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都営地下鉄浅草線

浅草線(あさくさせん)は、東京都大田区の西馬込駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)である。『鉄道要覧』には1号線浅草線と記載されている。開業当初は「都営1号線」と称した(後述)。営業区間全線にわたって地下を走行するが、車両基地(馬込車両検修場)への引込線は高架線を走行する。路線名の由来は下町のイメージが色濃く残り、かつ国際的観光地でもある浅草から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ローズ」、路線記号はA。ただし、線内では朱色・茜色等も用いられる。東京都区部を南部から中央部・墨東地域にかけて走る。泉岳寺駅で京急本線と、押上駅で京成押上線と接続し、それぞれ相互直通運転を行っている。詳細は「運行概況」の節を参照。直通先の京急線・京成線がそれぞれ東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港(成田空港)へのアクセスを担っているため、浅草線自体も空港アクセス路線としての役割を有し、羽田空港国内線ターミナル駅と成田空港駅を結ぶ列車も設定されている。また、2010年7月17日に開業した北総線経由のアクセスルートである成田スカイアクセス(成田空港線)との直通運転も行っており、都心部から成田空港へのアクセス路線としての役割は強さを増している。路線はおおむねJR山手線・JR京浜東北線・地下鉄銀座線・JR総武快速線といった既設の旅客流入路線のバイパスとなる線形をとっている。馬込車両検修場をのぞき全線が地下線となっている。収支状況は平成27年度決算で純損益約107億円の黒字である。本路線の建設費用は822億5,569万円である。主な内訳は線路費が553億4,195万円、用地買収・権利設定費用が92億4,443万円、総係費・建設利息が82億4,475万円、車両費が33億3,457万円(以下、省略)となっている 。戦前より地下鉄への参入を希望してきた東京都にとって、浅草線は初の地下鉄路線であり、その建設は多くの流転を経て実現した。東京都心部の銀座・新橋地区を経由して京成電鉄(当時は京成電気軌道)の押上と京浜急行電鉄(京急、当時は京浜電気鉄道)の品川を高速鉄道で結ぶ構想はかねてからあり、明治の市区改正を経て1920年に「東京市告示2号」として示された5路線の中にも1号線(品川八ッ山 - 新橋 - 築地 - 両国西側 - 雷門 - 押上)として記載されていた。その後、関東大震災等を経てその構想は変化し、第二次世界大戦による空襲被害を受けた後の1946年には戦災復興院により、武蔵小山 - 五反田 - 田町 - 虎ノ門 - 銀座 - 浅草橋 - 上野 - 本郷三丁目 - 巣鴨 - 板橋一丁目の「1号線」が示されていたが、急速な復興と将来の経済成長を見越した新たな高速鉄道(地下鉄)計画として策定された1956年の都市交通審議会第1号答申では再び押上 - 品川間が1号線として指定された。この際、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄〈東京メトロ〉)だけでは建設が追い付かないという東京都の主張が容れられ、1号線は東京都によって建設されることになった。また、その際には高輪(泉岳寺)から南の馬込へ伸びる区間も東京都が建設することになった。同区間は1962年の東京都都市計画地方審議会では「6号線」(その後の三田線)に変更されたが、1964年には実情に合わせて浅草線の延長区間に戻された。一方、高輪(泉岳寺) - 品川間は京急が京急本線の延長として建設することになった。1956年10月に都の参入が正式に認められ、免許が交付されると、新造の地下鉄線はともに都心にターミナルのない京成と押上駅で、京急と品川駅での相互乗り入れを前提に建設が進められた。当時は京成と京急で軌間が異なっていたが、京成が1372mmから改軌して都営と共に京急の1435mm軌間に3者が統一することとなった。路線建設は京成側から進められ、1960年に押上 - 浅草橋間が開業、順次路線が延長された。当時同じく建設中であった営団日比谷線と競い合うように工事が進められたが、浅草線は軟弱地盤に悩まされて工事が遅れ、地盤陥没による死亡事故まで発生した。これらが重なり、1964年10月10日開幕の東京オリンピックまでに全線開通が間に合わなかった。このため、東京都交通局は開幕に先立つ同年10月1日に新橋 - 大門間を単線で暫定開業させ(下記参照)、オリンピック開催期間中は建設工事を休止した。この遅延は、泉岳寺以南の路線計画が不安定なままという事情も影響していた。1968年の都市交通審議会答申第10号において、東京1号線は、「品川及び西馬込の各方面より田町、新橋、浅草橋及び浅草の各方面を経て押上方面に至る路線」として示されている。その後答申第15号では、押上 - 青砥 - 高砂 - 大町附近 - 鎌ヶ谷市北部 - 千葉ニュータウン小室地区への延伸計画が示され、青砥 - 高砂間は京成線の複々線化を行うものとされた。このうち西馬込 - 押上が都営浅草線、品川 - 泉岳寺が京急線、青砥 - 京成高砂が京成線の線増分、京成高砂以東が北総開発鉄道(現:北総鉄道)北総線として開業している。なお当初計画では浅草駅は存在せず、浅草橋から駒形を経由して押上に向かう予定であった(このほかにもいくつかのルート案があった)。しかし利便性を考慮して駒形駅を北に移動し浅草駅を設けることとなり、さらに蔵前・本所吾妻橋の各駅が追加された。駒形の駅用地は駒形変電所(地下変電所)として活用されている。また、かつては西馬込から南進し、神奈川県方面へ延伸する計画も存在しており、1985年の運輸政策審議会答申第7号において「今後整備について検討すべき路線」として位置付けられていた。しかし、2000年の運輸政策審議会答申第18号ではこの計画は削除されている。開業当初、他に都の経営する地下鉄は存在しておらず、単に都営地下鉄線と呼ばれていたが、その後現三田線が開業すると、1968年の都市交通審議会答申第10号の路線名称を借用し都営1号線、都営6号線と称した。その後、正式名称を公募することになり、新宿線の開業を年末に控えた1978年7月1日より1号線は浅草線、6号線は三田線、10号線は新宿線の名称が与えられた。東京の都市交通の中で国鉄(JR)山手線の東側を通る昭和通りは交通量が多く、都電も頻繁に運行されている「ドル箱」路線だったことは、江戸橋(現日本橋) - 新橋間で同通りの地下を走行する1号線(浅草線)の建設と経営を東京都が行う重要な動機だった。しかし、新宿をはじめとした山手線西側の副都心(新都心)開発は東京の重心を西側にずらし、そこから外れた浅草線の輸送人員数や混雑率は他の地下鉄路線と比較すると低くなったが、これは輸送力増強の余地にもなった。1991年に京成が成田空港駅、1998年に京急が羽田空港駅(現羽田空港国内線ターミナル駅)に乗り入れると、浅草線は両空港や東京都心部を結ぶ空港アクセス鉄道の機能を飛躍的に強め、一部駅の通過運転で速達性を重視した「エアポート快特」の運転も行われるようになった。押上 - 浅草橋間の開業は1960年(昭和35年)12月1日に予定され、開通式はその前日となる11月30日に実施した。しかし、全体の施設完成後の同年11月に東京陸運局に運輸開始認可の申請を行い、11月25日より5日間にわたり運輸省(現・国土交通省)による運輸開始検査を行ったが、駅施設の内装の不備、駅務員の教育不足などいくつかの指摘事項を受けた。このため、12月1日の開業時に運輸開始認可が下りず、旅客営業ができなくなるという事態が発生した。その後、東京都は指示された期限内に完成させること、業務指導を徹底することを確約し、再確認を受けた12月4日の午後になり、運輸開始認可を受けた。このため、当日も始発からの運転開始が、押上駅14時35分発からの運行となり、多くの混乱が生じたとされている。以下の鉄道路線との乗り入れが存在し、相互直通運転の多様性が特色として挙げられる。大部分の列車が他社線と直通しているため、終点駅である押上駅折り返しの列車は少ない。列車は最大で4事業者にまたがって運転される。これはPASMOにおける改札内乗継回数の上限と重なるが、乗り入れ先のうち芝山鉄道線内ではPASMOが使用できない。押上経由泉岳寺経由現行ダイヤでは三崎口駅(京急久里浜線) - 成田空港駅(京成成田スカイアクセス線経由)間を結ぶ列車が当線を経由する最長距離の列車(136.6km)であり、東京の地下鉄としては半蔵門線の中央林間駅(東急田園都市線) - 南栗橋駅(東武日光線)間 (98.5km) をしのぐ最も長い直通距離である。なお、該当列車はすべて京急の車両による運行となっている。泉岳寺から南方向は京急線直通旅客の便を図り、品川・羽田空港・横浜方面への列車を多く運転している。支線的位置付けの西馬込駅 - 泉岳寺駅間については区間運転列車も多く設定されており、日中はこの区間の列車の3分の2にも及ぶ。それとは逆に押上駅 - 西馬込駅間の線内運転のみを行う列車は平日朝の4往復のみとなっている。列車種別はエアポート快特を除き、南行は押上駅で、北行は品川駅で表示を変更した上で乗り入れ先での種別を表示(京急線内でエアポート急行となる列車は「急行」と表示・案内される)し、線内で終点になる列車と京急線品川行きの列車は「普通」を表示する(放送などの案内では「各駅停車」を用いることもある)。京急線品川駅や押上駅で種別を変えて直通する列車もある。なお、エアポート快特は南北両方向とも押上駅で乗り入れ先の種別に表示を変更する。運行される種別は多いが、エアポート快特が通過駅を持つほかは、浅草線内では各駅に停車する。浅草線と直通または接続し、泉岳寺駅から京急線内を「普通」で運行する京急線下り方面の列車は、平日に2往復、土曜・休日に2.5往復のみである。なお、時刻表ではエアポート快特をのぞき、すべて普通の扱いである。また、快特については京急が「快特」、京成は「快速特急」を正式名称としているが、都営側では駅の自動放送や駅および車内の路線図などにおいて「快特」に統一のうえ案内している。乗り入れ先である京急本線・北総線が20分サイクル、京成本線・押上線が40分サイクルのパターンダイヤなので、浅草線でも40分サイクルのパターンダイヤが組まれている。泉岳寺駅 - 押上駅間は運転密度が高く、平均5分間隔で運転される。エアポート快特(快特)は泉岳寺駅および押上駅で先着列車の待避を受ける。現行ダイヤの運行パターンは以下の通り。日中時の全体では、1時間あたり西馬込駅 - 泉岳寺駅間が9本、泉岳寺駅 - 押上駅間が12本(このうち3本はエアポート快特)の運転となる。日中は泉岳寺駅で接続が図られ、西馬込駅発着の列車と京急線内発着の列車との乗り換えがしやすくなっている。箱根駅伝開催日は京急蒲田駅付近にある第一京浜の踏切を選手が通過するため、毎年1月3日には臨時ダイヤが組まれ、一部の羽田空港行きが京急川崎行きに変更されていた。2012年10月21日に高架化工事が完成したため、2012年1月3日をもって終了した。優等列車として、エアポート快特が運行されている(別料金不要)。停車駅は駅一覧表を参照。新設当時は羽田・成田の両空港を結ぶ列車との位置付けであったが、車両運用の都合上昼間時および朝ラッシュ前の南行と夕方ラッシュ終了後の北行のみが運行されていた。また、浅草線内でエアポート快特と同じ駅に停車し(ただし大門は通過)、青砥駅または京成高砂駅が始発・終着駅となる「エアポート特急」も運行されていたが、1999年7月31日の京急の白紙ダイヤ改正で「エアポート快特」に統合された。その後のダイヤ改正で日中の列車が京成佐倉駅発着となるなど、空港間連絡列車の意味合いは薄れていたが、2010年7月17日に成田スカイアクセス線が開業し、この日のダイヤ改正で京成佐倉駅発着のエアポート快特を同線経由(京成線内アクセス特急)の成田空港駅発着に変更したため、再び空港間連絡列車として運行されるようになった。将来、浅草線内の当該列車運行部分の駅に追い越し設備を設け、羽田・成田両空港間を1時間程度で結ぶ構想が国土交通省で検討されている(#今後の動きの節も参照)。4社と相互直通運転を行っているため、2015年現在で最大13形式の車両が運行されている。制御電動車を先頭車に配していない京成電鉄の3600形は京浜急行電鉄への乗り入れができないため、浅草線では西馬込駅発着の運用に使われる。また京急2100形は浅草線への直通運転こそできないが、泉岳寺駅までは入線できるため、泉岳寺駅に限っては2015年現在で最大14形式の車両を見ることができる。どの列車がどの車両で運用されるかは列車番号の末尾アルファベットで区別されており、「T」が都交通局車両、「K」が京成車両(芝山鉄道所有車両を含む)、「N」が北総車両(千葉ニュータウン鉄道所有車両を含む)、「H」が京急車両となっている。列車番号については『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)にも掲載されている。また、乗り入れ先の車両がそれぞれの自社線に直通しない(京成車による西馬込-泉岳寺折り返し、北総車による泉岳寺・青砥・京成高砂行き、京急車による西馬込行き)運用もある。2014年11月8日のダイヤ改正前までは、平日の朝に京成電鉄の6両編成で運転される列車が西馬込 - 京成高砂間に1往復あったが、同改正後は全列車が各事業者の8両編成で運行される。2015年度の朝ラッシュ時最混雑区間(本所吾妻橋→浅草間)の混雑率は120%である。最短で2分30秒間隔と高頻度で運行されており、東京メトロ銀座線(浅草 - 新橋間)、総武快速線・横須賀線(馬喰町 - 新橋間)、山手線(新橋 - 五反田間)等、ほぼ全区間で他路線のバイパスとなるような線形をとっていることから、混雑率は都営地下鉄の路線で最も低い。開業以降の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。2001年5月の「首都圏の空港アクセス緊急改善対策」および8月の「都市再生プロジェクト第二次決定」を受け、国土交通省・東京都・中央区・鉄道事業者などが検討委員会を設置し、周辺の再開発とともに日本橋・東銀座間から東京駅への支線建設が検討された。この計画が実現した場合、東京駅から羽田・成田両空港への新たな直通アクセス路線となる。特に成田空港へは2010年7月17日に開業した成田スカイアクセスと直通した場合、最短アクセス路線となる。また、国土交通省は羽田・成田両空港間を乗り換えなしで結ぶ鉄道の整備を計画している。2008年8月9日に発表されたのは、浅草線の途中駅(宝町駅・三田駅周辺)に特急列車待避設備を新設することで両空港駅間を65分で結ぶ計画(予算はおよそ400億円)。これに対し、同年9月7日にはバイパスとして並行する別線を新たに建設する案(およそ3000億円)も発表され、さらに10分の時間短縮が可能とされている(「都心直結線」も参照)。この案では東京駅付近へ駅の設置も検討するとされている。同年10月、国土交通省はバイパス線建設を最有力候補にすることを発表した。また2015年度の事業計画で、浅草線新型車両の5編成導入が予定されていたが、同年度末の事業計画では導入は2017年度に延期され、同年度において1編成導入予定へと変更されている。2016年2月5日より、一部の車両において無料Wi-Fiサービスが開始された。ホームドアについては、浅草線では相互直通運転各社の乗り入れ車両数が多く、これまでのような定位置停止装置等を車両に搭載する方式でホームドアを整備するのは難しい。こうした中でも2020年の東京オリンピックに向けて、泉岳寺駅と大門駅の2駅において、車両の改修を伴わない方式により先行的にホームドアを整備することを計画している。あわせて、技術開発の動向も注視しながら関係各社との協議を継続し、全駅整備を目指すとしている。また、2020年には開業60周年を迎え、それに伴い2018年にリニューアル・プロジェクトの基本構想を発表するとしている。東京メトロの中期経営計画で、都交通局と連携する形で、人形町駅の都営・メトロ構内の改札通過サービスの導入や、半蔵門線水天宮前駅との連絡駅設定が、時期は示されていないが、発表されている。

出典:wikipedia

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