レナード・ランドルフ・ウィルケンズ (Leonard Randolph Wilkens, 1937年10月28日 - ) 、通称レニー・ウィルケンズ (Lenny Wilkens)はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手であり、プロバスケットリーグNBAの元ヘッドコーチである。シアトル・スーパーソニックスのオーナーグループの副会長に就任していた事もあった。選手時代は小柄ながら卓越したゲームメイクの出来るポイントガードとして実績を残し、ヘッドコーチ時代は通算1,300勝以上あげた名将として多くのチームをプレーオフに導いた。プレイヤーとコーチの2部門でバスケットボール殿堂入りを果した数少ない往年の名選手である。ウィルケンズはニューヨーク州ブルックリンに生まれ、地元のブルックリン・ボーイズ高校からプロヴィデンス大学へ進学し選手として活躍した。1959年と1960年の2回カレッジの代表としてNCAAのナショナル・インビテーション・トーナメント(NIT)に出場する。特に1960年にはNITとカレッジ・オールスターゲームのMVPに選出される活躍をみせ、オールアメリカン・セカンドチームにも選出される。卒業時には歴代2位となる1,193ポイントをマークした。1996年に彼の背番号の14番は永久欠番になる。カレッジ時代の通算成績は平均14.9ポイント、7.3リバウンドである。NBAへは、1960年のNBAドラフトでセントルイス・ホークスに1巡目6位指名されて入団する。1967-68シーズンまでホークスでプレイし、1968-69シーズンから1971-72シーズンまではシアトル・スーパーソニックス、1972-73シーズンから1973-74シーズンまではクリーブランド・キャバリアーズ、1974-75シーズンはポートランド・トレイルブレイザーズにそれぞれ在籍した。1968年のMVP投票ではウィルト・チェンバレンがいたため選出されなかったが次点につけた。NBAオールスターゲームには通算9回選出、うち1971年にはオールスターMVPに選ばれた。ウィルケンズは1975年に選手生活を引退したが、1989年に選手として殿堂入りを果した。彼のヘッドコーチとしてのキャリアは選手時代と重なっている。1969-70シーズンから1971-72シーズンまでのスーパーソニックス在籍期間と、ブレイザーズにいた1974-75シーズンの間は、プレイヤー兼コーチとしてチームを率いていた。シーズン終了後、引退するがその後もそのまま1975-76シーズンもブレイザーズのコーチを務めた。翌シーズンはバスケットボールから離れて休養するが、翌々シーズンにはコーチとしてNBAに戻ってくる。1978-79シーズンは、スーパーソニックスを初のNBAチャンピオンに導いた。その後はキャバリアーズ、ホークス、トロント・ラプターズ、ニューヨーク・ニックスのコーチを歴任し、2005年1月22日にニックスのコーチを辞任するまでコーチを続け、辞めたあとは2006年11月29日よりスーパーソニックスの副社長を務めている。ウィルキンズは1996年にNBA50周年記念オールタイムチームに、選手・コーチの両部門で選出された。また1998年にはコーチとしても殿堂入りした。選手、およびコーチの2部門で殿堂入りした選手はジョン・ウッデン、ビル・シャーマン、そしてウィルケンズの3人のみである。得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。32シーズン総計 - 1,332勝 1,155敗 (勝率.536)
出典:wikipedia
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