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伊奈かっぺい

伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〔さとう もとのぶ〕、1947年4月16日 - )は、日本のマルチタレントである(ラジオパーソナリティ、ラジオ・CMディレクター、詩人、イラストレーター、シンガーソングライターなど)。有限会社おふぃす・ぐう所属。東北地方を中心に幅広いタレント活動・創作活動を行っている。かつては会社員として青森放送に勤務しており、報道制作局付副参事で退職した(アナウンサー職に就いたことはない)。なお、青森放送在籍時からキー局である日本テレビ系列以外の番組にもタレントとして出演していた。「北の伊奈かっぺい、南のばってん荒川」と言われるローカルタレントであるが、1980年代には大手芸能プロダクション「ホリプロ」にタレント活動のマネジメントを依託し、東京で制作する全国ネットのテレビ番組に多数出演した時期があり、全国的な知名度も有する。青森県弘前市出身。青森県立弘前南高等学校(一期生)、青森短期大学商経科卒。演劇を志しNHK放送劇団に入る。短大卒業後、弘前市の陸奥新報社に入社。しかし、夜勤があり、タレント・創作活動が難しくなるという理由で入社当日に辞職する。1968年青森放送に履歴書をレタリング文字で書き応募したのが目にとまり入社。美術部に10年、CM部に3年、ラジオ制作部に10年、以降定年まで無所属だった。上司も部下もいなかったため、局内では「放牧社員」と綽名されていた。数多くの番組を手がける一方、1974年に処女詩集「消しゴムで書いた落書き」を発表。ほぼ同時期に歌手・ラジオパーソナリティとしても活動を開始。東北一帯にその名が知られるようになった。37歳の時、青森市の委託で「ひとり暮らしの青年を見舞うボランティア」を行っていた女性と結婚。本人曰く、「お寂しくないですか?」と訪問されたため、「寂しいんだよ~」と云って、そのまま押し倒したとのこと。そして、結婚式の際に司会を務めた当時の青森放送の某アナウンサーから「新郎妊婦の入場です」といわれてしまい、いわゆる「できちゃった結婚」をばらされてしまった。4児の父であり、子供にはよだれかけのマークに書かれている「?」(クエスチョンマーク)と「!」(エクスクラメーションマーク)、「?!」、「!?!」に相当する名前を付けている。過去に1994年4月1日放送の「金曜ワイドあおもり」(旅の空から絵だより展を紹介)と1996年秋放送の「RAB特集」で4人の子供の実名が公表されている。又、この「RAB特集」では、伊奈かっぺいの家族全員がテレビ出演していた。尚、現在でも4月1日前後のRABニュースレーダーなどで「絵だより展」のニュースが放送されており、絵を通してだが、現在の様子を見る事ができる。ディレクターとしては、ACC賞、民放祭などで数多くの賞を受賞している。東京の渋谷ジァン・ジァンで定期的に行われていた恒例の津軽弁トークコンサートは、同劇場が1999年に閉館となったため終了となったが、ジァン・ジァンでは同郷の矢野顕子、そして古舘伊知郎らと並ぶ人気を誇った。当初2002年4月16日に青森放送の定年を迎える予定で、本人いわく「社員の女性からの取ってつけたような花束を受け取って」去るはずだった。しかし、この直近に青森放送が55歳定年制を60歳定年制に変更してしまったことから、予定が5年延びてしまった。このため2007年4月16日までは社員として居座ることになったと本人は語っている。2003年11月に小脳梗塞を患い一時レギュラー番組を離れるが、重篤な症状ではなく1ヵ月後には復帰を果たす。しかし、この影響で毎年行われていたRABラジオ・チャリティー・ミュージックソンのプレイベント「伊奈かっぺいとおかしな仲間」が初めて中止となり、以後も体調を考慮し行われていない。津軽弁を愛する根っからの津軽衆。「津軽弁の日やるべし会」の代表者の一人でもある。2007年4月下旬以降、各地で「無藝(定年)退職」と題したコンサートークなど幅広く活動。13日の金曜日にはいつも「だびよん劇場」でトークライブを開いていた。これは1970年代に「だびよん劇場」が開設されたときに当時としては珍しかったライブハウスで何かできることはないか…と考えたときに思いついた企画であるという。重ねて13日が金曜日である月は不規則で現れることから13日が金曜日のときに行うこととなった。第1回目の観客は伊奈の知り合い3人。その後口コミによって次第に観客が増え、会場が満杯になるようになった。開始当初から2000年まで続けることを明言しており、実際に2000年最後の13日の金曜日である10月13日までこのトークライブを行った。伊奈かっぺい自身は、もともと「2000年まで続ける」というのはその時期まで頑張ろうという単なる目標として掲げており、2000年が過ぎても特にトークライブをやめるつもりはなかったようだが、ファンの人に「これで終りなんですね」と言われ、仕方ないからやめよう、ということになったという。なお、「牧さんが死のうが、私が死のうが続ける」という趣旨のことを述べていたら、1992年に「本当に牧さん(牧良介)が亡くなった」ため、どうしようか悩んでいたと述べていたことがある。会場であった「だびよん劇場」は開設者の牧良介の死により閉館したが(そのときこのライブも一時中断された)、「シューだびよん」として後に復活。こちらも2005年3月末日に閉館した。伊奈はしばらくの休養の後、13日の金曜日のトークライブを復活させ(日時、回数不明)、その模様を収めたライブCDも発売されている。尚、こちらも開催日不詳(おそらく1996年夏頃)だが、だびよん劇場でのトークライブの模様は1996年秋放送の「RAB特集」で一部が放送された。伊奈かっぺい『あれもうふふこれもうふふ 暮らしのなかの笑い探し』 草思社、2006年、80-81頁

出典:wikipedia

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