大同市(だいどうし)は、中国山西省北部に位置する地級市。 省都の太原市に次ぐ山西省第二の都市である。 大同市は山西省の最北端、黄土高原の東北部に位置している。桑乾河やその支流・御河が東の張家口市方面へ流れる。北部は長城により内モンゴル自治区ウランチャブ市の豊鎮市・涼城県に接し、西南は朔州市及び忻州市と隣接している。戦国時代には趙の版図であった大同は雲中、雁門、代郡が設置されていた。秦による中国統一後は雁門郡の下に平城県が設置され、後漢末に廃止されている。モンゴルに近い大同は農耕経済と遊牧経済の設定に位置する地勢的条件により両文明の影響を強く受けている。前漢の建国者の劉邦は大同付近の白登山で匈奴冒頓単于との間で戦火を交え敗北している(白登山の戦い)。南北朝時代になると北魏により平城県(432年から439年までは万年県と改称)が再設置され、398年(天興元年)から494年(太和18年)にかけて国都とされ、付近には石窟寺院である雲崗洞窟を残している。平城県は孝昌年間に廃止されたが、北斉により太平県として再設置、北周により雲中県、隋代には開皇年間に雲内県と改称されている。唐朝が成立すると618年(武徳元年)に北桓州州治とされた。640年(貞観14年)に雲内県は廃止となり、新に定襄県が設置され雲州州治とされた。730年(開元18年)に定襄県は雲中県と改称している。五代十国時代、北方で勢力を伸ばした遼朝の援助により後晋を建国した石敬瑭は、援助の代償として燕雲十六州を遼朝に割譲、遼朝は1044年(重熙13年)に雲州を昇格させ副都の一つとして西京大同府を設置、1048年(重熙17年)に大同県が新設され大同府治とされた。1265年(至元2年)、元朝は雲中県を廃止し大同県に編入、1288年(至元25年)には大同路路治、明清代には大同府の府治とされた。明代では北元に対抗すべく万里の長城を修築するなど、防衛政策を強化する必要に迫られた。大同は長城付近への物資輸送における中継地点として重要な役割を果たした。中華民国が成立すると大同府は廃止となり大同県の管轄とされた。1949年には大同県城区に大同市を設置、察哈爾省の管轄とした。1952年に山西省管轄の地級市、1958年に県級市、1961年に地級市、1970年に県級市とされたが、1972年に地級市に昇格し現在に至る。4区、7県を管轄する。大同市は鉱物資源に恵まれ、大同炭田における石炭以外に、銅、鉄、金、銀、アルミニウム、亜鉛などの鉱石以外に石墨、リン、長石、ウンモ、石灰石などが産出され、環渤海経済圏に対する重要な原料供給地となっている。またこれらの原料を用いた重工業も発展している。航空鉄道道路
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