LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

福本清三

福本 清三(ふくもと せいぞう、1943年2月3日 - )は、日本の俳優。兵庫県城崎郡香住町(現・美方郡香美町香住区)出身。血液型はB型。本名は橋本 清三(はしもと せいぞう)。東映京都撮影所所属。50年以上に渡り、時代劇・現代劇を問わず「斬られ役・殺され役」を演じてきたことから、「5万回斬られた男」の異名を持つ。愛称は「先生」。6人兄弟の三男(5番目)で生誕。中学校卒業後、親類の経営する米穀店の後継ぎを任されたが、「まいど、おおきに」という挨拶をすることが恥ずかしく苦手であったことから、1959年、親類の不動産屋を経営していた叔父のつてで15歳で東映京都撮影所に入社し、いわゆる「大部屋俳優」となる。20代後半頃から斬られ役専門となり、東映京都や関連会社が制作したほぼ全ての時代劇に出演した。当時は京都撮影所に所属していたため、東映東京撮影所制作の映画・テレビドラマへの出演は少ない。アクション映画やヤクザ映画にも多数出演しており、映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、撃たれた瞬間に座った状態から跳ね上がって死ぬシーンを、監督・深作欣二が福本にゴムを装着させる予定をしていたものの、殺陣師が「体にバネがあるから必要ない」として止めさせ、身体能力だけで演じている。1978年のテレビ時代劇『柳生一族の陰謀』の裏柳生衆の1人・キタノでセミレギュラーに、1982年公開の角川映画『伊賀忍法帖』では敵役・魔界五人衆の1人・虚空坊に抜擢される。この頃は、千葉真一率いるジャパンアクションクラブ ("JAC") メンバーとの共演も多く、真田広之、志穂美悦子らの信頼も厚い。定年直前の2002年、ハリウッド映画『ラストサムライ』に出演し、主人公から何度話しかけられても返答しない寡黙なサムライに扮した。最後の戦いで戦死するシーンは、いままで培ってきた斬られ役としての演技力を生かし、迫力ある「死に方」を見せた。同作品の英語版公式サイトでは「kirareyaku(斬られ役)」として活動していることが明記されている。2003年に東映を定年となったが、その後も嘱託という形で東映に籍を置いたまま俳優業を続けており、活動の幅もさらに拡げた。『ラストサムライ』で共演したトム・クルーズからは、「定年で辞めるなんてもったいない、ぜひハリウッドにおいでよ」と声をかけられている。2006年にはNHK大河ドラマ『功名が辻』から出演のオファーを受け、ここでも斬られ役としての技量を披露した。2010年には特撮テレビドラマ『仮面ライダーW』の劇中劇『風の左平次』に悪役として登場し、劇中劇を本格的時代劇に見せる演出に一役買っている。翌2011年の仮面ライダー生誕40周年記念映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』では、ショッカーの幹部ブラック将軍を演じた。著書などでは「代表作なし」と語っている。2014年6月14日公開の映画『太秦ライムライト』では「斬られ役一筋のベテラン俳優」役で初主演を務め、第18回ファンタジア国際映画祭において日本人初となる主演男優賞を受賞し、同時に歴代最年長受賞記録を更新した。東映剣会のメンバーで、斬られ役がハリウッド映画に出演したことは他の大部屋俳優や無名俳優の憧れの的になっており、「たとえ華やかな仕事でなくても、真面目にコツコツと働いていれば、いつかは評価される」と、福本の名前を挙げる評論家や教育関係者もいる(2012年度の中学3年生用の道徳の副読本『キラリ☆道徳』(正進社)に福本本人のエッセイが採用された)。多少台詞がある役をキャスティングされたりキャスト名に名前が載っても、一貫して「その他大勢」の役者に拘り続けている。また少しでも画面に残りたいという役者根性から「斬られる」事の研究も怠らず、「海老反り斬られ」など見る者に強烈な印象を与える「死に方」を日々模索しているという。その名が最初に認知されたのはテレビ朝日系の昼のワイドショー「アフタヌーンショー」内での特集コーナーにおいて、斬られ役の大部屋俳優の一人として、名前入りで密着取材された事である。1990年代中頃以降から、新聞の読者投書欄や、インターネットの普及に伴いインターネット上に形成された時代劇関係のコミュニティやBBSにおいて、「あの斬られ役は何者でしょう?」という形で話題にされる事も多くなった。ネットコミュニティ等では福本の事を「先生」「福本先生」と呼称される事が多い。由来は時代劇で浪人が用心棒になった際に雇い主の悪徳商人から「先生!」と呼ばれ(そしてすぐに斬られ)る所と、福本が浪人役を多く演じている所からも来ているとみられる。ほりのぶゆきによる時代劇のパロディ漫画である「江戸むらさき特急」「もののふの記」においても、作中に登場する用心棒が福本を模して描かれている。悪役や剣客を演じる際には、テープで目尻を吊り上げ、顔つきを鋭く見せる独特のメイクを自ら施すのが通例である。1970年代から1980年代にかけての刑事ドラマにも凶悪犯役あるいは端役の刑事役なども演じている。時代劇出演経験が無い、又は少ない俳優が時代劇に出演し太秦で撮影する際に和服を着た際の所作や殺陣などの演技指導も行っており、感謝・尊敬されることも多い。教えを受けた役者は多いが一例として、イケメン新撰組で共演した村上幸平は「『斬る』というのは『殺す』ということ。殺陣ではその位の殺気を込めるように」と指導され感銘を受けたと後に雑誌のインタビューで語っている。京都府京都市右京区太秦の東映京都撮影所の近くに自宅があり、本人は京都弁でパンチパーマをかけている。撮影所に隣接する東映太秦映画村では福本の名を冠した時代劇ショーが上演されていたこともある。東映ピラニア軍団と親しかったことから川谷拓三・渡瀬恒彦らと交流していたが、本人は下戸のため加入していない。「知る人ぞ知る」人物であった福本の知名度を一気に高めるきっかけとなったのは、1992年6月5日の朝日放送のテレビ番組『探偵!ナイトスクープ』への出演である。(2007年12月発売のDVD8巻に収録)。時代劇でいつも斬られ続ける福本の存在が非常に気になっていた視聴者から「あの斬られ役は誰? 出来れば『徹子の部屋』に出演させてあげたい!」という依頼が寄せられた。しかし、当時無名であった福本をいきなり番組に出演させることは無理がある。断られて当たり前と思ったスタッフは本物のセットを拝借して、探偵の落語家桂小枝が黒柳徹子に扮して、福本を『徹子の部屋』に“出演”させた。ところが、そのロケは『徹子の部屋』の本番前に行われており、本物の黒柳徹子が現場に現れると状況が一変する。「日本一の斬られ役」という裏方の仕事に興味を持った黒柳が、その場にいた福本本人に話を聞いているうちに、是非とも自分の番組内でこの人の話を聞いてみたいという方向に話が進む。こうして1992年11月に『徹子の部屋』への本当の出演を果たした。その後福本は、2005年7月8日放送の『探偵!ナイトスクープアカデミー大賞2005』のオープニングに、同番組のレギュラー陣らと共に出演し、その時に、「映画『ラストサムライ』で、あのトム・クルーズと共演した福本清三さんだ!」と実況されて、刀で斬る真似をし、「斬った!斬りました!!これがハリウッド帰りの切れ味だ!」と実況している川下大洋に言われた。また、同番組で時代劇に関わる依頼で探偵と依頼者が太秦の映画村を訪れた際に、殺陣の作法等の指南役として登場する機会もある。その際でも福本のトレードマークである「素浪人」の姿で登場する。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。