ストックホルム( )は、スウェーデンの首都で、スウェーデン最大の都市である。北欧を代表する世界都市であり、2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第33位の都市と評価された。ストックホルム県(Stockholms län)に属す。人口は約75万人。「水の都」、「北欧のヴェネツィア」ともいわれ、水の上に浮いているような都市景観をもつ。北欧で最大の人口を誇り、バルト海沿岸では、サンクトペテルブルクに次いで第2位。1912年に第5回夏季オリンピックが開催された。13世紀の半ばにスウェーデン東部のメーラレン湖東にある小島スタツホルメン島に砦として築かれたのが最初である。1250年代に即位したとされるフォルクンガ王朝初代国王ビルイェル・ヤールによる。砦としてだけでなく、都市としての機能も形成されて行く。戦闘に備えて、島を囲むように丸太の柵が巡らされていた為に、「丸太の小島」と呼ばれるようになった。これはスウェーデン語で「ストックホルム」と言う。都市は次第に拡大し、近郊の小島などに広がって行き、都市の名も「ストックホルム」として落ち着いた。都市の始まりとして築かれたスタツホルメン島は、「ガムラスタン(旧市街)」と呼ばれ、昔ながらの中世の建物が建ち並んでいる。13世紀中葉以降、バルト海沿岸のハンザ同盟都市との交易で、成長。カルマル同盟下で、デンマーク王家にとって重要な都市となっていく。スウェーデンの都市は、他のヨーロッパの都市と比べると小規模で、ストックホルム以外の都市化は遅々として進んでいなかった。1520年、クリスチャン2世がストックホルムの血浴と呼ばれる独立派の処刑を行う。結果として、独立運動が高揚、1523年にスウェーデンは、グスタフ1世の下でスウェーデン王国として独立、その首都として人口が増加、1600年には1万人に達する。17世紀は、スウェーデンが列強の一つに成長した時期であり、ストックホルムの人口も1610年から1680年の間に6倍に膨れ上がった。しかし、他国のような人口爆発は、スウェーデンにおいては小規模にしか発生せず、都市と言えるような街は、他には海港イェーテボリ位しか無かった。スカンジナビアの諸都市と国内の諸都市を結ぶ交易を、ストックホルムが独占していく。1710年、この地でもペストが猛威を振るう。さらに大北方戦争の敗北で、都市の発展に翳りが見えたが、「自由の時代」を経てグスタフ3世の治世で文化面で「ロココの時代」を迎える。19世紀後半には、再び産業の中心都市として復興し、人口も移民の流入で増加する。ストックホルム生まれは市の人口の4割にも達せず、商業などを通じドイツ人やオランダ人などが大量に入植、ストックホルムの都市化が進んだ。この時期、カロリンスカ研究所など多くの研究機関・大学が創設された。18世紀以降、ストックホルムは、直接戦火に巻き込まれなかったため、20世紀以降は、現代的な多民族都市へと成長、地区など古い歴史的町並みは、現代建築に建て替えられていった。ストックホルムの人口は、現在も増加し続けているが、それは自然増ではなく、移民によって構築されている。最近になって移民が独自のコミュニティーを形成し始めている。重化学工業は市内には事実上存在しない。市の雇用を吸収しているのはハイテク産業である。IT産業のセンターは市の北部に形成されている。ストックホルム最大の企業(従業員数)は、ストックホルムに本社を置く移動体通信メーカーのエリクソンで、およそ8,500人を雇用している。金融業も発展しており、2011年9月、英国のシンクタンクにより、ストックホルムは世界第28位の金融センターと評価されている。メーラレン湖がバルト海に達する場所に位置し、市の中心部はストックホルム諸島(Stockholm archipelago)を構成する島々の内、14の小島を含む。市の地勢上の中心はリッダー湾に沿っている。市の面積の30%は運河が占め、公園や緑地帯も30%を占めている。亜寒帯湿潤気候に属する。高緯度地方のため、1日の日照時間は夏の18時間から12月下旬の6時間まで格差が激しい。メキシコ湾流の影響で、緯度の割には温暖で、年間の日照時間は、1,981時間に達する。年間の降水量は、539 mm。地球温暖化で近年は冬季の降雪がない年もある。ストックホルムはどの都市とも正式に姉妹都市提携をしていないが、世界中の首都と協力関係にある。
出典:wikipedia
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