鉄腕アトム (アニメ第1作)では手塚治虫原作の漫画『鉄腕アトム』のアニメ第1作目を解説する。フジテレビ系列にて、1963年1月1日から1966年12月31日まで放送。全193話。一部を除きモノクロ作品。日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメ、日本初の国産ロボットアニメである。(ちなみに放送当時には通常は「TVアニメ」とは呼ばれず「テレビまんが」とよばれていた。「アニメーション映画」も「まんが映画」であった。)登場人物の設定は登場キャラクターを参照。オープニングには、前期・中期・後期の3つのバージョンが有る(前期は、インスト・歌有りの2種類)。内容は次の通り。なお、いずれも切り替え時期は不明。これらの内、後年の再放送や懐かしのアニメ特集、さらにビデオソフト版では、もっぱら後期バージョンの物が使われている。2002年に発売したDVDでは、前期前半・前期後半・中期のオープニングが映像ソフトで初めて収録された。なお、日本映画専門チャンネルの『手塚治虫アニメシアター』では、第56話を除く全話が後期バージョンで放送された(第56話は、1980年にリバイバル上映された時のオープニングを使用)。ただし別枠で、第116話&第117話が中期バージョンで放送された。NHK BSプレミアムでの再放送時は、事情で提供テロップになる前に映像が止まってる。エンディングは2バージョン有り、前期はアトムの表情などで構成された静止画バージョン、後期は未来都市の上をアトムとウランが飛ぶ動画バージョンとなっている。OP同様切り替え時期は不明。双方とも映像には余白の部分が有るが、本放送当時は各話のスタッフやキャストのテロップが合成されていた。なお『手塚治虫アニメシアター』で放送された際には、一貫して後期バージョンを使用し、スタッフなどのテロップは合成されなかった。その事に関してのお断りは、初期はED放送中にテロップされていたが、後に放送後にブルーバックで表示された本作は日本のキャラクターとしては初めて商品化権の概念を確立した。本作の関連商品は日本のアニメキャラクターで初めて著作権表示をつけたとされている。本作以前のキャラクター商品は海賊版が当然であり、著作権者に許諾を求めることも、使用料を支払うこともほとんどなかった。手塚治虫も本作ではそれでいいように考えていたが、ディズニーと取引があったセイカノートがディズニーの許諾業務のノウハウを手塚に教えたのである。セイカノートの狙いは商品化権の独占にあり、商品化権を取得していない同業他社を排除することにあったのだが、結果として著作権者に使用料が払われるようになり、赤字体質だった虫プロを救い、テレビアニメに商業性があることを示した。もっとも、『アトム』商品が市場に登場したのは放映開始から3ヶ月後である。放映開始が元旦で、当初は半年で放映が終わる予定だった。つまり3ヶ月で『アトム』の知名度を上げ、残り3ヶ月で商品を流通させる計画だったことになる。となると「制作費の不足を商品化権収入で補う」というよりは「制作費の赤字を放映終了までにできるだけ減らす」という「守り」の発想だったのではないか、とする説もある。「当初の制作費は1話当たり55万円であった」と手塚が生前に書いたり語ったりしたことがあちこちに引用され定説化してしまっている。しかし、各種の資料や当時の関係者の証言などを再調査した津堅信之は、実際には代理店より1話当たり155万円が支払われており、放映終了の頃には300万円を越えていたとしている。もっとも、『ジャングル大帝』の総監督を務めた山本暎一によると、工業簿記を取り入れて1日単位で制作費管理をした『ジャングル大帝』に対して、『アトム』は簿記管理体制を最終回まで使っておらず、さらに『アトム』では手塚社長による脚本、絵コンテ等のチェックが行われるやり方だったために「先生待ち」(まんが家として超多忙だった手塚はなかなか時間を割いてくれなかった)で制作作業が止まってしまってスタジオがフル稼働できずそのぶん人件費がかさむという悪循環が続き、そのためカラー制作の『大帝』よりも白黒の『アトム』のほうが実制作費がかかったという。本作は手塚がフジテレビに企画を持ち込み、実現したと巷間伝えられるが、フジテレビの別所孝治プロデューサーによれば、実際には当時萬年社の制作課長だった穴見薫が仕掛け人だったという。虫プロのアニメーターに穴見の妻となる中村和子がいたことで手塚と関わりを持ち、スポンサーに明治製菓(現・明治)を引っ張ってきてこれを実現し、この縁で穴見は虫プロに常務待遇で迎えられることとなったそうである。放映開始時にはそれまで10年以上の長期にわたって月刊誌で連載された漫画原作のストックがあった。しかし、1つのエピソードを月刊連載の数回分で完結させていた原作に対し、アニメでは原作の1つのエピソードを毎週放送の1回分で完結させたので(例外は前編と後編に分けた「史上最大のロボット」と「青騎士」だけ)、原作のストックはたちまち使い尽くされてしまった。このため、すでにアニメ化したエピソードをアレンジし直したり、別の手塚漫画作品などを元にしたオリジナルなアトムのエピソードが多数を占めるようになった。後に映画『ミクロの決死圏』の元ネタではないかという説の出た第88話「細菌部隊」も、手塚が1948年に発表した漫画『吸血魔団』がベースである。また、「幽霊製造機」のように全く同じタイトルで2度制作されたエピソードもある。手塚原作にはない完全にオリジナルなストーリーは、辻真先や後にSF作家となる豊田有恒などが執筆した。本作では、アトムの誕生日は2013年4月1日という設定(原作では2003年)。『アトム』原作から続くテーマの1つに人種差別があるが、それを正面から取り上げた第9話「ブラックルックスの巻」は米国では放映されなかった。製作環境は凄まじく、特に放映初期に関しては様々な証言が残されている。その後は安定したかというとそうでもなく、途中から参加した富野喜幸は「製作が放映に間に合わない時には以前のフィルムから使えそうな部分をツギハギして1話分でっち上げた」と後に述懐している。これは主要スタッフが『ジャングル大帝』に異動し、半ば放置されたためである。第34話「ミドロが沼の巻」は、手塚治虫本人からの依頼で、スタジオ・ゼロが作画を担当したが、担当者(鈴木伸一・石ノ森章太郎・藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)・つのだじろうら)毎にキャラクターのタッチが異なっていたおり、その後、虫プロからの発注は2度となかった、この回のフィルムは長らく行方不明となっていたが、アメリカで放映されたフィルムが発見され、日本語版の音声テープを組み合わせて2002年にDVD-BOXが発売された際には復元された。鈴木らは、フィルムが行方不明になった理由について「作画が気に入らなかったので手塚が破棄したのではないか」と考えていたという。それに対し、当時スタッフの1人であったりんたろうは「手塚は周囲にとても気を遣う人だったので、外部の人に作ってもらったものを捨ててしまうとは考えられない」と述べている(2002年に放送されたNHKBSの番組のインタビューによる)。1965年からは、虫プロは『鉄腕アトム』に加えて『ジャングル大帝』『W3』の制作を並行して開始して、生え抜きスタッフはこぞって『ジャングル大帝』に参加した。そのため、手塚治虫本人から旧知のうしおそうじが率いるピープロへ原動画以降の外注を依頼。1965年1月23日放送の104話「悪魔の風船」から1クールの予定が、都合3クール分の39本の外注となった。この他にも、TCJから独立した大西清が設立した大西プロが、1965年9月18日放送の134話「脱出作戦」から月に1本ということで制作を請け負った。第56話「地球防衛隊」のみ試験的にカラーで制作された。ただし、放送自体はモノクロで行われている。この回は40.3%(ニールセン調べ、関東地区)の視聴率を記録した。このエピソードは後に再編集されて劇場公開もされた(下記を参照)。最終回「地球最大の冒険」は1966年の大晦日に放送された。内容は地球を救うための太陽活動を抑える装置を載せたロケットをアトムが抱えて太陽に突入するというもので、当時の子供達に与えた影響は大きかった。視聴率はこの時点でも20%を超え好調だったが、終了は輸出先のアメリカのテレビがカラー化が進行していてモノクロの本作品が売れなくなったこと、長期に渡る放送でアトムの商品イメージが限界に来たというスポンサーの明治製菓の意向が理由であった。終了はテレビで予告されて、視聴者の母子からは続行を希望する手紙が殺到したという。この最終回の続編として手塚が1967年1月24日より執筆したのが、サンケイ新聞連載版『鉄腕アトム』(単行本化の際に『アトム今昔物語』に改名)である。それとは別に、1972年4月から小学館の学習雑誌『小学二年生』『小学四年生』に別設定で連載した。放映期間中の1965年10月16日に放送された『スター千一夜』に、漫画・アニメの登場人物としては初めてアトムがゲスト「出演」し、三木鶏郎(司会)・手塚治虫と対談した。この出演パートは新たに作画を起こして制作され、完成には約5か月を要した。『鉄腕アトム』劇場アニメはいずれも(未完含め)テレビアニメ第1作の派生作品のため本項で解説する。1964年7月26日、日活系封切、日本初のテレビアニメからの劇場版アニメ作品。併映作はユーゴスラビアの児童映画『ぼくらの冒険旅行』。『宇宙の勇者』は正式サブタイトルだが、オープニングではクレジットされていない。テレビ版の第46話・第56話(上記)・第71話を劇場用にブローアップし再編集した作品。これらの内、第56話はテレビでは使用しなかったカラー版を使用、また第71話は一部がカラー化された。更にプロローグやつなぎ部分が新しく作画された。当初、映画化に名乗りを上げたのは松竹で、虫プロと共同制作する予定だった。だが松竹では、業績不振から城戸四郎の社長復帰と言う上層部の入れ替えに伴い、製作方針の転換で映画化を断念した。それを知った東宝と日活は虫プロに自主制作を勧め、その結果、配給権は日活が獲得した。期待された割には興行成績は振るわず、5日前に東映で公開されたまんが大行進(『鉄人28号』『狼少年ケン』などのブローアップ再編集作品で構成)に敗れてしまった。理由は色々だが、一番なのは「アクション映画路線で売った日活で上映したため」だと言われる。1966年7月に上映される『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の併映として、東宝系で『鉄腕アトム ロボット大戦争』のが予定されていた。こちらは、テレビの再編集版ではなく、フルアニメの完全新作ということだったが、監督の坂本雄三が納得する脚本を執筆できずにいるうちにスケジュール的に無理となり、実現には至らなかった。代替作としてテレビアニメ『ジャングル大帝』のブローアップ再編集版が急遽制作された。なお、没となったストーリーはその後テレビシリーズの第175、176話として1966年の7月23、30日に放送された。脚本は映画の監督だった坂本雄三が担当。1980年3月20日、大映系封切。併映は、『宇宙怪獣ガメラ』。1964年公開の『鉄腕アトム 宇宙の勇者』から、第56話のみ選ばれて上映。オープニングは新作で、このオープニングは、日本映画専門チャンネルで放送された第56話に使用。原作者の手塚治虫は、科学的合理主義への疑問や警告をテーマとしていた原作漫画に対し、アニメ版では単純な科学文明礼賛となっており、「アトムが正義の味方となって何らかの悪者を倒す」という勧善懲悪のパターンが定着したことに対して極めて不満を感じていた。後にリメイクする理由としている。大塚康生ら、当時東映動画(現 東映アニメーション)で長編アニメーションを手がけていた人々の間では、動画の動きの少ない本作を評価する人は皆無であった。しかし本作が爆発的な人気を得たことに対して自分たちの仕事を否定されたような衝撃を受けたという。一方、前述の通り実際に納品に際して支払われた額には諸説あるが、フジテレビは本作で投入額に対して莫大な利益を上げたといわれている。これが後の日本におけるテレビアニメの大隆盛を呼んだ反面、アニメーターの低賃金の労働環境を生み出したとも語られる。しかし手塚はそれに対し存命中にこう反論している。「しかしね、ぼく個人我慢ならんのはね、こういう声があるんだよ。手塚があのアトムを売る時、べらぼうな安値できめてしまったから、現在までテレビアニメは制作費が安くて苦労するんだと。冗談じゃないよ。」「あの時点での制作費はあれが常識なんで、あの倍もふっかけようもんなら、まちがってもスポンサーはアトムを買わなかったね。そうしたら、テレビアニメ時代なんて夢物語だったろうね。」「たしか四十何万が制作費で、ぼくの持ち出しは二十万くらいでしたかね。ところがアトムがべらぼうにあたったんで、アニメ番組はあたるということで、それから半年ほどあとには、アニメものがたちまちバタバタとできたんだ。その制作費は、なんと百万ですよ!つまりそれだけ出してもモトがとれてお釣りがくると企業は踏んだんだ。それから先はご覧の通りですよ。現在制作費は五百万円が下限で、六、七百万円ぐらいはスポンサーが出しますよ」本作のスタッフでもあるアニメ監督の杉井ギサブローは、従来の動きが主であったアニメーションを、ストーリーが主であるアニメという別ものに作り変えたことで、今日の日本アニメの流れを作った作品であるとしている。2013年4月にフランス・カンヌで開かれる国際番組見本市MIPTVにより、世界のテレビを変えた50作の中から日本発の4作品として「鉄腕アトム」、「UFOロボ・グレンダイザー」、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」、「ドラゴンボール」が選ばれた(2013年3月28日8時2分、朝日新聞インターネット版)。本放送キー局は制作局のフジテレビだが、この当時後のフジテレビ系の局は大半が未開局で、FNS自体も未構成だった。フジサンケイグループのテレビ局が未開局のエリアへのネットは、日本テレビ系あるいはTBS系参加局が多い。これが後に日本テレビがTV第2シリーズを制作するに至ったきっかけといわれている。◎=フジテレビ系、●=日本テレビ系、△=TBS系、☆=NETテレビ(現・テレビ朝日)系2013年7月6日(土)午後9時、NHKBSプレミアム「手塚治虫×石ノ森章太郎 TV作品初回・最終回大集合!」にて、初回と最終回が放送された。
出典:wikipedia
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