コムギ(小麦、英名: Wheat)は、イネ科コムギ属に属する一年草の植物。一般的にはパンコムギ(学名: "Triticum aestivum")を指すが、広義には"T. compactum"(クラブコムギ、)や "T. durum"(デュラムコムギ、、マカロニコムギ、)などコムギ属 (学名: "Triticum"、) 植物全般を指す。世界三大穀物の一つ。古くから栽培され、世界で最も生産量の多い穀物のひとつである。年間生産量は約7.3億トンであり、これはトウモロコシの約10.4億トンには及ばないが、米の約7.4億トンにほぼ近い(2014年)。他の三大穀物と同じく基礎食料であり、各国で生産された小麦はまずは国内で消費され、剰余が輸出される。日本国内において、麦(小麦・大麦・はだか麦)は食糧法により価格統制が存在する。コムギの実は硬い外皮に覆われ、その中に可食部である胚乳と、胚芽が存在する。この3部分の割合は外皮が13.5%、胚乳が84%、胚芽が2.5%である。主に食用とするのは胚乳部分であり、製粉して小麦粉とするのはこの部分である。果皮や胚芽部分(ふすま)も食用とすることはできるが、食味に劣るうえ小麦粉に混入すると品質が劣化しやすくなるため、一般的な小麦粉に使用することはない。しかし、ふすま部分には独特の風味があるため、これを取り除かずそのまま粉にした全粒粉も存在する。コムギは本来は越年生の植物であり、秋に種をまいて越年させ、春に発芽し夏に収穫するのが基本形である。これは、発芽のためにある程度の低温期間が継続する必要があるためである。しかし、突然変異によって低温期間を必要としない品種が生まれ、寒さが激しく種が冬を越せない地方や、逆に本来の収穫期に雨季を迎え収穫が困難になる地域において栽培されるようになった。この品種は春に播いて、夏の終わりに収穫するのが一般的である。播く時期から、前者を秋播き小麦、後者を春播き小麦と称する。秋播きは10月中から11月初頭にかけてが良く、11月下旬から12月に入ってからの霜が降りる時期になると極端に発芽率が悪くなる。秋播きコムギの開花・結実は5月から6月、春播きコムギのそれは7月から8月であるが、この時期に雨が多いとコムギの種子内のグルテンの形成が鈍くなる。収穫された種子は粉にして小麦粉として使われる。小麦粉はパンやうどん、中華麺、菓子、パスタ、そうめん、クスクスなどの原料となる。粒の硬さにより、生成される小麦粉の種類、用途が異なる。ビールは通常オオムギから作られるものであるが、白ビールはコムギの麦芽を多く使用して作られる。ウイスキーや工業用アルコールの原料にもなる。また、小麦粉からはグルテンを作ることができ、グルテンを加工すると麩を作ることができる。また、グルテンからは代用肉であるグルテンミート(セイタン)も作られ、ベジタリアンやマクロビオティック用、アレルギーや食事制限用の肉代用品として使用されている。品質が劣るものや製粉の際に出るふすま(麩・麬=コムギの糠)は家畜の飼料となる。ふすまは、セルロースなど不溶性食物繊維を豊富に含むことが着目され、朝食用シリアル等にも用いられるようになった。また、コムギの胚芽には油が含まれ、食用の小麦胚芽油をとることができる。コムギ属 "Triticum" は、1小穂の稔実粒数、染色体数、ゲノム構成によって以下のように分けられる。小麦は栽培時期等によって以下のように区別される。中央アジアのコーカサス地方からイラクにかけてが原産地と考えられている。1粒系コムギの栽培は1万5千年前頃に始まった。その後1粒系コムギはクサビコムギ"Aegilops speltoides"と交雑し2粒コムギになり、さらに紀元前5500年頃に2粒系コムギは野生種のタルホコムギ"Ae. squarrosa"と交雑し、普通コムギ"T. aestivum"が生まれたといわれる。普通コムギの栽培はメソポタミア地方で始まり、紀元前3000年ごろにはヨーロッパやアフリカに伝えられた。テル・アブ・フレイラなどから採掘された古代の野生種ムギはもともと成熟すると麦穂が風などにより容易に飛び散る性質を持っており、当初のコムギも収穫には非常に手間のかかる作物であったと考えられている。このため、その貴重さと保蔵のしやすさから一種の交換の媒体、通貨として取り扱われていたのではないかと推測されている。シリア地方からヨーロッパなどに広く栽培の範囲が広がるにつれ品種淘汰がなされ、この種子の飛び散りやすさの特性が失われ主食穀物としての座を獲得することになった。栽培植物化の時期はオオムギのほうがやや早く、当初はオオムギのほうが重要な作物であった。これは、オオムギの収量の多さや収穫時期の早さ、粒の大きさなどによる。また、この時期はコムギもオオムギも粥として煮て食べるものであったため、調理方法の差が重要となることはなかった。しかし、製粉技術が進歩し碾き臼が登場すると、グルテンを持ち様々な料理へと加工することが容易なコムギがオオムギに代わって最重要の作物となっていった。聖書の中にも頻繁に「麦」や「小麦」が登場し、重要な作物であったことがわかる。聖書の中で小麦が最初に登場するのは、最初の書である創世記(30章14節)である。中国への小麦の伝来は四千年前頃であるが粉食し広く栽培される様に成ったのは三千年前頃である。これは、冬作物で粟・稲の端境期に収穫されたことから、七千年前から栽培がおこなわれていた大麦とは対照的である。中世にはヨーロッパではすでにコムギが最も重要な作物となっていたが、特に農民や下層の都市住民にはコムギだけで作られたパンはぜいたく品であり、オオムギやエンバク、ライムギといった安価な穀物が食生活の中心となっていた。一方で栽培されるコムギにおいても、パンコムギはエンマーコムギやスペルトコムギよりも優勢であり、より高く評価されていた。パンコムギには易脱穀性があり、難脱穀性のエンマーコムギやスペルトコムギに比べ脱穀の手間が少なかったためである。大航海時代に入ると、新大陸に移住したヨーロッパ人植民者たちが故郷からコムギを持ち込んで栽培し、新大陸においても基幹食料となっていった。アメリカやカナダ、オーストラリアといった現在のコムギ主要生産国にコムギが持ち込まれたのもこの時期のことである。また、18世紀ごろからヨーロッパでは徐々に市民の生活が向上し、また農法の改善や生産地の拡大によってコムギ生産が拡大するとともにコムギが食生活の中心となっていき、量の面でもライムギにかわってコムギが中心となっていった。20世紀後半、ノーマン・ボーローグらによる小麦農林10号を親としたコムギの短稈種の研究が進められ、肥料を多量に使用しても丈が高くならず、倒伏の危険なしに大量の収穫が見込める品種が次々と開発された。この研究から緑の革命がおこり、これによって多収量の上安定した収穫が望める新品種が発展途上国を中心に普及し、メキシコなど多くの発展途上国でコムギは大幅な増収となり、生産性も大幅に改善された。その一方、旱魃など災害による地域的な不作も無くなってはいない。中国経由で伝来されたと考えられている日本でも約2000年前の遺跡から小麦が出土しており、伝わったのはそれから遠くない弥生時代であると考えられている。奈良・平安期には五穀の1つとして重視された(『和名類聚抄』には「古牟岐(コムギ)・末牟岐(マムギ=「真麦」)」の名で伝わる)が、一方で収穫前の大麦・小麦の青草を貴族や有力豪族が農民から買い上げて馬の飼料にすることが行われ、当時の政府がこれを禁止する太政官符が度々発令(751年・808年・819年・839年)されており、稲や粟と比較して食用作物としての認識が十分に広まっていなかったとする見方もある。ただ、これには当時の日本に製粉用の碾き臼がほとんど普及していない、という事情があった。柔らかい胚乳が硬い表皮で覆われた構造の麦粒を食用にするには、全体をひき潰してから小麦粉とふすまに分離する必要がある。碾き臼を持たない庶民は、搗き臼を使っての非効率な製粉作業に甘んじるしかなかった。その手間を嫌い、手早く利益を得る方法として小麦を飼料用に販売したとも考えられる。それ以降もコムギは全国で栽培され続けたが、製粉技術が未発達だったために使用法が限定されていた。それでも鎌倉時代にはいって二毛作がはじまると、稲の裏作作物としてコムギが採用され、室町時代に入ると米に比べてムギの税率が軽かったために裏作でのコムギの栽培量が急速に増加した。日本では製粉技術が未発達だったゆえ、小麦その他「粉」を使用した食品は、長らくぜいたく品とされた。庶民がうどん、饅頭、ほうとう、すいとんなどの粉食品を気軽に口にできるようになったのは、碾き臼が普及した江戸時代以降である。稲の裏作として麦の生産が盛んに行われるようになり、粒のまま食べるオオムギと粉にして食べるコムギがともに食用として栽培された。都市では小麦粉を使用したうどんや天ぷらといった料理や饅頭などの和菓子の消費が大きくなる一方、自家消費の割合の大きい農村では製粉という手間のかかるコムギは日常ではなかなか口にできるものではなかった。このため、コムギなどの粉食はハレの日の料理として扱われることが多かった。明治時代に入り、欧米からパンなど様々なコムギ料理が伝わってくるとコムギの消費も増大した。明治時代初期には36万haだった栽培面積は、大正時代には50万ha、最も栽培面積の大きくなった第二次世界大戦中には70万から80万haにのぼるようになった。第二次世界大戦後には学校給食がはじまり、パン主体の給食と食の欧米化、多様化はコムギの消費をさらに拡大させた。一方で、アメリカなどから安いコムギが大量に入ってくるようになったことや二毛作自体の衰退、そして1963年の三八豪雪と夏の多雨により小麦生産が大打撃を受けたことにより、栽培面積は急速に減少して、1963年には栽培面積60万ha、自給率20%前後だったものが、1973年には栽培面積は7.5万haにまで減少し、自給率はわずか4%となった。その後、減反政策によってコムギの生産が奨励され、生産はやや復調傾向にある。2005年には栽培面積は21万ha、自給率は14%となっている。コムギは、温帯から亜寒帯にかけて栽培されている。比較的乾燥に強く、生産限界は年間降水量500mmである。灌漑設備が整っている場合は、さらに乾燥した地域でも栽培できる。地域別ではアジア州が4割強、ヨーロッパ州が3割強、北アメリカ州が1割強となる。国際連合食糧農業機関の統計資料 (FAOSTAT) によると、2006年の世界生産量は6億0595万トン。これは米の生産量(6億3461万トン)に匹敵する。トウモロコシ(6億9523万トン、2006年)についで生産量の多い農作物である。上位5位までの生産国、すなわち、中華人民共和国、インド、アメリカ合衆国、ロシア、フランスで総生産量のちょうど5割を生産している。コムギの反収は、国によって大きな差がある。2012年の10アール当たりの反収は、集約型の農業が行われているヨーロッパでは、フランスが760kg,ドイツが733kg,イギリスが666kgと非常に多収である。日本では411㎏であり、ヨーロッパ諸国の2/3程度である。これは、日本では、本州以南では、水田稲作の裏作として副次的に作付されることが多く、コムギに最適な土壌管理等がなされにくいこと、また、北海道以外では、コムギの登熟期が梅雨にかかってしまい、収穫量や品質に重大な影響をあたえることがしばしばあるためである。なお、コムギの大生産国であるアメリカでは311㎏、オーストラリアでは215㎏と反収は低い。カザフスタンに至っては79kgと、主要な生産国の中では最低レベルである。こういった国々では反収の低さを農園の広大さで補い、粗放型の農業が行われている。因みに、コムギにおいては反収は先進国と発展途上国の間に明確な差は見られない。エジプトや、1980年代から1990年代にかけてのジンバブエ(ジンバブエ政府の政策により、2000年代には350㎏前後にまで激減した)のように10アール当たりの反収が550㎏から650㎏にものぼり、世界最高水準に達している途上国もある一方で、ロシアの反収は177kgと、フランスの1/4未満にすぎない。日本の生産量は、86万300トン(2005年)、うち北海道での生産が全体の65%を占める。世界的に問題となる生育期の降水量に関しては、本州以南も申し分ないが、逆に、本州の多くでは、収穫期に梅雨入りしてしまい、コムギの収量・品質に多大な影響を与えてしまうため、国内では梅雨がない北海道が、栽培に適するためである(熟したコムギは水分を得ると発芽する(穂発芽)。穂発芽を起こしたコムギの値段は一気に下がる)。国内の栽培品種についても、梅雨の存在が影を落としている。とりわけ東北南部以南では、水田における裏作として伝統的に栽培されてきた、登熟が早く、収穫期の多湿多雨に比較的強い、うどん等の在来麺類向けの品種が専ら生産され、パン向けは国内生産の半分に満たない。これは、パン向けのコムギは、特に収穫期の高温多湿多雨に弱いため、国内では品質・収量ともに安定的な生産が難しく、農家が敬遠する傾向があるためである。しかし、近年のコムギ国際価格の高騰と、製パン向けの国内産小麦に対する根強い国内需要があることから、パン向けの品種改良や、数少ない国内産のパン用小麦の争奪戦がおこなわれている。コムギは最も貿易量が多い穀物である。2005年時点の総輸出量は1億2027万トン、総輸入量は1億2018万トン。例えばトウモロコシの総輸出量は8964万トン、米は2503万トンに過ぎない。輸出国はアメリカ合衆国 2749万トン (22.9%)、フランス1602万トン (13.3%)、カナダ 1398万トン (11.6%)、オーストラリア1392万トン (11.6%)、アルゼンチン1042万トン (8.7%) の順であり、この5カ国だけで全輸出量の2/3を占める。輸入国は、スペイン (6.2%)、エジプト、イタリア、アルジェリア、日本、ブラジル、インドネシアの順に多い。この5カ国で全輸入量の35%を占める。日本の輸入量は全輸入量の4.6%。日本のコムギ輸入相手国は、アメリカ合衆国 (55.9%)、オーストラリア (22.2%)、カナダ (21.2%) であり、その他の国は0.7%に過ぎない。食糧法第三章により、麦は政府の価格統制が存在する。四十二条により、政府は麦等の輸入を目的とする買入れを行うことができる(政府麦)日本政府は、商社が輸入した小麦を購入した上で、政府売り渡し価格を製粉会社に提示、引き渡す制度になっている。製粉会社は、マークアップと呼ばれる上乗せ金 16,868円/tを政府に、拠出金 1,530円/tを、農水省OBが中心の組織、製粉振興会に支払うことで、原料を購入する事ができる。売り渡し価格は、年3回(現行年2回)、10%程度の増減幅で見直されているが、上記の情勢や天候に大きく左右されれば国際価格に影響を受ける。2006年頃から上昇傾向にあった小麦価格は、2007年には主にオーストラリアでの大規模な不作によって小麦価格が高騰、それに伴い政府価格も改定し、パンや焼きそばなど小麦粉を使う製品の値段が上昇した。2008年10月には、売渡価格が20%値上げされる他、2009年には国産買取価格も30%値上げされた。四十五条により、政府および政府に委託を受けた以外の者が日本に小麦を輸入する際には、輸入関税に加え、国内生産農家保護のため麦等輸入納付金を納付しなければならない。日本における農林水産省が認定する「農林認定品種」は、2010年までに170種を超える。日本に輸入される外国産の小麦は、複数品種をブレンドした銘柄で取引される。作付面積は農林水産省調べで、産年による。
出典:wikipedia
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