1953年(昭和28年)に山梨県立臨時教員養成所として発足し、1955年(昭和30年)に都留市立都留短期大学に、さらに1960年(昭和35年)に4年制の都留市立都留文科大学となった。文学部のみの単科大学であるが、(2011年(平成23年)に福山市立大学が開学するまで)公立大学で唯一の教員養成系大学であり、卒業生の多くが教職に就いている。とりわけ創設以来、小学校教員養成には力を注いできた。また人口約3万2000人(2016年1月現在)の地方小都市である都留市が大学運営をしてきたという他の大学にはない特徴がある(単純な人口規模で言えば2006年に設立した名寄市立大学を運営する名寄市のほうが、約3万人前後と少ない)。2009年(平成21年)に公立大学法人へ移行し、2013年(平成25年)に創立60周年を迎えた。都留市の中心部である谷村は、江戸時代に谷村興譲館という学校が設立されるなど、教育・文化を重視する風土があり、県立臨時教員養成所の誘致や短期大学への移行は市民の力が大きく働いた。市民のボトムアップによって設立された大学という点では日本では希有な存在である。しかし、地方小都市による大学運営は並々ならぬ苦労があり、60年代終わりには県立移管が浮上。さらに70年代初めの国立移管(都留市外への移転を伴う)は都留市長選挙の際に選挙公約になったほどであった。しかし現在は市も大学を政策の大きな柱の一つとして位置づけている。1960年(昭和35年)の4年制移行時は初等教育学科、国文学科の2学科でスタートし、1963年(昭和38年)に英文学科を設置した。長らくこの3学科のみであったが、社会の変化に対応するために1987年(昭和62年)に社会学科、1993年(平成5年)に比較文化学科を増設し、現在は5学科、大学院5専攻、約3000人の学生を擁するまでになった。またそれらの学科増設に対応するためにも新講義棟(現2号館)、3号館、新附属図書館の建設など、設備面も逐次拡充を行ってきた。さらに、創立60周年事業の一環として2016年(平成28年)2月の完成を目指し、国際交流会館(仮称)を音楽研究棟横に建設しているほか、隣接する南都留合同庁舎の敷地へのキャンパス拡大も計画されている。
その一方で国際化への対応から、学外交流への道も開拓され、1995年(平成7年)に中華人民共和国・湖南師範大学と交換留学協定を締結し、1998年(平成10年)アメリカ合衆国・カリフォルニア大学と学術交流協定を締結し、どちらも交換留学することができる。さらに協定校留学として2007年度(平成19年度)よりアメリカ合衆国・での語学研修プログラムを開始した。そのほかにも海外語学研修があり、学外交流は増えつつある。国際関係について:1978年(昭和53年)最初の国際的な接触は、当時当大学学生の阪口正則(現・和歌山県立神島高等学校校長)が、彼と一緒に滞在し、キャンパスを見学するアジア系アメリカ人の友人を招待したときに生まれた。これは、多くの学生に国際関係に大きい関心を巻き起こした。学部生の出身地は地元都留市が約1%程度、山梨県に広げても約10%であり、残りの約90%近くは他のさまざまな都道府県から学生が集まる全国区大学である。また大学には寮がないため、学生の9割近くが都留市内の大学周辺に下宿(ワンルームマンションを含む)をしている。この全国区型の傾向は都留短期大学時代から既に見られた。それは1950年代後半に全国の国立大学が2年制の教員養成課程を廃し、4年制に一本化しはじめたことによるもので、2年で教員資格が取れる都留短期大学は地元山梨県はもとより北海道から沖縄県まで全国から学生が集まった。さらに全国区型の特徴の要因となっているのは、4年制移行直後の1961年(昭和36年)3月の入学試験から全国の大学に先駆けて、全国各都市に試験会場を設ける地方試験の導入である。これは当時の国公立大学はもちろんのこと、私立大学を含めても類を見ないものであった。以前から公立大学は国立大学と別日程であったこともあり、この地方試験によって教員志望者が「地元の国立大学の次に志望する大学」という地位を築いていった。
現在、学部の入試は大きく分けて推薦入試と一般入試が行われており、一般入試は国立大学と同じ「前期日程」と公立大学独自の「公立大学中期日程」(旧C日程)の分離・分割方式で行われている。試験会場は2015年度(平成27年度)は一般推薦入試が全国15都市(旭川、函館、盛岡、仙台、東京、都留、新潟、富山、名古屋、大阪、岡山、高松、福岡、鹿児島、那覇)、一般入試(中期日程)が全国12都市(札幌、仙台、東京、都留、富山、名古屋、大阪、広島、高松、福岡、鹿児島、那覇)で行われた。1964年(昭和39年)に都留文科大学附属小学校が設置されているが、これは、都留市立谷村第三小学校を校名変更、改組したもので、都留市教育委員会によって他の公立小学校と変わらない運営がなされている。つまり学区内に居住していれば入学できる。これは大学の附属小学校としては唯一の存在である。『菁莪育才』(「せいがいくさい」 初代学長諸橋轍次が学訓として選んだ言葉で、出典は『詩経』である。「社会有為の人材を育成することを楽しむ」という意。)富士急行大月線・都留文科大学前駅(特急停車駅)から徒歩5分。中央自動車道・都留インターチェンジから車で10分。(在任期間、氏名、就任当時の所属・肩書の順)国際・学術交流等協定校短期海外語学研修実施校日本で唯一の公立の附属小学校である。文学部のみの単科大学であるが、公立大学唯一の教員養成系大学としてこれまで多くの小・中・高等学校教員を全国に輩出してきた。特に創設以来、小学校教員養成には力を注いでいる。なお、比較文化学科を除く学科で小学校教諭一種免許を取得することができる。卒業生約3万名(2013年現在)のうち約1万名以上が教職に就いている。最盛期の70~80年代前半に比べ教員採用は少ないが、2012年(平成24年)度卒業生の進路決定者のうち教員は32%(初等教育学科では約70%)を占めており、公務員は9%、企業は49%である。近年はNGO、NPOなどにも進出している。大学院・他大学への進学者は9%である。卒業生には大学院進学を経て研究者になる者も多い。創設当初よりある初等教育学科・国文学科・英文学科は教育学・文学・外国語学などの他大学大学院との連続性も強く進学者も多い。しかし,90年代前後に新設された社会学科、比較文化学科は他大学大学院に都留文科大学のカリキュラムに直結した大学院が少ないことも影響しており漸次整備された各学科に対応した都留文科大学大学院(修士課程)に比べ、他大学大学院への進学は、やや分が悪い。学生の90%前後が山梨県外の出身者で、卒業後にその多くが再び地元に戻っていく傾向がある。6月に高崎経済大学との間でスポーツ交流戦「鶴鷹祭」(かくようさい:都留=鶴、高崎=鷹)が行われる。10月末から11月上旬に学園祭として「桂川祭」(かつらがわさい)が行われる。新入生歓迎運動や桂川祭(学園祭)、鶴鷹祭など学生行事・生活に関わるものを数多く運営している。所轄は細かく分かれており、その長として執行委員会委員長を定めている。つまり自治会長は存在しないが、正副執行委員長選挙のみ公選で年1回行われる。また、これとは別に生協も置かれているが、政権批判を中心とした政治的なビラの配布や1号館前の巨大な立て看板、張り紙など、昭和の学生運動を彷彿とさせるような活動が多い。その多くが大学の許可なく行われており、大学当局や自治会とは実質対立する面が見られる。また、2015年6月にはその立て看板が切り裂かれる事象が発生した。
出典:wikipedia
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