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稚内駅

稚内駅(わっかないえき)は、北海道稚内市中央3丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW80。日本で最も北にある鉄道駅である(北緯45度24分44秒)。日本国有鉄道(国鉄)時代より、鹿児島県の指宿駅と姉妹駅提携を結んでいる。終日社員配置(駅長配置)駅。駅の入るビル「キタカラ(稚内駅再開発ビル)」にはバスターミナル、道の駅、みなとオアシスも併設され、鉄道・バス・道路・港の交通施設が集約されている。北海道内で鉄道駅と道の駅併設駅は3駅目であり、また、鉄道駅・バスターミナル・道の駅・みなとオアシスの4つが併設されている施設は、全国唯一である。初代の稚内駅は、1922年(大正11年)に開業した現在の南稚内駅である。その翌年、1923年(大正12年)5月1日から、当時日本の統治下にあった南樺太大泊町に連絡する鉄道連絡船「稚泊航路」の運航が開始され、現在の稚内駅の近くから入出港するようになり、バラック建ての乗船客待合所が造られた。1924年(大正13年)11月10日に稚内連絡待合所が稚内港に近い場所に建設され、これが稚泊航路への乗船客待合所となったが、当時の稚内駅からはおよそ2kmもの距離があり、この間を旅客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。なお、当時の稚泊航路は夏期は隔日、冬期は10日で2往復の運航体制で、東京から樺太の大泊港までは夜行3泊を要した。現・稚内駅である稚内港駅(わっかないみなとえき)まで鉄道路線が延伸されたのは、1928年(昭和3年)12月26日のことである。開業時の駅舎は、前述の稚内連絡待合所として使われていた建物に改修を加えた上で利用されたものと推測されている。稚泊航路への連絡を主眼としていたため、線路より海側に駅舎が建てられており、市街地とは反対側になっていた。これでは地元利用客にとって不便なため、1938年(昭和13年)6月30日に木造平屋建ての駅舎(2代目駅舎)が市街地側に建設されて使用開始された。稚内港の整備工事が進み、1936年(昭和11年)に北防波堤桟橋が竣工されたことから、1937年(昭和12年)からこの防波堤桟橋内へ約850mの線路の延長敷設工事が始められ、1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内に稚内桟橋駅(わっかないさんばしえき)を設置し使用開始された。ただし、稚内港駅の構内乗降場の扱いであり、独立した駅とは見なされていなかった。なお、諸般の文献では12月11日を正式な開設日として扱っているが、当時の時刻表などでは10月1日から稚内桟橋駅までの運行を開始しており相違がある。稚内桟橋駅は、現存する北防波堤ドームに沿うように線路が敷かれ、ドーム内に旅客ホームがあり、線路を跨線橋で渡った南側に駅舎が設けられていた。駅舎はコンクリート作り2階建てで、1階が乗船口や待合室・事務室・貨物保管庫、2階が日本食堂の構内食堂だった。駅舎の更に南側に連絡船等が着岸する桟橋があり、陸地に近い側から利尻島・礼文島への利礼航路、樺太の本斗町との間の北日本汽船稚斗航路、鉄道省稚泊航路の順でそれぞれ離着岸していた。1939年(昭和14年)2月1日に(旧)稚内駅を南稚内駅に、稚内港駅が稚内駅にそれぞれ改称された。稚泊航路は1945年(昭和20年)8月以降のソ連軍の南樺太侵攻開始後も樺太からの引揚者輸送に当たっていたが、同月24日に稚内港に入港した便を最後に指令により運航停止となり、稚内桟橋駅も実質的に廃止された。1952年(昭和27年)11月6日付で、南稚内駅が起点に近い側(旭川方)へ移転し、これによって南稚内駅との間のキロ程が1.2キロメートルから2.7キロメートルへ変更された。1965年(昭和40年)9月に駅舎が建替えられ、鉄筋コンクリート2階建ての3代目駅舎が使用開始された。この駅舎は2011年(平成23年)4月2日まで使用されていた。駅構内はかつて稚泊航路との連絡の他に、貨物扱いの関係で多数の側線が敷設されていた。しかし、貨物の取扱いは1984年(昭和59年)2月1日に廃止され旅客専用駅となり、側線の撤去が徐々に進められていった。2010年1月31日に2番線が廃止され、ついに分岐器の無い単純な棒線1本だけの駅となった。4代目となる現・駅舎「キタカラ(稚内駅再開発ビル)」は2011年(平成23年)4月3日に鉄道駅部分が開業し、2012年(平成24年)3月10日に竣工、2012年(平成24年)4月29日に全面開業した。単式ホーム1線を持つ地上駅。以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年1月30日をもって2番線が廃止された。また、線路や分岐器、出発信号機、場内信号機はすべて撤去され、棒線化及び停留所化された。これにより南稚内駅から本駅(線路終端)間は1閉塞となり、2列車以上進入できなくなった。駅進入時は過走余裕距離が短いため、全列車15km/h以下の速度制限を受ける(冬季は更に速度を落として進入する)。棒線化される前は構内踏切(警報機のみ)も設置されていた。改札口よりホームへ向かう通路はスロープとなっており、駅玄関からホームまでバリアフリー化されている。改札口横にみどりの窓口を兼ねた稚内駅トラベルセンター(営業時間:6時10分 - 22時50分)、自動券売機、待合室がある。2011年2月に駅名標を新JR北海道仕様(釧路駅などに使われているものと同じ様式)のものに取り替えられ、同年6月には液晶ディスプレイ式発車標に取り替えられた。2012年2月からは、駅自動放送も導入された。2011年4月の駅舎建替え後、日本最北端線路地点は100mほど南側に移動された。これ以前に日本最北端の線路として使用されていた車止めとレールは、稚内市がJR北海道より寄贈を受け、駅舎建替え前当時の記憶を継承するモニュメント「日本最北端の線路」として2012年3月に元の位置へ復元された。かつて駅外から見ることが出来た最北端の駅・線路を示す看板・標柱は、駅舎建替え時に移設された。ホーム内及び駅舎内待合室等のガラス窓越しにこれらを見ることが出来る。また、ホーム内の柱には駅名標と共に前述の指宿駅をはじめ、鹿児島駅・東京駅・函館駅・札幌駅・旭川駅等各駅からの距離が表示されている。特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」は稚内駅到着後、南稚内駅へ折り返して車庫(旧・稚内機関区)に入り整備を行う。かつては、稚泊連絡船への接続等も考慮した広大な構内に複雑な配線が施されていた。しかし貨物営業の廃止等により側線は縮小されていき、更には旅客列車が停車する部分についても棒線化が行われ、現在では分岐器が1つもない駅となっている。以下に1975年3月時点の配線図を示す。稚内駅の入る建物「キタカラ(稚内駅再開発ビル)」は、前述の通り鉄道駅・バスターミナル・道の駅・みなとオアシスの他、各種商店及び観光客向け施設、地域コミュニティ施設等の複合施設となっている。駅所在地名より。稚内の地名はアイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ(冷たい・綺麗な水・川)=冷たい飲み水の沢」に由来する。由来となった川は駅南南西にある真言寺境内を流れている。2014年度の1日平均乗車人員は85人である。主な駅弁は下記の通り。2009年6月30日をもって名寄駅が駅弁販売駅でなくなったため、本駅が宗谷本線内唯一の駅弁販売駅となった。鉄道、フェリー、バスが発着する交通の要所で、市役所、郵便局、港湾施設が至近にある。かつては経済・商業面においても市の中心部としての役割を担う地域だったが、宅地造成により南稚内駅周辺地域である市街南部、東部の人口が増加し、また、同地域への郊外型大型店舗やファストフード店の新規出店、西條などの既存商業施設が移転、漁業関連施設が建設されたこともあり、稚内駅周辺はホテルや旅館、土産物店、飲食店、公園など観光客向け施設が目立つようになった。そのため、列車やフェリー、長距離バス、定期観光バスが発着する時間帯以外はやや閑散としている。稚内駅前ターミナルは稚内駅と同様にキタカラ(稚内駅再開発ビル)の1階にあるため、屋外に出ずに行き来ができる。窓口と待合室が設置されており、定期乗車券や回数券の発券、都市間バスや定期観光バスの予約を取り扱う。特急わっかない号・特急はまなす号、稚内空港連絡バス、市内・近郊路線が発着する。路線詳細はバス会社項目を参照。

出典:wikipedia

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