ちばフラワーバス株式会社は、千葉県山武市に本社を置く京成グループのバス会社。1991年に有限会社冷熱サービスとして設立され、1995年4月1日より京成電鉄成東自動車営業所の路線を引き継ぐことでバス運行業務を開始した。現在の運行エリアも旧・成東営業所とほぼ同じで、千葉市・山武市・東金市や八街市を中心に路線を展開しているが、特に千葉駅 - 成東駅を結ぶ千葉線に高い比重が置かれている。ちばフラワーバスとしての歴史は平成より始まるが、各バス路線の沿革をたどると、実は非常に古くから始まる。現在のフラワーバスの主幹路線である千葉線は1930年(昭和5年)の開通であるが、これは京成電気軌道(現・京成電鉄)としての開通であり、実際には大正時代(開通年は諸説ある)に両総自動車という会社により千葉 - 東金にて開通している。この時の営業所は千葉営業所(当時の場所は初代・京成千葉駅近く)である。また、ルートも若干異なり、千葉駅 - 都町間は現・国道126号線ではなくその少し南の道路(千葉中央バスが松ヶ丘線として運行している道路)を経由していた。その後京成は、1943年(昭和18年)に当時成東付近を運行していた成東自動車の買収を行い、成東営業所を設置した。これらは第二次世界大戦時における鉄道及びバスの統合政策により東金・成東地区の統合事業者が京成電気軌道となった事によるもので、これにより京成は都内から九十九里浜まで路線を延ばす事となった。なお、成東自動車は事前に佐倉自動車を買収していたので、この時点で佐倉地区のバス路線も京成の成東営業所の担当となった(なお、佐倉地区のバス路線は1971年に佐倉営業所として分離され、現在はちばグリーンバスとして分社化されている。)。終戦を経て、『京成電鉄五十五年史』によれば、1960年(昭和35年)に成東営業所新設とある。1943年に設置されたにも関わらず、17年後に再び設置されている事から、第二次世界大戦の影響で初代成東営業所を一旦千葉営業所に統合したと推測される。戦後は成東町内と八街市内の路線の充実に努め、後述する各線の他に多数の路線の新設を行った。これとは別に千葉駅 - 蓮沼海岸を直通する急行バスなども新設され、鉄道よりも優位に立っていた。しかし、昭和40年代を境にこの営業所も輸送量のピークを迎える事となった。結局、総武本線との並行区間が多い八日市場線や、他線に比べて線形の劣る松尾線、下横地線などが次々と廃止され、前・京成千葉駅 - (町方又は吉倉) - 八街駅 - 成東駅を通しで運行していた八街線と新八街線が八街駅で分割された。そして、1987年(昭和62年)2月26日に成東発の主幹路線だった蓮沼線と小松線を統合、同時に蓮沼方面の特急バス(国道126号線経由)を廃止し、千葉東金道路を経由して成東駅に至る東金特急線(フラワーライナー)の新設という根本的なダイヤ改正が行われ、東金線以外は必要最小限度の運行本数に抑えられた。さらに、1991年(平成3年)6月12日に千葉都市モノレールが千葉駅まで乗り入れる様になると、八街線と新八街線はそれぞれモノレールの駅である都賀駅や千城台駅を発着する様に短縮された。この時に当時千葉営業所担当だった宮田線も千城台駅発着となっている。以上のように成東地区のバスは路線網の縮小が続き、結局、京成電鉄は直轄による運行から、新たに設立した別会社への運行に切り替え、地域交通専業の形をとる事となった。但し、分社の形態としては1991年10月2日に設立された有限会社冷熱サービスを1994年(平成6年)8月2日に、ちばフラワーバス株式会社に社名変更し、業種を変更する形とした。このため、会社の設立年とバス事業の開始年は4年程離れている。いずれにしても千葉海浜交通や千葉内陸バスの様に補助金を目的とした会社設立を除けば、初めての分社化となった。分社化に伴い、1995年(平成7年)4月1日に特急バスであるフラワーライナーおよび成東駅発着系統(東金線成東発着便の約半数の便と八街線の東側、海岸線、武射田線)を京成から引き継いだ。これと同時に京成電鉄成東営業所は廃止(施設をそのままフラワーバスが使用)となったが、同営業所の車庫だった中野操車場は、京成電鉄千葉営業所中野車庫となった。このため、東金線のうちJR千葉駅発中野操車場折り返し便と成東駅折り返し便の一部、八街南線、都賀線、新八街線、千城台線および宮田線が京成の千葉営業所担当となった。さらに、1998年(平成10年)4月1日に、京成の千葉営業所が新宿から御成台に移転したのと同時に千城台・都賀以東のローカル線はほとんどがフラワーバスに移管され、主力である東金線も中野操車場以東は、フラワーバスが単独運行する事となった。また、中野車庫もフラワーバスの所属となり、よって京成のバスは千葉営業所の「中野線」として、同所を単に折り返し場としてのみ使用する事となった。これにより、フラワーバスの営業エリアはかなり広がる事となった。そして1999年(平成11年)12月16日には、千葉線の中野操車場以西に於いても全便を担当するように変わった。こうして、従来京成電鉄成東営業所が関わっていたすべての路線が、段階的にフラワーバスに移管された。本社は千葉県山武市にあり、成東車庫を併設している。成東駅から徒歩で約3分程度である。直近に成東車庫停留所も併設しており、千葉特急線(フラワーライナー)、高速東京線(シーサイドライナー)、およびマイタウン・ダイレクトバスが発着する。また、バス(路線)の車庫として、本社併設の成東車庫の他、千葉市若葉区中野町(東金街道における八街市との境目に近い)に千葉出張所(中野操車場)がある。かつて京成の成東営業所の頃は中野操車場を名乗っており、その後、京成電鉄千葉営業所中野車庫、ちばフラワーバス千葉出張所と変化を遂げたが、直近のバス停の名称は現在でも「中野操車場」のままである。京成電鉄から移籍したのは1998年4月1日である。成東車庫 - 丘山小学校と東京駅 - 浜松町の両区間のみの乗車はできない。PASMO・SuicaなどのIC乗車カードが使用可能。また、平日下り便のみ、東京駅始発の深夜バス(別運賃)あり。千葉線の特急便に付与された愛称である。中間部で千葉東金道路を経由する。なお、当路線が設けられる前(1987年以前)は東金線(千葉線の当時の名称)と同じルートを急行として運行していた(東金急行線と呼称)。一部便の、東千葉メディカルセンターへの乗り入れを開始。小湊鐵道と共同運行。東京駅始発⇒大網駅止まりの深夜バスあり(毎日運行・別運賃)。ICカード(PASMO・Suica)対応路線。東京 - 千城台・八街・成東線京成バス千葉営業所と共同運行。ICカード(PASMO・Suica)対応路線。専用車運用時は、時事通信社の文字ニュースが、車内前方のモニターに、テロップで流れる。ちばグリーンバスと共同運行。主幹路線であり、京成電鉄(京成電気軌道)時代に遡れば最も古い路線の一つである。千葉と成東を東金経由で結ぶ。京成電鉄が運行していた頃は東金線と名乗っていた。2012年現在、千葉駅 - 中野操車場を15分間隔、千葉駅 - 東金駅入口 - 成東駅を60分間隔(一部時間帯は約2時間間隔)で運行している。昭和50年代頃までは中野操車場折り返し便が少なく、千葉中央駅(当時の名称は京成千葉駅) - 成東の通し便が多くを占めた(但し、当時は宮田線などの並行する路線がいくつかあった。)。その後、中野操車場折返便が増便され、昭和60年代頃までに千葉駅(千葉中央駅) - 中野操車場が15分定間隔運行となった。一方、千葉駅 - 成東間は昭和60年代以降30分間隔を保っていたが、2005年に60分間隔に半減されてしまった。但し、千葉 - 東金・成東の移動に関して言えば、先述のフラワーライナー(特急)の方が所要時間が短い。尚、この路線は千葉市、東金市、山武市以外に中野操車場から先の辺り、ほんの一部八街市を通る。当路線とフラワーライナーは千葉 - 東金市内及び千葉 - 旧・成東町内でその運賃が対キロで算出される金額よりも低めに設定されている。特に、千葉 - 成東駅についてはJR線より安くなっている。2007年4月1日よりちばシティバスいずみ台線の千葉駅発着便が廃止された事に伴い、中野操車場折り返し便の一部が五社神社・いずみ台ローズタウン経由に変更された。これにより、新たにバスが走る事になった区間(大草 - 五社神社 - いずみ台ローズタウン)は、京成の京葉ゴルフ場線時代の末端部の路線とほぼ同じルートである。千葉駅 - 中野操車場 - 東金駅入口 - 成東駅間の通し運行を減便。(平日・土休日1往復)千葉駅 - 中野操車場 - 東金駅入口 - 成東駅間の通し運行は早朝の千葉駅行き1本のみに。千葉駅 - 中野操車場 - 東金駅入口 - 成東駅間の通し運行が1本/hに増便(平日は東千葉メディカルセンター経由)八街駅を起点に山武支所前までと埴谷を経て成東駅までの2地点へ向かう路線である。最盛期には千葉 - 八街 - 成東を直通運転しており(新八街線も同様)、埴谷経由成東便はその当時のルートの一部である。山武支所(旧・山武町役場)前発着便は元々日向線として成東駅 - 日向駅間で開業し、その後八街側への延長がなされたが、利用者が少なく、2007年4月1日より八街駅 - 山武支所前間に短縮された。廃止区間のうち、日向駅を中心とする地域は、山武市の巡回バスによって一応の交通が確保されている。成東駅から向渡入口まで同一ルートで進み、向渡入口から先は蓮沼南・南浜・作田南・成東海岸を循環する便と、作田南非経由の蓮沼南・南浜循環便、蓮沼南・南浜非経由の作田南(起・終点)便とで構成されている。かつて、当路線用の1日乗車券が発売されていた。(現在は未発売。)元々は千葉中央駅から(JR千葉駅を経由せず)国道126号線を走り、宮田で左折して川崎十字路へ至る路線だった。千葉都市モノレール千葉駅延伸で運行頻度の少ない路線は千城台駅発着に変わり、この路線もそうなった。この時に国道126号線経由から泉高校経由となり、宮田停留所は通らなくなった。その後、乗客は定着せず、1997年3月1日の改正では川崎十字路より朝1本のみの運行となった。その後、1往復に増便されたり、1998年4月に当社に移管されたりもしたが、ほとんど運行されていないという状況は変わらず、そのまま廃止となった。なお、沿線には京成が千葉市からの委託を受けて運行しているコミュニティバスのさらしなバスが走っているが、当路線及び千城台線の廃止を受け、ルートが泉高校・グリーンタウン側に拡大されている。1991年の千葉都市モノレール千葉駅延伸と同時に新設された路線である。千城台駅 - グリーンタウン - 中田町間は宮田線と同一経路であり、同年当時は2路線合わせて1時間に1本程度の運行だった。しかし、国道126号線上を並行して走る千葉線(京成電鉄時代の名称は東金線)が10 - 15分と圧倒的に高い運行頻度だったため、乗客はこちらに集中してしまった。その影響で当路線・宮田線の双方共大幅に減便され、廃止直前の本数はわずかに7往復(平日)だった。なお、開通当初はグリーンタウン経由と大草経由があったが、1997年3月に後者が一足早く廃止されている。中野操車場が終点だったため、千城台駅を発着する各線の出・入庫便の様になっていた。都賀駅と八街駅の間を佐倉街道・町方経由で結ぶ路線である。千葉、四街道、佐倉、八街の4市に跨って走り、佐倉市内の区間ではちばグリーンバスの神門線西御門発着便と並行している。幹線道路を比較的まっすぐに走っていく路線で、沿線には川村記念美術館があるが、住宅の多い地域ではないため、利用者は少ない。佐倉自動車の支線として戦前に千葉 - 八街間で開通し、最盛期には千葉中央駅 - 八街駅 - 成東駅間の直通運転を行っていたが、その後規模を縮小し、1991年の千葉都市モノレール千葉延伸時に都賀駅発着となった。かつては、千葉市から佐倉街道方面に向かう並行路線として千葉線(千葉中央駅 - 京成佐倉駅)や吉岡線(千葉中央駅 - 四街道駅)があったが、これらは都賀駅短縮を経て京成電鉄時代に廃止され、最後に残った当路線が、フラワーバスに移管されて存続した。京成電鉄成東営業所時代の車種選択を引き継ぎ、日野自動車の車両をメインに導入している。社番は京成バスと同じ表記で、千桁には「6」を表記する。一般路線車は、千葉線を中心に使用される大型車両、その他のローカル線で使用される中型車両及び小型のリエッセ1台が配置されている。長距離を走る路線や閑散路線が多い当社では、交通バリアフリー法施行の直前まで比較的着席定員の多く取れるツーステップバスのみを導入していた。このため、全国的にも導入例が少ないツーステップ仕様のブルーリボンシティが在籍しているほか、大型車両の中には全席2人掛け・補助席付きの貸切兼用車もある。自社発注車のほか、かつてはブルーリボン・レインボーで京成バスから譲受した車両も存在した。現在ではワンステップバスのほか、経年車置き換えによりノンステップバスも少数ながら導入されており、近年の導入車両には吊革の持ち手を五角形状に変更したものもある。現行車両の塗装は、1995年10月に採用されたもので、運行エリアである山武市出身の文豪・伊藤左千夫の作品「野菊の墓」の「野菊」からイメージを得たものである。菊の若葉・広大な野原を緑色で、花・太陽を黄色でそれぞれ表現し、花びらが風になびく様子をデザイン化した。高速車は日野自動車及び三菱ふそう製を使用しており、一部を除き「フラワーライナー」や「シーサイドライナー」の専用塗装を施している。「シーサイドライナー」は全てトイレ付き車で運用されるが他の路線はトイレなし車で運用する場合がある。この他、貸切車や山武市コミュニティバス用の日野・ポンチョが配置されている。千葉ナンバーの地域だがご当地ナンバー導入後は成田ナンバーになった。当社では、2008年3月5日からPASMO(Suicaと相互利用)を導入した。最初に導入されたのは千葉線で、後に千葉駅 - 成東駅間の同一路線である「フラワーライナー」と、一般路線の千葉線以外の路線では2009年4月1日から導入した。なお、「シーサイドライナー」については、2014年4月1日から使用可能。2012年10月1日より、海岸線で利用できる一日乗車券(500円)の発売をしていた(現在は未発売)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。