豊田 亨(とよだ とおる、1968年1月23日 - )は、オウム真理教元幹部。確定死刑囚。兵庫県加古川市出身。ホーリーネームはヴァジラパーニ。教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。教団が省庁制を採用した後は科学技術省次官の一人となる。白陵高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。素粒子理論を専攻し、東京大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。大学入学年の1986年9月からオウム真理教の前身であるオウム神仙の会に入会し、1992年4月には同博士課程に進学するが1ヶ月経たないうちに中退し、出家信者となった。出家番号は962。1990年2月の総選挙の時は象のお面をかぶりながら、麻原彰晃の側で歌って踊っていた。豊田自身は当時22歳で被選挙権がなかったこともあり、立候補はしていない。東京大学准教授の伊東乾は大学時代の同級生で友人。1995年3月20日の地下鉄サリン事件ではサリン散布の実行犯となり1人を死亡させ、358名に重傷を負わせた。1995年5月16日の東京都庁小包爆弾事件、1995年4月30日、5月3日、5月5日の新宿駅青酸ガス事件に関与。この他自動小銃密造事件にも関与し、以上4つの事件で起訴された。他の共犯者が感情的に証言したり麻原を批判する一方で、豊田は淡々と冷静に証言するだけだった。豊田は「自分がした行為は人間として許されない」「このような事件が2度と起こらないようにするのが極めて当然である。あのようなことをした人間が生きていること自体が申し訳ない」とあくまで自己責任を主張した。これに関して豊田は地下鉄サリン事件の遺族に宛てた手紙の中で「裁かれる者として、遺族・被害者の方の不快感を増大させる言動を慎むことが最低限のとるべき態度だと考えます」と述べた。麻原を批難する事無く「本当のことを話していただきたいと思う」とだけ述べた。また公判で検察官に「麻原に対して現在の心境は」との問いに「広瀬の証人として出廷した公判での言動(麻原は宣誓書の署名に関して英語で対応し続け裁判長に退廷を命じられた)については怒りを通り越して哀しい」と共犯への心遣いも見せた。2000年7月17日の第一審、2004年7月28日の控訴審ともに死刑判決を受け上告していたが、2009年11月6日に上告棄却が決定し、死刑が確定した。2016年現在、東京拘置所に収監されている。東京大学出身者の死刑が確定したのは日本国憲法下では初めてであり、旧帝国大学出身者としては下関通り魔殺人事件の犯人(九州大学)についで2人目である。またオウム真理教事件で死刑が確定するのは8人目。
出典:wikipedia
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