ボールトンポール バリオール (Boulton Paul Balliol) は、1950年代前半にイギリス空軍・海軍で使用された練習機で、ボールトンポール社が開発した。当初はターボプロップ・エンジンを搭載した練習機として開発されたが、その後空軍がピストン式エンジンを搭載することに仕様を変更したため、ロールス・ロイス マーリン エンジンを搭載して完成した。1950年頃から配備が始まったが、その後ジェット・プロボストが配備されるとこれに切り替えられたため、199機の生産で生産打ち切りになった。この内、12機はセイロン空軍用である。これとは別に、海軍用の機体が30機製造された。これが、シー・バリオールで、着艦フックと主翼の折りたたみ機構を有していた。シー・バリオールは1950年代後半まで使用され、最後の機体は1969年まで飛行していた。バリオールはボールトンポール社製の航空機の内、正式採用された最後の機体であった。バリオールは英国空軍向けのターボプロップ エンジン付き3座高等練習機へののに合致し、競合機のアブロ アテナに対抗する機体として設計された。バリオールは引き込み式の主車輪と固定式の尾輪を備えた一般的な低翼単葉機であった。訓練生と教官はオブザーバーの前に並列に座った。試作初号機は臨時の820 hp (611 kW) 30 星型エンジンを装着して1947年5月30日に初飛行を行った。予定していたアームストロング・シドレー マンバ ターボプロップエンジンを装着した試作2号機は1948年5月17日に初飛行を行い、これが世界初の単発ターボプロップ・エンジン航空機の飛行となった。航空省は1947年にこの要求仕様を再考し、ロールス・ロイス マーリン エンジンを使用する複座練習機のに変更した。マーリン エンジンを装備したバリオールT.2が1948年7月10日に初飛行を行い、比較評価の結果アテナを破り本機が採用された。イギリス空軍のノースアメリカン ハーバードに代わり多数が発注された。Mk 1のオブザーバー用座席は取り払われたが並列配置の前席は残された。シー・バリオールT.21は折り畳み式の主翼と着艦用のアレスティングフックを備えていた。しかし1951年に航空省は再度練習機の要求仕様を変更し、ジェット エンジン搭載の練習機デ・ハビランド バンパイア T.Mk11を調達することを決定した。前量産型のバリオールは1950年に英国空軍のに配備されたが飛行訓練の方針が変更されたためバリオールはノースアメリカン・ハーバードの代替機としての第7飛行学校に配備された。バリオールは後の1956年にデ・ハビランド バンパイア T.Mk11に代替されるまでに就役し、1953年からはのに限定的に配備された。バリオールの運用は1957年9月に飛行隊が解隊されるまで続いた。シー・バリオールはの第781飛行隊との第1843R.N.V.Rで使用され、最後の1機は1954年12月に配備された。残った数機が1963年9月までアボットシンチ基地で現役であった。12機のMk.2がへ輸出された。
出典:wikipedia
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