『ものまね王座決定戦』(ものまねおうざけっていせん)は、フジテレビ系列でゴールデンタイム・プライムタイム(JST)に、1973年から1986年までは春・秋の改編期に、1987年から1998年までは春・秋の改編期・11月下旬または12月上旬に、1999年から2000年までは再び春・秋の改編期にそれぞれ放送され、2012年からは毎年年末(12月)に年1回放送されているものまね番組。通称「ものまね王座」。第1期は主に『火曜ワイドスペシャル』枠で放送されていた。第2期は主に『金曜プレミアム』枠か『土曜プレミアム』枠で放送されている。本項では特別編にあたる『発表!日本ものまね大賞』と総集編にあたる『あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101』についても述べる。1973年、『火曜ワイドスペシャル』として、『第1回オールスターものまね王座決定戦』としてスタート。開始当初から非常に高視聴率を記録し、スペシャル番組として定着した。後に、笑いに特化した内容の番組が1985年7月2日『第1回爆笑!スターものまね王座決定戦』としてリニューアルして、1985年以降は正統派ものまねの『オールスターものまね王座決定戦』と、お笑いものまねの『爆笑!スターものまね王座決定戦』を交互に放送されていた。番組初期は当時の売れっ子アイドル歌手や演歌歌手らの余興的色彩があったが、1987年に後のブームを構築する木村忠寛がプロデューサーに就任。1987年3月放送の『第2回爆笑!スター』からこれまで司会を務めたあのねのねに代わり、新たな司会者に所ジョージ・榊原郁恵が就任(1988年4月の『第20回オールスター』からそれまで桑野信義とタッグを組み出場者側だった田代まさしも加わる)し、審査員に淡谷のり子を加えてからは、いわゆるものまね四天王を前面に出す番組作りに衣替え。ダチョウ倶楽部やピンクの電話のような、ものまねよりも単なる一発芸やカラオケに終始したネタも頻繁化され、1990年代にものまねブームを巻き起こした。1986年までは3ブロック制で90分での放送だったが、1987年の90分での放送が2ブロック制に改める。1987年 - 1998年までは年に3回(オールスターものまねが秋、爆笑!スターものまねが春と11月頃に放送)この2番組が並行して行われていたが、1997年・1998年の11月頃に放送される分はこれまでの優勝者・決勝進出者に常連組が揃ったグランドチャンピオン大会になった。1989年に入ると春の改編期に『爆笑!スター』、秋の改編期に『オールスター』を放送するようになり、この年の10月に放送された第21回以降の『オールスター』から3ブロック制に変更され、翌1990年4月にも第7回以降、春の改編期に放送する『爆笑!スター』も3ブロック制に変更された。1989年12月の「爆笑!スター」からは審査員のネームプレートが手書き体からナールフォルト体に変更。また、それとは別に『火曜ワイドスペシャル』や『金曜おもしろバラエティ』→『金曜ファミリーランド』枠で、年数回、特別版や番組の舞台裏ドキュメントを放送した。1991年にはオリジナルビデオ作品にも進出し、「ものまね四天王 オリジナルムービー ひょうたん」を発表した。しかし、木村とコロッケの対立が発端になり、コロッケは1992年3月31日放送分の『第11回爆笑!スター』を最後に降板。コロッケを含め、司会者だった研ナオコや常連出演者であった岩本恭生、ものまね女四天王の一員であった篠塚満由美らが、1994年12月に日本テレビでスタートした『ものまねバトル大賞』(後の『ものまねバトル』に移動する事件が起きる。一方で当時番組のメイン司会者の榊原郁恵や1980年代後半・1990年代初頭から長年出演中の松居直美と清水アキラ、栗田貫一、ダチョウ倶楽部、岡本夏生、松村邦洋、中島マリ、ジェニーいとうなど、なんとか無事にフジテレビに生き残れた出演者も多かったが、上記の事件が大きく響き、ものまねブームは沈静化する。四天王の一員だったビジーフォーが降板し、視聴率も『ものまねバトル』に奪われるなどした。1999年以降は1回減らした年2回の編成となる。番組の司会の顔であった榊原も2000年4月7日放送の『第25回爆笑!スター』で降板、同時に司会者全員の赤いブレザーや、1980年10月28日放送回から続いてきた最高100点得点式採点方式もこの回で終了した。2000年10月3日放送の第32回でテコ入れをして下記のように多数の演出が大幅なリニューアルし、プロデューサーも木村から水口昌彦に交代(この回は司会に今田耕司、東野幸治、篠原ともえ。基本的に生バンドであった演奏も事前収録の効果音に変わった。これ以降ネタの伴奏は生バンドによる事前収録となる)するが、視聴率が本番組史上最低の13%となり、さらに『ものまねバトル』に敗戦したことを受けて、この回を最後に本番組の第1期は打ち切られ、27年の歴史に幕を降ろした。司会陣も所・田代は1990年12月の『第8回爆笑!スター』で降板し、1991年4月の『第9回爆笑!スター』からは研ナオコ(1994年11月の『第16回爆笑!スター』まで)に交代。しばらくするとメイン司会が井上順(1995年4月の『第17回爆笑!スター』から)の復帰や松本伊代(1996年4月『第19回爆笑!スター』から)の審査員からの移行など司会者が目紛るしく変わることもあった。司会者の人数も3人から、1996年4月の『第19回爆笑!スター』からは4人に、1998年10月の『第30回オールスター』~1999年10月の『第31回オールスター』には5人までに増えた(1998年11月の「グランドチャンピオン大会」と2000年4月の『第25回爆笑!スター』は4人に戻る)。トーナメント制も、1997年10月の『第29回オールスター』から2000年4月の『第25回爆笑!スター』まで、春・秋の改編期の『爆笑!スター』、『オールスター』が4ブロック32組となる。複数名のユニットも作られるようになり、最大で50人を超えたこともあった。番組のセットに関しては、中央が従来のトーナメント表を表したセットだったが、周りが電飾中心のセットになり、出演者席も中央のトーナメント表の所から両側に座ることになった。また、トーナメント表もコンピュータ処理になり、表示されたが1999年10月 - 2000年4月の回はなかった。審査員席の後ろも1997年10月(お台場新社屋での収録初回)からは観客に埋められ、1998年4月 - 1999年4月はものまねのターゲットとなった出演者とグラビアアイドルに埋められたが、1999年10月第31回オールスター - 2000年4月の第25回爆笑!スター回は周りが花に埋められた。1997年4月の第21回爆笑!スターからテロップが乱発・カラフル化するようになる。放送送信が河田町からお台場へ移転したことも背景にあると思われ、司会者・審査員の名前を表示する際に3倍ほどの特大サイズの表示になった(このデザインは2000年4月の第25回爆笑スターまで使用)。ただし、引き続き針すなおのイラストと、ものまね・歌手名のテロップ表記はオリジナルの手書き調を引き続き使用していた。第1期での各放送回の詳しい視聴率は不明だが、全盛期は毎回を叩き出していた。1980年代のフジテレビのスペシャル番組では、『ドリフ大爆笑』『FNS歌謡祭』などに並ぶ高視聴率を獲得している。1985年の第1回爆笑!スターより採用。出演者が多い番組であり混合を避けるため、司会者の衣装は赤い背広(赤い背広(赤いブレザー)に赤蝶ネクタイまたは赤ネクタイ、男性は白いズボン・女性は白いスカートといった出で立ち)を着用して司会進行を担当していた。スタッフとスタジオの左右にいるアシスタントガールも同様に着用していた(スタッフは上着のブレザーのみ)。フジテレビのバラエティ番組においてはそれまで出演者とスタッフ統一の衣装という演出番組はなく、その後の1996年・2004年以降のFNS27時間テレビの統一番組Tシャツにつながったとされる。それ以前1984年の第16回オールスターまでは司会者は普通の正装で担当していた。1996年第20回爆笑!スターではオープニングの司会者紹介時に当時司会の翔が背広の内側に「翔」と刺繍されていたのを見せた。ひそかに約15年間名物・恒例となっていたが、2000年4月第25回爆笑!スターが最後となりプロデューサー交代を気に廃止された。2000年10月第32回オールスターでは当時司会の今田耕司と東野幸治がオープニングでこの赤い背広がなくなったことをオープニングにおいてそのままネタにし「着たい」と言っていたが、「スタッフが着てるんですよ」とスタッフは着ていると説明していた。1993年「第25回オールスター」での亘哲兵が所ジョージのものまねする際や、1994年「第26回オールスター」での島崎和歌子が榊原郁恵のものまねする際でも赤い背広の衣装が登場した。1997年3月放送の「第21回爆笑!スター」までは河田町旧本社屋・第6スタジオ、1997年10月放送の「第29回オールスター」からお台場現新社屋・V4スタジオで収録されていた。先述・後述のとおり、スタジオ移転と同時に一部のセット(各ブロック出演者の待避場所が1980年より続いたメインステージセンター後方からセット裏へ変更等)・一部の演出が変更された。2000年末に、それまで1988年正月より年末年始に行われていた『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!スペシャル』に吸収合併。完全リニューアルを行った結果、視聴率の巻き返しに成功。その後『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』に改題してパワーアップを図り、ステレオ放送の実施や吉本興業所属芸人を中心とするお笑いタレントを多く出演させるなどの演出の変更を行った。なお、本番組最終回の司会であった今田、東野はリニューアル後も続投している。視聴率でも『ものまねバトル』を再び抜き、『ものまねバトル』を2009年1月4日の放送を以って打ち切り・同年5月3日から『ものまねグランプリ』へのリニューアルという形に追い込んだ(『ものまねグランプリ』はトーナメント戦や1対1など、本番組のような個人戦となっており、個人戦から団体戦に変更したフジテレビと逆のパターンのリニューアルとなった)。一方で、かつての本番組の映像をまとめたビデオソフトが、2008年12月17日にDVD BOXとして発売された(ポニーキャニオン 本編540分・3枚組)。DVDでは過去の対戦VTRの一部が収録され、エンディングトークとして歴代司会者の榊原郁恵、松本伊代、ガタルカナル・タカ、清水國明が近況や当時の思い出などを語っている。また、冒頭のタイトルコールもこの4人によって行われている。なお、本番組放送時はモノラル放送であったが、DVDでは全編ステレオ音源で収録されている。また、2009年2月18日にはその第2弾にあたる「ものまね四天王DVD 伝説復活!爆笑ものまねオンパレード!!」というDVD BOXとして発売した。内容はものまね四天王の過去の全対戦VTRが収録されているものである。トーナメント方式で競うルールである(決勝戦は当初は2人だったが、後に3人になる)。初期は、審査員が5人であり、審査員長が口頭で発表する形式で、例えば「3対2で○○の勝ち」といった審査方法だった。1979年4月10日放送回からは、6人の審査員が1人10点、合計60点満点で勝敗を競う形式に、1980年10月28日放送回から2000年4月7日放送までは、10人の審査員が1人持ち点10点、合計100点満点で勝敗を決める形式だった。一人の審査員が付けられる最低点は6点だが、指で5点以下の点数を示したこともあった(ものまね紅白歌合戦で出た1回のみ。時期・詳細は不明)。なお、審査員の点数・合計得点の点数を表示する得点板は、初期は電球で表示していたが、1989年第21回オールスターから合計得点のみがデジタル表示(7セグ式)に、1991年第10回爆笑!スターから審査員の点数もデジタル表示となる。同点の場合は1回勝負のジャンケンで勝敗を決めていた。2012年7月6日、12月28日放送分では審査員10人、先攻を赤、後攻を青として、10点満点で2組同時に得点を付け、審査員席の前面のモニターに表示した後に2組の合計得点を発表する、決勝では1人ずつ順番で個別に得点を付ける形式となった。2013年12月28日放送分では、100点満点で2組同時につけ、1000点満点で合計得点を発表する。中期までは8点や7点もかなり付けられて、合計点数が80点台またはそれ以下というのも珍しくなかったが、1993年に淡谷のり子が降板して以降2000年4月7日までは点数がかなり甘くなり、10点と9点しか付けなくなり100点も乱発するようになった。ただし審査員によっては8点以下の点数も付けていた。例としてしのざき美知が志茂田景樹と菊池桃子がそれぞれ審査員の時に本人の物まねを、朝田昌貴が淡谷の物まねをした際6点をつけている。特に朝田の場合は明石家さんまが「番組史上初の6点」と紹介していた。(しかし時期でいえばしのざき美知が菊池桃子に6点をつけられた方が先である。)1985年7月の「第1回爆笑!スター」では審査員11人が点数を付けるのではなく、どっちか勝ったか判定する。前述のとおり、1989年10月の「オールスター」~1997年3月の「爆笑!スター」は3ブロック制で決勝に残るのは3組。1997年10月の「オールスター」~2000年4月の「爆笑!スター」は4ブロック制で決勝に残るのは4組。11月前後の「爆笑!スター」(1997年・1998年の「チャンピオン大会」)は2ブロック制で決勝に残るのは2組となる。審査員に大江千里、山田邦子、石井和義、高嶋ちさ子、市田ひろみを迎えた。トーナメント方式によるルールは従来通りであるが、決勝戦以外(一回戦から準決勝まで)は、1人3点の持ち点でどちらか良かった方の挑戦者に[3-0]、[2-1]、[1-2]、[0-3]の4段階で点数を付ける方式に変更された。審査の発表形式は、各審査員席の前に星型(または鈴型)のランプが3個設置してあり、赤か白かに分かれて一斉に表示していた(例えば、S水(仮名)対K田(仮名)の対戦でS水が赤(★)、K田が白(☆)の場合、各審査員の点数がそれぞれ[★★★]、[★★☆]、[★☆☆]、[★★☆]、[☆☆☆]であれば、S水の得点が8点、K田が7点でS水の勝ちとなる)。合計15点を2人で取り合うため絶対に同点や引き分けにはならず、それに伴うジャンケンは廃止された(現在の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』、『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』の形式)。決勝戦は、審査員が1人ずつ名前(プレート)を出し、支持の多い人がチャンピオンとなる。この回は、日野美歌(セリーヌ・ディオンのものまね)、すだちtoかぼす(ディフェンディングチャンピオン。KinKi Kidsのものまね)、松居直美(小泉今日子のものまね)が決勝進出となった。審査結果発表はまず、一斉に名前の入ったプレートを出すと、大江が日野を挙げ、山田と石井が松居を挙げ、高嶋と市田がすだちtoかぼすを挙げ松居・すだちtoかぼすが同点となった。この時点で、大江が唯一挙げた日野のチャンピオンがなくなった。大江が改めて決戦投票を行い、松居かすだちtoかぼすを選んだ結果、松居を挙げて、松居がチャンピオンとなった(チャンピオン達成の瞬間にはくす玉が割れて大量の紙吹雪と風船が降って、紙テープが舞う場面のあとに松居をバックにして「優勝おめでとう!!松居直美さん!!」の字幕スーパーが出ていた)。この回の第32回オールスター・決勝戦で行った審査方法は、2008年から毎年10月下旬に放送している『オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル』でも採用される。ただし異なる点として、前者では5人一斉に提示したが、後者では右から順に1人ずつ、司会者がコールをした後にプレートを提示する形だった。決勝はソンミ・清水良太郎・ビューティーこくぶ・ミラクルひかるの4組が戦い、ビューティーこくぶとミラクルひかるが同点になった為、第1期にありえなかった決戦投票を実施。第32回オールスター・決勝と同じ審査方法で決したが、審査員が10人である為、5対5に割れた場合は審査員長の堺正章が挙げた人が優勝となった。復活版では、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』のスタジオセットを使用しているが、トーナメント表は審査員席の背後のLEDスクリーンに表示される。決勝戦の審査結果発表でチャンピオンが決定し、くす玉が割れ(割れる場面をアップで写す)、大量の紙吹雪と風船を浴びる優勝者の表情を映し出した。中には、大号泣する優勝者(コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、松本明子、森口博子、松居直美、中島マリ、岩本恭生など)も多数いた(松居、松本、森口が決勝戦の結果発表の際は、3人が抱き合いながら大号泣していた)。なお、初期のチャンピオンへの賞品はハワイ旅行だったが、第10回以降からは賞金100万円(84分(1997年・1998年は114分)以上の拡大スペシャルの場合は200万円にアップ。ただし、2000年10月放送回・2012年以降の復活版は100万円だった。賞金目録は小切手をモデルにしたものだった)。ダチョウ倶楽部がチャンピオンになった回(1996年11月の第20回爆笑!スターと1999年4月の第24回爆笑!スター(この回の優勝賞金は200万円だった))では、賞金を3等分できないとの理由でさらに100万円を追加、都合賞金300万円となったこともある。そして、ゴールデントロフィーと花束が贈呈される。惜しくも敗れた決勝進出者にも、得点にかかわらず「準優勝」と書かれた目録が渡される(1997年のオールスターでは賞金50万円と海外旅行)。なお、賞金総額は1994年秋などでは500万円、1997年秋などで700万円だった。また番組の収録が長時間に渡るため、収録終了後は近くの居酒屋などで飲み会が開催される。この代金は優勝者の賞金から支払われ、残金が優勝者の物になるのが通例であった。この模様はドキュメントで放送された。2012年7月6日に復活してからの放送では優勝者に対するトロフィー・賞金小切手パネル贈呈はあったが、祝賀用くす玉・キャノン砲(大量の紙吹雪・風船・紙テープ)はない。※太字は複数回のチャンピオン達成者。☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でも審査員を務めた経験あり。★ = 2012年復活版にも出演☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。ほか多数☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。◎ = 「ものまねグランプリ」(日本テレビ)にも出演している。☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。◎ = 「ものまねグランプリ」(日本テレビ)にも出演している。プロのものまねタレントが出演する『ものまね王座決定戦』と並行して、番組に応募した素人の出演者がものまねを披露する『発表!日本ものまね大賞』も年1回程度放送された。司会者や審査員、生バンドスタイルもそのままであったが、司会者は赤いブレザーを着用せず、その代わりに金と銀の背広を着用した(初期と後年になると全員が赤いブレザーになった)。チャンピオン(この時もくす玉と大量の紙吹雪と風船と紙テープがあった)は、賞金20万円と海外旅行が贈られる(稀に審査員特別賞がある年もあり、その場合は海外旅行が審査員特別賞に回され、チャンピオンは賞金のみとなる)。チャンピオンとは関係なくプロデューサー・出演者などの評価によってはプロの本選であるものまね王座決定戦に出場できる。栗田貫一、松村邦洋、中島マリ、布施辰徳、ジェニーいとう、ナオミ・グレースなどがこの番組からデビューし、本選の常連となった。素人時代のコージー冨田はこの番組での優勝を機に本格的にプロ転向し、後に日本テレビ『ものまねバトル』でブレイク。若手時代の千秋(当時・藤本千秋)も出演したことがある(ネタは浅田美代子の「赤い風船」や山本リンダなど)。出場者の中にはオンエアでカットされる人もおり、司会者もひくような出場者もいて、ものまねの発表中「弱ったな…」「バカヤロー」「金縛りになる○○(司会者)」とテロップを残していた。また、1994年では明石家さんまが森高千里の「気分爽快」を数回行った。これはのちにレギュラー出演した藤川なお美が披露した後に行っており、その年の秋の「オールスター」では藤川と同じ回から出演している中島マリが披露する前に榊原がコメントをし、1995年の「ベスト101」では本番組・紅白以外の映像でベスト3に入った。2013年8月27日には、『カスペ!』枠にて『ものまねスター誕生!』として約15年ぶりに復活した。この放送でのMVPは、賞金30万円と『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』の出演のチャンスが贈られる。名物素人として、以下が挙げられる。2013年の復活SP放送の際には再び本名を名乗り、トリで登場。タレントとしてではなく、あくまでも復活した素人として出演した。しかし規制があるのか、かつてのような下ネタを封印し、「ロボコップとアイアンマンの違い」、「トランスフォーマー・オプティマスのまね」、「エヴァンゲリオンのまね」と、昭和・平成のロボットのものまねを真面目に披露した。他の出場者がふるわず、大きなクオリティの差があったことから、司会を務めたさまぁ~ず・大竹一樹から、「今日、初の本格的な奴だよ!」と絶賛された。8歳ながら武田鉄矢やちびまる子ちゃん、山瀬まみや土井たか子などを披露した。後に審査員としてものまね王座決定戦に参加している。3歳ながら村田英雄やVIPのCMのまね、間寛平などを披露した。パカボンのママやのび太のママのまねも披露している。ご本人の前で当時司会だった研ナオコのまねも披露した(鼻にテープを貼り、再現)。『あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101』とは『ものまね王座』の総集編かつリクエストスペシャルで1990年度から1997年度まで『火曜ワイドスペシャル』や『強力!木スペ120分』にて放送された。本番組ではハガキでのリクエストやリクエストした視聴者への逆電が行われ、『ものまね王座』の他『ものまね紅白』や『ものまね珍坊』や『日本ものまね大賞』の各VTRが使用された。
出典:wikipedia
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