コウノトリ(鸛、鵠の鳥、学名:"Ciconia boyciana")は、コウノトリ目コウノトリ科に属する鳥類の一種である。別名、ニホンコウノトリ。英名:"Oriental stork" (東洋コウノトリ)。ヨーロッパで単に"stork"といえばこの種ではなく、日本でいうシュバシコウ(英名:"White stork")のほうを指す。全長約110-115センチメートル、翼開長160-200センチメートル、体重4-6キログラムにもなる非常に大型の水鳥である。羽色は白と金属光沢のある黒、クチバシは黒味がかった濃い褐色。脚は赤く、目の周囲にも赤いアイリングがある。分布域は東アジアに限られる。また、総数も推定2,000~3,000羽と少なく、絶滅の危機にある。中国東北部(満州)地域やアムール・ウスリー地方で繁殖し、中国南部で越冬する。渡りの途中に少数が日本を通過することもある。成鳥になると鳴かなくなる。代わりに「クラッタリング」と呼ばれる行為が見受けられる。くちばしを叩き合わせるように激しく開閉して音を出す行動で、ディスプレイや仲間との合図に用いられる。主にザリガニなどの甲殻類やカエル、魚類を捕食する。ネズミなどの小型哺乳類を捕食することもある。主に樹上に雌雄で造巣する。1腹3-5個の卵を産み、抱卵期間は30-34日である。抱卵、育雛は雌雄共同で行う。雛は、約58-64日で巣立ちする。広義のコウノトリは、コウノトリ亜科に属する鳥類の総称である。ヨーロッパとアフリカ北部には、狭義のコウノトリの近縁種であるシュバシコウ "Ciconia ciconia"が棲息している。羽色は似ているが、クチバシは赤。こちらは数十万羽と多く、安泰である。「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」などの伝承は、シュバシコウについて語られたものである。しかし、シュバシコウとコウノトリとの間では2代雑種までできているので、両者を同一種とする意見も有力である。この場合は学名が、シュバシコウは"Ciconia ciconia ciconia"、コウノトリは"Ciconia ciconia boyciana"になる。日本列島にはかつて留鳥としてコウノトリが普通に棲息していたが、明治期以後の乱獲や巣を架ける木の伐採などにより棲息環境が悪化、ときには、太平洋戦争前後の食料不足の中で食用にされたこともあり、1956年には20羽にまで減少してしまった。そのため、コウノトリは同年に国の特別天然記念物に指定された。ちなみにこのコウノトリの減少の原因には化学農薬の使用や減反政策がよく取り上げられるが、日本で農薬の使用が一般的に行われるようになったのは1950年代以降、減反政策は1970年代以降の出来事であるため時間的にはどちらも主因と断定しにくく、複合的な原因により生活環境が失われたと考えられる。その後、1962年に文化財保護法に基づき兵庫県と福井県が「特別天然記念物コウノトリ管理団体」の指定を受けた。兵庫県は1965年5月14日に豊岡市で一つがいを捕獲し、「コウノトリ飼育場」(現在の「兵庫県立コウノトリの郷公園附属飼育施設コウノトリ保護増殖センター」)で人工飼育を開始。また、同年には同県の県鳥に指定された。しかし、個体数は減り続け、1966年に福井県小浜市の国内最後の野生繁殖地の個体が姿を見せなくなり、1971年5月25日には豊岡市に残った国内最後の一羽である野生個体を保護するが、その後死亡。このため人工飼育以外のコウノトリは国内には皆無となり、さらには1986年2月28日に飼育していた最後の個体が死亡し、国内繁殖が確実視される野生個体群は絶滅した。しかし、これ以降も不定期に渡来する複数のコウノトリが観察され続けており、なかには2002年に飛来して2007年に死亡するまで、豊岡市にとどまり続けた「ハチゴロウ」のような例もある。国内の野生最後の生息地のひとつである福井県の武生市に1970年12月2日に飛来した雌の一羽(コウちゃん)は、くちばしを損傷しており、満足に餌を採ることができない状態で衰弱が激しかった為に保護され、1971年2月28日に豊岡市のコウノトリ飼育場に移送された。「武生」と改名されたその一羽は2005年6月20日まで生き、34年という国内最長飼育記録を建てると共に、100個を超える卵を産んだが、成長したのは雌の「紫」一羽のみだった。多摩動物公園では、中国から譲り受けて人工飼育を続けていた結果、1988年4月6日に国内初の人工繁殖に成功した。豊岡市のコウノトリ飼育場でも、この国内繁殖野生個体群の絶滅の約7ヶ月前である1985年7月27日に当時の旧ソ連から幼鳥6羽をもらい受けており、多摩動物公園の人工繁殖初成功の翌年5月16日に、人工繁殖に成功している。これ以後、毎年の繁殖に成功している。また、大阪市天王寺動物園、豊橋総合動植物公園でも繁殖が成功し、国内飼育数を増やしている。兵庫県では繁殖成功後の1992年4月22日には野生復帰計画が開始される。その後、コウノトリ飼育場では、近親交配を避けるため、何度か動物園やロシアからコウノトリをもらい受け、2002年5月5日には生育したものとあわせて飼育100羽を達成した。2005年現在では豊岡市のコウノトリの郷公園周辺地域にコウノトリの生息可能な環境が整備されつつあり、周辺の農家も農薬の散布を控え、無農薬栽培に切り替える等の協力をしている。そして、2005年9月24日には世界初の放鳥(餌をとるなどの訓練をつんだ8羽の中から選ばれた、2-7歳の雄2羽と雌3羽の計5羽)が行われ、34年ぶりにコウノトリが大空に羽ばたくこととなった。この放鳥式典には山階鳥類研究所総裁等を務める秋篠宮文仁親王・紀子妃も参加し、約3500人もの参加者とともに見送った。放鳥にあたっては、飼育生活が長いので餌を求めるためか、2羽が30分程で戻ってきてしまうというハプニングも見受けられた。2005年12月24日には放鳥記念碑の除幕式が行われた。その後2006年4月14日には自然放鳥したコウノトリの産卵が確認され、続けて18日にも2卵目が発見された。しかし、これらの卵は孵化しなかった。翌2007年も放鳥個体による産卵が行われ、1つのペアから1羽が孵化した。この雛は2007年7月31日に無事に巣立った。コウノトリの野生での巣立ちは1961年に福井県小浜市で野生最後の巣立ちが見られて以来、実に46年ぶりであった。今後も放鳥されたペアへの托卵など、段階的に自然に戻す計画も考案されている。放鳥したコウノトリは背中に発信機をつけているため、約1年は人工衛星から行動範囲を監視できるが、コウノトリの郷公園やボランティアにより放鳥個体の追跡調査も行われている。また、多摩動物公園でも、コウノトリが動物園の内外を自由に飛翔できるような飼育展示方法が検討されている。兵庫県豊岡市下宮に鎮座する久久比神社には日本で唯一のコウノトリにまつわる伝説が残されている。七つの外湯めぐりで形成される城崎温泉には、七つの外湯のひとつにコウノトリが傷を癒していた事により発見したと伝説が伝わる、鴻の湯がある。また、ヨーロッパでは、「赤ん坊はコウノトリのくちばしで運ばれてくる」「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあるが、生物学的にはコウノトリ ではなく、シュバシコウ である(ヨーロッパにコウノトリはいない)。
出典:wikipedia
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