ザ・ワイルドワンズ(The Wild Ones)、現・加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ(かせくにひこと-)は日本のバンドで、かつてはグループ・サウンズの一つであった。加瀬邦彦がキャノンボール、ザ・スパイダース、寺内タケシとブルージーンズを経て平凡パンチに募集記事を載せ、メンバーを集め結成された。ザ・ワイルド・ワンズというグループ名の由来は慶應義塾大学の先輩で親交の深い加山雄三が星占いにより、『野生児』という意味を込め命名。1966年11月に『想い出の渚』で東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)からデビューを果たす。1968年1月にグループの音楽性発展のため、当時16歳だった渡辺茂樹が加入。1971年秋に神田共立講堂での公演にて一旦解散したが、1979年11月に限定的に再集結しシングル「美しすぎた夏」とアルバム「アンコール」を発売(それまでも度々4人で集結している)、その後、1981年1月の“さよなら日劇ウエスタン・カーニバル”にメンバー5人が勢揃いし出演したのがきっかけで再結成話が持ち上がり、仕事の都合で参加を見送った渡辺茂樹を除く、オリジナルメンバー4人で「加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ」として本格的な再結成に踏み切った。1990年には、峠恵子、白石享子の女性2名を加入させ、ザ・ワイルドワンズ'91としてシングル2枚、アルバム1枚をリリースし活動した。タイガース・メモリアル・クラブ・バンドには、渡辺茂樹も参加した。また、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」のコーナー「加山雄三(くわやま・ゆうぞう)ショー」で、加山雄三のものまねでエレキを弾く南原清隆のバックバンドで出演。現在も日本全国でコンサート活動をこなす。他には、鳥塚しげき、植田芳暁、島英二と、個々の活動でも個性が光るメンバーがいる。一時期、ドリンク剤のCMでコミカルなキャラクターでも人気が出た。2006年11月2日、結成40周年記念ライブを初の日本武道館にて開催した。2008年には初の全国ツアーを決行する。2009年、GS時代からの盟友である沢田研二を迎え入れ「ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」としての活動を発表、オリコン1位獲得を目標に2010年2月10日に新曲「渚でシャララ」を発売した(実際にはオリコン24位)。又、発売に先駆けTBS系「ひるおび!」で2010年1月期エンディング曲として公開された。2011年、ジュリー with ザ・ワイルドワンズとしてミュージック・ペンクラブ音楽賞ポピュラー部門の録音・録画作品(日本人アーティスト)、コンサートパフォーマンス(日本人アーティスト)の2項目で受賞を果たす(この部門での2項目同時受賞は2007年の上原ひろみ以来2人目)。2012年3月に島が消化器系のガン治療のために入院(早期発見ですぐに内視鏡手術で取ったため健康への影響は全くなかった)したことで4人全員がガンを経験したとして、それ以降は冗談で「ワイルドガンズ」と名乗ることも増えている。4月にはももいろクローバーZの公演『ももクロ春の一大事2012 〜横浜アリーナ まさかの2DAYS〜』の一日目に参加し、百田夏菜子 With ザ・ワイルドワンズとして「渚のラララ」を披露した。同曲は作詞・作曲:加瀬邦彦、編曲:上田健司。2014年に渡辺茂樹が死去し、加瀬も咽頭癌の手術を機に療養に入ったことにより、それ以来は鳥塚、植田、島の3人での活動になる。2015年4月20日に加瀬が自殺、その後も鳥塚、植田、島の3人がワイルドワンズの活動を続けることを表明した。現役当時、ジャッキー吉川とブルーコメッツ同様にNHKへの出演が許されたグループサウンズである。渡辺プロダクション創立50周年事業として、展覧会「抱えきれない夢 Pocketful Of Dreams」が2005年12月23日より2006年1月15日まで東京都千代田区の丸ビルで開催され(後に渋谷の東急本店でも開催)会場には加瀬邦彦が当時実際に使用していたYAMAHA特注の12弦ギターも展示された。他多数
出典:wikipedia
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