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武蔵野銀行

株式会社武蔵野銀行(むさしのぎんこう、"The Musashino Bank, Ltd.")は、埼玉県さいたま市大宮区に本店を置く地方銀行で、いわゆる戦後地銀である。内閣書記官長・貴族院議員を務めた遠藤柳作がデフレ下における資金難の救済を称えて、青木正・上原正吉・横川重次・貫井清憲・馬場元治など埼玉県内外の政治家に呼びかけて発起。旧野村合名出身の熊田克郎を経営陣に迎え、1952年(昭和27年)4月に開業した。設立にあたっては、県内におけるトップシェアを握っていた埼玉銀行が、反対したことなどから経営理念に潜在預金余力の開拓とそれによって集めた預金を中小企業中心への融資として運用を図ることなどを方針として盛り込み、昭和40年代初頭までは、営業店の開設は20店舗台までに抑制した。その後1969年4月、埼玉銀が都市銀行へと転換したことや、県南部が東京のベットタウンとして人口が急増した状況を踏まえ、県内の新工業都市や公団の団地・市街地・住宅地へと店舗網を広げていった。武蔵野銀は保証協会付き融資を好む行風であるとされ、県内の自営業者を除く企業法人においては、単独のメインバンクを担うケースは稀であるとされる。また県内における大部分の自治体から武蔵野銀は指定代理金融機関を受託している中、秩父郡横瀬町からは指定金融機関を受託している。このほか茨城県猿島郡五霞町からも指定金融機関を受託している。大和銀行を親密先とし長らく筆頭株主であったが、のちに株式は同行から三菱東京フィナンシャル・グループに売却された。1991年4月、埼玉銀が協和銀行と対等合併してあさひ銀行が発足。本店を東京都に移転したことから2003年まで唯一県内に本店を置く銀行となった。2003年3月、あさひ銀行から埼玉りそな銀行が分離され、再び地元に大規模な銀行が誕生した。これによって武蔵野銀は「県民の銀行」をキャッチコピーとして、地元銀行であることを強くアピールするようになった。2003年には埼玉りそな銀行と統合し、「県民銀行」を発足させる構想が浮上したが宙に浮いている。2010年代には地銀再編の潮流の中で三菱東京UFJ銀行主導の統合推進が現実味を帯びており、群馬銀行などとの統合も構想されているが、実現には至っていない。また、埼玉りそな銀行とは店舗網が重複しており、東京都内での出店を強化している。2015年3月25日、千葉銀行と包括的な提携である「千葉・武蔵野アライアンス契約」を締結した。これによって両行とも3%を上限とする株式を持ち合うほか、グループ会社の相互活用やITシステムの共同開発を進めるとしている。なお両行とも経営統合や合併は考えていないと説明している。2005年(平成17年)に、20年以上使用されてきたロゴタイプ(和文の『武蔵野銀行』)と緑色のコーポレートカラーをワインレッドへと一新。従来からの行章(△形)を発展させたシンボルマークを新たに導入した。これに伴い、『ぶぎん』の名称とロゴはパンフレットなどではあまり用いられなくなった。また最近では、埼玉県内の地域別にキャッチフレーズをつけている。

出典:wikipedia

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