メリーランド州(、略号MD、)は、アメリカ合衆国東部の大西洋岸にあり、ワシントンD.C.に隣接して中部大西洋岸地域()を構成する州の一つである。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第42位、人口では第19位である。人口密度が高い。南と西はバージニア州、ウェストバージニア州、ワシントンD.C.に、北はペンシルベニア州、東はデラウェア州と接している。州名の由来は、当時、イングランド国内で禁じられていたカトリック信仰の擁護者的存在になったヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス王妃(イングランド内戦・ピューリタン革命で処刑されることになるチャールズ1世の妃)の名前であり、イギリス植民地時代に彼女の栄誉を称えて名付けられた。当時、勅許で与えられた名前は"Terra Mariae, anglice, Maryland"だった。ただし多くの歴史家は、ジョージ・カルバートが1632年に死ぬ前に、イエスの母マリアに因んで名付けたと考えている。州都はアナポリス市、最大都市はボルティモア市である。世帯当たり収入の中央値では50州の中で最も高い州である。メリーランドはアメリカで最も古い州の一つで、16世紀初頭にはイタリア人が訪れ、1608年イギリス人ジョン・スミスがここを探検して地図に記している。1631年にチェサピーク湾のケント島に交易所が設置され、1631年から1634年にかけてイギリスのチャールズ1世がカルバート卿(ボルティモア男爵)に領土を与えた。1691年6月から1715年5月までイギリスの王室領となった。アメリカ独立戦争(1775-1783年)ではメリーランドの兵士は勇敢に戦った。ボルティモアに今も残るマクヘンリー砦は、米英戦争の1814年に再び攻めてきたイギリス軍と25時間にわたる激しい戦いを繰り広げ、頑強に耐え抜いた場所である。戦いの後に要塞に堂々とたなびく星条旗を仰いで、フランシス・スコット・キーが「星条旗」という詩を詠み、それが1931年に現在のアメリカ国歌となった。1783年11月から9ヶ月間はアナポリスの議事堂が「国会議事堂」となり、1784年1月にはその議事堂でパリ条約が批准されて、アメリカ合衆国が正式に誕生した。その間事実上「合衆国の首都」であったわけで、大統領のワシントンやジェファーソン、モンロー等の足跡がある。奴隷制度を保持していたが、1861-1865年の南北戦争ではリー将軍率いる南軍の北上を引き止め、北軍の一員として戦った。1629年、アイルランド貴族の初代ボルティモア男爵ジョージ・カルバートが、北のニューファンドランド島でアバロン植民地の経営に失敗した直後、国王チャールズ1世に、後にメリーランド植民地となる地域の勅許を申請した。カルバートはカトリック教徒であり、新世界にカトリック教徒のための安息地を作る望みがあったので、植民地創設に興味を抱いた。バージニア植民地でタバコを売って利益を上げたように、ここで利益を上げ、ニューファンドランド島での失敗により被った損失を取り戻したいとも考えていた。ジョージ・カルバートは1632年4月に死んだが、メリーランド植民地に対する勅許は、1632年6月20日にその息子第2代ボルティモア男爵セシリウス・カルバートが引き継いだ。この新植民地は、チャールズ1世の妻であるヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスに因んで名付けられた可能性がある。勅許状に書かれていた名称は "Terra Mariae, anglice
出典:wikipedia
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