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都営地下鉄大江戸線

大江戸線(おおえどせん)は、東京都交通局が運営する鉄輪式・リニアインダクションモーター推進方式を採用した鉄道路線(都営地下鉄)。鉄道要覧には12号線大江戸線と記載されている。東京都練馬区の光が丘駅と渋谷区の新宿駅を結ぶ放射部と、新宿駅から反時計回りに新宿区の都庁前駅に至る環状部から構成される。環状の路線を形成しているが、山手線などとは異なり、「エンドレス循環型」運転ではなく「6の字型」運転である(運行形態については後述。他の環状運転路線の例は「環状運転」参照)。なお、起点は都庁前、終点は光が丘である。路線名の由来は東京の古称である江戸の雅名「大江戸」から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「マゼンタ」、路線記号はE。この路線は、1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京12号線は「新宿方面より春日町(文京区)、上野、深川及び月島の各方面を経て麻布方面に至る路線」として示された。その後、1972年(昭和47年)の答申第15号では新宿方面 - 麻布方面を環状線とし、新宿から新宿に戻り、さらに新宿 - 高松(練馬区)間および東京8号線から削除した護国寺 - 目白間を加える形に変更された。なお、同時に高松町(現:光が丘ニュータウン付近)から大泉方面への延伸も検討されている。このうち、放射部にあたる光が丘 - 練馬 - 都庁前 - 新宿間が「都営12号線」として開業し、後に環状部延伸開業時に「大江戸線」と改称している。都営地下鉄の路線の中では唯一他社路線との直通運転を行っていない。また、浅草線と同様に全線・全駅地下区間で地上には出ない。建設費を削減するため、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線に次いで日本で2番目に鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄が採用された。後発で建設された地下鉄路線のため、既存の路線より深部を走り、全般的に駅ホームがかなり深いところに設置されている。特に2層構造の六本木駅は下部の内回り1番線ホームが地下 42 m と、地下鉄駅としては日本で最も低い場所に位置する。また乗り換え駅では既存路線の駅からかなり離れた場所に位置することも多く、地上経由の乗り換えを余儀なくされる駅もある。都営地下鉄で初めてワンマン運転を実施した。単一の地下鉄路線としては日本最長 (40.7 km) であり、全線がトンネル(地下区間)構造のため、連続した地下鉄トンネルとしても日本最長である。日本の地下鉄では最深部を走行しており、耐震性に富み、災害時には救助作業の大動脈として利用されることになっている。そのため、非常用の備蓄倉庫が麻布十番と清澄白河の両駅に設置されている。2014年度の大江戸線単独での純損失は約49億3,912万5千円である。約536億円の収益に対して費用が約586億円かかっており、特に約247億円の減価償却費が大きな負担となっている。純損失の額は、2006年度には約156億円あったが年々改善しており、特に2012年度以降は単年度の純損失が約20 - 30億円減少している。乗車料収入についても2009年度は約370億円、2010年度は約369億円、2011年度は約361億円と微減していたが、2012年度は約380億円、2013年度は約392億円、そして2014年度には397億円と増加傾向にある。内回りは光が丘 - 都庁前 - 大門 - 両国 - 都庁前着まで。外回りは都庁前 - 両国 - 大門 - 都庁前 - 光が丘着まで。この路線の建設費用は、放射部で4,034億円、環状部で9,886億円と非常に高額で、全線では1兆3,920億円にのぼる。前述した答申第15号に基づき、1974年(昭和49年)8月に全線(現在の光が丘 - 都庁前間全線・放射部及び環状部)の地方鉄道敷設免許を取得し、1985年(昭和60年)頃の全線開業を目標に建設計画を進めていた。また、この時点では新宿線と同様の従来車両規格(20 m 車両による10両編成)で建設することを計画していた。しかし、1973年(昭和48年)のオイルショックによる社会情勢の急変、また交通局の財政悪化から、建設計画が一時凍結された。その後、1978年(昭和53年)5月に東京都知事の諮問機関である東京都交通問題対策会議において地下鉄12号線を「再度交通需要の予測を行い、路線立地、交通機関の構造、経済性、補助制度等を検討のうえ建設されるべきである」と提言された。さらにグラントハイツ跡地(光が丘地区)に大規模住宅団地建設をはじめとした再開発を行うことが決定され、交通網整備の必要性が高まった。そのため、東京都が1982年(昭和57年)12月に策定した「東京都長期計画」の10ヵ年計画において、地下鉄12号線を建設することが決定された。特に、この時点で需要の見直しや建設費用の見直しを行い、小型地下鉄車両(16.5m車両による8両編成)によるトンネル断面の縮小、駅設備を縮小する方針とすることを決定した。これは大江戸線着工前までに同線以外で地下鉄の延伸開業が相次いでいたことも影響している。また、環状部区間の建設は早期の建設、全線同時開業を行う必要性があることから、資金面などにおいて柔軟な対応ができる第三セクター方式で建設することとされた。そして、1988年(昭和63年)7月に東京都地下鉄建設が設立され、第3種鉄道事業者として環状部の建設を行った。同社が建設・製造した鉄道施設・車両は東京都交通局が長期分割支払いで譲受し、放射部と一体で経営を行うこととされた。建設時のルートは現在のルートと若干違い、西新宿五丁目、汐留、築地市場、飯田橋を経由しておらず、都庁前駅もL字型2層構造でホームを建設する計画があった。ルート見直しは大型車を使用する必要性がなくなり、さらに建設費低減の必要があったためでもある。環状ルートの建設も検討されたが、これを実現するためには新宿と新宿西口を結ぶ新たな線路の建設と、2駅のうち1駅を2面化する工事を行わなければならなかった。しかし、両駅の地上部は道路幅が狭くビルが密集し、2面ホームの設置が難しく、難工事による費用と期間の膨大が懸念され、さらに新宿駅前後の環状方向の旅客流動は少ないと見込まれ、費用対効果を検証した結果、6の字型ルートとなった。1986年(昭和61年)4月に本路線用の車両である12-000形試作車が製作され、浅草線馬込検車場(当時)において新しい技術の試験も含めた、小断面地下鉄としての走行試験を実施した。この車両は都営地下鉄で初めてのVVVFインバータ制御方式を採用し、主電動機は小型の誘導電動機を使用した。また、同検車場内では走行速度が制限されるため、浅草線の終電後に西馬込 - 戸越間で高速走行試験を実施した。その後、1987年(昭和62年)6月には地下鉄12号線建設推進本部が「現在開発が進んでいるリニアモーター車両のメリットも大きいので、1987年3月に開始されたリニアモーター車両の試験状況および車両技術の動向を踏まえ、今後車両の駆動方式(リニアモーター方式・回転形モーター方式)について 放射部車両の製作時期までに決定する。」とされた。これを受けて東京都交通局では1988年(昭和63年)に12-000形試作車をリニアモーター車両へ改造し、同年4月から馬込検車場においてリニアモーター方式の走行試験を開始した。この結果を踏まえ、1988年12月21日に地下鉄12号線全線にリニアモーター駆動方式を採用することを決定した。1991年(平成3年)12月の開業当初は都市計画路線名の「12号線」のままで営業を行っていたが、1999年(平成11年)8月初旬、2000年(平成12年)4月20日の環状部一部区間(新宿 - 国立競技場間)の先行開業を発表するとともに、プロ野球セントラル・リーグ会長(当時)の高原須美子を委員長とする都営地下鉄12号線路線名称選考委員会によって路線名の公募が行われた。その結果、同年11月末に、応募が多かった候補の一つである「東京環状線」(愛称として「ゆめもぐら」)が第一候補に挙げられたが、東京都知事(当時)の石原慎太郎は「寝てても何回まわっても同じ所に戻ってくるのを環状線って言うんだよ」「紛らわしくて山手線とか大阪環状線を使っている人に迷惑」などとして難色を示し、再選考を指示するとともに、「俺は『大江戸線』なんてのがいいとおもう」と第2位得票の案を推したため、交通局は委員会に陳謝の上、愛称案であった「ゆめもぐら」も含め選考を白紙に戻した上で改めて選考し直した結果、同年12月15日の委員会で大多数の支持を得て「大江戸線」に決定した。委員会では当初、新宿などは江戸の範囲(朱引)の外部にあたるとして議論があったが、交通局では、路線がこれを囲むように走ることと、「大」を付けることにより地理的、経済的、文化的な広がりを表現できるとして委員会を説得し、決定にこぎつけた。なお、最も多かった名称は「都庁線」だった。この路線では全線で開業当初よりワンマン運転を実施している。このため、保安装置にATC装置を使用し、列車の自動運転機能を有するATO装置を使用している。本路線では車上監視方式を採用しており、8両編成分137mのホームを列車のモニター画面で運転士が監視をしている。列車停止時の監視ならびに列車発車時においては列車最後部がホームを抜けるまでの間、運転士がホーム監視モニター画面でホーム上を監視し、触車事故などの場合には運転台の非常停止スイッチで列車を停止させる方式を採用している。なお、2013年4月27日には全駅でホームドアの整備が完了した(「ホームドア(ホームゲート)」節を参照)。環状運転をしているように思われるが実際は通常の複線路線と同じ運行形態をしており、都庁前駅 - 飯田橋駅 - 両国駅 - 大門駅 - 六本木駅 - 都庁前駅 - 光が丘駅間を往復運転(6の字型運転)する。運転方向の呼び方は「内回り」・「外回り」という(定期券の経路にも表示)が、各駅の案内上は方面呼称となっている。正式には「内回り」をA線、「外回り」をB線と呼ぶ。2005年末までは内回り区間について光が丘駅 → 都庁前駅間を「六本木・大門方面行」、新宿駅 → 新宿西口間駅を「(○○経由)都庁前行」、外回り区間について新宿西口駅 → 練馬春日町駅間を「(○○経由)光が丘行」と呼称していたが、現在は内回り区間が光が丘駅 → 築地市場駅間では「○○・○○方面行き」、勝どき駅 → 新宿西口駅間では「(○○経由)都庁前行き」、外回り区間が都庁前 - 蔵前間では「○○・○○方面行き」、両国 - 練馬春日町間では「(○○経由)光が丘行き」に呼称を変更している。○○に入る駅は都庁前・六本木・大門・春日・両国・飯田橋から2駅(ただし春日は大門 - 森下間の内回りのみ、都庁前は大門 - 新宿間の外回りのみ)。このため、各車両のLED式前面・側面行先表示は走行区間によって変化する。朝夕ラッシュ時は最短3分間隔で運転されており、という区間運転列車が多数設定されている。これらのほとんどは、清澄白河駅東側にある木場車庫の入出庫の都合で設定された列車である。また、清澄白河駅以外にも汐留駅・新御徒町駅に留置線があり、練馬駅・国立競技場駅・赤羽橋駅・牛込神楽坂駅などの駅に非常用の渡り線が設けられている。この関係で早朝・夜間には、といった区間運転列車が少数ながら設定されている。日中は全線往復運転が基本であり、2012年3月17日のダイヤ改正以後は6分間隔で運転されている。この改正前までは180分間に29本運転(6分12秒間隔)であった。また、終日を通して都庁前駅では六本木・大門方面の列車から飯田橋駅方面の列車へ、および飯田橋方面発都庁前行きの列車から光が丘行き列車への乗り継ぎ時間が少なくなるように設定されている。他の都営地下鉄路線と同様に、沿線の花火大会や国立競技場でのサッカーの試合やコンサートなどの大規模イベントが行われる際に臨時列車が設定されることがある。以下の車両が使用されている。開業前に試作車が1986年に製造され、浅草線の馬込検車場(当時)で各種試験が実施された(前記沿革表を参照)。その後、1990年より量産車が製造された。大江戸線の車両は、2006年4月より浅草線の馬込車両検修場で検査・修繕を行っているが、リニアモータ方式ではない浅草線を自走できないことから、2005年に川崎重工で製造された電気機関車E5000形によって牽引されている。このため、馬込車両検修場まで大江戸線の車両を移動させるための連絡線が汐留駅構内から浅草線の新橋駅と大門駅の間付近まで設けられている。2016年2月に発表された「東京都交通局経営計画2016」によると、さらに3編成を増備することが計画されている。2015年度の一日平均利用者数は914,012人で、都営地下鉄4線の中では最も多い。都心回帰の追い風を受けて増加傾向で推移している。環状部を中心に沿線の大型プロジェクトや大規模マンションの着工が相次いでいることなどから、今後も長期的には増加傾向が続くと状況が予想される。ラッシュピーク時の混雑率は、中井 → 東中野間で 146%(輸送力15,600人/輸送人員22,799人、2014年度)となっている。開業以降の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤で、最低値を緑で表記。大江戸線の各駅は、利用者に魅力あるものとするため、改札口付近に「ゆとりの空間」を設置するとともに、地域の特色を活かしたデザインを随所に取り入れている。なお、都庁前・新宿以外の環状部26駅については、公募プロボーザル方式により駅デザイン(主に内装)を土木業者とは別の建築などの設計事務所に委託した。コストとの兼ね合いで、駅全体の設計そのものにはデザイナーが関わっていないものの、地下部のデザインに全面的に関わることになった試みとして評価されている。これにより、2001年には一部の駅がグッドデザイン賞建築・環境デザイン部門の金賞、インター・イントラ スペースデザイン セレクションの大賞、および土木学会技術賞を受賞している。この路線では、都営地下鉄の中でも地上から深い駅が多い。都営地下鉄全駅の中では深い順に、となる。なお、東京地下鉄の駅を含めると、となり、大江戸線の駅が5駅もランクインしている。なお、東京地下鉄との共用駅である白金高輪駅と白金台駅の深さは、東京地下鉄と東京都交通局の資料では数値が異なる。本項目では東京都交通局の資料(「都営交通のあらまし2010」)から記載した。ホームドア(ホームゲート)は、2011年4月23日に清澄白河駅での供用開始を皮切りに順次整備が進められ、2013年4月27日には西新宿五丁目駅での供用開始により大江戸線全駅でのホームドア利用が開始された。ホームドアの導入は三田線に次いで2路線目となる。大江戸線はホームが小さいため、設置位置に余裕がなく1両目と8両目をのぞきホーム端ギリギリの位置に設置されている(ホーム幅が大きい駅では余裕を持って設置されている)。普通のホームドアにはないLED式表示装置で電車の接近・発車を表示し、発車時にはメロディも流れている。発車時のメロディーは、運転席にある注意喚起放送ボタンを押すことで鳴る仕組みになっている。列車緊急停止ボタンはホームドアの上部に設置している。大江戸線のホームドアの設置は、車両の規格がほぼ同じであるため、車両によって扉の設置位置が変わらず、開閉部分を余分に取る必要がなく、ホーム端のフェンスの切断等のホームの改造は最小限で済む。東京地下鉄のホームドアと比較すると、電車が到着した後にホームドアを開いてから車両の扉を開けるシステムとは異なり、車両のドアを開けると同時にホームドアを開けることができるシステムを採用している。そのため、大江戸線のホームにはホームドア専用の信号があり、「ホームドア」という緑のランプが点灯してから開けることでホームドアと同時に車両のドアを開けることが可能となっている。ほかにもホームドア専用の信号には、駅員がリモコンを操作することによって発車抑止のランプを表示することが可能で、これは車いす等を車両から降ろす時に利用されている。また都庁前駅の降車ホームでは、ホームドア設置に伴い駅員による乗客の降車確認終了後、アナウンスとともに、信号に戸閉表示を行っている。2016年の交通政策審議会で、光が丘駅から大泉学園町・埼玉県新座市・清瀬市を経由しJR武蔵野線東所沢駅までの延伸が答申されている(「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」)。練馬区・清瀬市・新座市・所沢市・準会員として狭山市で構成される都市高速鉄道12号線延伸促進協議会を設置している。2000年の運輸政策審議会答申第18号では、光が丘 - 大泉学園町間については「2015年までに整備着手することが適当である路線」、大泉学園町 - 武蔵野線方面間については同じく「今後整備について検討すべき路線」として位置付けられていた。練馬区内においては、地下鉄の導入区間であり、途中に2駅が設置される予定の都市計画道路補助線街路第230号が先行して整備中である。 延伸構想に積極的な姿勢を見せているのが新座市で、過去に非公式ながら東京都から新座市内への1駅設置と車庫建設を提案された経緯もあり、車両基地として4ヘクタールの土地を無償提供する、同市南部に設けられるとみられる新駅(同市では「新座中央駅」と仮称している)を中心に周辺90ヘクタールを区画整理した上で大学や商業施設を誘致するといった構想を公表し、早期延伸の実現を目指している。このほか、大泉学園町から南下して世田谷区を経由し都庁前駅に戻るという8の字型運転の構想がされたこともあり、都庁前駅の引き上げ線は世田谷区方面に延伸できる構造になっているが、正式な計画として採用されるには至っていない。

出典:wikipedia

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