銭形金太郎(ぜにがたきんたろう)は、2002年10月10日から2007年12月19日まで、テレビ朝日系列で放送されていたバラエティ番組である。通称銭金(ぜにきん)。番組内ではその省略の「zk」と表記した文字列やロゴマークを主に使用する。テレビ朝日深夜帯においてちゃんネプに続くネプチューン看板番組。くりぃむしちゅ~などのお笑い芸人がサポーターとして貧乏生活を送る人たちいわゆるビンボーさんの元へ出向き、生活や生き様を学んでいく生活応援バラエティー番組である。個性的なビンボーさんやサポーターの強烈なやり取りも相まって人気を博し、貧乏ブームの先駆けとなる。番組開始時は「ビンボーバトル」のコーナーのほかに「金太郎ジャンケン」「ああ、懐かしの貧乏生活」などがあったが、2002年11月21日の放送から「ビンボーバトル」のみの形式になった。深夜時代には強烈なキャラのビンボーさんが人気になり、番組にも度々登場する人もいた。日野誠(スーパーアイドル、お笑い芸人)は番組のマスコット的キャラとして視聴者から愛され、中沢健(作家、芸人)、ギー藤田(映画監督)といった名物ビンボーさんが生まれた。2004年11月10日からは水曜夜8時へ枠移動、初回は夜7時から2時間の拡大スペシャルで放送された。なお、テレビ朝日(2005年4月からは北海道テレビ放送も)では19:54 - 20:00にミニ番組「このあと銭形金太郎」という予告番組を放送していた。2005年4月6日に放送した初の3時間SPでは番組最高視聴率の19.7%を記録した。その後も、2005年10月以降はほぼ2桁台の視聴率を維持していた。枠移動と前後して2004年12月、番組に出演していた一般参加者が週刊誌にやらせを告発、実際にはスタッフの指示により強烈なビンボーな生活を装っていた事が暴露された。そして、ゴールデン移行により視聴層の変化から方向性のシフトを迫られることとなる。2005年中盤からはテコ入れとして毎回のようにサプライズゲストが登場するようになる。また、ビンボーさんもかつての売りだった「強烈ビンボー」よりも、何とかしてゲストと関係性が持てるレベルの人が多くなった。さらに、深夜で特徴的だった出演者の一発ギャグや前振りなどは大幅にカット、土田の「死ねばいいのに」発言も控えめになり、そのような雰囲気の場面はビンボーさん紹介の導入部「前フリ劇場」での有田と名倉のやりとり、総評時の有田と堀内のコントぐらいとなった。さらに、海外の動物園への取材など、ビンボーとは関係のない企画も増えていった。ビンボーバトルその物も、これまでの「赤貧」から、自給自足生活を営む家族といったような「清貧」へと対象が変化。また、「ビンボーさんを紹介する以外の企画が放送時間の大半を占めてビンボーさんが1組しか出てこない」、「2組以上登場しても勝者を決めない」などが定常化し、スペシャル放送のみビンボーバトルをするようになった。2007年8月からはビンボーさんを紹介する企画はなくなり、「天ぷら油号で行く激安店めぐり」や「銭金リサイクル」がメインコーナーとなり、深夜時代とは完全に違う番組となってしまった。2007年10月からは、「街でウワサのユニーク家族」を紹介する番組にリニューアル。「ビンボー」というキーワードや、それから連想される事柄自体が番組から一切消え去ることとなった。10月以降、視聴率は、1桁続きで低迷。11月14日には「愛のエプロン」と共にレギュラー放送の新編成を予定していたが、急遽、テレビ朝日系列全国ネットは放送を回避した。当日予定したスポンサーの殆どがスライドして番組提供をした。2007年12月19日放送の2時間スペシャルを以って終了。最終回は、深夜時代も含めて全557組の中から強烈な印象を与えたビンボーさんを紹介、部門別に分けて大賞を決め、サポーターを務めた上田・有田・土田・大木・東がトロフィーを持って再度出向き、表彰とその後の様子などが語られた。最終回において名倉は「今後も特別番組という形での放送があり得る。」とのコメントを残した。前述の通り特番としての放送を匂わせていたが、その後放送される事はしばらく無く、公式サイトも現存してはいたものの、テレビ朝日のサイトにあるバラエティの「スペシャル番組」の欄にも本番組の名前は記載されていなかった。しかし、通常放送の終了からおよそ4年後の2011年9月28日に3時間の特番として放送。過去のビンボーさんを振り返りつつ、『新作』のビンボーさんロケも行われた。その後も2012年3月28日の19:00 - 21:48に、2012年12月26日の18:30 - 20:54に、2013年10月3日の19:00 - 21:48に、それぞれ特番が放送されている。「ビンボーさん」と呼ばれる、夢は大きいけれどお金に困って貧乏な生活をしている一般視聴者の元へ「サポーター」と呼ばれる芸能人がロケで取材し、審査委員長の堀内健とゲスト2人による3人の審査員の多数決によって、どの「ビンボーさん」が一番ビンボーかを決める。多数決で決まらなかった場合、審査委員長である堀内健の意見が優先される。2003年1月30日放送分までは2人の対決で勝者に10万円、以降は4人での対決で優勝者に賞金20万円が贈られた。2005年には優勝者を選出せず、「紹介したビンボーさん一人一人審査員が判定、札が2枚以上挙がったビンボーさんには貧乏資金20万円を進呈」ということもあったが、また優勝者選出形式に戻った。番外編として、ビンボーなテーマパークを応援する「テーマパークSP」や、過去に登場したビンボーさんのその後を調査する「ビンボーさんその後SP」や、半年間に紹介したビンボーさんの中から最優秀賞や各部門賞を決定する「ビンボーアワード」などもある。番組内の特別番組としては、自給自足ビンボーに対してレギュラーサポーターとネプチューンらが皆で自給自足ビンボーさん宅へ1泊2日滞在する「銭金オールスターズ体験ツアー」という企画が3度放送され、それぞれ富良野、徳島、知床でロケを行っている。2011年以降の特番では賞金贈呈や優勝者選出は行われていない。基本的に以下の4人が深夜・レギュラー・特番含めて出演している。深夜時間帯の初期には、渋さ知らズの「ステキチ」という曲が使われていたこともある。ただし曲名及びアーティスト名のクレジットはなかった。番組内でも登場したビンボーさんのその後として、追跡取材をする場合がある。雑誌が独自に、番組に出演したビンボーさん50名程度についての追跡取材を行ったことがある。それによると、成功して仕事が忙しくなったビンボーさんはほんの数人で、ほとんどは当時と何ら変わりなく過ごしている、とのこと。深夜番組時代にスーパーアイドル日野誠と共に度々出演していた歩く雑誌パフォーマンスの中沢健はその後、文筆業で評価されて講談社BOX新人賞で、あしたの賞を受賞、小説家デビューした後には脚本家としても活躍することになり、円谷プロダクション製作のテレビ番組ウルトラゾーンや劇場アニメ映画「モエブツ」などの脚本を担当している。また、番組の中でも紹介された中沢健の作ったオリジナルキャラクターの怪獣たちはクレーンゲームの景品用のぬいぐるみとして商品化されて大きな反響があった(番組の最終回でもぬいぐるみは紹介されて、成長したビンボーさんの象徴として紹介される)。深夜番組時代『携帯のムービー機能で撮影した焼肉動画』をオカズに白メシを食べるという超絶貧乏テクを披露した内藤隆嗣はその後、自主制作映画『MIDNIGHT PIGSKIN WOLF』を監督・脚本・撮影・編集し、第28回ぴあフィルムフェスティバルに出品。見事PFFアワード2006の企画賞(TBS賞)&観客賞(神戸)を受賞。PFFスカラシップの権利を獲得し、2008年『不灯港』を完成させ、2008年度ぴあフィルムフェスティバルにて一般お披露目公開された。2009年一般劇場公開。2009年ロッテルダム国際映画祭出品。深夜番組時代に出演し、オリジナル曲『フラノの歌』等を披露した斉藤竜明は、その後、テレビ東京系列『シロウト名鑑』に出演し、素人アイドルグループ「割れたチョコレート」のプロデュースを行った。また、日本テレビ系列『スター☆ドラフト会議』に出演しビクターエンタテインメントからメジャーデビューした。その際、リリースした『フラノの歌』がiTunesブルースチャートで、1位を獲得した。※芸名で活動している人物は、いずれも本名名義で出演。半分以上は、芸人としても活動していることも取材VTR内で言及されている。時間はJST表記。
出典:wikipedia
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