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日本コロムビア

日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)は、日本のレコード会社である。1910年(明治43年)10月1日、神奈川県橘樹郡川崎町(現在の川崎市川崎区)で日本蓄音機商会として設立された、日本で最初(最古)のレコード会社である。創業時から米国コロムビア・レコード社とは提携関係にあり、ソフトはもとより、レコード盤や蓄音機の技術面での輸出入が行われていた。日蓄工業を経て1946年(昭和21年)に日本コロムビアへ改称する。1960年代までビクタートーキングマシン(RCAビクター)とコロムビアの米国2強によってレコード盤(カッティング・録音)・蓄音機(再生)技術双方の開発が競われており、日本コロムビアはLP盤による邦楽作品をいち早く売り出した。戦後、主に演歌・歌謡曲や伝統芸能・学校音楽教材のレコード制作・発売が中心であったが、1960年代中盤以降はグループサウンズ、アニメや特撮等のアニメソング、1970年代中盤以降はアイドル歌謡曲分野にも進出した。一方で米国コロムビア・レコードは1968年(昭和43年)に輸入発売権が解消されたため(#コロムビアレコードの商標を参照)、洋楽(ロックバンド・ポップスなど)のラインナップは大幅に減少し、現在では自社プロデュース或いは発売権取得によるクラシックやジャズ演奏を中心とした少数派に留まっている。1990年代中頃より不採算部門と言われたJ-POPへ力を入れている。昭和期には、美空ひばり・石川さゆり・島倉千代子・都はるみ・藤山一郎・舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大御所が多数所属し、ビクター音楽産業・東芝EMI・テイチクと市場を二分する程の勢いがあった。一方、J-POP部門はそれらレコード会社やソニーミュージック・ポニーキャニオン・エイベックスなど新興勢とは相反して、ゴダイゴ・中村雅俊・榊原郁恵・松山千春・ザ・コレクターズ、平成期以降はミッシェル・ガン・エレファント・ピチカート・ファイヴ、毛皮のマリーズなど、ファン層が比較的限定されたアーティストで占められていた。1947年(昭和22年)に傘下となった日本電気音響(ブランド名・DENON[デンオン(デノン)])は、放送局向けに供給していたカートリッジDL-103を1964年(昭和39年)頃に一般オーディオ市場に流通させたことをきっかけとして、以後デンオン(デノン)ブランドによるコンポーネント機器を発売した。1972年(昭和47年)頃には、NHK技研との共同開発による世界初の実用PCMデジタルレコーダー(DENON DN023R)によるデジタル録音・LP盤発売を実施するなど、ソフトとハードを兼ね備えていたメーカーとしての顔も見せていた。しかし後述の経営再建策により、2001年(平成13年)にデノン(後のデノン コンシューマー マーケティング)として分社化され、その後の日本マランツとの経営統合により、高級志向に特化したオーディオ機器メーカーとして事業を行っている。1992年(平成4年)頃に、ANIMEXレーベル内の特撮音楽(旧ブラジルレコード)とアニメソング一部作品の制作・発売元を株式会社フォルテ・ミュージックエンタテインメント(Forte Music Enterprise、FME)に分社化し、ディレクターが独立。しかし、1996年(平成8年)頃に債務超過に陥り会社が清算されたため、コロムビアが同社の音源を買い上げる形で収束している。旧来は日立製作所が筆頭株主である日立グループの一社で、第一勧銀グループの社長会である三金会でも旧財閥に属さぬ「勧銀15社」で、民族(国内)資本の名門レコード会社であった。後述の2001年(平成13年)に実施された経営再建に伴うグループ外企業からの出資・経営支援により、みずほグループや日立グループの系列から脱退している。2012年現在の主要取引銀行は三井住友信託銀行である。フェイスグループ入り以前は三菱東京UFJ銀行であった。かつて関係があった米国コロムビア・レコードとハリウッドの大手映画スタジオであるコロンビア映画は、英語では同一表記であるが、両社間は元々関わりが無かった。しかし、ソニーによる買収により1990年(平成2年)以降はソニーグループに属している。発音が似ているためか、「コロンビア」と誤記されることが多い。なお、「コロムビア」と書くが、原音はむしろ「コロンビア」に近く、日本でも多くは「コロンビア」と発音される。平成期に入ると、小室ブームの牽引により売上シェアが急激に拡大したエイベックスの様にミリオンセラーを誇るキラーアーティストの不在に加え、他社と比べて積極的ではなかったJ-POP部門で、THE YELLOW MONKEY(→ファンハウス)・HOUND DOG(→SMEJ)・観月ありさ(→avex tune)ら、当時のオリコンチャートに入る複数の有力アーティストが1997年(平成9年)前後に所属事務所側の意向によって他社へ移籍すると、代わりの新人アーティスト発掘に出遅れたこと、演歌・歌謡曲部門では、2000年(平成12年)デビューの氷川きよしを除いてヒット曲に恵まれなかったこと等による売り上げ減少が続き次第に経営不振に陥った。このため、経営再建のスキームとして2001年(平成13年)5月に日立製作所と主力取引銀行(第一勧銀・三和銀など)の意向により、経営権を企業再生ファンドであるリップルウッド(RH)の手に委ねた。これと前後して、J-POP部門を1998年(平成10年)に分社化した株式会社ヒートウェーブ(HEAT WAVE)が2001年(平成13年)3月に債務超過に陥り、清算後にコロムビアに吸収されている。同年8月にはレコーディングスタジオを兼ねた赤坂4丁目の本社屋の不動産を売却し、六本木移転まで賃借する形式をとった。そして同年10月1日に、先ず音響機器部門をデノンとして分社化(日本コロムビア完全子会社)。即座にリップルウッド中間持株会社の「ニューデノン」(98%・59億円出資)と日立(2%・1億円出資)に、デノン持株分を日本コロムビアが売却することで60億円を調達。さらに事業分割後の日本コロムビアは、同日に第三者割当増資によって65円の優先株を9230.8万株発行し、匿名組合出資ファンド「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」(リップルウッドが8割、第一興商と三菱商事が残りの1割ずつ出資)に対して83%、日立製作所に13%を割り当て、投資ファンドが筆頭株主(全体の41.66%出資)となる。この時点で日立製作所の持株比率が全体の2割強となり、外資主導の資本構成となる。なお、日立へ累積債務の引換として41億円相当の普通株が割り当てられた。100億円規模の資金調達が実現した結果、財務状態は健全化。当時の株価が200円前後で推移したため、普通株に転換出来ればこの時点でリップルウッドに含み益が発生しているが、2002年(平成14年)7月にも、リップルウッドを主な引受先とする68億円分の普通株発行により資本を増強している。リップルウッドは、2002年(平成14年)にデノンと日本マランツが株式移転(経営統合)によって設立したディーアンドエムホールディングスの株式保有を続け、2008年(平成20年)にベインキャピタルへ売却した事により、126億円という莫大な譲渡益(キャピタルゲイン)を得ることになった。RHの方策により、アメリカのBMGエンタテインメントで会長職を歴任したストラウス・ゼルニックが代表取締役会長に内定し、ソニーミュージックのプロデューサー・BMGファンハウス副社長を歴任した元サディスティック・ミカ・バンドのメンバーであった松村克己(ジャック松村)と、ビーイングでプロデューサーをしていた中島正雄を取締役として招致した。RHへ経営権が移る2001年(平成13年)10月1日付けで松村が代表取締役CEOに就任する新体制が築かれた。これよりJ-POP部門のアーティスト育成に本格的に乗り出すとされたが、2002年(平成14年)8月に松村は心不全により僅か48歳で急逝し、CEOは中島に交代となった。そして2002年(平成14年)10月に55年間親しまれてきた「日本コロムビア」から、「コロムビアミュージックエンタテインメント」へ社名変更された。まず社名変更後の同年10月末に一青窈のデビュー作として発売された『もらい泣き』が、ロングセールスとオリコンチャートトップ5へのランクインを記録した。それ以降も2003年(平成15年)の木村カエラのデビューや、氷川きよし等既存アーティスト作品の安定した売上に加え、演歌・アニメソング分野でのベスト盤の発売、虫プロダクションの旧作アニメや中部日本放送の昼ドラマキッズ・ウォーシリーズのDVDソフト化を次々と行うなどの施策によって売上は微増傾向となっていく。なお、2005年(平成17年)までの間に、コロムビア音響工業、旧日本コロムビアのライブハウス事業と位置づけられていた株式会社エッグマン(Shibuya eggman運営) 、コロムビアデジタルメディアの3子会社を企業買収ファンドを営むパインリッジ株式会社へ売却した。売却後もコロムビア健康保険組合の事業主を構成しているため、旧日本コロムビアグループとして括られている。経営再建途上の2007年(平成19年)以降、レコード会社業界全般で音楽配信のシェアが急速に拡大し、CDメディアの売上が縮小する状態に陥る。コロムビアもその影響を受けて売り上げが再び減少。これに伴い、制作部門を含めた数百人規模の社員希望退職者募集に加え、売上不振となっているアーティストとの所属契約を期間満了で更新させずに退かせるなど、大胆なリストラを行った。2007年(平成19年)にはTDK子会社で映像ソフトを中心とした制作・販売を行う「TDKコア」を15億円で買収し、2008年(平成20年)にクリエイティヴ・コアへ社名変更した。映像ソフト分野については事業統合するも、飛躍的な事業拡大へは至っていない。株価についても、2008年(平成20年)以来100円前後から徐々に下落した。特に世界金融危機によって株式市場全体で株安傾向が強まっていた2009年(平成21年)2月22日には年初来最安値の16円を記録した。その後は2009年3月期決算が悲観的ではなかったため40円台まで回復したものの、継続企業の前提が財務諸表に付記され、2009年(平成21年)9月以降は25円-30円台という低水準で推移するといった厳しい経営状態が続く。2009年(平成21年)に日本航空の再建問題で挙がった確定給付型企業年金の積立金不足問題に関連して、2009年(平成21年)12月9日の日経新聞朝刊9面(企業欄)に、コロムビアの給付債務の不足金(約41億円)に自己資本(約8億円)を割ると不足額比率が489%となり、上場企業では首位であることがに掲載された。この時期に、OBに対して給付額の減額交渉を行い、大半の同意を得た事が同月11日付記事で掲載された。企業年金の給付額削減の妥結を見いだした事例として、2010年(平成22年)3月22日号の日経ビジネスにも特集記事として詳述されている。2010年(平成22年)1月、コンテンツ配信サービス企業の (株)フェイス は、2001年(平成13年)10月以来筆頭株主で経営権を握っていた、RHJインターナショナルが組成した「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」から、コロムビアミュージックエンターテインメントの発行株式(合計31.39%)を取得すると発表。これにより、フェイスはコロムビアの筆頭株主となり、持分法適用会社として同社グループ入りとなった。なおこの結果、CEOをはじめとする現職の取締役が全て退任し、フェイスグループから派遣された役員による新経営陣への刷新が、同年4月6日に行われた臨時株主総会および同年6月の定期株主総会で承認され、フェイス創業者の平澤創が取締役取締役会会長に、代表執行役社長兼COOに原康晴(前副社長、旧日本コロムビアで営業畑を歩んできた生え抜き)が就任。社外取締役と社外監査役はほぼフェイス側の役員が兼任する形となった。一方、日立製作所は2009年(平成21年)9月と2010年(平成22年)2月以降、徐々に保有しているコロムビアの株式を売却している事がEDINETでの5%ルールによる大量保有報告書(変更報告)の提出によって明らかとなっている。フェイスは2014年(平成26年)3月に株式公開買付けの結果、出資比率を50%超とし、コロムビアを子会社とした。2010年(平成22年)5月、創業1世紀(100周年)を迎える同年10月1日に、正式社名とツインノーツの社章・ロゴタイプを日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、旧社と同じ。英名:NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)に戻す(法制上は“社名変更”)ことを発表した。旧社名に戻すのは、2002年10月1日付でコロムビアミュージックエンタテインメントに社名変更して以来8年ぶりである。そして、同年10月1日に社名変更が実行された。社章のシンボルカラーについては、2002年(平成14年)9月までの黒色ではなく、CME時代の青色を継承する。理由としては、同年に筆頭株主(支配株主)が約10年振りに外資ファンドから国内企業に異動したことや、現在グループ内での主な事業が音楽・映像ソフト主体から映像・ゲーム関連へと拡大した事により、社名にミュージック(音楽)を付ける事は現状にそぐわないとの判断が現経営陣によってされた結果とのこと。創業当初から1960年代まで英EMIのコロムビア・レーベルのソフトと米コロムビア・レコードの日本での発売権を持っていたが、前者は1962年(昭和37年)に当時の東芝音楽工業(現在のユニバーサル ミュージック合同会社 Virgin Music)に移籍し、後者は1968年(昭和43年)にソニーと旧米コロムビア・レコードの母体であるCBS(CBSレコード)との合弁で設立されたCBS・ソニーレコード(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)設立により移管され、現在は子会社のソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(SMJI)が発売元となっている。日本コロムビアはこれ以降、日本での『ツインノーツ』(16分音符の2連符)マークと、レコードなど音楽ソフトにおける『コロムビア』(COLUMBIA)の商標(登録番号・第318664号ほか)のみを残す形となった。それでも、ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)(SME)発売によるコロムビア・レコードレーベル商品の輸入盤については、輸入発売元がソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(SMJI)ではあるが、日本コロムビア(またはコロムビアミュージックエンタテインメント)の社名ロゴと商標承認の文字が記載されたシールが貼付され、同社はライセンス料を得る形となっている。なお米国コロムビア・レコードのレーベルのマークは、上述のような商標権利上の関係から、旧:日本コロムビアの社章でもあった“ツインノーツ”(旧社は黒色、新社は紺色)ではなく、旧母体であるCBSの「目玉マーク」をアレンジしたもの(通称:ウォーキング・アイ)が用いられ、2000年代からは日本コロムビアと同一の商標ロゴであった「COLUMBIA」の字体(プロポーション)を縦長に改変して区別している。また、SME傘下のコロムビア・レコードのクラシックレーベルとして1990年代に編成した「ソニークラシカル」は、コロムビア・レコードの“ツインノーツ”の代わりに、新たにデザインされた『赤地に2連符の白抜きを模ったロゴ』とSONYのロゴタイプを併記したマークを使用している。2000年代中盤まで、自社でCD・DVD等ディスクメディアの大規模なプレス工場(神奈川県川崎市川崎区港町)を保有する数少ないレコード会社であった(他にはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、東芝EMI(後のトエミ・メディア→メモリーテック)など)。2005年(平成17年)にプレス工場をコロムビアデジタルメディア(CDM) と子会社を設立した上で、土地は株式会社原弘産(下関市)、建物は企業買収ファンドのパインリッジ株式会社へ売却された。その後も生産活動を行っていたが、2007年(平成19年)7月頃に川崎港町から静岡県焼津市の東名高速道路沿いにあるソニーDADCジャパン静岡工場大井川(DADJ-O)敷地内に拠点を移転。会社名をCDMパートナーズへと変更したものの、2009年(平成21年)、CDMパートナーズは従業員による破産申し立てにより倒産している。2016年(平成28年)現在、日本コロムビアの各種パッケージメディアの生産委託に関しては全てソニーDADCジャパンが担当している。川崎工場跡地は京浜急行電鉄と大和ハウス工業の開発による大規模分譲マンション「リヴァリエ」(仮称:川崎港町プロジェクト)の建設が進行中である。なお川崎工場の最寄り駅だった京急大師線港町駅は、1932年(昭和7年)の開設(臨時乗降場からの昇格)から1944年(昭和19年)まで「コロムビア前駅」だった。これが縁で、2013年3月1日、港町駅構内に日本コロムビア川崎工場の歴史を辿るフロアが新設され、同駅の発車メロディに美空ひばりの代表曲『港町十三番地』が採用された。駅構内には同曲の歌碑も設置されている。旧バンダイ・ミュージックエンタテインメント(BME、旧アポロン。但し、同社が販売委託していたマリン・エンタテインメントの音源は同社が保有)や、同社に販売委託を行っていた旧エアーズ、音楽部門(ソノシート関連)を持っていた頃の朝日ソノラマ、及びかつてコロムビアの直系子会社であったフォルテ・ミュージックエンタテインメントの音源を買い取って同社の音源とし、現在に至っている。引退、解散、死去したアーティストも含む。アニメソング(ANIMEX)・ゲームミュージック・子供向け音楽・邦楽(雅楽等)・学校音楽教材を管轄する制作ディビジョンである。アニメソングや特撮番組の音源については前述通り力を入れており、1970年代までは、日本の子供向け番組の大半の楽曲を同社が保有していた。この事から現在でも、70年代以前の懐かしのアニメ・特撮は、同社のCDを求めるだけでかなりの作品を揃える事が出来る。以下の作品の一覧のうち、サウンドトラック発売のみの作品は「(ST)」、他社音源が含まれる作品は「◇」の記号を付記する。1965年1966年1967年1968年1971年1972年1973年1974年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年バンダイ・ミュージックエンタテインメント(旧・アポロン)およびエアーズが音源を保有していたもの
(ガンダムシリーズなど一部作品は例外有り)旧ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)との関係が深い。※ ライナーノーツの歌詞は丸ゴシック体でルビが掲載されている。1980年代頃より番組で放送された新曲を含めたアルバム盤CD(1980年代はレコード・CT)を年2作品程度のペースで自社企画のうえ発売している。原盤の著作権の殆どは日本放送出版協会が保有しているが、ニューミュージック系の楽曲でオリジナルアーティストの所属レコード会社が異なる場合は、コロムビアによって製作されたカバー曲を収録している。2005年(平成17年)頃発売作品より、原盤を製作者から借り入れてオリジナル版を収録するケースが増えている。番組開始40周年を2001年(平成13年)に迎える1999年(平成11年)や、同45周年を迎えた2006年(平成18年)には、過去の楽曲を収録したベスト選集を発売している。1993年(平成5年)よりシリーズ展開されている自社企画のオムニバスアルバム。童謡、子供(キッズ)向けのアニメ・特撮番組、ポンキッキーズ・ひらけ!ポンキッキ、おかあさんといっしょなどの楽曲を選り取り構成し、2500円程度の廉価格で発売している。
特におかあさんといっしょやポンキッキ関係の音源はフジメディアホールディングス(ポニーキャニオン・フジパシフィック音楽出版)が保有しているため、これらの楽曲については原盤の借り入れをせず、全て自社係属アーティスト(山野さと子・影山ヒロノブ・ひまわりキッズなど)によるカバー音源で収録されている。
同等の企画盤はキングレコード・日本クラウン・ビクターエンタテインメント・アポロンが先行しており、東芝EMIなどからも発売された実績がある。上述の「NHKみんなのうた」や、自社音源のアニメソング・特撮主題歌を2枚組のコンピレーションCDとした廉価なベスト・アルバム。NHK教育番組(映像ソフトはNHKエンタープライズと共同制作)その他民放番組過去2010年(平成22年)1月、クリエイティヴ・コア(旧TDKコア)のゲーム事業を譲り受け、コンピュータゲーム事業に参入している。ラインナップはニンテンドーDS・3DS用の女児向けゲームが中心。ゲーム制作部の沿革と発売タイトルについては日本コロムビア発売のゲームタイトル一覧を参照。

出典:wikipedia

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