまり「自動車はタイヤの一部品に過ぎない」とまで豪語し、インディゲートが発生するなど様々な経緯があったF1グランプリへのタイヤの提供に関しては、2008年からのワンメイク化を受けて2006年シーズン限り(ワンメイク化より1年前倒し)で撤退。MotoGPについても同様の理由で2008年シーズン限りで撤退したが2016年にワンメイクの形で復帰する。大手自動車タイヤメーカーとしてはめずらしく自転車用タイヤも生産する。(他にはコンチネンタルがある)。100%チューブラータイヤだったロードレース用タイヤのかなりの部分をクリンチャータイヤに代えたのはミシュランの開発によるものである。1934年には経営難に陥った当時フランス最大手自動車メーカーのシトロエンを救済のため傘下に入れ、以後1970年代にやはりフランスの大手自動車メーカー・プジョーに経営を譲渡するまで、実質的な親会社であった。お膝元のフランスのほかスペイン、アメリカ合衆国、中国、日本など世界各地に製造拠点(合弁企業などの形態も含む)を有する。2007年以降は各国の生産体制の合理化を進めている。具体的には中国遼寧省瀋陽市の工場を拡張し年間生産能力を120億本と世界最高規模にするほか、アメリカでの生産能力を向上させ日本工場で生産していたアメリカ向けタイヤの生産を取りやめる方針などが示されている。昭和初期には輸入品として「ミスリン」の名で販売されていた時期もあったが、ミシュランの日本での本格的なタイヤ販売事業は1964年に始まる。当初は自動車用タイヤの販売はなく、東京モノレールの車両用のみだった。翌1965年から三井物産が日本代理店となって自動車用タイヤの販売を本格的に開始し 1975年に日本ミシュランタイヤ株式会社(NMT)が設立された。群馬県太田市に旧岡本理研ゴム(オカモト)から引き継いだ工場を持っていたが、2010年にタイヤ生産を停止した(研究等は継続)。マスコットのビバンダム("Bibendum" )は世界で最も古いトレードマークの一つとして有名で、ミシュランを語る上ではずせない存在の一つでもある。通称「ビブ」。日本語サイトでは「ミシュランマン」とも。お化けのような格好は実は彼自身がタイヤでできているためであり、昔は車のタイヤがパンクした現場で身の一部を供しているという、まるでアンパンマンの一幕のようなイラストが使われた広告もあったようである。彼の体の「タイヤ」の幅も昔に比べ広くなっているのは、時代とともにタイヤの幅が広くなったことに由来するとされる。また昔はモンスターのような恐ろしい外見だったが時代とともに変化し、最近は愛嬌のあるデザインになっている。ビバンダムの姿は高く積まれたタイヤをモチーフとしている。1864年にミシュラン兄弟の「これに手足を付けたらタイヤ人間になるだろう」というユーモアから生まれたが、当時は名前がなかった。1898年にNunc est bibendumというキャッチコピー(ラテン語、「いざ飲まん」の意)が入った広告に描かれ、数か月後にティエリーというレーシングドライバーがアンドレを見かけた際に「おや? ビバンダムじゃないか」と声をかけたことが、このキャラクターの名前の由来となった。このポスターの構図は、もとはビール醸造所の看板のために考えられたものであった。惹句はホラティウスの『詩集』から取られたもので、ここでは乾杯の文句として用いられている。グラスに注がれたガラス片や釘を見てもわかるように、障害物を「呑み込む」つまりパンクに強いタイヤということをうたったものである。彼の体の色が白いのは、当時はまだ炭素によるゴムの強化が発見されておらず、タイヤの色も白かったためである。ビバンダムの容姿から名前が付けられた「ミシュランタイヤ症候群」という疾患が存在する。常染色体優性遺伝の疾患で腕や体などの皮膚にリング状の溝ができ、折り目が付いてしまうのが特徴である。創設者のミシュラン兄弟がいち早くモータリーゼーションの時代が到来することを確信し、同社の製品の宣伝をかねて自動車旅行者に有益な情報を提供するためのガイドブックとして、1900年に3万5,000部を無料で配布したのがミシュランガイドの始まりである。二度の大戦中を除いて毎年更新し、1920年からは有料となった。現在ではヨーロッパを中心に多種の地図やガイドブックを出版しており、年間およそ100万部におよぶ。レッドガイド(英:red guide、仏:le guide rouge)と呼ばれるホテル・レストランガイドがつとに有名である。2005年11月4日にはヨーロッパ圏外版では初のニューヨーク版を発売。2007年11月22日にはアジア初となる東京版(2008)が発売された。これにより、日本は22カ国目の対象となった。ほかに、グリーンガイド(英:green guide、仏:le guide vert)と呼ばれる観光ガイドがよく知られている。1991年に、実業之日本社から日本語版が刊行されはじめたが、のち休刊。レッドガイドは、施設や営業時間、予算などに加え、独自の調査を行って快適性や料理などにマークを付して掲載する。なかでも0から3つの「*(アスタリスク)」で示される「星」、あるいは「マカロン」と呼ばれる料理の格付けは、影響力の大きなものとなっている。この格付けは、料理のみを対象とし、覆面調査員による匿名調査、身分を明かしての訪問調査など、世界共通のメソッドによる調査・判定基準で付与すると発表されている。また、「ミシュラン」は商号の略称・通称であり、「ミシュラン」および「グリーンガイド」は世界各国の登録商標でもある。たとえばガイドブックに「○○ミシュラン」と称することなどは、審判または裁判で一般名詞化が認定されない限り商標の冒用行為にあたり、不正競争・知的財産保護の観点からも慎まなければならない行為である。NHKのニュースや番組では公共放送の性質上、商号および商品名を宣伝しないよう「伝統あるフランスの(フランスの伝統ある)レストランガイド」などと表現される(例外で、一部番組では番組の性格上「ミシュラン」が用いられることもある。例えば、東京版が出版される際のニュースではミシュランが積極的に使われていた)。2006年5月26日に1999年よりコンパニー・ジェネラル・デ・ゼタブリスマン・ミシュラン(CGEM)の共同マネージング・パートナー(共同取締役)の1人であったエドゥアール・ミシュランがフランス北西部のブルターニュ半島沖で釣りボートで航行中に遭難し水死体で発見された。マネージング・パートナーであるミシェル・ロリエが単独のマネージング・パートナーとなったが、2007年5月11日からは、ミシェル・ロリエをマネージング・ジェネラル・パートナー(取締役兼無限責任社員)、ディディエ・ミラトンおよびジャン=ドミニク・スナールをマネージング・パートナー(無限責任社員ではない取締役)とする3人の共同マネージング・パートナー体制となっている。
出典:wikipedia
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