アメリカ統合参謀本部(アメリカとうごうさんぼうほんぶ、英:Joint Chiefs of Staff、略称:JCS)は、アメリカ軍における機関の1つ。アメリカ軍の最高機関であり、組織体系的にはアメリカ国防総省、およびそのトップである国防長官(文民)の下にある。軍事戦略の立案を行うとともに、合衆国大統領及び国防長官、国家安全保障会議、に対して軍事問題に関する助言を行うことを任務とする。議長は専任(副議長も専任)であり、大将(generalまたはadmiral)が補され、アメリカ軍人(制服組)のトップと位置付けられる。統合参謀本部は、専任の議長及び副議長に加え、国防総省の管轄に属するアメリカ軍の4軍(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)の長、さらに州兵を管轄するのトップであるがメンバーであり、加えてそれを補佐するスタッフなどからなる。統合参謀本部は、1947年に空軍新設や国防総省設置などを伴う組織改革に合わせて設置されたものである。初代議長はオマー・ブラッドレー大将(在職中に元帥昇進)であった。議長は、アメリカ合衆国大統領及び国防長官等の主たる軍事顧問であって、助言に関し、他メンバーよりも大きい権限を有している。なお、実戦部隊の作戦指揮権 ('operational command') は与えられていない。作戦命令は、軍の最高司令官(Commander-in-chief)たる大統領から国防長官を経て、直接各統合軍司令官を通じて発動される。JCSの下には、J-1からJ-8と略称される部局が設置されており、人事計画や情報収集、作戦立案、兵站計画の作成などを行っている。米西戦争において、アメリカ陸海軍はそれぞれ独自に作戦立案を行っており、サンチャゴでの戦いなど協力の必要があったにも関わらず、協力関係は薄かった。1903年になると、セオドア・ルーズベルト大統領により陸海軍合同会議(Joint Army and Navy Board)が設置された。これは陸軍参謀本部と海軍将官会議(General Board)の代表者および主務担当者で構成され、陸海軍の競合する問題について助言を行うこととされた。しかし、この会議は陸軍長官および海軍長官から提起された問題についてのみ助言を行うこと、会議の決定を実行させる権限を有さなかったこと、立案能力が低かったことにより、有効には機能しなかった。第一次世界大戦に際しても機能しなかった。1919年に陸海軍両長官は合同会議を再編することにし、構成委員を見直している。両軍の作戦立案実務者が加えられたほか、会議の下に合同計画委員会(Joint Planning Committee)が設けられ、会議自身がイニシアチブを取ることができるようになった。第二次世界大戦にアメリカ合衆国が参戦すると、1942年にイギリスとの間で連合参謀本部(Combined Chiefs of Staff)が設置された。イギリスには三軍の統合指揮調整機構として参謀総長会議(Chiefs of Staff Committee)が設置されていたが、アメリカの陸海軍合同会議にはそれに相当する権能がなく、カウンターパートには不適であった。1942年7月にウィリアム・リーヒがアメリカ陸海軍最高司令官付参謀長(Chief of Staff to the Commander in Chief, U.S. Army and Navy)に任命され、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長、アーネスト・キング合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長、ヘンリー・アーノルド陸軍航空軍司令官を加えて、統合指揮調整機構かつ連合参謀本部のアメリカ側代表である統合参謀本部(Joint Chiefs of Staff)が設置された。最高指揮官たる大統領の補佐も行っていたが、公的な位置付けは曖昧であり、法的な裏付けはなかった。1947年の国家安全保障法により、合同会議は廃止され統合参謀本部は明確な法的裏付けを得た。
出典:wikipedia
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