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綾瀬 (足立区)

綾瀬(あやせ)は、東京都足立区の町名。住居表示実施済みであり、綾瀬一丁目から七丁目までが設置されている。東京都東部を南流する綾瀬川の東側、同区南部を東西に横切る東京メトロ千代田線・JR常磐線綾瀬駅周辺に位置する。足立区東南部にあたり、北で加平、東で谷中・東綾瀬・葛飾区西亀有、南で葛飾区堀切・小菅、西は綾瀬川を挟んで青井・弘道・西綾瀬に隣接する。町域内の大半はJR常磐線高架路線の北側に南北に細長い形で広がっているが、一、二丁目のみは路線南側に互いに分断された形で葛飾区に食い込むような形で広がっている。JR・東京地下鉄綾瀬駅には駅前広場は無いが、高架橋下にバスターミナルが設置され、近隣におけるバス路線網の拠点となっている。駅前には複合商業施設や商店街が並ぶ。綾瀬は戦後比較的早くに土地区画整理事業が進められ、大通りを中心に直線的な道路が整備されている。町域内には公園も多く、北部(五、六丁目)には広大な都立東綾瀬公園が広がり、敷地内にはアスレチック施設や小川が置かれ、子供たちの遊び場としてだけでなく、水と緑の憩いの空間を与えている。東京武道館は各種武道・スポーツの試合や成人式等のイベントに利用されている。綾瀬はおおむね3つの範囲に分けられる。1つ目は町域南西部の綾瀬一丁目である。綾瀬一丁目は西端を綾瀬川と接し、東端は現在の足立区・葛飾区境のコミュニティ道路に沿って南へと広がる。南端は古隅田川で葛飾区小菅と画され、北端は常磐線をもって他の綾瀬地区とは画されており、綾瀬駅西口と接する。綾瀬川には伊藤谷橋が架かり西綾瀬と連絡されている。ここはかつての綾瀬村大字伊藤谷に相当し、現在ではあまりなじみがないものの、この地域固有の古い小名が残されている。2つ目は町域東部の二、三、五丁目である。この部分はかつて東渕江村大字普賢寺に属しており、近隣でも特に古い歴史を持つ地域である。綾瀬二丁目は常磐線の南側に位置し、東・南・西の三方を葛飾区に囲まれ、古隅田川の旧流路で画されている。この古隅田川は現在ほとんどが掛蓋で覆われ、一部は親水水路として整備されている。綾瀬三丁目常磐線北側にあり綾瀬駅東口と接する。駅前は大型の複合商業施設や商店街が広がり、JR常磐線高架橋下には多くの商店が並ぶ。これらの大型商業施設、中小商店は共存共栄の活力ある街づくりを目指し、それに成功しているといえよう。駅のすぐわきから北に伸びる東綾瀬公園沿いに進めば東京武道館が建ちスポーツレクリエーションの拠点となっている。3つ目は町域西・北部の綾瀬四、六、七丁目である。この部分はかつての綾瀬村大字五兵衛にあたり、綾瀬村の中心地であった。西端を綾瀬川で西綾瀬、青井と画されているが、これらはもともとは同じ五兵衛新田であったものが綾瀬川の開削によって分断されたものである。綾瀬川沿岸には中小の工場が立ち並び、綾瀬川を物流水運の拠点として操業している。広義の「綾瀬」にあたる綾瀬地域は、現在の綾瀬一丁目から綾瀬七丁目を含む周辺、かつての東京府南足立郡綾瀬村に相当する。旧綾瀬村の領域は現在の綾瀬をはじめ、青井、弘道、西綾瀬、足立の全部あるいは一部がそれにあたっていた。住宅地の地価は、2016年(平成28年)1月1日の公示地価によれば、綾瀬1-32-3の地点で53万3000円/mとなっている。1867年(慶応4年)3月には、近藤勇ほか新選組隊士らが五兵衛新田(当時。現在の綾瀬四丁目)の金子家に滞在していたことがある。足立区の登録有形文化財となっている「金子家文書」によると、新選組の綾瀬滞在期間は、1867年(慶応4年)3月13日から4月1日までの20日間。人数は当初48人から徐々に増え、最終的には230余人に達し、金子家(本家)ほか、金子家(分家)と近くの観音寺に分宿していた。

出典:wikipedia

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