ディノ・デ・ラウレンティス(Dino De Laurentiis, 1919年8月8日 - 2010年11月11日)は、イタリア出身の映画プロデューサー。ディーノ・デ・ラウレンティスの表記もある。本名はアゴスティーノ・デ・ラウレンティス(Agostino De Laurentiis)。ローマで映画製作を学んだが、第二次世界大戦勃発により中断。1940年の『L'ultimo Combattimento』より150本以上の映画のプロデュースを手掛けている。インディペンデントのプロデューサーとしてはカルロ・ポンティとともに業界最高峰の人物で、生きる神話の一人とも呼ばれた。1962年(昭和37年)3月に来日している。2000年、米国アカデミー賞でアービング・G・タルバーグ賞を受賞。2010年11月11日、ロサンゼルスで死去。91歳没。1949年にイタリアの女優シルヴァーナ・マンガーノと結婚。4人の子供をもうける(次女は映画プロデューサーのラファエラ・デ・ラウレンティス)が、1989年に彼女と死別。最後の妻は映画プロデューサーで40歳近く年下のマルタ・シュマッハーで、2人の子供をもうけている。
出典:wikipedia
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