石野 卓球(いしの たっきゅう、1967年12月26日 - )は、日本のテクノミュージシャン、シンガーソングDJ、グルーヴ歌手、音楽プロデューサー。本名、石野 文敏(いしの ふみとし)。愛称は「クリ坊」、「フミトシ」、「卓球さん」。静岡県静岡市(現在の同市駿河区)生まれ。小学生時代に縁日の露店で祖母に買ってもらったYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に衝撃を受け、あまりに毎日聴きすぎたため母親から『イエローマジック禁止令』を出されてカセットテープを隠されてしまったほど。「(母親は)静岡の同世代の女性で最もYMOを聴いた人だと思う」と回想している。中学生時代にクラフトワーク(特に人間解体を聴き狂っていた最中には更に「ウチの母親は1曲目のロボットからラストのマン・マシーンまで覚えているテクノ母さんでもある。」と当時の宝島でコメントしている)やニュー・オーダー等の他、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのようなアヴァンギャルドでコアなノイズ等にも傾倒し始め、挙句には勉強部屋で電気ノコギリやドラム缶の音まで鳴らす様になる。この当時、卓球の実妹は彼の部屋から聴こえる音がうるさいという内容の詩を書き、コンテストで入賞している。自身に敢行したテクノカットを学級委員に指弾されつつも音楽三昧の日々を過ごす。やがてRoland SH-2、TR-606などの機材を買い揃え、宅録ユニット「メリーノイズ」として活動を開始する。15歳の時に当時の友人の兄が企画したイベントに参加し、「メリーノイズ」として初舞台を踏む(会場はすみや本店おれんじホール)。静岡学園高校時代ピエール瀧ら友人数人とインディーズのテクノユニット『人生』を結成。その後、ナゴムレコードを主宰するケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)から「レコード出さない?…ナゴムから出さないでどこで出す!?」と声をかけられ、卓球の勉強部屋で自宅録音されたデモテープが、そのままナゴムから1stソノシート「9 TUNES FOR MIRAI」として発売されることをきっかけに、ナゴムに就職する気持ちで上京する。小学生感覚の下品な歌詞と安っぽいシンセサウンドが特徴的で、中には奇声だけで曲にすらなってないパフォーマンス的なものまでレパートリーにあった。曲の長さも短いものが多く、数秒で終わるような極端に短いものもある。『人生』のメンバーは奇抜なメイクをしており、卓球は白塗りに目が赤と青の独特なメイクで、時に怪しいピエロ風、時にカッターシャツにネクタイ、時に大ファンである鬼太郎ファッションに身を包んでいた。インディーズブームに上手く乗っかり、レコードは作品を出す度にインディーズ・ベスト10にランクインする程の人気者になると同時に、ナゴム人気にも貢献する。1989年にメンバー・おばば(ex 分度器)の脱退に伴い『人生』を解散する。『人生』解散後、卓球はエロ本の編集者でもやろうかと考えるが、片手間に音楽を続けるために、1989年にテクノバンドの電気グルーヴを結成。数回のライブとインディーズからのCDリリースを経た後、ソニーレコードのTrefortレーベル(キューンレコードの前身)から声がかかり、メジャーデビューを果たす(実は同時に複数の会社から打診を受けていたが、最終的に寿司をおごってもらった事が決定打となる)。デビュー後数年は、テクノユニットというよりもラップユニットとしての側面が強かった。電気グルーヴはあくまでヒップホップではなくエレクトロニックミュージックを身上としており、ラップはボーカルスタイルの方法論として採り入れていたに過ぎなかったが、パプリックイメージは徐々に卓球の目指す方向性とは異なっていった。卓球は自らの追い求める音楽を模索し、アルバム『VITAMIN』でその答えを出す。半分の楽曲がインストゥルメンタルというこのアルバムは世間に衝撃を与えた。卓球がイギリスに渡りテクノを中心としたクラブカルチャーに衝撃を受けたことの影響が色濃く反映されており、電気グルーヴをテクノユニットとして世に認めさせる事に成功した。ソロ活動も盛んであり、欧州を中心に海外活動を行っている。1994年にNINJAHEAD名義でリリースした「PULSEMAN VS SINEMAN」がクラブヒットを博し、数々のコンピレーションアルバムに収録された。その頃より本格的に始動させたDJとしての活動では、ドイツ、東欧で非常に高い人気を誇る。1998年、ベルリンで行われた世界最大のテクノフェスティバルであるラブパレードのFinal Gatheringにおいて100万人の聴衆の前でプレイしている。また、ヨーロッパのアーチストとの親交も深く、トビーネイションと共にマイク・ヴァン・ダイクと日独テクノ同盟を宣言している。日本においては日本最大の屋内レイヴイベント「WIRE(ワイヤー)」を成功させ、レコードレーベルLoopaおよびplatikを主宰し、月に1度のレキュラーパーティーとして2002年より東京・円山町にあるクラブ「WOMB」にて「STERNE(シュテルネ)」(ドイツ語で「星」)を、2009年5月より京都の四条河原町付近にあるクラブ「世界WORLD」にて「SPRUNG(シュプルング)」(ドイツ語で「跳躍」)を開催している。1990年代後期より東京都内某所にプライベートスタジオ「montag」を構え、現在はここを拠点に活動を行っている。その膨大な量のシンセ・リズムマシンの数々は、訪れたスチャダラパーやRYUKYUDISKOなどを圧倒した。ただ、スペースの都合から全部横に立てかけられているので、使用する際は合せて横になって弾かなければならない。また、卓球は運転免許を持っていないため、自転車で通勤している。活動の本体である電気グルーヴやソロ名義でのリリースに加え、変名での活動や、他のミュージシャンとのコラボレートによる連名もしくはユニット名義でのリリースが多いのも特徴である。具体的な変名としては、662's、DOVE LOVES DUB、Jamaican Zamuirai、NINJAHEAD、MICKIEE、YAKYUU ISHIDA、Ginger Headsなど。コラボレートしたミュージシャンとしては、ウェストバム、マイク・ヴァン・ダイク、フランク・ムラー、小山田圭吾、岡村靖幸、砂原良徳、川辺ヒロシ、篠原ともえ、スチャダラパー、七尾旅人、AFRA & INCREDIBLE BEATBOX BANDなどが挙げられる。なかでも川辺とのユニットInKでの活動は、単発的なコラボレーションではなく、1stアルバム以降も継続的に活動するという意図を打ち出している。また、リミキサーとしても活動しており、国内外問わず多くの作品を手がけている。クレジットされているアーティストとして、YMO、ピチカート・ファイヴ、エレファントカシマシ、少年ナイフ、宍戸留美、ORANGE RANGE、テクネイジア、李博士、m-flo、SOUL FLOWER UNION、HALCALI、RAM RIDER、ヒカシュー、ポール・モーリアが挙げられる。プロデューサーとして、デビュー当初の篠原ともえの作品を手がけヒットさせている。そのほか細川ふみえ、五島良子、木村カエラなどのプロデュースをしている。宇川直宏の音楽ユニット、UKAWANIMATION!のシングル"惑星のポートレイト 5億万画素"では石野卓球がリスペクトを公言していたという萩原健一とのコラボレーションを実現。映画や舞台で使用される劇伴の制作や楽曲提供の依頼も多い。昨今はDJやリミキサーとしてのソロ活動や川辺ヒロシと結成したInKとしての活動なども盛んである。エレキングでつけられた「テクノマエストロ」という異名もあるが定着しなかった。実家はパン屋だが、父親は土木業を経営する。血液型はO型。左利き。包茎。ドM。納豆と高所が苦手。お笑いと映画以外の趣味は、強いて言えば「爬虫類の飼育」や「フィギュア収集」など。かつて「月刊OUT」に投稿して掲載された事がある。芸名の由来は中学時代の所属部活動から。運動部に所属すれば自転車通学が許可されていた為、所属はしたものの完全なる幽霊部員だったと語っている。学生時代は校則により坊主頭を義務付けられていたため、他の学校の友人などからは「クリ坊」、「クリちゃん」と呼ばれていた。ちなみに1994年の末に突然坊主頭にしたことがある(「たんぽぽツアー」の楽屋で何かを思い立ち丸刈りを実行。ステージには当初アナログ盤「ドラゴンEP」のジャケットを帽子のように被り登場した)。また、その1年ほど前の1993年には、それまで伸ばしていた髪をツーブロックし、上の部分だけをてっぺんにまとめてチョンマゲのように結っていた時期があったが、周囲からの猛烈な反発に合い、ごく短期間で中止している。静岡学園高校の一学年上の先輩に三浦知良がいたが、卓球が入学した時点で三浦は1学年修了を待たずして中退し、ブラジルに単身留学していた為、面識は無い。彼の名前を聞かされてもロス疑惑の方(三浦和義)の事かと思ったという。多くのプロサッカー選手を輩出している有名校だが、非常に厳しい校風で、卓球は当時の学園生活を振り返り「懲役三年」と語っている。一方で、パジャマ姿で登校するなどといった奇行を行った等のエピソードを明らかにしている。相方の瀧が野球上手なのに対し大のスポーツ音痴。「モグラネグラ」の野球企画でレフトを守った際も、飛球を落球したあげく、その球を「俺が取るのか?」といった態度で面倒臭そうに取りに行く姿が垣間見えた。サッカー王国の静岡県出身だがもちろんサッカーなどに興味はない。そんな卓球が2002年ワールドカップの公式讃歌(作曲・プロデュースともにヴァンゲリス)のリミックス版をリリースした時は「あのスポーツ音痴が何故?」とファンやメディアの間で話題になった。非常に個性の強い人物であり、下ネタなどを得意とする。アダルトビデオ出演経験あり(彼曰く「勃たなかった」ので本番はなかったらしい)。ちなみに童貞喪失は中学2年の夏休み。かつて『電気グルーヴのオールナイトニッポン』生放送中に性欲を催し、曲をオンエアしている間にスタジオを抜け出しトイレでオナニーを済ませて戻ってきたという逸話がある(番組ではその様子すら一種のイベントとして楽しんでいた)。本人は誰よりも破天荒な人物だが、他人の細かい心理や非常識的な行動言動に対して鋭く的確なつっこみをする。ひとたびテンションが上がると、思いついたダジャレや単語はとりあえず口に出して言わないと気がすまない。自称「ギャグピューター」。酒好きで一旦酔うとギャグピューターぶりが加速し、その酷さがより加速する。しまいには瀧すらもフォローするのが面倒になり、ケラリーノ・サンドロヴィッチやMCボーズを激怒あるいは呆れさせたというエピソードが多数存在する。ビールはガロン単位で飲む。そのため、酔って尿失禁する機会が何年かに一度のペースで度々ある。プレイで使用するDJブースは実家でかつて妹が使用していた勉強机や瀧の家のタンスなど、場所とシチュエーションを選ばない。ライブのMCではオールナイトニッポン時代を彷彿とさせる毒舌と過激なギャグで観客を沸かせるが、2010年代のライブMCでは瀧に対し「180%の力でミキティーやって」など、常軌を逸した無茶ぶりをして瀧が嬉々として答えるというやりとりが定番化している。パフォーマンスで疲労する瀧に代わってトークのイニシアチブを取り、瀧が突っ込みに終始することも多い。また、アンコールのMCでは飲酒しながらのトークになるため、内容がより過激になる。新しい性的技法として『オナックス』を提唱。カップ焼きそばと本物の焼きそばが実際は別種の食べ物であるように、セックスとオナニーもまた別物であるという理論のもとに、なおかつ両方を組み合わせたもので、男女でお互いを前にオナニーをしあう行為、または女性が男性の自慰行為を手伝うこと(あくまで陰部は自分で刺激する)を指す。重要なのは、盛り上がっても決して相手に手を出してはいけないということである。小室哲哉所有のフェラーリに、自身の性器をなすりつけ「ここから腐るぞ」と言った。マゾなので「尿は飲んでも飲まれるな」が身上である。また、基本的にノンケだが、テクノ系クラブシーンに身を置く都合上、ゲイに対する偏見は薄く、ゲイカルチャーとはなんとなくウマが合い、「まぁ、それなりに…」とチャレンジした事があると告白している。1991年ごろには毎晩のようにオカマバーへ通い、「男女のはざまを行く不思議な感じが好き」とオールナイトニッポンで告白していた。親友の日出郎から「アンタにはその気があるのよ。アンタの書く歌詞を見れば分かる」と指摘されている。銃社会にはアンチの姿勢をとっている。「もし合法的に銃の所持を許される世の中になっても、人殺しの道具である以上、俺は一生持ちたくない。人を殺す目的だけの為に生まれてきた道具だけは触れたくも無い」といった主旨の発言を行っている。デビュー当時はホンジャマカの恵俊彰に似ていると言われる事が多かった。これに関しては逆に恵も卓球に似ていると周囲から言われていたらしく、ふとした切っ掛けで初対面の折には、どちらともなく歩み寄り「似てるって言われますよね?」と意気投合したという。また当時は失踪癖があり、「プチYOSHIKI」との異名を持っていた。テレビ等に出演する際、サングラスをかけているときは、『この場は自分にとってアウェイである』と感じているという意思表示である。その場に瀧が同席していた場合、対応を丸投げする。電気のアルバム『DRAGON』以降、ローマ字表記は「Takkyu Ishino」でほぼ統一されているが、それ以前は「TackQ Ishino」、あるいは「TaQ Ishino」などの表記が度々用いられた。特に前者に関しては、彼がリスペクトを表明しているOn-Uサウンド所属のTackheadの影響によるものと思われる。近年の自身の楽曲やリミックス仕事のなかで、特にクラブユースを想定したトラックに関しては、曲のテンポをBPM133.333付近でほぼ統一している。このテンポだとアナログレコード盤に33回転でプレスされた場合、曲のなかの一小節単位とターンテーブル上での針の一周の周回時間がほぼ一致する為、DJで使用する際に何かと都合が良い事が主な理由であるという。1997年2月に結婚、2005年5月に離別と推測される発言をしている。1994年、スポーツ紙が結婚報道を伝えたことがあるが、これは浅草キッドのラジオ番組で卓球が言った冗談を記者が真に受けた誤報である。2008年4月2日放送のJ-WAVE OH! MY RADIO出演時、電気グルーヴの噂等を募集するコーナーで上記、卓球の結婚・離婚の記述を取り上げた。その際、瀧と笑いながら「100%嘘」と言い、他の自分達の項目に対しても「嘘が多い」「とんでもない物がある」「爆笑する」「でもデタラメでいい」等とコメントをしている。さらにそういったWikipediaの内容をソースとして取材されることもあり苦笑しているようである。それらを踏まえた上で、「もっと『ほんとうの事』をどんどん書け」とのお達しが出ている。実際は、離婚経験はなく結婚しており、子供はいない。映画はATG関連の諸作品や石井聰亙監督作品『高校大パニック』、ドラマは『ふぞろいの林檎たち』などを好む。音楽に没頭する以前は、富野由悠季作品を初オンエア時から熱心にチェックする少年だったという。ゲームやアニメに関連する仕事を多く手がけた影響か、現在進行形でアニメや漫画好きと捉えられがちだが、特にそんな事は無く最近のものには一切興味がないとの事。ただ、たまにライダーカードの完全復刻版欲しさに何万円もする『仮面ライダー』のLD-BOXセットを突如購入してみたり、1970年代の古い作品を観返したりする事はあるという。一方で、かねてより「特殊漫画家」こと根本敬の大ファンである事を公言。卓球より連絡をとり交流を持つようになった。のちに電気が大プッシュした李博士のポンチャックなども、根本の影響によるところが大きい。また、根本に教えてもらったサヌリムという韓国のサイケバンドのCDを聴く為、卓球は初めてCDプレイヤーを購入したという。お笑いシーンに関しても異常なほどの知識を持ち、かつては独自の情報網を駆使し、関東にいながらにして全国進出以前のダウンタウンの関西ローカルでの活躍を常にチェックしていたほど。東京ではまだ現在ほど知名度の無かったダウンタウンの松本人志と放送作家の高須光聖に東京・笹塚のデニーズで遭遇し、すかさず握手とサインを貰ったという(蛇足だが、電気グルーヴの結成の地もデニーズ(初台駅近の西新宿店)である。)。野性爆弾を絶賛しており、彼らの初冠番組野爆テレビもチェックしている。お笑いに造詣が深いことは前述の通りだが、近年は特に劇団ひとりを絶賛しており、彼のライヴに駆けつけたり花輪を送ったりしている。また、ダンディ坂野もお気に入りの芸人のひとりで、『爆笑オンエアバトル』出演時に虜になり、一通りのブームが去った今でも大好きである。ずっと面識は無かったが、2008年4月放送の『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』出演時に特別ゲストとしてダンディが登場。待望の接見を果たした。ファーストアルバム収録の「TKO TONE」でサンプリングされている「入会金無料、1時間800円!」の声は、TV番組「進め!電波少年」の企画で松本明子が担当した風俗店の呼び込みナレーションである。卓球はそれとは知らずに使用していたという。近年は重度のラジオマニアであることを公言、自宅に数台のラジオを配置してどこでも番組を聴けるようにしているという。TBSラジオ『ストリーム』は番組の流れをすべて把握しているくらいとの発言もし、番組本への寄稿までしている(ただし、音楽的影響はゼロとのこと)。後続番組であり、瀧も出演している『小島慶子 キラ☆キラ』『たまむすび』も継続聴取しており、ときには番組にメール・FAXを送ることもある。過去に瀧がゲスト出演した回の『伊集院光 日曜日の秘密基地』にリスナーとしてFAXを送ったことがあるが、スタッフから悪戯と思われて不採用になった経験がある。なお、『ドリルキングアワー』終了後は瀧がレギュラー出演する番組にゲスト出演するのが基本であり、自らが番組を持つことはない。電気グルーヴの楽曲「リンギンベル」のイントロに使用されているベルの音は、とある空港で自身が偶然にベル合奏の練習をしている団体に遭遇した際、許可を得て録音・サンプリングした音源であると雑誌「Sound & Recording Magazine」内のインタビュー記事で語っており、その録音に使用されたローランドR-05の実物画像がインタビュー記事と共に掲載されている(GROOVE SPRING 2012号)。DJ出演時などは携帯し、自身のプレイを録音する等で使用している。同一女性を頂きに置くチェッカーズの武内享を長男、水道橋博士を三男とする穴兄弟の次男である。※ここではソロとしてのレギュラー番組のみ紹介。
出典:wikipedia
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