浜松町駅(はままつちょうえき)は、東京都港区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京モノレールの駅である。ただし、東京モノレールでは、モノレール浜松町駅(モノレールはままつちょうえき)が正式な駅名である。所在地は、JR東日本が海岸一丁目、東京モノレールが浜松町二丁目となっている。JR東日本の各線(後述)と、東京モノレールの東京モノレール羽田空港線が乗り入れている。JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線1路線のみである(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)が、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。また、当駅はJRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。このほか、東京貨物ターミナル駅方面への東海道本線支線(東海道貨物線)の起点駅となっているが、現在、当駅 - 東京貨物ターミナル駅間は休止中である。スリーレターコードは「」。駅番号は京浜東北線に「JK23」、山手線に「JY28」、東京モノレール羽田空港線に「MO01」がそれぞれ付与されている。当駅付近では日本の鉄道開業当時から列車の運行が行われていたが、この時点ではまだ当駅は開設されていなかった。開設されるのは、市街高架線の部分開通に伴って国有鉄道東海道本線の品川 - 烏森(後の新橋駅)間が開通する1909年(明治42年)12月16日のことであった。鉄道開業当初の新橋駅は後に貨物駅となる汐留駅で、また東京から北へ鉄道網を伸ばしていた日本鉄道のターミナル駅は上野駅となっていたが、この間を結ぶ鉄道がなく、連絡が課題となっていた。このため、この間を連絡する高架鉄道の建設が行われることになった。この際に当駅付近で旧線から分岐する形で高架橋を建設した。この時点では旧新橋駅が東海道本線の起点で、当駅は東海道本線支線上の駅であった。開業時点では山手線の電車のみが停車する駅で、島式プラットホーム1面2線が設置され、プラットホームの長さは約93.6 mあった。すぐ東側には竹芝や芝浦など東京港の桟橋があり、伊豆七島へ向かう航路などへの連絡駅でもあった。1914年(大正3年)12月20日に東京駅が開業し、これに合わせて東京駅を起点とする市街高架線が東海道本線となり、当駅も東海道本線上の駅となった。東海道本線の長距離列車の運転もこの際に開始されたが、当駅には長距離列車用のプラットホームは無く、引き続き近距離の電車のみの停車する駅であった。東京駅開業に合わせて京浜線電車(後の京浜東北線)が運転を開始し、当駅にも停車するようになった。山手線と京浜東北線は田町 - 田端間で同一の線路を共用して運転してきたが、旅客の増加に伴い捌ききれなくなってきたため、線路を増設して分離する工事が行われ、1956年(昭和31年)11月19日に供用開始された。これにより、当駅のJRホームは現在に見るように島式ホーム2面4線の駅となった。1964年(昭和39年)9月17日には東京モノレールが乗り入れて空港連絡のターミナル駅となり、さらに2000年(平成12年)12月12日には近くに都営地下鉄大江戸線の大門駅が開業している。かつては東海道新幹線のさらに海側に東京貨物ターミナル駅につながる貨物線(通称:大汐線)が通っていたが、都営地下鉄大江戸線の工事に伴い休止となった。なお、行楽シーズンには貨物線上に設置した当駅の特設ホームから九州や北海道方面へのカートレインが1990年から末期の1998年まで発着していた(それ以前の恵比寿駅から移転)。島式ホーム2面4線を有する地上駅である。出入口は、新橋寄り地上階の北口、ホーム中程の階段・エスカレーター・エレベーターを上がった場所にある中央口、同じくコンコース経由で東芝ビルや日の出桟橋方面および金杉橋方面への南口の3か所である。中央口と南口はホームの上層にある橋上駅舎で、改札口から世界貿易センタービルとの連絡通路やその北側にある通路を通って東京モノレールへの乗り換えが可能である。2002年にJR東日本が東京モノレールを買収してからは、コンコースの改修工事によってエスカレーターの増設やエレベーターの新設、それに東京モノレールの駅に直結する連絡通路と出口専用の改札口を新設し、JRから東京モノレールへの乗り換えの円滑化が図られた。(出典:JR東日本:駅構内図)山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに像がある。名称は「小便小僧」で、季節によって衣装を変えることで知られ、通勤・通学客の目を楽しませている。1952年(昭和27年)10月14日の鉄道開通80周年に際して、当時の浜松町駅長の椎野栄三郎が、何か記念になるものはないかと新橋駅の嘱託歯科医だった友人の小林光に相談し、小林の長男誕生記念に作られて診療所の庭に置かれていた白い陶器製の小便小僧が寄贈されたのが最初である。このホームは当時未供用で、1956年(昭和31年)の山手線と京浜東北線の分離運転開始でようやく利用が開始されている。1955年(昭和30年)5月にプラットホームの改修工事が行われ、小林から新たにブロンズ製の小便小僧が寄贈された。当初は衣装はなく、裸の状態であった。ある寒い日に女の子が毛糸の帽子を被せたのが衣装を着せる最初であったとされている。その後、浜松町の会社に勤務していた田中栄子という女性が衣装を作成して着せるようになった。1955年のブロンズ製の像の除幕式でも、田中の作った衣装でキューピッド姿で現れている。その後30年あまりに渡って田中が200着以上の衣装を作り続けてきたが、田中の死去により再び裸に戻った。1986年(昭和61年)には、東京消防庁芝消防署から防災PR用に小便小僧に着せる消防服を作って欲しいと港区の手芸グループ「あじさい」に依頼があった。それをきっかけとして同年11月から再び着せ替えが始まり、それ以降は「あじさい」により衣装が毎月変更されている。像は動かせないので、人間のように衣服を着用することはできず、仮縫いまで済ませた服を持ち込んで現地で縫い合わせることで着用させている。当初の白い陶器の小便小僧が作られたきっかけであった小林光の長男小林光道は、現在も駅近くの世界貿易センタービル14階で歯科医院を開いている。2009年(平成21年)の開業100周年記念で、改札外コンコースに小便小僧のモザイクレリーフが設置された。世界貿易センタービルに隣接したモノレールビルに位置している。頭端式ホーム2面1線を有し、東側から乗車ホームと降車ホームに分かれている。前述の通り、東京モノレールの駅の正式名称は「モノレール浜松町」だが、車内自動放送では単に「浜松町」とされており、その他の旅客案内でも「浜松町」と「浜松町」が混在している。出入口は、開業時に設置された中央口と1990年代後半に天王洲アイル寄りに設置された南口の2か所である。中央改札口には定期券売り場が設置されている。エレベーターは、降車ホーム - 中央改札口間、降車ホーム - 南改札口間、東京モノレール本社内(1階 - 3階間は乗客も利用可能)に加えて、中央改札口と1階を連絡するものも新設された。なお、降車ホーム - 中央改札口間はホームから改札までの一方通行であり、中央改札口に併設した出口専用の幅広型自動改札機につながっている。エスカレーターも多数設置されているが、JR東日本が東京モノレールを買収してからは3階とJRコンコースを結ぶものを2基新設したので、前述のエレベーターや京浜東北線の快速が停車するようになったことと合わせて、羽田空港からの乗客の移動をスムーズにしている。かつてはMCAT(モノレールシティエアターミナル)が設置されていたが、有人カウンターは2010年3月31日、自動チェックイン機は同年9月30日をもって営業を終了した。跡地には、中央改札口 - 乗車ホーム間のエレベーターとシティバンク銀行の出張所(2012年12月28日営業終了)が設置された。シティバンク銀行跡に、保険代理店のほけんの窓口が2013年6月7日に開業した。合わせて入口専用の幅広型自動改札機も設置された。2009年6月に東京モノレールが国土交通省に提出した計画によれば、開業以来45年間軌道1本(単線)だった現在の世界貿易センタービル横にある駅施設をホーム2面・軌道2本(複線)に改良する予定である。JR線路の東側に移転することも検討されたが、コスト面などの理由で、現在の場所にある駅の拡張にとどまった。計画が検討された旧新幹線線路の移設で空いた敷地は、2009年時点では一部を有料駐車場や事業用車両の駐車場として利用されていたが、2013年4月の時点で、閉鎖され、新駅舎建築に向けボーリング調査が始まっている。東日本旅客鉄道(JR東日本)の定例会見で、浜松町駅西口周辺開発にあわせて、JRとモノレールを対象とする駅全体の改築を計画していることを明らかにした。モノレールの東京駅への延伸構想については、工期やコストなどの観点から、現時点での事業化は難しいとの考えを示した。各年度の1日平均乗降人員は下表のとおり(JRはのぞく)。各年度の1日平均乗車人員は下表のとおり。周辺は大企業から中小企業のオフィスが建ち並ぶ都内有数のオフィス街である。駅に隣接して西側に世界貿易センタービル、東側には旧芝離宮恩賜庭園がある。北口は汐留シオサイトの南の玄関口で、大型のオフィスビル、汐留芝離宮ビルディング、汐留ビルディングの完成により、乗降客が増加している。東京都交通局(都営地下鉄)の大門駅が近く、大江戸線では副名称が「浜松町」となっている(建設時の仮称も「浜松町」)。また、伊豆諸島や小笠原諸島へ向かう定期船の出港地である竹芝桟橋、水上バスや海上バスの出港地である日の出桟橋や、東京タワー、芝公園、増上寺、港区役所まで徒歩でアクセスすることが可能である。最寄停留所は、駅前通りにある浜松町駅前と世界貿易センタービル内にある浜松町バスターミナルとなる。以下の路線が乗り入れ、東京都交通局、ケイエム観光バスにより運行されている。浜松町駅前浜松町バスターミナル駅周辺は都市再生緊急整備地域の指定を受け、国土交通省、東京都、港区、JR東日本、東京モノレールの5者による浜松町周辺地区の交通施設整備計画が進められている。これは、2008年1月に完了した汐留再開発(汐留シオサイト)による同地への訪問を含めた乗降客の増加、そして2010年10月21日に予定されている羽田空港国際線定期便就航および新駅「羽田空港国際線ビル駅」開業によるモノレールの乗り換え客の増加に対応するものである。港区は当駅周辺の交通結節機能を強化するため、駅北口から汐留方面へ延長約75m・幅員約20mの「浜松町駅東西自由通路」の整備を計画している。これは京浜東北線・山手線・東海道本線・東海道新幹線を跨ぐものであり、世界貿易センタービルのデッキ・文化放送側デッキおよび汐留のペデストリアンデッキに接続する。2009年度内に事業費負担をJR東日本と協定を結び、概略設計に着手する予定である。これに併せてJR東日本も北側に駅舎などの関連設備を整備し、以前の東京モノレール新駅予定地に設置する計画である。東京モノレールについても現行の駅位置において軌道を1本増設して複線化する2面2線化とコンコースの拡幅の実現を図り、1時間あたりの最大運転本数を現在の18本から24本に増やす予定である。2012年10月に当駅周辺の交通施設整備計画の概要が発表され、コンコースを大幅に拡幅するほか、2014年度から世界貿易センタービルの建て替えを行い、2024年度に完成させるなどの施策が行われる。2013年2月のJR東日本の定例会見によれば、JR駅、モノレール両浜松町駅全体の改築が発表された。現在山手線各駅ではホームドアの設置を進めているが、当駅への設置は大規模改良工事後に行われる。2013年9月現在、北口付近と竹芝通りをまたいだ汐留ペデストリアンデッキ接続ブリッジの工事が、2014年3月末竣工の予定で進められている。
出典:wikipedia
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