南部 直房(なんぶ なおふさ)は、陸奥八戸藩の初代藩主。陸奥盛岡藩初代藩主・南部利直の七男として生まれる。八戸立藩以前には中里直好(中里数馬)を名乗った。寛文4年(1664年)、兄で盛岡藩第2代藩主の南部重直が跡継ぎを決めないまま死去する。このため、盛岡南部家では御家断絶及び領地没収の可能性が濃くなった。生前の重直は幕府による裁定を願い出ており、幕命により重直の異母弟、七戸重信(七戸隼人正)と中里直好(中里数馬)は江戸に上り、裁定を受けた。盛岡藩10万石を分け、8万石を七戸重信が相続し盛岡藩を存続させ、2万石を直好に与えて八戸藩を立藩することとなった。立藩を機に直好は、南部直房と改名した。寛文8年(1668年)、41歳にて没する。死因は病死であるとされているが、一説には「逆恨みをした盛岡藩の陰謀による暗殺」とも言われており、当時幕府からも調査が入った。幕府の調査以降、盛岡藩はわざわざ「八戸藩は分家ではない。独立した対等の立場」と表明している。跡を長男の直政が継いだ。直政にも盛岡藩による暗殺の噂がある。
出典:wikipedia
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