広瀬 健一(ひろせ けんいち、1964年6月12日 - )は、オウム真理教元幹部。確定死刑囚。東京都出身。ホーリーネームはサンジャヤ。オウム真理教の階級は菩師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。教団が省庁制を採用した後は、科学技術省次官の一人となる。1983年3月、早稲田大学高等学院卒業。1987年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を首席で卒業。早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程修了。修士課程では学会に『高温超伝導の二次元』という論文を出し、当時の世界のトップサイエンスであるとされた。大学院在学中の1988年3月、「突然の宗教的回心」が起きたためにオウム真理教に入信。教団の武装化を決意した麻原に出家を指示されたために、企業での研究職の内定を辞退し、1989年3月に出家信者となった。出家番号は258番。なお、広瀬の出家の状況について、空中浮揚の誤りを指摘して出家を止めたという指導教授の話が報道されたが、広瀬は公開手記で、指導教授とは「空中浮揚」の話はしておらず、出家を止められたときには「クンダリニー」の話をしたと述べている。教授は広瀬が「空中浮揚を見た」と言って反論したと話しているが、これは常識的にありえず、教授の話の信憑性には疑いがある。広瀬は第一審の被告人質問で、「空中浮揚は見ていない」と証言した。また、教授は広瀬の第一審公判で、「出家を知ったのは事後的で、出家を止めていない」と証言しており、当時の記憶が不確かであることが判明した(証言については裁判記録参考)。麻原自ら広瀬を違法行為に誘導した。その麻原は自身の公判で「広瀬の立場は悪くありませんから」と発言(1996年11月 第16回公判)。また、自身の弁護士との面会を拒否していたが、広瀬の公判の証人になる準備のために広瀬の弁護士とは面会した。。1990年2月の衆議院選挙で真理党候補として旧埼玉5区から出馬するも、397票で落選した。1995年3月20日の地下鉄サリン事件には、林郁夫・小池泰男・豊田亨・横山真人とともに実行犯としてサリン散布に関与した。犯行直後にサリンの中毒症状が出たため、硫酸アトロピンを注射した。他にも自動小銃密造事件にも関与し、以上2つの事件で起訴された。2000年7月17日の第一審、2004年7月28日の控訴審ともに死刑判決を受け、弁護側が東京高裁での判決を不服として上告していたが、2009年11月6日に上告棄却が決定し、死刑が確定することとなった。オウム真理教事件で死刑が確定するのは7人目。2016年現在、東京拘置所に収監されている。裁判では、武装化などのオウム事件の動機や目的を質問され、詳細に証言した。事件はヴァジラヤーナの教義に基づく現代人の救済だった。現代人は三悪趣(地獄、餓鬼、動物)に転生するので、オウムの国を樹立して強制的に教化したり、「ポア」して救済すると麻原は説いていた。「ポア」とは、人を殺害して幸福な世界に転生させること。ヴァジラヤーナの教義は、救済のための方便として社会規範に反する行為を許した。「なぜ事件の指示を引き受けたのか」という質問には、「ヴァジラヤーナの救済と思ったから」とだけ答えた。これは、麻原が述べていた非合法活動をする動機や目的をそのまま証言したものである。広瀬の第一審の証拠調べで、検察は広瀬の供述を読み上げた。「この当時、尊師が既にヴァジラヤーナの救済しかないと言っていましたので、私もそうだと思い、自動小銃を製造することが恐ろしいことだという感覚はありませんでした。このヴァジラヤーナの救済とは、『力による救済』という意味です。オウムでは、オウムの教えを説くことによる救済を『マハーヤーナの救済』と呼んでいましたが、この世の中は、このような救済方法で救うことはもはやできない、あとは力による救済しか手段はないというのがこのころの尊師の考えでした。ヴァジラヤーナの救済が具体的にどういうことを意味するのかについては、例を挙げれば、戦争を起こしてオウムが支配する国をつくり、そこでオウムの教えを徹底するというようなことが考えられます。戦争によって犠牲はでるでしょうが、それによって多くの人間の魂が救済されると考えるのです。また、解脱者つまり麻原尊師によって、命を落とした人は、その人のカルマ(解脱を妨げたり、三悪趣に転生する原因になったりする悪業)を尊師が背負うことによってポア、つまりその人の魂をより高い世界に到達させることができるというのが尊師の教えでしたから、犠牲者は、命を落としても魂は救済されるという考えなのです。また、マハーヤーナの救済は、『縁無き衆生は救い難し』という言葉があるとおり、尊師との縁がなければ救済できないと教えられておりますが、ヴァジラヤーナの救済では、オウムから行為を加えていくのですから、そのとき尊師との縁ができて、来世で救済されると考えるのです。ですから、例えばオウムが戦争を起こして相手が死んだとしても、その魂は、尊師と縁ができたことによって来世で救われると考えるわけです」(裁判記録参考)。広瀬は麻原の第11回公判で、「現在被告(麻原)に対してどんな気持ちか」と質問され、「黙って離れたい気持ち」と答えた。その公判の検察側主尋問の最後に、「何か言い残したことはあるか」と質問され、「松本被告に対しては、早く自己の過ちに気づいて、被害を受けた方に謝罪してほしいと思う。松本被告が弟子を育て、弟子がヨガ的な修行で浄化が起き、修行体験したことで、自分が最終解脱者であり救済者であると思っていると思うが、今までの経過から見ると、必ずしも松本被告の意思どおりに運ばないことも多いので、本当は、松本被告も自分の力というものに気がついているのではないか。それを何らかの、たとえば予言を調べて、都合のいい解釈をして、自分をごまかしごまかしして来たのではないか。恐らく、今も何らかの形で自分を最終解脱者、救済者として正当化していると思うので、早くそのようなことをやめて、今までの経過を直視して真実を見極めてもらいたい」と証言した(裁判記録参考)。なお、信者は自身の修行ステージや地位の昇進のために事件に関与したとの指摘があるが、その事情は麻原から受けた指導によって異なり、広瀬には当てはまらない。たとえば、1989年8月20日、麻原は広瀬ら出家信者に「(ヴァジラヤーナの実践によって)解脱に対する道筋が失われる」と説いていた。事件当時広瀬が目指すべきは第3段階目の解脱である「マハームドラー」だったが、これは自身のカルマの浄化(減少)によって達成される。しかし、事件に関与すると、重い悪業になる殺生をするのだから、自身のカルマを増大させ、解脱に対する道筋が失われるのである(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』 オウム真理教 1994年)。その麻原の説法に基づいて広瀬は事件の意味を理解しており、共犯者の弁護人の質問に答えて「地下鉄にサリンをまくのは、身の行為については悪い行いをするわけですから、マハームドラーとは逆の方向」と証言した(広瀬の第1審被告人質問 裁判記録参考)。自身の裁判のために、事件の動機や目的を曖昧にしたり、事実でないことを加えたりしなかった。事件の9年後の2004年、NHKへ宛てた手紙のなかで「私は愚かにも殺人というイメージの湧かない状態でした。麻原の指示が絶対になっていた事情がある」と述べている。控訴審判決後の2006年11月14日、麻原四女へ宛てた手紙のなかで「私も何もしないのは情けないので、(中略)少しでも被害弁償ができればと思っています。ここにいても、やるべきことがたくさんあり、時間がいくらあっても足りないほどです。自分で仕事をつくっているのだけどね。まだ目に見える成果はなく、結果が出る保証もないのだけど、走るしかないですね」と述べている。面会した麻原四女は手記のなかで「精神的に教団から解放された広瀬さんの顔はどこか清々しく見えました」と述べている。2016年3月、手記で「事件前にサリンという言葉は使用されていたか―高橋克也氏の第一審判決」を論じている。(http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html)。社会心理学者と精神科医によると、広瀬は当初は入信の意思がなかったが、強度の幻覚的経験を伴う「突然の宗教的回心」が起きたために入信せざるを得なかった。突然の回心とは、急激な思考システムの変容。回心者は人格が変わったようになる。ギャランターによると、強度の幻覚的経験を伴う回心では、常識を大きく逸脱した思考システムになりうる。J・F・バーンズによると、突然の回心では、直接的に活動的制御のもとにない人格の一部が支配的になる。宗教的行動の条件づけが手当たり次第に強化される。それまで余り意味を持たなかったものが、突然重要になる。本人に説明できない行動への衝動や行動の禁止、強迫観念、幻視、幻覚に侵害される。この侵害は、信仰の状態を生じさせたり、喜ばしい統一された確信の状態をもたらす。(だから、オウムを信じるようになった真の理由が広瀬本人にはわからない。)回心者は、真理を理解しつつあると感じたり、世界が客観的な変化を受けるように思え、小さな妄想が起こりうる。W・サーガントによると、回心者は以前と著しく矛盾する方法で考え、かつ行動するようになる。突然の回心の結果、輪廻転生さえ信じていなかった広瀬は、オウムの非現実的な教義や世界観が客観的現実のように認識されるようになった。当時の心境については「自分の意識状態が変わって、世界観が変わった。過去世から修行していて、オウムの本を読んでその記憶が甦ったと感じた」と証言している。理系の学識を有しても、突然の宗教的回心によって、常識に反する教義をその字義どおりに信じるようになる場合があることは一般に認められている。更に回心者は、カルト的な集団に加入してその集団の思考システムに従い、常識から逸脱した思考や行動をする場合がある。荒唐無稽な教義を有するオウムに入信した理系信者を責める声もあるが、広瀬が教義を字義どおりに信じるようになったり、入信したりしたことには相当の理由がある。広瀬は麻原の著作を読んだが、それに記載の修行を試みることさえしなかった。ところが、突然の回心に伴って強度の幻覚的経験が起きた。この経験は著作によると「クンダリニーの覚醒」といわれ、解脱者(麻原)をグル(霊的指導者)にしないとクモ膜下出血を起こす危険、或いは精神のコントロールが効かなくなり、「魔境」に陥る危険があるとされていた。魔境とは、生まれ変わっても続く恐ろしい挫折であった。魔境を防ぐには、功徳(麻原への奉仕)、麻原や教義への強い信、及び教義の実践が必要であり、広瀬はこれに従うように思考や行動が束縛された。この理由で麻原の指導を受け続けなければならなくなり、入信を強いられ、また脱会が不可能になった。入信動機について広瀬は「オウムの世界観が現実性を帯びた。指導者がいないと危険なので、これを得たかった」と証言している。また共犯者も「広瀬はオウムの本を読んだだけでクンダリニーが覚醒し、困ってオウムに相談に行った」と上記状況を裏付ける証言をしている。社会心理学者によると、広瀬は「魔境」の上記教義が突然の回心によって受容されたために、その教義の影響を不可避的に受けた。1988年末、麻原は広瀬に「救済が間に合わない」と出家を迫り、広瀬は指示どおりに翌年3月31日に出家した。共犯者が「ヨハネの黙示録に基づいてハルマゲドン(最終戦争)を生き残るために、教団の要となる学歴の高い人が期待されており、広瀬が該当した。広瀬の出家担当は教祖」と陳述していることから、麻原が広瀬を武装化要員として出家させたことは明らか。1988年秋、麻原はヨハネの黙示録を「オウムが武力で諸国民を支配する」と解釈。同年10月28日には「この人間社会の救済は不可能であり、今の人間よりも霊性の高い種を残すことが私の役割かもしれない」と説いた。次いで同年11月15日に「大学理数化学の人材をぬきとる」などのオウムの活動方針を幹部に示し、その後多くの信者を出家させた。この頃から麻原は武装化に向けての行動を始めたのである。社会心理学者によると、広瀬は出家の指示に従うに足る影響をオウムから受けていた。その一つは「外敵回避」。一般社会に対する否定的な感情を信者に抱かせるのである。オウムの場合、「一般社会の情報は煩悩を増大させて三悪趣(地獄、餓鬼、動物)に至らせる」、「一般社会の人からカルマ(三悪趣に至らせる悪業)が移ってくる」などの教義がそれだ。友人の証言によると、1988年の晩秋頃に広瀬は広告を見ると頭痛がしたり、町中を歩くとカルマが移ってくるのを感じて体調が悪くなる状態であり、外敵回避の教義の影響を激しく受けていた。この幻覚的経験のために、広瀬は一般社会が三悪趣に至らせることを現実として感じていた。外敵回避の手法はスタルスキー(2005)によるテロリスト養成の社会心理学的研究でも論述されており、一般社会の基準で価値判断する感覚を失わせ、オウムの基準で意思決定させる。社会心理学者によると、その作用によって、広瀬は一般社会での生活の意味を見出せなくなり、出家を意思した。また同じ原因で、出家後に説かれた社会規範に反するヴァジラヤーナの教義を受容した。当時の心境について広瀬は「他人の影響を受け、意識がぼうっとして、心身が辛い状態になった。修行していない日常の状態でも頭頂から麻原のエネルギーが入り、心が非常に静かになって出家の思いが出てきた。それまでに体験した現象は、入信前の価値観を引っくり返すのに十分だった」、また入信前のことについては「だれでも平等に機会が与えられていて、好きなことができる社会ですから、不満はなかった」と証言している。広瀬は在家でも解脱できると宣伝する麻原の著作を読んで回心しており、当初は出家の意思はなかった。また出家を意思する個人的理由もなかった。母親の証言によると、1988年10月上旬の広瀬は就職の内定を喜び安心した様子だった。家計を助けるために高校から大学院までの学費のほとんどを自身で工面しており、家族との絆が強かった。このように、広瀬はオウムが出家への誘導を始めた同年11月以降に、その影響で出家を意思した。社会心理学者によると、突然の回心のためにオウムの情報統制に脆弱な状態にあった。カルトのメンバーは外界のけがれと教団の聖性の信念を植え付けられるなどして人格が解体されるが、その影響が広瀬には認められる。高橋紳吾(1998年)によると、カルトがメンバーの人格を解体し、新たな人格を形成するプロセスは次のとおりである。「集中講義・瞑想・集団祈禱などによって狭義の洗脳状態へと導く。新人は被暗示性の高まった状態となる。外界のけがれと破滅、教団の聖性の強調が繰り返され、これまでの自己同一性が解体される。次第に離人感や奇妙な高揚感がはじまる。飛び上がったり、体が誰かに操られているような作為体験や自我障害、知覚変容が起きる」。オウムでは1994年以後、これをさらに強力・確実に進めるためにLSDなどの向精神薬を使用していたが、薬はむしろない方がその「神秘体験」に宗教的意味づけがなされやすい。この時期には正常な心理状態であれば疑問をもつような単純で眉唾ものの教義であっても、いとも簡単に信じ込み、教団による信者のスキーマ化(注 思考システムの形成)が完成する。信者にとって世界が全く違った様相を呈し、教団の外には悪意が満ちあふれていると感じる。麻原は信者に洗脳やマインド・コントロールの手法を行使した。『心理学辞典』(有斐閣)によると、洗脳は強制的に個人の信念と対立する信念を吹き込み、個人のそれまでの政治的、宗教的信念、またそれらに立脚するアイデンティティー(自己)を徐々に害するものと考えられる。アメリカでは、この影響力の効果を高める要因は、①薬物、②感覚遮断、③催眠、④条件づけ、⑤身体衰弱であるとされる。研究の結果、これらの要因は非常に被暗示性の高い変成意識状態を導くものであり、被験者の素因的な特徴や身体的強制は、洗脳過程に本質的であるとは見なされなかった。暗示とは、対人的な影響過程の一種で、認知、感情、行動面での変化を無批判に受け入れるようになる現象。したがって、上記5つの手法は広瀬にも用いられたが、身体的強制がない場合もあったオウムの環境でも、被暗示性が高い同人に効果的に作用した。そのために、繰り返し吹き込まれたヴァジラヤーナの信念が受容及び強化され、アイデンティティーが害された。また、「ヴァジラヤーナの救済」が事件の動機になった。裁判の証拠によると、麻原が信者に違法行為をさせる目的で行った洗脳は、ヴァジラヤーナの信念の吹き込みである。社会心理学者によると、精神の生物学的要素の問題として、広瀬は被暗示性が非常に高く、変成意識状態になりやすい。100人に数名というレベルで高いと推測される。1989年11月と1990年7月から10月の極厳修行(集中的な修行)では、麻原は広瀬に洗脳手法を用いた。その手法は、「身体衰弱」、「刺激の強度を増すこと」(1989年の修行では以上の2つの手法のみ)、「緊張や不安の状態の引きのばし」、「期待したものを与えないこと」、「衝撃を与えること」などだが、W・サーガントによると思考及び行動様式の転換を引き起こす。広瀬の証言によると、「教義や麻原に対する信が増す」、「楽天的になってしまう」などの意識の変化があった。(「楽天的になったことで、違法行為をするというようなプレッシャーに耐えられてしまうのかもしれない」とも証言している。)1989年の修行では、麻原のエネルギーが頭頂から強烈に入るのを感じ、立位礼拝(立った姿勢から身体を床に投げ出して礼拝する)を食事も睡眠も摂らずに24時間にわたって繰り返しても疲れない状態になった。1990年の修行では、睡眠や食事を制限され、立ちながら修行しても眠ってしまって何度も倒れたが、精神的には天にも昇るような解放感を感じ、辛さを感じることなく修行できる状態になった。以上の意識などの変化について広瀬は、「自分だけの力ではこんな変化はないと思った」と証言しており、麻原の力によって起こったと感じていた。極厳修行では、麻原への帰依やヴァジラヤーナの実践を誓う言葉を繰り返し唱えた。また、ヴァジラヤーナの教義を説かれた信者にとっては、この世の住人を「ポア」することが連想される瞑想を繰り返した。社会心理学者によると、麻原が広瀬を違法行為に誘導した手法の一つは「漸次接近法」。違法行為をさせるためには、社会規範に従う入信前の条件づけを崩し、ヴァジラヤーナの指示に従う新たな条件づけをする必要がある。そのときに抵抗を感じさせないように、段階的に逸脱行為をさせるのである。また、ヴァジラヤーナの行為を繰り返すこの手法は、ヴァジラヤーナの信念を強化し、更に入信前のアイデンティティー(自己)を崩壊させる。「自己知覚」や「認知的不協和」の心理機制によって、その行為と一貫性を保つように認知や感情などの精神過程が変容するからである。麻原はヴァジラヤーナの説法の内容とその実践の指示を段階的にエスカレートさせた。はじめは軽微な逸脱行為を、やがて殺人を指示した。社会心理学者によると、広瀬は重大な違法行為(ボツリヌス・トキシン散布計画)を指示されたときには、ヴァジラヤーナの信念が強化され、社会規範に従う条件づけが完全に崩されており、入信前のアイデンティティ(自己)が崩壊していた。また、ヴァジラヤーナの教義どおりの幻覚的経験をしていたために、その現実性によってもヴァジラヤーナの信念が強化されていた。社会心理学者によると、「信じさせる」ためには「現実性を感じさせる」ことが必要である。現実性とは、あることが客観的現実として存在しているように感じる感覚。彼の研究によると、現実性には「個人的現実性」(神秘体験などの直接的経験によって感じる)と「社会的現実性」(他人が合意する状況に接するなどの間接的経験によって感じる)がある。この2つの現実性を麻原は信者に感じさせ、教義を信じさせた。広瀬は神秘体験(幻覚的経験)によってヴァジラヤーナの教義に個人的現実性を感じていた。「なぜそれ(ヴァジラヤーナの実践のために人類をポアするという考え)が正しいと思ったのか」という検察官の質問に、「その教義が現実として感じられたからと思う。つまり、ヴァジラヤーナの教義は三悪趣に陥る現代人を麻原がそのカルマを背負うことによって高い世界に転生させるというものだった。現代人が三悪趣に転生することは、エネルギー交換の体験(人のカルマが移り、自身が三悪趣に転生する状態を体験したこと)によって、ボツリヌスの指示を受けたときには現実として感じられた。麻原が人のカルマを背負うということも、エネルギー交換の体験(麻原のエネルギーによって自身のカルマが浄化され、解脱などの高い世界を体験したこと)によって、その能力があると実感していた」と答えた。また、この教義に出家信者らが合意する状況に接することによって、社会的現実性も感じていた(「麻原による違法行為への誘導」の1989年4月25日の説法参照)。武装化の場合、麻原は理系の信者を違法行為に誘導する必要があった。武装化要員のはじまりだった広瀬は、その誘導のテストケースだったと思料される。初めての違法行為の指示にも疑問を抱かないように、事前に十分な洗脳をされた。第1審で面接した精神科医によると、犯行時に広瀬はDSM-Ⅳ(アメリカ精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアル)にいう「特定不能の解離性障害」などを来していた。特定不能の解離性障害は、洗脳や思考操作(マインド・コントロール)を受けてきた人に起こる別人格の形成などの状態。洗脳と思考操作は、改訂されたDSM-Ⅳ-TRでは交換可能な言葉として同義的に使用されている。広瀬は精神科医との面接を契機に、約8か月の間、幻聴、幻覚、妄想などの精神異常をきたした。精神科医によると、これは「フローティング現象」であり、個人が本来の人格(自我)とは異質な人格によって(一定期間)機能していたことを示す。フローティング現象は破壊的カルト集団で受けた影響のフラッシュバック。また、精神科医によると、広瀬は地下鉄サリン事件を命じられたときに、特別何も感じていなかった。破壊的カルト集団の影響の典型例であり、神秘体験を得て、麻原と感応し、やがて筒抜け体験に行き、解離の状態に向かうという学問的に見て納得のいくプロセスを踏んで綺麗に犯行に至っているとの所見もあった。(広瀬の第一審における精神科医の証言 裁判記録参照)。この事実は、オウムによる洗脳やマインド・コントロールによって、広瀬の思考や行動が束縛されていたことと整合する。(出典加筆中)
出典:wikipedia
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