無良 崇人(むら たかひと、1991年2月11日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。元フィギュアスケート選手の無良隆志を父に持つ。主な実績として、2014年四大陸選手権優勝、2008年・2012年・2015年全日本選手権各3位、2013年世界選手権8位など。2013年4月24日、4月8日に一般女性と結婚したことを発表、同年5月に長女が誕生した。東京都出身。駒場学園高等学校から倉敷翠松高等学校に移り、2009年4月より中京大学に在籍。中学3年で習得した3回転アクセルの高さや幅は世界でも屈指。1994年にスケートを始める。2002年と2003年の全日本ノービス選手権Aクラスを連覇、2005-2006シーズンから3季出場したISUジュニアグランプリでは4度表彰台に上った。2007-2008シーズンに全日本ジュニア選手権で初優勝する。2008-2009シーズンからシニアクラスに移行し、フィンランディア杯で初出場初優勝を飾った。全日本選手権では自身初の表彰台となる3位に入り、世界選手権への初出場を決めたが、結果SP13位・フリー16位の総合15位に留まった。バンクーバーオリンピック開催の2009-2010シーズンは、ケガにより予定されていたGPシリーズを欠場した。全日本選手権には出場したものの、結局10位に終わってしまった。2011-2012シーズンは全日本選手権でSP12位と大きく出遅れたが、FSで挽回し5位となった。この結果を受けて派遣された四大陸選手権のSPでは当時のパーソナルベストを大きく上回るスコアで2位と躍進、FSではミスが出て6位に終わったものの、総合で5位入賞を果たした。2012-2013シーズン、エリック・ボンパール杯でGPシリーズ初優勝。全日本選手権では3位になり、4年ぶり2回目の世界選手権の代表に選出。世界選手権ではSP11位と出遅れるも、FSでは5位と健闘し総合8位入賞を果たした。2013-2014シーズン、スケートカナダで10位。FSのプログラムを前シーズンの物に戻して挑んだNHK杯では6位。全日本選手権では6位に留まり、ソチ五輪代表選出はならなかった。織田信成の現役引退により補欠繰り上げ出場となった四大陸選手権では、SPでほぼノーミスの演技を披露し、パーソナルベストを更新してトップに立つ。FSでは1位の小塚崇彦に次ぐ2位だったが、総合成績でもパーソナルベストを記録して首位となり、自身ISUのチャンピオンシップス初優勝を果たした。続くチャレンジカップでもSP2位、フリー首位の総合優勝を達成する。洋菓子のヒロタが新たに設立したフィギュアスケートクラブ「HIROTAクラブ」に所属し、6月6日付けで鳥取県スケート連盟の選手として登録された。2014-2015シーズン、オフシーズンの間にイリヤ・クーリックに指導を仰ぐ。ロンバルディアトロフィーでは2位、スケートカナダではGPシリーズ2勝目を挙げる。FSで170点を超え、合計得点も250点を超えるパーソナルベストを記録した。NHK杯でも3位、初の代表選出となったGPファイナルでは5位。同年の全日本選手権では総合5位となったが、全日本4位だった町田樹が現役を引退することになり、世界選手権日本代表も辞退したことから、無良が補欠登録から繰り上がり2大会ぶり3回目の世界選手権日本代表に選出されることとなった。しかし、その後の四大陸選手権では7位に留まり2連覇を逃す。さらに世界選手権でもSPで3アクセルが1回転半になる等のジャンプ失敗が響いて23位と大きく出遅れてしまい、FSでは同日本代表の小塚崇彦に続いて2番滑走、FSのみでは12位と挽回するも結局総合16位に終わった。最後の戦い国別対抗戦において、SP、FSで計19ポイントを獲得し団体日本の3位に貢献。スコアでは247.80を獲得し復調の兆しを見せシーズンに幕を下ろす。2015-2016シーズン、スケートアメリカで10位と不振が響き、NHK杯は2年連続の3位となるも、2年連続のGPファイナル出場は成らず。全日本選手権では3位で3大会ぶり3回目の表彰台に登り、四大陸選手権へは5年連続で代表選出されたが、世界選手権は日本男子シングルが2枠に減少された事も有り、代表選出はならなかった。四大陸選手権では5位に終わったが、SP、FSの自己ベストを更新した。2016-2017シーズン、初出場となる2016年CSUSクラシックで高い技術を見せつけ銀メダル。グランプリシリーズではカナダ杯、エリック・ボンパール杯での出場が内定。
出典:wikipedia
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